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閑話
鳥かごの中では唄えない
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初恋の王太子を思い続ける年上妻に執着し、監禁する少年夫の独白。
序章「断頭台に響くは、うたかたのアリア」で主人公が、八つ年下の公爵令息に嫁ぐことを了承したら、のif未来です。
------
ああ、そうそう。王太子殿下と元帝国皇女殿下との華燭の典はすばらしかったよ。
あなたは行かれなかったね。とても残念だ。
父上も弟もアーニャも、皆あなたのことを心配していたよ。
けれど仕方がないよね。
あなたのお腹には私との大事な子がいて、今はとても大事なときだ。まさか夜通しの晩餐会に舞踏会だなんて、とてもじゃないけれど、出してあげられない。
本当は私も、欠席したかったくらいだ。
あなたと二人、この屋敷でいつまでものんびりと過ごしていられたら。
くだらない愛想笑いにおべっかに牽制に駆け引きに。バカバカしいだろ?
そう思わないかい?
あの場にいるうちの幾人が、心から王太子殿下のご成婚を祝っていたのだろうね?
皆、己のことしか考えていないのに、醜いったらないじゃないか。あれほどまで贅を尽くしてさ。
我が国の権威と、帝国との仲が良好であることを見せつける茶番の下では、招待客どもが勝手に新たな茶番を繰り広げて、どうにもけばけばしく、出来の悪い喜劇だ。
まったくすばらしかったよ。
大丈夫。もちろん、そんなことは滅多に口にはしないさ。
いくら私が弟に比べて、能も自覚も劣るとはいえ、さすかにグリューンドルフ公爵家の嫡男として、最低限の義務は果たすつもりだ。
あなたを守る上でも、大事なことだからね。
そのためなら、あなたの心をいつまでも捉えて離さない、憎たらしい王太子殿下の栄華に幸福だって、いくらでも祈るよ。
ねぇ。あなたはいつまでそうやって塞ぎ込んでいるのかな?
そんなにも諦めがつかないのかい?
既に私との子がそのお腹にいるのというのに?
王太子殿下と王太子妃殿下がご婚約されてから、いったい何年が経った?
いまさらじゃないかい?
あなたの執着心と未練のおぞましさには、まったく畏れ入るね。
ふふ。
それは無理な話だ。
だってあなたをそうそう容易に屋敷の外に出せば、あなたの生家のために落ちぶれ、怨みつらみを募らせた輩から、あなたがいつ襲われるとも知れないよ。
或いは王太子殿下や我が父上も、大いに恨みを買っているからね。お二方に比ぶればだいぶ小物の私にしたって、敵は少なくない。
あなたを害することで溜飲を下げ、幾分か気分をすっきりさせようと企む人間はどれほどいるだろうか。
長らくこの屋敷から出ていないあなたの予想では、きっと追いつかないことだろうよ。
そりゃあ、そうさ。
当時私はまだ五つの幼子に過ぎず、その時分の詳細は知らない。
あなたは十三の、すでに恋も世をも知る少女だったけれど、私は何を知るでもない、無垢な存在だった。蝶々を追いかけまわしては、庭で寝転ぶだけの無邪気なね。
だから、そう。あなたの言う通り。
あなたがたの間で何が起こったかなど、見て聞いたわけではないさ。
けれど、父上と王太子殿下が強引な手を使って、あなたを我が家に招き入れたんだ。誰の目にも明らかだろう。あなたがどれほど『王太子殿下のお気に入り』なのかってね。
あなたは明らかに王太子殿下の弱点だ。
王太子殿下はあなたを好いていない? 買い被りだと?
それはなんだ? 謙遜か? それとも当て付けに嫌味なのか?
真実、あなたの自己評価が低いのだとしても、大概だ。あまり利口なやり口ではないね。
私をこれ以上怒らせないでおくれ。
あなたはこれまでに幾度となく離縁を懇願してきたね。
前回のときの言い分はなんだったか。
八つも年上の身では、まだ若く未来に夢溢れるはずの、私の妨げとなるだっけ? それはもっと前の話だったかな?
私がどれほどあなたと共に歩んでいきたいのかを切に訴えようとも、なぜあなたが私の希望や夢や未来を代弁するのかと詰ろうとも、あなたはいつでも聞く耳を持たない。
それはそうだよね。
だってあなたは私を言い訳に、私から離れたいだけなのだから。
違う?
そうかい?
それならばいいけれど。
一時は根も葉もない流言が蔓延って、まったく困惑したものだよね?
あなたとわたしが婚姻を結んだのは、王太子殿下が『お気に入り』のあなたを我が公爵家に一時的に保護しただけであり、ゆくゆくは私との婚姻を、白の婚姻であったと明かし――…。
ああ、口にするのも腹立たしいな。
私との婚姻をなかったことにする、とね。
その上で『王太子殿下のお気に入り』であるあなたを、我が国にとって利となる国の有力貴族と養子縁組させ、王太子殿下と他国籍を得たあなたは婚姻を結び、国家間の結びつきと友好とを深め、なおかつ、王太子殿下は最愛なるあなたを手に入れる腹積もりだったと――…はは! ありえないね。
いったい、私の人生をなんだと思っているんだ?
まだ幼く、右も左も分からない時分に勝手に婚姻を結ばされ、しかしどのみち夫婦となるのならば、仲良くやろうと受け入れ、心を尽くし、交友を深め絆を育んだと思った妻は、またもや我が意など差し置き、我が手から引き離され、王太子殿下の元に戻る。
そう、戻る、だ。
私は王太子殿下専属のクロークか?
私は当事者でありながら、常に蚊帳の外。
はは、あなたと同じだ。あなたなら、この無念がわかるだろう?
ふうん。でもやはり、私とあなたとでは違うんだな。
それならば、あなたは王太子殿下に告発するべきだったんだ。もしくは私の父にね。
父上と王太子殿下のお二方が結託して物事を進める前にさ。いやその途中でもきっと間に合っただろう。
あなたの生家がまずいことになっていると、ただ一言でよかったんだ。
助けてくれ、と。
もしくは、家を裏切り、自ら密告者になるとね。
そのように志願すればよかったのさ。
さすれば、あの頭の固い王太子殿下とはいえ、あなたの話を聞いただろう。うまくやれば、あなたは二人の陣営に潜り込めたし、あなたの意見もある程度は通ったろう。
なんだい?
言い訳など、私にしたところで、何も変わらないよ。
もちろんあなたの気が済むまで、いくらでも付き合うけれどね。
ああ、そうだったのだな。
あなたの認識ではそうだったのだね。まあそうだろう。
自分の娘にそれほどまで手の内を見せるほど、考えなしではなかったのだろう。
王太子殿下の進めようとする政策には異を唱えるが、それは単純に思想と主義に反意を唱えるだけであり、決定的に王家と反目し罪を犯しているわけではないと。
家臣として、己の信じる正義によって、王太子殿下を諫めようとしていたと。
そう。それが当時のあなたの、生家の。御父上の立場だと、そう認識していたわけだ。
まあそうだ。王宮の使用人に己の息のかかった配下を送り込むなど、どの貴族もやっていることだ。そこで謀反を画策し実行するのならばともかく、情勢を探るだけならば、表立ってよしと言えることでは決してないが、それぞれ情報収集としてよくある手だ。
そういった行為について、すべてがすべて、王家としても断じるわけにはいかないことだ。目をつむって見逃すことによって、暗に認めているとも言えるだろう。
わかったよ。
苦しい言い訳だとは思うけれど、それは納得することにしよう。
しかしだね。
まだ打ち明けていないことがあるよね?
隠さなくてもいいんだ。
私があなたの立場なら、真っ先にそれを望むだろうから。まあ、私があなたの立場であれば、結局は目指す方向性が真逆なのだから、現状では無理だと即座に判断して、次の手に打って出ただろうけれど。
真逆だろう?
だって王太子殿下の目指す治世は多数者支配。あなたの御父上は特権階級による支配。
これがどうすれば相容れるというんだ。
だのにあなたは、それらがいつか融合されるのではと期待してしまった。
そうだよ。
あなたは、このまま自分さえ黙っていれば、王太子殿下の婚約者の座を手に入れ、ゆくゆくは妃になるだろう、と。
そのようにとろけるように甘く、あらがいがたい誘惑にかられ、期待してしまったのだろう?
いやなに。私はあなたを責めているわけじゃない。
そのようにすすり泣かないでくれ。
あなたの涙は甘美だが、だからといって私に嗜虐趣味があるというわけではない。だから泣くのはおよしよ。まるでこれでは、私があなたを泣かせているようではないか。
だってあなたは、あなたの罪のためだけに、その涙を流しているだけだというのにね。
あなたは、私の言葉によって、一つも傷など受けていない。
そうだろう?
あなたが泣いているのは、ただあなたがあなた自身の過去を悔い、その醜悪さに羞恥を呼び起こされただけなのだ。
そこに私は少しの関与もしていない。寂しいことにね。
そうそう。
あなたは殊勝なことを嘯いて、己自身を欺こうとしていたようだが、その欺瞞が露わになったのだろう。
あなたは、恋い慕う王太子殿下と結ばれる可能性があるのならばと、すべてをそこに賭けた。
たとえあなたの慕う王太子殿下の理想が砕かれ、のちにあなたの生家の傀儡と成り果てようとも、あなたはそれで構わなかったのだ。
王太子殿下が叶えようとした未来に暗雲が立ち込めようとも、あなたはあなたの望みを叶えたかったのだ。王太子殿下のお嫁さんになる、というね。
それがために、あなたは口を開かなかった。
己の家が、何をしようと、何を望んでいるか、ということについて。
そうではない?
本当に?
まったくそのような期待と願望がなかったと言えるのか?
まあそうだね。
確かに先ほど、あなたの認識については聞いた。
けれど、それならばそれで、あなたは王太子殿下への思慕や忠誠心ではなく、あなたの生家をとったのだ。
もちろん、貴族令嬢として、それは間違っていない。
あなたの家は、建国当初からある旧き家であり、王家によって従えられてはいたが、それ以前に元を辿れば、封建領主であり一族の長であったのだ。
国に向ける忠誠心より、自領を優先させるのは当然のことさ。
それだからあなたの侯爵令嬢としての矜持を否定するものではない。
ただ私が言いたいのは、そうであるのならば、あなたは侯爵令嬢としての矜持を恋心より優先させた、非常に理性的で模範的な令嬢であったということだ。
それがために、あなたは王太子殿下から、庇護すべき令嬢と見なされ、共謀する蛮勇はないと切り捨てられたのだ。
あなたはあなたの道を、あなた自身が選んだのだ。
生家を密告しない、という非常に消極的な手段でね。
ああ、それ以上泣いては、目がとけてしまう。
明日はおそらく目が開かないだろう。それではきっと、足元も危ないではないか。
大丈夫。私がいつまでもあなたのそばにいよう。
いつまでもあなたには頼りない、年の離れた弟にしか映らないだろう私だけれど。それでもあなたという大事な妻の体を支えることくらい、たやすいことだ。
あなたは私のことなど気にも留めていないのかもしれないが、これでもなかなか体は出来上がってきているよ。仮にも我がグリューンドルフ公爵家は武の家だからね。
まあ、まだ私は十五だから、あなたと同じ年の頃の男には、まだ敵わないかもしれないが、きっと王太子殿下と同じくらいの年になれば、私の方がずっと体躯に恵まれると思うよ。
だって父上をご覧。
あの方ほどとは叶わずとも、国王陛下と父上は血のつながった兄弟ではあるが、歴然としているだろう。だからきっと、私は王太子殿下より逞しく、あなたを支えよう。
ああ。やっと笑ってくれたね。
うん、やはりあなたの笑顔はいいな。
とてもすてきだ。
そうそう。アーニャがあなたによろしく伝えるようにと。
アーニャは無事、バル………第三王子殿下と想いを通わせたそうだよ。
まあ、いまさらだな。
毎週末、逢瀬を交わしていたようだったから。
いいや、だめだよ。
アーニャとは今後は一切会うことはない。
知っているだろう? 彼女はガルボーイ王国の第一王女で、王位継承権第一位を有する、未来のガルボーイ王国女王だ。
我が家が養女と建前をして匿ってきたのは、ガルボーイ王国から亡命してきた王女だ。反国王派による反乱軍の手に落ちることを恐れ、友好国である我が国を頼ってね。
伝説の初代女王と同名の、ガルボーイ王国民の期待を一身に負うアーニャ。
今はまだ幼い少女だが、これまでアーニャの教育係として、また義姉として長く交流してきたあなたのことだ。聡いだけでない、女王たる資質についても見抜いていることだろう。
彼女がガルボーイ王国に立てば、かの国は再び盛り返すだろうよ。
そしてそれに対し、我がゲルプ王国、そして我がグリューンドルフ公爵家がどれほどの貢献を捧げたのか、アーニャは必ず汲んでくれるはずだよ。
つまりアーニャは我がグリューンドルフ公爵家にとっては、総勢力で以って、なにがなんでも守り切らねばならない最重要人物なんだ。
そんな重要人物とあなたを引き合わせでもして、あなたがアーニャを人質にこの家を出ていこうなどと企んだとしたら?
ふふ。まるで血の気の失せた、真っ青な顔をしているね。
あなたの考えなど、手に取るようにわかる。なぜなら私はあなたを愛しているから。
そうだよ。
愛しているんだ。
だから、あなたが私を裏切ろうとも、私はあなたをこの手で弑することなど、できやしない。
あなたが本当にここから逃げ出そうと願うのならば、簡単だ。
あなたが私を弑すればいい。
私の息の根を止めればいい。
あなたの手にかかってこの命が絶えるのであれば、私は大変な幸福の中で天に召されるだろう!
それはきっと底なしの幸福だろうね。そしてそれこそが、あなたが私に与えうる限りの寛大さと愛だろう。
ああ、あなたはとても美しいよ。
その愚かでどうしようもなく俗悪な初恋の成れの果てに縋りつく、その悲惨なまでの哀れさに、どうして心惹かれずにいられよう。
ねぇ。私で妥協できずとも、同情くらいならば与えてくれないだろうか。
あなたの心がいつまでも王太子殿下のもとにあろうと、構わないよ。もちろん悔しいけれどね。
けれど私はあなたの心のままをすべて、愛すると誓うよ。
どうか、この鳥かごの中で美しく囀り続けておくれ。
私の金糸雀。
(閑話 「鳥かごの中では唄えない」 了)
序章「断頭台に響くは、うたかたのアリア」で主人公が、八つ年下の公爵令息に嫁ぐことを了承したら、のif未来です。
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ああ、そうそう。王太子殿下と元帝国皇女殿下との華燭の典はすばらしかったよ。
あなたは行かれなかったね。とても残念だ。
父上も弟もアーニャも、皆あなたのことを心配していたよ。
けれど仕方がないよね。
あなたのお腹には私との大事な子がいて、今はとても大事なときだ。まさか夜通しの晩餐会に舞踏会だなんて、とてもじゃないけれど、出してあげられない。
本当は私も、欠席したかったくらいだ。
あなたと二人、この屋敷でいつまでものんびりと過ごしていられたら。
くだらない愛想笑いにおべっかに牽制に駆け引きに。バカバカしいだろ?
そう思わないかい?
あの場にいるうちの幾人が、心から王太子殿下のご成婚を祝っていたのだろうね?
皆、己のことしか考えていないのに、醜いったらないじゃないか。あれほどまで贅を尽くしてさ。
我が国の権威と、帝国との仲が良好であることを見せつける茶番の下では、招待客どもが勝手に新たな茶番を繰り広げて、どうにもけばけばしく、出来の悪い喜劇だ。
まったくすばらしかったよ。
大丈夫。もちろん、そんなことは滅多に口にはしないさ。
いくら私が弟に比べて、能も自覚も劣るとはいえ、さすかにグリューンドルフ公爵家の嫡男として、最低限の義務は果たすつもりだ。
あなたを守る上でも、大事なことだからね。
そのためなら、あなたの心をいつまでも捉えて離さない、憎たらしい王太子殿下の栄華に幸福だって、いくらでも祈るよ。
ねぇ。あなたはいつまでそうやって塞ぎ込んでいるのかな?
そんなにも諦めがつかないのかい?
既に私との子がそのお腹にいるのというのに?
王太子殿下と王太子妃殿下がご婚約されてから、いったい何年が経った?
いまさらじゃないかい?
あなたの執着心と未練のおぞましさには、まったく畏れ入るね。
ふふ。
それは無理な話だ。
だってあなたをそうそう容易に屋敷の外に出せば、あなたの生家のために落ちぶれ、怨みつらみを募らせた輩から、あなたがいつ襲われるとも知れないよ。
或いは王太子殿下や我が父上も、大いに恨みを買っているからね。お二方に比ぶればだいぶ小物の私にしたって、敵は少なくない。
あなたを害することで溜飲を下げ、幾分か気分をすっきりさせようと企む人間はどれほどいるだろうか。
長らくこの屋敷から出ていないあなたの予想では、きっと追いつかないことだろうよ。
そりゃあ、そうさ。
当時私はまだ五つの幼子に過ぎず、その時分の詳細は知らない。
あなたは十三の、すでに恋も世をも知る少女だったけれど、私は何を知るでもない、無垢な存在だった。蝶々を追いかけまわしては、庭で寝転ぶだけの無邪気なね。
だから、そう。あなたの言う通り。
あなたがたの間で何が起こったかなど、見て聞いたわけではないさ。
けれど、父上と王太子殿下が強引な手を使って、あなたを我が家に招き入れたんだ。誰の目にも明らかだろう。あなたがどれほど『王太子殿下のお気に入り』なのかってね。
あなたは明らかに王太子殿下の弱点だ。
王太子殿下はあなたを好いていない? 買い被りだと?
それはなんだ? 謙遜か? それとも当て付けに嫌味なのか?
真実、あなたの自己評価が低いのだとしても、大概だ。あまり利口なやり口ではないね。
私をこれ以上怒らせないでおくれ。
あなたはこれまでに幾度となく離縁を懇願してきたね。
前回のときの言い分はなんだったか。
八つも年上の身では、まだ若く未来に夢溢れるはずの、私の妨げとなるだっけ? それはもっと前の話だったかな?
私がどれほどあなたと共に歩んでいきたいのかを切に訴えようとも、なぜあなたが私の希望や夢や未来を代弁するのかと詰ろうとも、あなたはいつでも聞く耳を持たない。
それはそうだよね。
だってあなたは私を言い訳に、私から離れたいだけなのだから。
違う?
そうかい?
それならばいいけれど。
一時は根も葉もない流言が蔓延って、まったく困惑したものだよね?
あなたとわたしが婚姻を結んだのは、王太子殿下が『お気に入り』のあなたを我が公爵家に一時的に保護しただけであり、ゆくゆくは私との婚姻を、白の婚姻であったと明かし――…。
ああ、口にするのも腹立たしいな。
私との婚姻をなかったことにする、とね。
その上で『王太子殿下のお気に入り』であるあなたを、我が国にとって利となる国の有力貴族と養子縁組させ、王太子殿下と他国籍を得たあなたは婚姻を結び、国家間の結びつきと友好とを深め、なおかつ、王太子殿下は最愛なるあなたを手に入れる腹積もりだったと――…はは! ありえないね。
いったい、私の人生をなんだと思っているんだ?
まだ幼く、右も左も分からない時分に勝手に婚姻を結ばされ、しかしどのみち夫婦となるのならば、仲良くやろうと受け入れ、心を尽くし、交友を深め絆を育んだと思った妻は、またもや我が意など差し置き、我が手から引き離され、王太子殿下の元に戻る。
そう、戻る、だ。
私は王太子殿下専属のクロークか?
私は当事者でありながら、常に蚊帳の外。
はは、あなたと同じだ。あなたなら、この無念がわかるだろう?
ふうん。でもやはり、私とあなたとでは違うんだな。
それならば、あなたは王太子殿下に告発するべきだったんだ。もしくは私の父にね。
父上と王太子殿下のお二方が結託して物事を進める前にさ。いやその途中でもきっと間に合っただろう。
あなたの生家がまずいことになっていると、ただ一言でよかったんだ。
助けてくれ、と。
もしくは、家を裏切り、自ら密告者になるとね。
そのように志願すればよかったのさ。
さすれば、あの頭の固い王太子殿下とはいえ、あなたの話を聞いただろう。うまくやれば、あなたは二人の陣営に潜り込めたし、あなたの意見もある程度は通ったろう。
なんだい?
言い訳など、私にしたところで、何も変わらないよ。
もちろんあなたの気が済むまで、いくらでも付き合うけれどね。
ああ、そうだったのだな。
あなたの認識ではそうだったのだね。まあそうだろう。
自分の娘にそれほどまで手の内を見せるほど、考えなしではなかったのだろう。
王太子殿下の進めようとする政策には異を唱えるが、それは単純に思想と主義に反意を唱えるだけであり、決定的に王家と反目し罪を犯しているわけではないと。
家臣として、己の信じる正義によって、王太子殿下を諫めようとしていたと。
そう。それが当時のあなたの、生家の。御父上の立場だと、そう認識していたわけだ。
まあそうだ。王宮の使用人に己の息のかかった配下を送り込むなど、どの貴族もやっていることだ。そこで謀反を画策し実行するのならばともかく、情勢を探るだけならば、表立ってよしと言えることでは決してないが、それぞれ情報収集としてよくある手だ。
そういった行為について、すべてがすべて、王家としても断じるわけにはいかないことだ。目をつむって見逃すことによって、暗に認めているとも言えるだろう。
わかったよ。
苦しい言い訳だとは思うけれど、それは納得することにしよう。
しかしだね。
まだ打ち明けていないことがあるよね?
隠さなくてもいいんだ。
私があなたの立場なら、真っ先にそれを望むだろうから。まあ、私があなたの立場であれば、結局は目指す方向性が真逆なのだから、現状では無理だと即座に判断して、次の手に打って出ただろうけれど。
真逆だろう?
だって王太子殿下の目指す治世は多数者支配。あなたの御父上は特権階級による支配。
これがどうすれば相容れるというんだ。
だのにあなたは、それらがいつか融合されるのではと期待してしまった。
そうだよ。
あなたは、このまま自分さえ黙っていれば、王太子殿下の婚約者の座を手に入れ、ゆくゆくは妃になるだろう、と。
そのようにとろけるように甘く、あらがいがたい誘惑にかられ、期待してしまったのだろう?
いやなに。私はあなたを責めているわけじゃない。
そのようにすすり泣かないでくれ。
あなたの涙は甘美だが、だからといって私に嗜虐趣味があるというわけではない。だから泣くのはおよしよ。まるでこれでは、私があなたを泣かせているようではないか。
だってあなたは、あなたの罪のためだけに、その涙を流しているだけだというのにね。
あなたは、私の言葉によって、一つも傷など受けていない。
そうだろう?
あなたが泣いているのは、ただあなたがあなた自身の過去を悔い、その醜悪さに羞恥を呼び起こされただけなのだ。
そこに私は少しの関与もしていない。寂しいことにね。
そうそう。
あなたは殊勝なことを嘯いて、己自身を欺こうとしていたようだが、その欺瞞が露わになったのだろう。
あなたは、恋い慕う王太子殿下と結ばれる可能性があるのならばと、すべてをそこに賭けた。
たとえあなたの慕う王太子殿下の理想が砕かれ、のちにあなたの生家の傀儡と成り果てようとも、あなたはそれで構わなかったのだ。
王太子殿下が叶えようとした未来に暗雲が立ち込めようとも、あなたはあなたの望みを叶えたかったのだ。王太子殿下のお嫁さんになる、というね。
それがために、あなたは口を開かなかった。
己の家が、何をしようと、何を望んでいるか、ということについて。
そうではない?
本当に?
まったくそのような期待と願望がなかったと言えるのか?
まあそうだね。
確かに先ほど、あなたの認識については聞いた。
けれど、それならばそれで、あなたは王太子殿下への思慕や忠誠心ではなく、あなたの生家をとったのだ。
もちろん、貴族令嬢として、それは間違っていない。
あなたの家は、建国当初からある旧き家であり、王家によって従えられてはいたが、それ以前に元を辿れば、封建領主であり一族の長であったのだ。
国に向ける忠誠心より、自領を優先させるのは当然のことさ。
それだからあなたの侯爵令嬢としての矜持を否定するものではない。
ただ私が言いたいのは、そうであるのならば、あなたは侯爵令嬢としての矜持を恋心より優先させた、非常に理性的で模範的な令嬢であったということだ。
それがために、あなたは王太子殿下から、庇護すべき令嬢と見なされ、共謀する蛮勇はないと切り捨てられたのだ。
あなたはあなたの道を、あなた自身が選んだのだ。
生家を密告しない、という非常に消極的な手段でね。
ああ、それ以上泣いては、目がとけてしまう。
明日はおそらく目が開かないだろう。それではきっと、足元も危ないではないか。
大丈夫。私がいつまでもあなたのそばにいよう。
いつまでもあなたには頼りない、年の離れた弟にしか映らないだろう私だけれど。それでもあなたという大事な妻の体を支えることくらい、たやすいことだ。
あなたは私のことなど気にも留めていないのかもしれないが、これでもなかなか体は出来上がってきているよ。仮にも我がグリューンドルフ公爵家は武の家だからね。
まあ、まだ私は十五だから、あなたと同じ年の頃の男には、まだ敵わないかもしれないが、きっと王太子殿下と同じくらいの年になれば、私の方がずっと体躯に恵まれると思うよ。
だって父上をご覧。
あの方ほどとは叶わずとも、国王陛下と父上は血のつながった兄弟ではあるが、歴然としているだろう。だからきっと、私は王太子殿下より逞しく、あなたを支えよう。
ああ。やっと笑ってくれたね。
うん、やはりあなたの笑顔はいいな。
とてもすてきだ。
そうそう。アーニャがあなたによろしく伝えるようにと。
アーニャは無事、バル………第三王子殿下と想いを通わせたそうだよ。
まあ、いまさらだな。
毎週末、逢瀬を交わしていたようだったから。
いいや、だめだよ。
アーニャとは今後は一切会うことはない。
知っているだろう? 彼女はガルボーイ王国の第一王女で、王位継承権第一位を有する、未来のガルボーイ王国女王だ。
我が家が養女と建前をして匿ってきたのは、ガルボーイ王国から亡命してきた王女だ。反国王派による反乱軍の手に落ちることを恐れ、友好国である我が国を頼ってね。
伝説の初代女王と同名の、ガルボーイ王国民の期待を一身に負うアーニャ。
今はまだ幼い少女だが、これまでアーニャの教育係として、また義姉として長く交流してきたあなたのことだ。聡いだけでない、女王たる資質についても見抜いていることだろう。
彼女がガルボーイ王国に立てば、かの国は再び盛り返すだろうよ。
そしてそれに対し、我がゲルプ王国、そして我がグリューンドルフ公爵家がどれほどの貢献を捧げたのか、アーニャは必ず汲んでくれるはずだよ。
つまりアーニャは我がグリューンドルフ公爵家にとっては、総勢力で以って、なにがなんでも守り切らねばならない最重要人物なんだ。
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ふふ。まるで血の気の失せた、真っ青な顔をしているね。
あなたの考えなど、手に取るようにわかる。なぜなら私はあなたを愛しているから。
そうだよ。
愛しているんだ。
だから、あなたが私を裏切ろうとも、私はあなたをこの手で弑することなど、できやしない。
あなたが本当にここから逃げ出そうと願うのならば、簡単だ。
あなたが私を弑すればいい。
私の息の根を止めればいい。
あなたの手にかかってこの命が絶えるのであれば、私は大変な幸福の中で天に召されるだろう!
それはきっと底なしの幸福だろうね。そしてそれこそが、あなたが私に与えうる限りの寛大さと愛だろう。
ああ、あなたはとても美しいよ。
その愚かでどうしようもなく俗悪な初恋の成れの果てに縋りつく、その悲惨なまでの哀れさに、どうして心惹かれずにいられよう。
ねぇ。私で妥協できずとも、同情くらいならば与えてくれないだろうか。
あなたの心がいつまでも王太子殿下のもとにあろうと、構わないよ。もちろん悔しいけれどね。
けれど私はあなたの心のままをすべて、愛すると誓うよ。
どうか、この鳥かごの中で美しく囀り続けておくれ。
私の金糸雀。
(閑話 「鳥かごの中では唄えない」 了)
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元守護騎士と元聖女の溺愛のち少しヤンデレ物語。
小説家になろう様にも、投稿しています。
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お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
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