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第四章 大資本の激突

忍び寄る魔の手

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 武器を取り扱うグレイヴ商会の長、グレイヴの屋敷は領主アンフィスの屋敷から遠く離れた場所にあった。屋敷の裏手には不気味な森林が広がり、モンスターの生息する森の奥へと繋がっている。
 純白な塗装に屋根は漆黒。夜の暗闇の中で、煌びやかな灯が屋敷内部から漏れ黄金に輝いていた。
 ドラチナスで最も多くの富を持つグレイヴは、己の権威を示すためにあえて、領主の屋敷よりも派手な外装にしているのだ。
 また、屋敷の地下には一握りのデーモン会員が出入りすることを許され、屋敷に近づいた者は時おり不気味で禍々しい叫び声を耳にするという。

 高級なインテリアで統一された優雅な応接室。
 ホルムスとシャームを前に、グレイヴがソファに深く腰掛け酒をあおっていた。

「グレイヴ殿、領主様の動きはどうですかな?」

「ああ、どうも財源の供給を渋っているらしい。なんでも、文官どもと折り合いがつかないらしくてな。カドル殿はなにをやっているんだか」

 グレイヴは不機嫌そうに金の眉を寄せ、銀のさかずきに残った酒を一気にあおる。
 先日資金援助を願い出てからというもの、ギルドと領主の交渉は難航していた。
 ギルドとしては、ドラチナスの不況をこれ以上放置すれば、破産する店や商会が相次ぎ取り返しのつかないことになると訴えてはいるが、領主の反応は鈍い。
 当初の想定では、すぐに領内財源による資金援助が受けられると踏んでいたが、上手くいかなかった。
 ホルムスはオーク特有の大きな鼻を鳴らし、不機嫌そうに顔を歪める。

「やはり、ルーク補佐官ですか?」

「そうだ。反対している文官どもも、あの若造に説得されてるんだろうよ。無駄に正義感だけが強い青二才め」

「まったくですな。現実を見ることのできていない理想主義者です…………消してしまいますか?」

 ホルムスは低い声でそう言って頬をニィッと吊り上げた。
 グレイヴはつまらなそうに彼を一瞥すると、鼻で笑って吐き捨てる。

「やめておけ。奴の護衛は腕が立つと聞いている」

「では、どうすれば……」

「いったいなんのために、カドル殿に金を握らせている? 任せておけばいい。ルークの前任者もカドル殿が失脚させたばかりだろう。それに、さらなる緊急の危機が訪れれば、領主殿も財源を動かさざるをえなくなる」

 グレイヴは落ち着いた様子で言うと、シャームへ顔を向ける。
 すべては薬屋フローラの働きにかかっている、暗にそう伝えようとしていた。
 しかし二人が話している間、シャームは難しい表情で下を向き、テーブルの上をずっと睨んでいた。
 ホルムスが横を見て眉を寄せる。

「このままではアビスは全滅してしまう。そうなれば町のハンターは減り、装備品や消耗品の需要も減る。さらに、アビスから採れる上質な素材もなくなってしまえば、交易での収益も失ってしまうでしょうな。そうなれば、ドラチナスの経済は壊滅的な打撃を受けますぞ、シャーム殿」

「……承知しています」

「新薬の完成はまだなのか?」

 グレイヴが声を低くし苛立たしげに問いただすと、シャームはようやく暗い顔を上げた。

「もう間もなくです。最後の材料が足りませんでしたが、それはよそから間引いてきたので、実験はようやく最終段階に移りました。ただ、少々問題が発生しまして……」

「なに?」

「アビスの正体に気付いた者がおります」

「バカな!?」

 ホルムスが血相を変え、腰を浮かせる。
 グレイヴも険しい表情を浮かべ、威圧するような鋭い眼光でシャームを貫いた。

「誰だ?」

「竜人のウィルム・クルセイドです」

くだんの鉱石商か。まだ捕まえられていないとは、アルビオン商会はなにをしている」

「それは厄介ですな。他に知った者は?」

「店員の一人が彼から問い詰められていました」

「……消せ」

 グレイヴは表情を変えることなく淡々と、しかし地獄の底から響くような低い声で告げた。
 しかしシャームは首を縦には振らない。
 カエデの存在が必要だからだ。

「彼女は数少ない薬師です。万が一のとき、隠れみのとして利用するためにアビスの研究には関わらせないようにしてきました。それを失うのは避けたいところです」

「しかし、生かしておけば大きなリスクになるでしょう? 秘密を知っている者が増えるのは非常にマズい」

「とりあえず、ここ数日の様子を他の店員や薬師に観察させていますが、アビスのことは誰にも話していないようです。本人も信じてはいないのでしょう」

「……いいだろう。そちらは妙な動きがあったときに始末すればいい。だが鉱石商のほうは邪魔だな。信用が地に落ちているから、奴の戯言など誰も信じないだろうが、不安要素は残しておきたくない」

「そうですね。しかし想像以上に腕が立つ以上、町で襲撃するにはリスクが大きいかと」

 グレイヴとシャームがウィルムについてどうしようかと頭を悩ませていると、ホルムスが頬を愉快そうに吊り上げた。

「その件、わしにお任せください――」
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