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第一章 破滅の影

失踪事件再び

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 その後、ウィルムはギルドの拠点であるやかたに立ち寄ると、今月分の会費を払った。
 ドラチナスでは、五年前のアビス出現時に結成されたギルド、デーモンが今も維持され、市場の安定を保っている。強力なアビスの存在もあり、装備品の製造販売とハンター業は盛んで、アビスから採れる上質な素材は領地外との交易で高利益を生む。
 そんな市場を実質的に支配しているデーモンの権力が大きいのは言うまでもない。
 ドラチナスで商売をするにはギルドの加入が必須で、毎月の会費と毎年の上納金が取られる。
 また、ギルド加入者の税金は上納金の一部から一括で役所へ支払われるため、市場どころか領内政治との関係も深いのだ。

 それなりに鉱石素材が売れ、台車も軽くなって来た頃、ウィルムは大通りから離れて西区の角にある店に立ち寄った。
 レンガ造りの店の外装はライトグリーンに塗装されており、入口の上に掲げられた看板には『フローラ』と書いてある。
 薬草や解毒剤、ポーションなどを販売している薬屋フローラだ。
 ウィルムは台車を店の裏手にあるガレージへ置くと、エーテルストーンを袋に詰めて店へ入った。
 店内は、左右の棚に様々な種類の薬品が並べられ、ところどころに花が飾ってある。この店独特の優しい香りは、いつでもウィルムの心に安らぎを与える。
 外から見たら店自体は大きいが、店内は意外と狭く、奥の部屋が薬師やくしの研究室になっているらしい。

「あら? ウィルムじゃない。いらっしゃい」

「カエデ、お疲れさま」

 声をかけてきたのは、カウンターに立つ店員の『カエデ』だ。
 長い黒髪でポニーテールを作り、整った鼻目立ちに長いまつ毛は、綺麗なダークブラウンの瞳を際立たせている。胸元でリボンの結ばれた黒のブラウスの上から白衣を羽織り、背も高いためかクールビューティといった印象の人間の女性だ。
 ちなみに他にも店員はいるが、猫の獣人やエルフなど種族は様々。
 ウィルムはカウンターまで歩いていくと、カエデの前にエーテルストーンの入った袋を置く。

「新しく仕入れてきたよ」

「ちょうど良かったわ。在庫が少なくなってたの。いつもありがとね」

 カエデは微笑むとウィルムの提示した額を支払い、エーテルストーンを受け取る。
 エーテルストーンは、鎮静や精神力回復に効果をもたらす鉱石だ。鉱脈から採れたものをそのまま使うことはできないが、薬師の精製技術によって液状のエーテルとなり、飲んで体内に取り込むことが可能となる。
 診察所での治療だけでなく、ハンターの狩りでも必須のアイテムで、この店の棚にも多く並んでいた。

「……薬の匂い?」

 用を終えたウィルムが踵を返そうとしていると、カエデが小さく声を上げた。

「ん? どうしたの?」

「ウィルム、怪我でもしてるの?」

 そのとき、ウィルムは自分が怪我していたことを思い出す。密林で襲撃されたときに負った傷だ。
 包帯は服の下に巻いて見えはしないが、塗り薬の匂いで気付かれたらしい。
 ウィルムは苦笑する。

「外でちょっとね」

「見せて」

「え? いや、大したことないから――」

「――いいから見せて」

 カエデの真剣な表情に気圧されたウィルムは、観念して左袖をまくり包帯を露出させる。
 真っ白な包帯に血が少し滲んでいた。 

「どういうつもりなの? こんな応急処置で済ませて台車を引くなんて」

「い、いや、大したことないかなって……」

「どこがよ。真面目なところはあなたの美点だけれど、無茶したら台無しよ。ちょっとこっちに来て」

 他の店員をカウンターに呼んだカエデは事情を説明し、ウィルムを隅にあるカーテンで仕切られた診察スペースへ連れて行く。
 丸椅子に座ったウィルムが落ち着かない様子で左腕を突き出すと、カエデはテキパキと包帯を外し、後ろの棚から選んだ塗り薬を選んで塗る。
 痛みで顔をしかめても容赦なく手当は進み、天井のシミを数えている間に包帯は巻き終わっていた。

「それで、なにがあったの?」

「それが……」

 ウィルムは密林でモンスターの襲撃にあったこと、そして謎の襲撃者に襲われたことを話した。
 
「え? なんであなたが襲われるの?」

「僕にも分からないよ。でも、装備からして人を襲うことが目的で間違いない」

「まさか……」
 
「なにか知ってるの?」

「いいえ、心当たりはないのだけれど……そういえば最近、失踪事件が起きてると思ってね」

「失踪事件?」

「ええ、『竜人族』が次々に失踪しているの。ここの店員の女の子も……」

「んなっ……」

 ウィルムは声を詰まらせる。
 彼を含め、ドラチナスに先住していた竜人はもう少ない。たまに他地域から移住してくる竜人もいるが、町全体で見ると少数だ。
 襲撃者たちが竜人であるウィルムを執拗に狙ってきたことを考えると、無関係とは言い切れない。
 カエデは心配そうに瞳を揺らす。
 
「とにかく、気を付けた方がいいわ」

「分かった。色々とありがとう。またよろしく頼むよ」

 ウィルムは礼を言って席を立ち、暗い表情のカエデに背を向ける。
 竜人失踪事件。 
 それは五年前のドラチナスでも起こっていたことだ。結局、アビスの出現によって真相は分からないまま。
 それが再びドラチナスで発生しているとなると、ウィルムは奇妙な感覚を覚える。まるで、過去の清算がまだ終わっていないと誰かが言っているようだ。
 それから数日が経っても、ウィルムの胸騒ぎが収まることはなかった。
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