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第五章 生贄の反逆

辛い現実

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 ――時はさかのぼる。
 新種アビスの襲撃を受ける三日前の夜。
 ルークからの手紙に絶望するウィルムの元へ訪れていたのは――

「――カエデ?」

 フードを外して明らかになった素顔に、ウィルムは目を見開く。
 家の扉の前に立っていた謎の人物はカエデだったのだ。胸に紙の束を大事そうに抱えている。
 彼女がウィルムの家に訪れるのは初めてのこと。
 何事かと脳裏に疑問が浮かぶウィルムだったが、彼女の切羽詰まった表情を見て息を呑んだ。
 いつもは気丈に振舞い、弱みを見せることのない彼女が瞳を潤ませ、不安げに表情を曇らせるなどただ事ではない。

「カエデ? いったいなにがあったの?」

「………………ったわ」

「え?」

「リサがいなくなったの!」

「そ、そんなっ……」

 目の端に涙を浮かべ、訴えるようにカエデは叫んだ。
 リサは彼女の親友。その太陽のような明るい笑顔は、ウィルムの記憶にも鮮明に残っている。
 胸が痛んだ。少しでも関わった人が失踪したというのは、想像以上にショックが大きい。
 ウィルムはひとまず、カエデを家に上げ詳しい事情を聞くことにした。

「――リサがどこにもいないの」

 ソファに座り、ウィルムの入れたハーブティーを飲んで落ち着きを取り戻したカエデは言った。抱えていた紙の束はテーブルに置いているが、表は白紙のため内容は分からない。
 彼女はベージュのコートの下に、胸元にリボンのついた黒のブラウスを着て、フードに隠していた艶のある長い黒髪は下ろしていた。かげりのある表情は、彼女の美貌を損なっていない。
 ウィルムはテーブルを挟んで向かいに座り問いかける。

「いなくなったのいつ?」

「それは――」

 カエデの話では、リサがいなくなったのは三日前。
 ウィルムと話した翌日だ。
 リサは店員として勤めていた雑貨屋に姿を現さず、夕方店を閉めてから店主が事情を聞きに行ったところ、彼女は不在だったらしい。不用心にも鍵はかかっていなかったという。
 家具などの生活用品に目立った形跡はなく、翌日になったら戻っているだろうと思った店主は、翌日また訪ねたがリサの姿はなく室内の状況も変わっていなかったため、そこで失踪に思い至ったというわけだ。
 タイミング的にウィルムと会ったすぐ後のことだというのは、さすがに偶然だと考えられるが、彼女が竜人である以上、ギルドの新種アビス開発に巻き込まれたことは想像にかたくない。

「……残念だ」

「………………」

「おそらく、彼女はもう……」

「……そういうこと、なのね。信じたくなんてなかった」

 カエデの声が震える。
 頭では理解はしているようだ。親友の身になにがあったのか。それでも到底受け止めきれることではない。
 ウィルムは辛そうに眉尻を下げ、視線を横へ反らす。

「ギルドはとんでもない研究をしていた。新種のアビス開発だ。その素体はほぼ間違いなく、今ままで失踪した竜人たちだろう」

 カエデは、呼吸すら止めてしまったのかと思うほど、微動だにせずウィルムの目を凝視していた。
 やがて糸がほどけたかのように全身から力が抜け、ガクリとうな垂れる。
 ウィルムは悔しげに歯を食いしばる。
 口にしたことで現実を認識し、取返しのつかないことになったのだと痛感した。

「ねぇウィルム、教えて。もし私が、あなたの言うことを信じてさえいれば、こんなことにはならなかったの?」

「それは……」

「そう、よね……私の身勝手なプライドのせいで、リサがっ……」

 カエデはとうとう我慢しきれず、両手で顔を覆い泣き崩れた。
 ウィルムはかける言葉が見つけられず、無言で俯いていた。
 新種アビスが出現したということは、フローラの薬師の力によって、竜人の新たなアビス化に成功したということ。
 リサも犠牲になったであろうことは疑いようがなく、なにより救われないのは、彼女が怪物となり自分たちの平和を脅かす敵となってしまったことだ。
 カエデには、親友を敵に回すという非情な決断が迫られることになる。
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