【完結】クローゼットの向こう側〜パートタイムで聖女職します〜

里見知美

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最終章:クローゼットの向こう側

第121話:クローゼットの向こう側

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 永遠とも無限とも言える時の間、ただそこに在り、事象の全てを眺めていたにすぎない。意識はあれど個体はなし、己で考えることもできぬ身であるから、ただあるべきを受け止めるのみ。

 それが、いつからだろうか。

 自我、とは言えぬがふとしたことで目が覚める。それが夢なのか、ただ流れ着く意識のかけらなのか。流れに逆らう小石が堰き止めて作り出した水溜まりに、行き場を無くした小枝のようなものが己の眠りを妨げた。

 目を開いてみると、暗黒の中だと言うのにも関わらず、黒い影のようなものがもやもやと漂う。それがじわじわと時を止め、無限は有限になり、永遠は刹那になる。途切れ途切れの意識下に闇と光が現れる。小枝の数が増え、腐り朽ちかけ、流れが滞る。

 これをなんと呼ぶものか。

 無我のはずの存在に思考が芽生え、『愛しきもの』と『そうで無いもの』が現れた。愛しきは瞬時に消え、そうで無いものは何時迄も纏わりつく。煩わしくあり、目を閉じる。



 そしてまた小枝が流れ着いた。

「臭いわ」

 囁くような音が、雫のようにポツリと落ち。

 スゥッと流れに勢いが増した気がした。

 小石が一つ、また一つ、と流れに乗りまた眠りを誘う。

 そうだ、この感情は見たことがある。『心地よい』と言うものだ。

 サラサラと流れていく時の流れに身を委ね、彼の音かのねを聞く。これは、祝詞《うた》と言うものだったか。とんと聞かなくなったと思ったが、まだ生きていたのか。清らかな精気を口にしたのはいつだったか。いや、いつから口にしなくなったのか。

 悠久の流れに呑まれそうになりながら、もう少しだけ目を開けていたいと、なぜか思った。その声から愛しきものを感じ、黒いモヤが少し晴れた。

『心地よい』ものは、愛しきものだと理解した。そしてここに残しておきたいと思ったような気がしたが、それもまた流れていってしまった。『欲望』の味がした。

 『欲望』も知っている。これは、『そうで無いもの』の枠に入る。ならば追うことはせぬ。ただ、記憶に残し去っていく。なのに、『愛しきもの』の中にも『欲望』の味がした。切なさや愛は、愛しきもののはずなのに、流れを遅くする。

 いらぬ。いらぬ。

 そう思い、ただ流れていくのを傍観するのに、愛しきものの祝詞《うた》に含まれるのは、『欲望』。心地よい『欲望』というものもあるのだと知る。

 永遠では無いからこそ、心地よいのだ。

 彼の音かのねは、欲していた精気を存分に与え、『欲望』を満たしていく。これが、欲しかったのだと思い知る。

 限りある『欲望』を与えてくれる彼の音かのねに感謝を。

 ほんの刹那の時を与えてくれた光に、与えられるものはあるだろうか。記憶を紐解き、一瞬の時を生きる小さな光には。

 愛と希望を捧げよう。



 ***



 長樹の住まう、という暗闇にたどり着いて最初の感想が、「臭い」だった。

 瘴気の匂いは、相変わらずゴミだまりの吐きそうになるような匂いだ。【浄化】と唱えてみたけれど、効き目はなく。あれは言霊だから、無理なのかもしれない。

 それならば、精霊の歌ならどうだろうか。今のミヤコは精霊体のようなものだ。

 長樹と言うからには、木の形をしているのだと思ったけれど、姿形は見当たらなかった。真っ暗闇の中だから見えないだけかもしれないけれど、想像の中ではもっさりとした大きな木があるのだと思っていた。しばらくじっと目を凝らしてみても、光のない場所に物理はないのかもしれない。それでも匂いはあるし、何かが蠢く音もする。その実態を想像しかけて慌てて止める。

 オワンデル遺跡のグラッツロッチの集団と、その後の魔瘴まで連鎖的に思い出しそうになったからだ。

 浄化することに集中しよう。

 さて、何の歌を歌うべきか。ここに漂う瘴気は人柱にされた可哀想な生贄の思いや、何かしらの思いを残して死んでいった人達の無念もあるのだろう。あとは、ルビラやモンファルトや、魔瘴になってしまった精霊や妖精たちも留まっているのかも知れない。

 まずは、鎮魂歌レクイエムだろうか。それから安らぎの歌、月光昇華、輪廻の歌。

 きん、と糸を張り詰めたような音が聞こえた。

 ミヤコは歌に効果があることがわかると、静かに感情を歌に乗せた。

 鎮魂歌を歌い始めると、周囲がさざめき立った。負の感情が浮上する。精霊のいるミラートの国の時とは違い、ここに漂うのは感情だ。気を許せば、負の感情に囚われてしまうことを理解し、ミヤコは気を引き締めた。

 ここにいるのは、ミヤコであってミヤコではない。ミヤコの歌は、感情ではなく心だ。慈しみ、愛し、囚われることはない。闇を照らす一条の、導きの光。闇に囚われた想いを解放し、無に帰すための歌。

 思い出すのは、お父さんの慎ましい愛、お母さんのやるせない愛。君代《おばあちゃん》の慈しむ愛、精霊王《おじいちゃん》の情熱的な愛。

 そしてクルトさんの全てを受け入れて包み込むような、愛。

 たくさんの愛を受け取った。気づかない愛もあり、憎しみを含んだ愛もあった。ありがたくない愛もあったし、切ない愛もあった。それでも全てを受け取って、今の自分がある。

 憎しみよりも、悲しみよりも、嫉妬や妬みよりも。それら負の感情を全部含めたものよりもっと多くの愛を刹那の時を生きるものは受け取っているのだ。

 だから、感謝を。安寧を。生まれてきたことの喜びを。



彼の音かのねには、愛と希望を捧げよう』


 歌い終わって、ミヤコが耳を澄ますとそんな言葉が頭に響いた。

 あたりを見渡すが、やはり暗闇の中には何も見えない。ただ、瘴気は浄化できたのか匂いは消え、あたりはしんと静まり返っている。やってきた時とは違い、不気味さは息をひそめ、ただただ無音が広がる。何もない世界というのは、通常恐怖を呼び起こすものだが、ミヤコは満足していた。これで、命が燃え尽きたとしても、どんなに会いたくて、苦しくても。二度と再びクルトさんに会えなくなったとしても。二度と忘却の歌は歌わないと決めたから。

「愛してる」

 愛してる。愛してる。何度唱えても、言い足りない。

 心は悲鳴をあげるけれど、ずっと覚えてる。この想いだけは忘れない。何があっても離さない。

「クルトさんに、永遠の愛を」

 溢れる涙をそのままに、ミヤコは目を閉じた。








 瞼の裏に光を感じて、目を開ける。

 目の前に広がるのは、たわわに実った野菜畑で。

「……あれ?」

 振り返ると、懐かしの我が家の縁側だった。

 天高く広がる青い空と、蝉の声。麦わら帽子がきゅうりの支柱の上に乗っていて、ゆらゆらと風に吹かれている。

「嘘。戻ってきた…の?」

 バクバクと心臓が胸を打って、鮮やかな色彩が生きていることを物語っている。恐る恐る頬をつねるとじわりと痛みを感じる。庭の向こう側でゴトゴトとトラックが走り抜けて、止まった。トラックの窓を開けて手を振るのは、鈴木くんだ。

「よう、真木村!なんだよ、帰ってきたんなら挨拶ぐらいしてくれよ」
「す、鈴木くん…?」
「おう。今、配達の途中なんだ。今度また飲み会やろうぜ。康介と有香も新婚旅行から帰って来てさ、会いたがってたぞ」
「えっ、新婚旅行…!」
「お前、海外しばらく行ってただろ。だから結婚式も来れなかったじゃないか。ともかくまた連絡するよ!じゃあな」
「う、うん…」

 え。どういうこと。

「あら、みやちゃん、いつ戻ってきたの?ちゃんと連絡しなさいって言ったのに」
「和子おばさん!?」
「ちゃんといない間の家の管理してしてあげたわよ。まあまあ、この暑いのにそんなポンチョ被って。メキシコ?それともモロッコとかの織物?」
「えっ?」

 言われて自分の格好を見ると、クルトがくれたショールをぐるぐる纏ったままだ。気がついた途端、じわりと汗が滲み出た。

「なあに、時差ぼけか何か?シャワーでも浴びて、夕食は家にいらっしゃいよ。淳と美樹さんと優香ちゃんも誘うから」
「優香ちゃん?」
「淳の子よ。やあね、手紙で知らせたでしょ?無事産まれたよって」
「あっ、えっ、そ、そうだった、かな。ご、ごめん。名前、覚えてなくって、えっと」
「この前5歳になったのよ。もうみやちゃんもおばさんなんだからしっかりしないと」
「5さい…」
「ちょっと、野菜をもらいにきたの。きゅうりとトマト、もらってってもいい?」
「あ、うん」
「もう、ぼんやりしちゃって。ちゃんとお風呂入って寝てから来なさいよ。夕飯は6時でいい?」
「あ、うん。6時…」

 和子がザルにトマトと胡瓜をもぎって帰るのを見届けると、ミヤコは弾けるように家の中に駆け込んで、土間に上がった。

「淳兄さんの子供が、5歳…。5年、経ったっていうこと…?」

 空白の5年間。記憶にない海外旅行に行ってたことになっていて、時間は流れていた。クルトから送られたショールを握りしめる。毛織の手触りは確かにある。

 最後の記憶は、なんだったか。そうだ、風の聖地が吹き飛んで。それから、どうなった?

 クルトさんは……?

 まさか、吹き飛んで。

 長樹の根元で燻っていなかったよね?

 いたら、気づいていたよね?

 まさか、わたし浄化してない、よね?

 使い古した鉄のお釜の中には相変わらず金魚が一匹泳いでいるし、新しめのキッチンには小さな冷蔵庫とガスコンロがあって。囲炉裏は綺麗に片付けられていて、その向こうには、おばあちゃんの書斎があって。

 そこに掲げられた仏壇と位牌と、飲みかけではない御供物の桃の酎ハイと新鮮な野菜。これはきっと和子が供えてくれているのだろう。

 ゆっくりと廊下に出て、クローゼットのドアを見る。鍵は差し込まれたまま、白い古ぼけたドアは固く閉じられていて。

 震える膝を叱咤して、永遠とも思える廊下をクローゼットに向かって歩く。

 鍵に手を添えてゆっくり回すと、かちりと音がして締まりの悪いドアがギィと音を立てた。

 クローゼットの向こう側から、光が差し込んで。


「おかえり、僕の――」





 完

==========


最後まで読んでいただきありがとうございました!

途中のやり取りから、どうしても結末が悲恋になりそうだったので、考えあぐねて手が止まっていたのですが、今回落とし所を見つけてハッピーエンドに無理やり持っていきました。

とはいえ、精霊たちのことやらなんやら書き残したこともあるので、番外編としてもう1話、続きます。
精霊たちのその後を知りたい方はどうぞお付き合いくださいませ。
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