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エリクソン・ハルバートの溜息

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「とんでもないことになった」

 事の始終を聞いた宰相であるエリクソンは、机の上で頭を抱えた。アルヴィーナ嬢が目を覚ましたと聞いたエヴァンが、王子殿下を残して伯爵邸に転移をしたと言うことは伝達が来た。殿下は、朝の修練場でいつものトレーニングを済ませてから部屋に戻る予定である、と聞いていたため、朝の執務室で仕事をしていたのだが、そこへ大慌てで従者が駆け込んできた。

「侯爵令嬢がっ!修練場と王子宮の渡り通路の一角で、殿下と睦みあっていたようです!」
「何ぃ!?」

 朝っぱらから何をのぼせたことを言っているのだ、とエリクソンは目を剥いた。

「数名の騎士が訓練を終え、見回りに来たところで現場を押さえた模様!殿下はご自身の宮で軟禁、侯爵令嬢は貴族牢に入っています。いかがいたしましょうか」
「こ、こここ侯爵令嬢とは、例の、フィンデックス侯爵の、セレナ嬢のことか」

 殿下が小太りで緑色の髪で悪臭を放ち、半径1キロ以内誰も近寄ることが出来なかった時に、殿下の下半身を受け入れようとしていたと言う、図書室での、あの令嬢。ゲテモノ食いと噂のセレナ・フィンデックス。

「は。左様で」
「い、いったいどこからセレナ嬢が入ってきたのだ!出廷禁止令が出ておったであろう!?門番は何をしておる!?」
「それが、本日は門番も誰も御令嬢の姿を見た者はいないのです。最後に侯爵令嬢が王宮で確認されたのは三日前、フィンデックス侯爵夫人が王妃殿下のお茶会に招かれた時に一緒にお見えになっていたようなんですが、王宮の出廷禁止令が出されていたので、門前払いをされておりました」
「……ではその時に忍び込んだとでも?」
「あ、或いは、王子殿下が内密に引き入れたのではないかと思われますが」
「エヴァンの目が光っているうちに、そんなことが出来るほどの度胸も頭脳もは殿下にはない」

 あれは直ぐに騙されおだてに乗るが、自分から策を企てる器ではない、とエリクソンは考える。エヴァンによってどれほど常識を詰め込まれようとも、王族としての威厳を教え込もうとも、右の耳から左の耳に素通りしてしまうような大馬鹿だ。それが、エヴァンにバレないように何かを企むなど、どう考えたって無理に決まっている。エヴァンはその辺は抜かりない。第六感的なものを持ってして、トラブルを事前に察知し解決する特技があるのだ。少なくともエリクソンにはそう見えた。しかもアルヴィーナ嬢が目覚めたのは偶然今日だっただけの話で、予定に組み込まれていたわけではない。

 だとすれば、侯爵令嬢が何やらきな臭いことを企てたのに違いないのだが。間が悪かった。

 エリクソンは仕方なくやりかけていた業務を途中でやめ、貴族牢に入れた侯爵令嬢を尋問室へ通すよう、護衛騎士へ呼びかけた。念のため魔法使用防止の枷も忘れない。

 騎士によると、発見された時セレナ嬢は気を失っており、無理矢理凌辱されていたようにも見えたものの、三日前から紛失届が出されていた魔導士のローブを纏い、その下には何も身につけていなかった事から、彼女の方から殿下に近づいた線が強いことを示した。

 現在は目を覚ましており、自分は殿下と相思相愛なのだと涙を流しているという。

 尋問室に行くと、セレナ侯爵令嬢はエリクソンの顔を見て青ざめて立ち上がり、美しいカーテシーをした。

「エリクソン・ハルバート公爵様にわたくし、セレナ・フィンデックス侯爵令嬢がご挨拶申し上げます。この度はお手数をおかけして申し訳ございません」
「……頭をあげよ。セレナ侯爵令嬢。私は忙しい。ここへは宰相として事実確認のためにきた。そなたは何をしに王宮へ忍び込み、なぜ殿下を誑かしたのだ」
「お言葉ですが、宰相閣下。わたくしセレナ・フィンデックスは、シンファエル王子殿下の寵愛を受けて、この度王室まで馳せ参じました。アルヴィーナ伯爵令嬢では、殿下のお相手も満足にできず、義兄であるエヴァン様にのみ心を許す態度をとっていると聞いておりました。

 わたくしは、優越ながら学園でも殿下の寵愛を受け、相思相愛の関係を結んでおります。立場と致しましても侯爵令嬢であるわたくしに、いったいどんな障害があると言うのでしょうか」
「セレナ嬢、つまり其方はシンファエル殿下が呼びつけ参上したと言うことで間違い無いのか?」
「……ございません」
「其方はいつ王宮に来たのだ?門番も侍従も其方が王宮に来た事を認めておらぬが、殿下が内密に呼び出したとでも?」
「そ、それは、その…」
「其方が王宮に最後に現れたのは数日前、其方の母上がお茶会に呼ばれた時だと聞く。その時は禁止令により其方は出廷を認められなかった。もしやと思うがその時に忍び込んだのか?」
「し、忍び込んだなどと、人聞きの悪い…っ。わたくしはただ、ただ王子殿下に一目でいいからお会いしたくて、」
「忍び込んだのだな?」
「……いえ、その…」
「…確かに其方は、殿下の……寵愛を受けたと見受けられる。だが、それとこれは話は別だ。王宮は殿下のためだけにあるのではない。複雑に政治や権力が絡みついておる。其方のような小娘が簡単に忍び込めるようにもできてはおらんし、殿下の思惑通りに進むようにもできてはいない。誰に手引きを受けた?」

 セレナは気丈に振る舞っていたが、最後の一言で視線を泳がせた。

「正直に話してくれたら、そなたは罪には問わんし、それなりの待遇も認めよう。殿下との仲を認めてやらんでもない」

 セレナはハッと顔をあげた。認めて貰えるのだろうかと期待に目が輝く。セレナ自身は母親の恨みを晴らすだけの道具になるつもりはなかった。アルヴィーナから王子を取り上げようと画策したわけでもなく、陥れようとしたわけでもない。ただ、シンファエルと共に居たかっただけ。真実の愛を貫き通したかった。

「……あの、お、お母様に言われましたの…」

 エリクソンは静かに瞼を閉じ、セレナの言葉を反芻した。

「其方の母君は、ライラ・フィンデックス侯爵夫人で間違いないな?」
「は、はい。母は、その、わたくしに王子殿下を篭絡せよと申しまして」


 それからトクトクと流れるように話し出したセレナの話を聞き、エリクソンはライラの真意を理解した。

 つまり、この件は20年以上前に自分を婚約破棄したハイベック伯爵の嫡男であったサリヴァンの、年の離れた妹が王子妃になるなど到底許せない、という私情を挟んだ復讐劇の末端だったのだ。

 エリクソンはため息と共に、過去の事件を思い出していた。


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