上 下
29 / 92

シンファエルの勇気

しおりを挟む
 空中遊泳を楽しんで反転。

 宙へと放り出されたシンファエル王子は、叫びに叫んで酸欠になり、幸か不幸か途中で意識を失ったため、余計な力が抜けて、木々の枝葉が緩和材になり逆に下手な怪我をせず、沼地へ一直線に飛び込んでいった。とはいえ、柔らかな肌は鞭を撃たれたかのように擦り傷、切傷、打撲に加え、先日王妃にボコボコにされてようやく癒えた肋骨に、またヒビ入ってしまったが。

 顔が半分ほど泥に沈んだ時になって、ようやくシンファエルは目が覚めて、またしても叫び声をあげようとしたが、泥が口に入り込んできたので慌てて口を閉じた。死に物狂いでもがき手に触れるものを掴み、なんとか陸地に這い上がる事に成功し、乾いた草の上に転がった。ぺえっ、ぺっぺっと泥を吐き出しようやく息をついたのだった。

「こんな、全く私に似つかわしくない場所で息絶えるところだった…!」

 実は、この沼は底なしの瘴気沼だったのだが、知識は頭に入らず、瘴気を見たことすらないシンファエルは知る由もない。瘴気沼はもちろん、魔獣が生まれ出る沼である。エヴァンが見つけた場合は速攻で焼却埋め立てをするのだが、この数ヶ月来ていなかったせいで新たに湧き、見落とされていたものだ。

 出かける前にエヴァンが念の為として身体強化、毒・精神異常無効化の魔法をシンファエルに重ねがけしておいたおかげで瘴気に侵されることもなく、沼から這い上がる際に掴んだ、蔓性の植物の根も触れれば即死に至る危険もある猛毒を持つものだったが、王子には全く影響がなかった。

 だが、それもシンファエルの与り知るところではない。

「全く、側近のくせに私をこんなところで一人にして置くなどけしからん!帰ったらエヴァンの休暇は向う1年は取り消しだ。ははは。アルヴィーナの悔しがる顔が目に浮かぶわ」

 キーキー喚くアルヴィーナの顔を思い起こし、グフグフとほくそ笑むシンファエルだったが、待てども暮らせどもエヴァン達が探しに来る気配はない。それは『シンファエルの中では』と注訳がつく。実際のところ1時間もたっていないし、実はシンファエルが落ちたのは結構深い森の中でそう簡単に近づける場所でもなかったのだが。

「一体何をしているのだ。とっとと探しに来んか!」

 ジタバタと足を動かすと、ヒビの入った肋骨がズキリと痛み、ようやく自分が怪我をしている事に気がついた。

「私の美しい肌が裂けて、血が出てるじゃないか……」

 木々の枝葉で作った擦り傷や切り傷から血が滲んでいるのを見て、王子は青ざめた。ふと、エヴァンの一般常識論の授業でサバイバルについて学んだことを思い出したのだ。

『森や山で遭難した場合、闇雲に歩き回ってはいけません。助けが来るのを先ずは待つのが一番良いでしょうが、時と場合によっては助けが数日、あるいは数週間も来ないかもしれません。特に魔獣がいる森や戦時中は助けを待つより、生き残ることを考えるべきです』

「時と場合によってはって、今はどういう時と場合なのだ?」

 イマイチ学んだことを理解していないシンファエルは、今が待つべき時なのか動くべき時なのかわからない。

『怪我をした場合、血の匂いに引き寄せられて獣や魔獣が寄ってくることもありますから、止血は絶対です。血のついた衣類は土に埋め、傷口をきれいにしてください。ーーーーーの場合には泥が役に立ちます。ただし…』

「泥…は目の前にあるが。なにかの役に立つ…。なんだったかな?」

『ーーでその後、泥が血を吸いこむため獣は寄って来ません。応急処置が済んだら、川を探してください。森が上流にある場合、水の流れに沿って下っていけば必ず村か民家がある筈ですからね』

「川を探せか…。よし」

 シンファエルは、痛い傷口を庇いながら立ち上がった。幸い足の骨は折れていないらしい。五体満足だ。
 よし、と頷き、自分に喝を入れシンファエルは泥沼の泥を手に取り、傷口になすりつけた。、と。

「次は川を探そう。その前に食料も必要だな。腹が減っては戦は出来ぬというし」

 シンファエルは「無闇矢鱈に歩き回るな」と言われた事をすっかり忘れ、森の中へ入っていった。どちらかと言えば忘れていることの方が多いシンファエルにとって、サバイバルの授業自体がサバイバルだった。

 鬱蒼とした森を見ると、シンファエルはごくりと喉を鳴らした。じめっとした薄暗い森に何気に不安になる。

「森で遭難した場合、森に入るなと言われたかな?それとも森に入って難を逃れろと言ったのだったか…」

 ふむ、と考えるがどちらも正しいような気がする。何せ不気味な森なのだ。シンファエルの考えていた森は、花が咲き乱れふかふかした苔が地面を覆っているようなもので、大蛇が出てきそうなジャングルではなかった。これが森だと知っていたら、おそらくエヴァンについて来なかっただろう。

「だが、森で遭難したということは、すでに森に入っているということだから、もっと奥に行くべきか。草木に紛れれば獣も私を見つけられないだろうし……何か食べるものも森なら手に入るだろう。ポタージュとかステーキとか落ちてないかな…なければケーキでもいいか」

 野菜が嫌いなシンファエルは、肉がいいなと夢を膨らませ、森に入っていった。残念ながら、ポタージュやステーキは森の中に落ちてはいない。生肉なら手に入るかもしれないが。

 ちなみに泥が役に立つのは、水が手に入らない場合の緊急濾過に使うためであって、決して傷口に塗りつけるものではない。(良い子は真似しないでね。破傷風になりますよ)

 しかも塗りつけた泥は、細菌どころか瘴気を多量に含んでいる。泥だらけになって森を歩くシンファエルの姿が、幸か不幸か人型の魔獣に見えてしまったとしても致し方なく、彼自身の持つ匂いと合わさって、通常の獣は皆逃げてしまった事にまだ気がついていなかった。そして自分の傷口から青黒く変色していく肌の色さえも。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に二週目の人生を頑張ります

京衛武百十
ファンタジー
俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。 なのに俺は、気付いたら五歳の子供になっていた。いや、正確に言うと、五歳の時に危うく死に掛けて、その弾みで思い出したんだ。<前世の記憶>ってやつを。 今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。 しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。 今世では結婚はまだだったものの、一応、前世では結婚もして子供もいたから何とかなるかと思ったら、俺は育児を女房に任せっきりでほとんど何も知らなかったことに愕然とする。 とは言え、前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に、何とかしようと思ったのだった。

先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村
恋愛
 別にいいんじゃないんですか? 上手くならなくても——。  後輩マネージャーのその一言が、彼の人生を変えた。  全国常連の高校サッカー部の三軍に所属していた如月 巧(きさらぎ たくみ)は、自分の能力に限界を感じていた。  練習試合でも敗因となってしまった巧は、三軍キャプテンの武岡(たけおか)に退部を命じられて絶望する。  武岡にとって、巧はチームのお荷物であると同時に、アイドル級美少女マネージャーの白雪 香奈(しらゆき かな)と親しくしている目障りな存在だった。  だから、自信をなくしている巧を追い込んで退部させ、香奈と距離を置かせようとしたのだ。  そうすれば、香奈は自分のモノになると思っていたから。  武岡の思惑通り、巧はサッカー部を辞めようとしていた。  しかし、そこに香奈が現れる。  成り行きで香奈を家に上げた巧だが、なぜか彼女はその後も彼の家を訪れるようになって——。 「これは警告だよ」 「勘違いしないんでしょ?」 「僕がサッカーを続けられたのは、君のおかげだから」 「仲が良いだけの先輩に、あんなことまですると思ってたんですか?」  甘酸っぱくて、爽やかで、焦れったくて、クスッと笑えて……  オレンジジュース(のような青春)が好きな人必見の現代ラブコメ、ここに開幕! ※これより下では今後のストーリーの大まかな流れについて記載しています。 「話のなんとなくの流れや雰囲気を抑えておきたい」「ざまぁ展開がいつになるのか知りたい!」という方のみご一読ください。 【今後の大まかな流れ】 第1話、第2話でざまぁの伏線が作られます。 第1話はざまぁへの伏線というよりはラブコメ要素が強いので、「早くざまぁ展開見たい!」という方はサラッと読んでいただいて構いません! 本格的なざまぁが行われるのは第15話前後を予定しています。どうかお楽しみに! また、特に第4話からは基本的にラブコメ展開が続きます。シリアス展開はないので、ほっこりしつつ甘さも補充できます! ※最初のざまぁが行われた後も基本はラブコメしつつ、ちょくちょくざまぁ要素も入れていこうかなと思っています。 少しでも「面白いな」「続きが気になる」と思った方は、ざっと内容を把握しつつ第20話、いえ第2話くらいまでお読みいただけると嬉しいです! ※基本は一途ですが、メインヒロイン以外との絡みも多少あります。 ※本作品は小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。

地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。

欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します

ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!! カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった

ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます! 僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか? 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる 

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

神様、ちょっとチートがすぎませんか?

ななくさ ゆう
ファンタジー
【大きすぎるチートは呪いと紙一重だよっ!】 未熟な神さまの手違いで『常人の“200倍”』の力と魔力を持って産まれてしまった少年パド。 本当は『常人の“2倍”』くらいの力と魔力をもらって転生したはずなのにっ!!  おかげで、産まれたその日に家を壊しかけるわ、謎の『闇』が襲いかかってくるわ、教会に命を狙われるわ、王女様に勇者候補としてスカウトされるわ、もう大変!!  僕は『家族と楽しく平和に暮らせる普通の幸せ』を望んだだけなのに、どうしてこうなるの!?  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇  ――前世で大人になれなかった少年は、新たな世界で幸せを求める。  しかし、『幸せになりたい』という夢をかなえるの難しさを、彼はまだ知らない。  自分自身の幸せを追い求める少年は、やがて世界に幸せをもたらす『勇者』となる――  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 本文中&表紙のイラストはへるにゃー様よりご提供戴いたものです(掲載許可済)。 へるにゃー様のHP:http://syakewokuwaeta.bake-neko.net/ --------------- ※カクヨムとなろうにも投稿しています

処理中です...