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第五章 生贄の反逆

真の狙い

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 それから数日、ドラチナスはなす術なく、新種アビスの猛威にさらされていた。
 カドルの強い後押しによってギルドへの資金援助が成され、ギルドは他領土の商人たちに「儲ける絶好の機会」だとと宣伝している。
 新種アビスに対抗し得る装備の開発も、時間の問題だろう。
 騎士からの報告を補佐官執務室で聞きながら、ルークは深いため息を吐いた。
 今の彼にできることはなにもない。
 先のギルド支援の遅延による責任を問われ、カドルからの強い反発を受けるため、迂闊に発言できずルークの立場はますます危ういものになっていた。このままでは前任者と同じ道を辿ってしまう。
 だがそれよりも、ドラチナスが危機的状況に陥っているというのに動けないことのほうが、遥かに悔しい。
 そんなときだ。
 新種アビスが町へ侵攻してきたと報告を受けたのは――

「――ルーク様、お待ちください!」

 ルークは護衛の静止の声も聞かず、昼間の大通りを走り抜けていた。
 いつもは活気あふれる露店も、今は閑散としており、ルークの向かう方角からは多くの領民が恐怖におびえた表情で、慌てて逃げて来ている。
 町へ侵攻してきた新種アビスはまだ一体。
 それでも、なにもできず強い無力感を感じていたルークは、いてもたってもいられなかったのだ。

(……妙だ)

 ルークは一心不乱に走りながらも、脳裏によぎる違和感を無視できなかった。
 アビスはギルドの生み出した支配のための化身。
 ハンターでは太刀打ちできない新種の存在が確認されただけで、ギルドにとってはほとんど目標を達成したと言ってもいいだろう。
 領内財源によるギルドへの支援は成され、領外の商人たちもドラチナスでひと儲けしようと動き出していると聞く。
 今さら町に新種を放つ必要があるとは思えない。
 それならば、今回のことはギルド側の不手際と考えるのが妥当か……いや、ここまで慎重に、周到にやってきた者たちだ、そんなことはありえない。

「ル、ルーク様!?」

 ルークの目の前を一人の騎士が横切ったが、驚きに足を止めた。
 領主補佐官がこんなところにいて、危険な場所へ向かおうとしているのだから当然か。
 ルークとそのすぐ後ろを走っていた護衛二人も足を止めた。
 護衛の一人が前に出て問う。

「ご苦労。状況は?」

「町へ侵入した新種のアビスは一体で、被害はまだそれほど出ていません。奴はどうやら北東に向かっているようです」

「なに?」

 護衛の騎士が怪訝そうに眉をしかめる。
 新種アビスの町への侵入が確認されたのは、町の北西部。
 あそこはそれなりの商業区で、近くにグレイヴの屋敷やドラチナス金庫本店もある。対して北東には、それなりに立派な家や施設が並んでいる住宅街で、文官たちの家もある。それを繋ぐルートにも、小さくはない商会や店が点在していた。
 
「まさかっ……」

「ルーク様?」

 顔を真っ青にしたルークを護衛たちが心配そうに見る。
 ギルドの狙いに気付いてしまった。
 彼らはアビスを使って、町をある程度破壊するつもりだ。
 新たな需要を生むために。
 たとえば、破壊された建物の修復は大工に依頼する必要があり、失ってしまった売り物も補充しなければならない。そうなれば膨大な資金がいる。
 つまり、ドラチナス金庫の出番だ。

(……いや、それだけじゃない)

 そしておそらく、もう一つの大きな目的が隠れている。
 北東に屋敷を構える、領主アンフィスの命だ。
 彼がいなくなれば、自動的に次期領主はカドルかルークの二人に絞られる。
 しかし現状ではルークの立場は危うく、カドルが就任するのが自然な流れだ。
 もし領主が逃げ切ったとしても屋敷は破壊され、厳しい立場に置かれるのは間違いない。

「くっ! なんとしてもアビスを止めるんだ!」

 ルークは切羽詰まった表情で叫び、北西部へと再び走り出した。

 人の流れに逆行し薄暗い路地を抜け、大通りを横切ってすぐに新種アビスの姿が見える。
 中央北の大広場で、灰色の剛毛をマントのようになびかせた怪物が暴れまわっていた。
 ハンターや騎士たちが必死な表情で勇猛果敢に立ち向かっているが、肥大化した右腕を振るわれ、まるで歯が立たない。鬼人も獣人も、どんな武器をもってしても次々に叩き飛ばされ、傷一つ付けられていなかった。
 その周囲には、逃げ遅れた一般市民も大勢いて、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。
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