上 下
37 / 50
第四章 バブル崩し

ノベルの覚悟

しおりを挟む
 それから数週間でレンゴクは世界中に広まり、その価値は急騰した。
 それによって、スルーズ商会の資産は何十倍にも膨れ上がっていた。
 もはや、バブルと言っても過言ではない。

「――レンゴクに対する一般人の印象は、どんなものですか?」

 スルーズ商会の会議室。
 ノベルたちは、一世一代の大勝負である新通貨市場について、今後の戦略をじっくりと練っていた。
 ノベルの問いに、アルビスは一枚の紙を手に取り報告する。

「多くの人々は、新通貨レンゴクに対して深い洞察を得ておらず、誰に聞いても詳細を説明できる者はいませんでした。結局のところ、たくさん買えば儲かるからという噂に流されて買いあさっているだけのようですな」

「自分の扱う通貨を理解しようともしないなんて恐ろしいことですね。ただ、今回に限って言えば好都合ですけど」

 ノベルが肩の力を抜いて呆れたように言い、ルインは眉尻を下げて残念そうに頷く。
 すると、マルベスがつまらなさそうに頬杖をつきながら言った。

「しっかしよぉ、そんな得体の知れないものが出回ってるんなら、国が取り締まったりしないもんかねぇ? 俺だったら、適当な因縁をつけて資産を没収するぜ」

「それは厳しいと思います。結局、元は闇市場から流出してきてるから、騎士たちじゃ出所が探れないし、ここまで広まってると中途半端に手が出せません」

「そういうもんかねぇ」

 ノベルの回答にマルベスはあまり納得していないようだった。
 そこで「しかし……」と、ルインが神妙な顔をノベルへ向けた。

「将来的に、レンゴクが通貨として使われることはないでしょう」

「僕もそう思います」

「我がスルーズ投資商会は、既に莫大な含み益を抱えております。そろそろ潮時なのではないでしょうか?」

 ルインの言葉に、アルビスもマルベスも頷く。
 彼の言う通り、今の時点でレンゴクを他の通貨に替えれば、元手から何十倍もの金額になる。
 しかし、ノベルは首を横へ振った。

「いいえ、まだです」

「そんな……ではいつまでレンゴクを保有し続けると言うのですか!?」

「このバブルが崩壊する時までです」

 その言葉を聞いた仲間たちは、一斉に反対した。

「おいっ、正気かよノベル!? わざわざ危ない橋を渡る必要はねぇだろ!」

「そうですよ。失礼ですがノベルさんは、バブルが崩壊するときの恐怖をご存知ですか? あれは急落なんてものじゃありません。一足遅ければ、すべての資産を吹き飛ばすことになるんですよ!?」

「……それでも、です」

 マルベスとルインが身を乗り出して諭そうとしてくるが、それでもノベルは譲らない。
 すると、イーリンは瞳を揺らしながらも、小さな声で呟いた。

「わ、私は……ノベルさんを信じています」

 ノベルは目を閉じ頭上を仰ぐ。
 勢いよく反論を続けてくるルインたちの声はもう届かない。

 イーリンの信頼を裏切るようで心が痛かった。
 ノベルの真の目的は、儲けることではない。
 だがそれをここで言うわけにはいかなかった。
 唯一理解しているのは、扉の前でたたずみ無言で成り行きを見守っているアリサだけだ。

(ここまで来て、今さら退くわけにはいかない)

 やがて叫び疲れたのか、ルインたちの言葉数が少なくなってくるとノベルは告げた。

「もう間もなくです。心配しなくても、もう間もなくその時は訪れる。全員、レンゴクの全額決済の準備はしておいてください」

 一同は納得いかないというような複雑な表情を浮かべたが、渋々と了承するのだった。


 屋敷から出たノベルとアリサは、まっすぐに宿へ向かっていた。
 会議での一件があって、緊張感が張り詰め二人は無言だ。

 もう間もなく夕方になる。
 やがて、宿の前にある公園に差し掛かると、ノベルは足を止めた。
 彼の視線の先では、母親と小さな男がベンチに腰掛けていた。
 まだ声変わりしていない少年の高い声が耳に届く。

「お母さん、今日は仕事に行かなくて良かったの?」

 そう聞かれた母親は、複雑そうな表情を浮かべた。
 その様子を見れば、彼女は職を失ってしまったのだとすぐに分かってしまう。

「……慣れというのが、ここまで恐ろしいとは思いませんでした」

「え?」

 ノベルは、背後で呟いたアリサへ顔を向ける。
 彼女は沈痛の面持ちでうつむいていた。

「エデンではありえないような光景も、このノートスでは当たり前。いつからか、気付かないうちに慣れてしまっていたんですね。まるで、自分が自分でなくなっていくようで怖いです……」

 アリサは声を震わせ、拳を握りしめた。
 ノベルは再び母子を見る。

 二人はこれからどうやって生きていくのだろうか。そう考えると、胸が張り裂けそうだった。
 かつて、ノベルが王子として城に住んでいたときには見ることのなかった現実。
 それが今、ノベルの心に重くのしかかる。
 誰かが儲かれば、誰かが泣く。それが競争社会の無慈悲さだ。

 ノベルはふところから巾着袋を出して、アリサに手渡した。

「……ノベル様?」

 ノベルの意図を悟り、アリサは戸惑いに瞳を揺らした。
 それに気付かぬふりをしてノベルは背を向ける。

「僕は先に宿へ戻る」

「し、しかし……よろしいのですか?」

「偽善だってことは分かってる。それに、苦しんでるのは彼女たちだけじゃない。それでも今、僕がそうしたかったんだ」

 悲痛に満ちた声で告げると、ノベルは宿へ向かって歩き出した。
 アリサの足音が遠ざかり、やがて母子の感謝の声が微かにノベルの耳に届く。

「……僕はもう、止まるわけにはいかないんだ」

 ノベルは、これから自分の行おうとしていることで、どれだけ多くの人が苦しむのか理解していた。
 新通貨レンゴクを巡る戦い。最終的に多くの人々が深い傷を負うのは避けられない。
 いや、避けるわけにはいかないのだ。
 復讐を果たすために。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ユニークスキルの名前が禍々しいという理由で国外追放になった侯爵家の嫡男は世界を破壊して創り直します

かにくくり
ファンタジー
エバートン侯爵家の嫡男として生まれたルシフェルトは王国の守護神から【破壊の後の創造】という禍々しい名前のスキルを授かったという理由で王国から危険視され国外追放を言い渡されてしまう。 追放された先は王国と魔界との境にある魔獣の谷。 恐ろしい魔獣が闊歩するこの地に足を踏み入れて無事に帰った者はおらず、事実上の危険分子の排除であった。 それでもルシフェルトはスキル【破壊の後の創造】を駆使して生き延び、その過程で救った魔族の親子に誘われて小さな集落で暮らす事になる。 やがて彼の持つ力に気付いた魔王やエルフ、そして王国の思惑が複雑に絡み大戦乱へと発展していく。 鬱陶しいのでみんなぶっ壊して創り直してやります。 ※小説家になろうにも投稿しています。

異世界転移「スキル無!」~授かったユニークスキルは「なし」ではなく触れたモノを「無」に帰す最強スキルだったようです~

夢・風魔
ファンタジー
林間学校の最中に召喚(誘拐?)された鈴村翔は「スキルが無い役立たずはいらない」と金髪縦ロール女に言われ、その場に取り残された。 しかしそのスキル鑑定は間違っていた。スキルが無いのではなく、転移特典で授かったのは『無』というスキルだったのだ。 とにかく生き残るために行動を起こした翔は、モンスターに襲われていた双子のエルフ姉妹を助ける。 エルフの里へと案内された翔は、林間学校で用意したキャンプ用品一式を使って彼らの食生活を改革することに。 スキル『無』で時々無双。双子の美少女エルフや木に宿る幼女精霊に囲まれ、翔の異世界生活冒険譚は始まった。 *小説家になろう・カクヨムでも投稿しております(完結済み

俺だけステータスが見える件~ゴミスキル【開く】持ちの俺はダンジョンに捨てられたが、【開く】はステータスオープンできるチートスキルでした~

平山和人
ファンタジー
平凡な高校生の新城直人はクラスメイトたちと異世界へ召喚されてしまう。 異世界より召喚された者は神からスキルを授かるが、直人のスキルは『物を開け閉めする』だけのゴミスキルだと判明し、ダンジョンに廃棄されることになった。 途方にくれる直人は偶然、このゴミスキルの真の力に気づく。それは自分や他者のステータスを数値化して表示できるというものだった。 しかもそれだけでなくステータスを再分配することで無限に強くなることが可能で、更にはスキルまで再分配できる能力だと判明する。 その力を使い、ダンジョンから脱出した直人は、自分をバカにした連中を徹底的に蹂躙していくのであった。

俺だけに効くエリクサー。飲んで戦って気が付けば異世界最強に⁉

まるせい
ファンタジー
異世界に召喚された熱海 湊(あたみ みなと)が得たのは(自分だけにしか効果のない)エリクサーを作り出す能力だった。『外れ異世界人』認定された湊は神殿から追放されてしまう。 貰った手切れ金を元手に装備を整え、湊はこの世界で生きることを決意する。

大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる

遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」 「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」 S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。 村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。 しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。 とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。

クラス転移して授かった外れスキルの『無能』が理由で召喚国から奈落ダンジョンへ追放されたが、実は無能は最強のチートスキルでした

コレゼン
ファンタジー
小日向 悠(コヒナタ ユウ)は、クラスメイトと一緒に異世界召喚に巻き込まれる。 クラスメイトの幾人かは勇者に剣聖、賢者に聖女というレアスキルを授かるが一方、ユウが授かったのはなんと外れスキルの無能だった。 召喚国の責任者の女性は、役立たずで戦力外のユウを奈落というダンジョンへゴミとして廃棄処分すると告げる。 理不尽に奈落へと追放したクラスメイトと召喚者たちに対して、ユウは復讐を誓う。 ユウは奈落で無能というスキルが実は『すべてを無にする』、最強のチートスキルだということを知り、奈落の規格外の魔物たちを無能によって倒し、規格外の強さを身につけていく。 これは、理不尽に追放された青年が最強のチートスキルを手に入れて、復讐を果たし、世界と己を救う物語である。

無能テイマーと追放されたが、無生物をテイムしたら擬人化した世界最強のヒロインたちに愛されてるので幸せです

青空あかな
ファンタジー
テイマーのアイトは、ある日突然パーティーを追放されてしまう。 その理由は、スライム一匹テイムできないから。 しかしリーダーたちはアイトをボコボコにした後、雇った本当の理由を告げた。 それは、単なるストレス解消のため。 置き去りにされたアイトは襲いくるモンスターを倒そうと、拾った石に渾身の魔力を込めた。 そのとき、アイトの真の力が明らかとなる。 アイトのテイム対象は、【無生物】だった。 さらに、アイトがテイムした物は女の子になることも判明する。 小石は石でできた美少女。 Sランクダンジョンはヤンデレ黒髪美少女。 伝説の聖剣はクーデレ銀髪長身美人。 アイトの周りには最強の美女たちが集まり、愛され幸せ生活が始まってしまう。 やがてアイトは、ギルドの危機を救ったり、捕らわれの冒険者たちを助けたりと、救世主や英雄と呼ばれるまでになる。 これは無能テイマーだったアイトが真の力に目覚め、最強の冒険者へと成り上がる物語である。 ※HOTランキング6位

ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い

平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。 かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。

処理中です...