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16:怖気付きました

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 ハーナの鳥居から100メートルくらい離れた場所でグラハムは立ち止まった。水槽の水が小刻みに揺れているところから、どうやら怖気付いてしまったらしい。

 そういえば、アダムは緊張はしていたけれど怯えている様子は全然なかった、と聖子は今更ながら考えた。穏やかな微笑みを讃えて、物おじすることもなく毅然とした態度は実に好ましいものだったのだと気がついた。

 まあ、百五十年も生きてたら早々なことでは動揺もしないのかも知れないが。

『どうしたのかしら?』
(えっと…。怖気付いたんだと思うんだけど?)
『そんな遠くにいたら万能薬どころかアタシのミルクも手に入らないわよ?』
(だよねえ)

「グラハムさん」
「ひっ!……な、なんですか聖子殿!脅かさないでください」

 いや、声かけただけだけど。

「ハーナがどうしてそんな遠くにいるんだって言ってますけど?」
「えっ!?アレが話しかけてきたんですか!?」
「ええ、まあ。で、そんな遠くじゃ会話もできないって言ってますけど」
「わ、わかってる!今から行くと伝えろ!」

 あらあら、言葉遣いまで乱暴になっちゃって。そんなに怖いんならやめとけばいいのに。

「ねえ、グラハムさん、ハーナのミルクが欲しいんならアダムに頼んだ方が良かったんじゃないの?」
「っ!そう言うわけにはいかないんだ!」
「なんでよ?」
「う、うるさい!行くぞ!」
「まあ、いいけど…。私を運んでるのがグラハムさんなんだからあなたが歩かなきゃ私も行けないからね?」
「わかってる!とやかく言うな!」

 聖子は首をすくめてプカリと水に浮かんだ。

 あ、そういえば、水を万能薬にするんだった。でも万能薬か……。状態異常を治すって言ってたっけ。それで、予防として飲むと状態異常にならない、と。予防にするのなら一切の魔法攻撃が効かないとか、怪我しないとか、いっそのこと不老不死とか……までは無理かな、いくら何でも。

 そんなことを考えながら、祈りを込める。ぽこぽこっと水泡が上がったのを見て、グラハムが沈黙した。

「……イモリが……」
「え?」
「……女の恥じらいも意識もないのだろうな」
「……え?」
「……………」
「……………………」

 も、もしかしてオナラか何かと勘違いした!?違うからね!おならじゃないよ!風呂入りながら屁こくとか、いくらおばさんでもしないから!!風呂じゃないけど!

 とは思ったものの、万能薬を作っていたとはいえず、聖子はふぬぬ!と理不尽な誤解に赤くなりながらも沈黙を通した。その間、ハーナが腹を抱えて大笑いをした事は言うまでもない。

「ハーナ!醜く浅ましい古竜よ!貴様の罪を問う時が来た!」

 ようやく鳥居の目前にきて、グラハムがガクガク足を震えさせながらそう叫んだ。声が裏返っているのはご愛嬌ということにしたいが、言い方がひどかった。

「グラハムさん、出会い頭で喧嘩売ってどうするのよ」
「う、うるさい!どうせあのドラゴンに僕の言葉は通じないんだろ!?お前が通訳すればいい!」
「やだわ~。ないわ~。態度でかいし。それが小さなイモリにお願いする言葉遣いなの?信じらんな~い」

 ハーナは鼻の穴を膨らまし煙を吐きながらグフ、グフと笑いを堪えている。それを見てグラハムは何か勘違いをしてしてヒッとまた息を呑んだ。

「せ、聖子殿……ハーナが火を吹くなんて事は…」

 ああ。火炎噴射でもするかとビビってるのね。

「さあ。ハーナがどんな竜なのかなんて聞いた事ないし。火竜だったのかしら、ハーナ?」
『そうかも知れないわねえ』
「そうかもだって」
「そ、そうか……あの、ハーナ、様。ほ、本日はお日柄もよく…み、貢物を持参しました」

 ほほう。流石に土魔法でも水魔法でも火炎放射には敵わないから、ころっと態度変えたわね。

『ぶふふっ。やっだ、もう、笑いが堪えられないわ!なんとかしてよ聖子!』

 グフグフと必死で笑いを堪えるハーナを代弁して、出しなさい、とグラハムに告げる。するとグラハムはシメたと思ったのか胸元から万能薬を取り出し震える手で差し出した。

「しかしその代わりにいただきたいものがある!」
『ミルクでしょ。いいわよ。鱗も欲しいの?どうぞ?古いので良かったらその辺に落ちてるわ』

 えっ。その辺に落ちてるって、そうなの?

『生え変わるんだもの。乾いて干からびちゃったのはどこか飛んでっちゃったり、すごく古いのは崩れて土に戻ったのもあるかも知れないけど、ここ百年ほどのならその辺にあるはずよ』

 そう言われて見渡せば、確かにキラキラと日に反射する鏡のような鱗が地面にいっぱいあった。それをグラハムに伝えると、初めて気がついたのか彼もキョロキョロとあたりを見渡した。その視線が一枚の虹色の鱗を見つけると、ぱあっと子供のように瞳が輝く。だがすぐその後、悪どい顔になるのがグラハムだった。万能薬を渡すのが惜しくなったのかも知れない。石ころのように簡単に手に入るのなら、何も万能薬を渡す必要もないと考えたのだろうか。

「み、ミルクは…?」

 いや、あんた図々しいわよ。貢物って言って渡す前から代わりの品欲しがるなんて。

「う、うるさい!渡せばいいんだろう!」
「あらやだ。声に出てたかしら?」

 どうやら言葉に出ていたらしい。ハーナがまたしてもグヒグヒ言い出した。グラハムはひゅっと息をのんで、ダッシュで万能薬を鳥居の手前に置くとダッシュで後ずさった。50メートル走とかあったら世界選手権にでも出れるような早さだった。

 ハーナはゆっくり屈み込むと、万能薬の小瓶を鼻であしらった。蓋が外れて中身が溢れると中から出てきたのは緑色の液体だったが、聖子からは遠すぎて見えない。ハーナは目を細めた後で小瓶に残った液体を瓶ごと飲み込んだ。

 グラハムは今にも逃げ出しそうな態勢でハーナと鱗、鱗と万能薬を見比べどうしようか決めかねているようだ。

 それを見てハーナは長い首を伸ばしてグラハムの目の前に顔を突きつけた。

「ヒィィッ!?」
『アタシに毒が効くと思ってるわけ?』
「毒!?」
「ひっ!え!」

 それを聞いた聖子が驚愕の声をあげると、グラハムは一気に青を通り越して白い顔になった。

「な、なぜ、それが毒だと……!」
『毒というのはね、こうして使うものなのよ』

 ハーナは大きな口を開けて、デロリとグラハムを舐めた。その口には先ほど飲み込んだ毒も付着している。ドラゴンの舌はぬめりとしているが、その粘着力は樹液のように強い。舌に絡まれたクラハムの体が宙に浮き、一瞬ハーナの口の中に入ったかと思ったら、ぺえっと吐き出された。

 何が起こったのか分からず、べっとりとハーナの涎まみれになったグラハムが放心した。胸元に聖子の入ったビンを抱きしめ、気がつくと糞尿で自身を汚していた。

「ヒィィィィィッ!ど、毒が!毒がぁ!」

 グラハムは発狂したように立ち上がりその場を後にした。胸にはしっかり聖子を抱えているが気づいていないのだろう。鱗も拾っていない。またここに戻ってくる気概はあるのだろうか。

『聖子、あんたの瓶に蓋がしてあって良かったわぁ。自分で作った薬、飲んでおきなさいよ。ああ、粗相をしていないんなら、って話だけど?』
「してないわよ!!言われなくてもガッツリ飲んでおくわ!」
『それから、その男から脱出しておきなさいよ、後々何が起こるか分からないからね』
「が、頑張るわ!後、今晩、アダムが来たらちゃんとミルクあげてね!精霊との約束今日が最後なの!」
『あら。そうなのね。もう満月……。わかったわ。アダムはアタシに任せておいて。あんたもしっかり逃げなさいよ~じゃないとアダムが泣いちゃうわよ』

 喚きながら逃げ去るグラハムに抱えられながらも、ハーナと急いで会話をし、聖子は自身で作った万能薬を飲み込んだ。



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