【完結】クローゼットの向こう側〜パートタイムで聖女職します〜

里見知美

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第5章:聖地ラスラッカ編

第110話:運命の分岐点

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 精霊でもあり人間でもある、時空を操るハイブリッドな存在。

 アラヴェッタは妖精王になってから、世界の均衡が崩れるなどと考えたこともなかった。この世界があるからこそ精霊がいて、妖精がいるのだ。神が作ったこの箱庭の中に、人間だけではなくすべての命がつぎ込まれている。その神について、考えたことも疑ったこともなかった。確固たる地盤だったものが足元から崩れ落ちていくような不安。

「つまり、なんじゃ?ミヤコは、時空と精霊界と人間界の力を併せ持つ存在?あれは、神か?」

 まさか、とキミヨは吹き出した。その様子にアラヴェッタは内心ほっと息を吐く。

「ミヤコに選べる未来はないのよ、アリー」
「ど、どういうことじゃ?」

 レアはが酒を口に含み、静かに告げる。

「精霊がこの世界から消えれば、この世界は有限の命人間たちのものになる。でも精霊との共存を選ぶのなら、あの子とハルクルトは結ばれることはない」
「な、なぜ……!?」
「ハルクルトが風の大精霊になるということは、彼が人間であることをやめるということ。つまりは彼の死をミヤコは認めなければならないでしょう」

 アラヴェッタは息を飲んだ。ミヤコとハルクルトは恋仲にあるといった。愛する人を犠牲にしなければ、精霊と共存することはできない。だが、ハルクルトは大精霊として生まれ変わる。ミヤコは体は人間でも、その存在はそれを凌駕する。ハルクルトを永遠に失うわけではない。

 だけど。

「……ミヤコにはもう、ハルクルト以外残されているものが何もない。もしハルクルトを失えば、力が暴走するかもしれない。そうなったら精霊どころかこの世界も危うい。あの子の力はそれほどにも強い。全てを壊してしまうかも知れないし、あの子が壊れてしまうかも知れない」
「じゃが!ハルクルトは精霊として生きるのじゃろ?なら、ミヤコも精霊になればいいじゃないか!あの子の力なら、人間でない方が自然じゃないか!」

 キミヨはアラヴェッタを見て、引きつるように息を吸い込み、泣きそうな顔になる。ミヤコは精霊にはなれないのか。精霊王の力を持っているのに?

「あの子はいずれ気がつくわ。人と精霊は共存できないと。人間は欲深い生き物だから、強力な力があれば縋る。思い通りに使えなければ奪おうとする。奪えなければ殺そうとする。それをあの子が望まないなら、あの子は人間世界と精霊界を切り離していかなくてはならない。時空制御のたった一つの方法はね、あの子自身なのよ」
「え?」
「……人柱って言葉が、私の世界にはあってね。月読みの巫女は、そのために生まれてくるの。死と生の世界を分けるために月読みの巫女が人身御供になるの。それで世界の均衡を保つのよ」
「つ、つまり、あの子は」
「この世界の均衡を保つために、命を受け渡すことができる唯一の存在、とでも言えばいいのかしら」

 沈黙が降りた。

 自分の命を投げ出して、世界の均衡を保つか。人間を守って、精霊を抹消するか。あるいは、精霊界を守って、人間界を破壊するか。

 アラヴェッタにもレアにも死という概念はない。ただ、今までそこにいたものがいなくなるという、漠然としたものだ。だけど、レアもアラヴェッタも人間を見てきて、移り変わりを眺めてきた。死というものが悲しみを呼び、永遠の別れを意味するものだと理解した。魂は浄化され生まれ変わるが、同じ人は帰ってこない。ミヤコが死ねば、同じミヤコはもう戻ってこないのだ。

 ハルクルトが大精霊になり、永遠の命を得たところでミヤコはそこにはもういない。それが、ハルクルトにとって何を意味するのか。

「精霊界と人間界のために、二人の仲を引き裂く…」
「そんなことミヤコに頼むことはできないし、残されたハルクルトはどうなると思う?」

 妖精は、綺麗なものが好きだ。人の愛というのは特に美しいとアラヴェッタは思う。だから真似をして美しい水の大精霊に愛を説いた。結果としては、受け入れられなかったし、本当の意味で愛は理解はできなかったが。その美しいものが引き裂かれた時、人はどうなるのだろう。

 自分が瘴気に捕らわれて、醜いものになった時のおぞましさが蘇る。憎しみや恐怖、嫉妬や残虐的な感情が纏わり付いて心が凍りつく。もしもそれが永遠となったなら、永遠の命に何の意味があるというのか。

 ハルクルトが大精霊になることを拒み、ミヤコが人柱にならなければ、精霊はこの世界から消える。

 その逆ならば、精霊はこの地に残るが、二人の愛は育つことはない。ミヤコを失くした風の大精霊ハルクルトがこの地に残って、何の恩恵を残すというのか。もし風の大精霊が狂ってしまったら?

「私がミヤコなら……愛をとるだろうな」

 キミヨがそれを聞いて笑い声をあげた。

「人の気持ちが理解できたようで嬉しいわ、アラヴェッタ」
「だけど、そう簡単に選べないのさ。残念ながらね」
 
 レアがキミヨを制して言葉を続けた。アラヴェッタが訝しげに隣に座るレアを見つめた。

「ミヤコが愛を取ったとしよう。それによってまず引き起こされるのは、自然災害。生まれるはずの大精霊がいなくなれば、風の聖地が消える。風の精霊がいなくなったら、気が濁る。気が濁れば、水も濁る。シェリオルの水辺が姿を消して魂の浄化ができなくなり、輪廻の輪から外れていく。アーラの業火で焼かれるはずの不浄を持ったままの魂にカルマが生まれる。人の命は時間をかけてカルマを消化していかなければならないし、生の力も弱る。人は今のように長く生きられなくなる。そして精霊が消えたこの世界で、自然界が権力を握る。人は自然の力を操ることはできなくなるし、魔力を持つ人間がいなくなって、人間界も変わる。そして……ハルクルトも消える」
「な、なぜじゃ!」
「あの子を形成している魂の半分以上が精霊だからよ。あの子は大精霊の器なんだもの」
「そんな……」
「そして、それはミヤコも同じ。精霊の力を持った上に、ハルクルトを受け入れてしまったからハルクルトの魔力とも融合してしまった」

 あの子達に残された時間はあまりにも短い。愛を選べばハルクルト諸共死に、精霊を選べば、ハルクルトは大精霊として生まれ変わるが、ミヤコは死ぬ。

 どちらの道を選んでも、あの子には破滅しかないのよ、とキミヨは俯いた。




 キミヨは子供が欲しかった。

 人間でなければ、永遠の時を二人で過ごすことができる。精霊である限り二人に死はない。小さな精霊は自然から生まれてくる。一つの草花から、一つの精霊が増えていくのは精霊界の常識だ。だけど人間のように、二人の間に子を育むという概念が精霊にはない。

 それを精霊王アルヒレイトに許さなかったのはキミヨだ。子供が欲しかった。二人の愛の証を残したかった。生きた証を残したかったのだ。

 だからキミヨは精霊にはならず、人間のままでありたいと願い、アルヒレイトを犠牲にした。子を成して、少しづつ少しづつ、アルヒレイトを殺していった。命あるものと契り、彼の命をも有限のものにした。アルヒレイトは後悔はないという。永遠を生きて、希望も喜びもないのならキミヨと共に生きて潔く死んでいくことを選んだ。人の命を生きて、死に際にこちらの世界に渡ってきたキミヨは精霊になった。人よりも長い命をゆっくりアルヒレイトと死んでいく道を選んだ。それで幸せだ、満足だと思った。

 だけどその歪みを、全てミヤコへと引き渡してしまったのだ。

「残酷なのは私なのよ。世界を歪めてしまったのは私。間違ったのは私」

 自虐的にキミヨは笑う。涙をこぼす資格すらないと思う。子が欲しいと我儘を言い、アルヒレイトを殺しながら小さなミヤコにすべてを押し付けて、選べない道を目の前に突きつけた。

 共に死ぬか、一人で死ぬか。

 気がつかなかった、知らなかったと、そんな人生に導いてしまったのは私だ、とキミヨは自分の罪深さを呪った。


 ふわりと、ミントの香りが風に乗って落ち込んだ気持ちを少しだけ軽くした。それがミヤコを彷彿とさせる。ミントはミヤコの香りだと、キミヨは涙をぐっとこらえた。



「ミヤコはキミヨに感謝していると思うけどね」

 命を育む大地の精霊レアは、優しく君世に語りかけた。生を受けて、生きる苦痛を知って、愛する喜びも知った。悲しみも喜びも怒りも、短い人生の中で知り得る感情が人格を形成する。

「あの子を見れば、すべてを受け止めて、一生懸命生きようとしているのがわかるもの」

 優しくて真っ直ぐでいい子だわと。だから私はミヤコを援護するのよ、と。

「ねえ、キミヨ。たとえあの子に残された道が、ミヤコとしての命の終わりなのだとしても、あの子が生きた時間は無駄ではないでしょう?あの子の魂は巡り巡って生まれ変わることができる。またいつかきっと、ハルクルトと出会うこともできるのよ?あの子の残した軌跡は、人々の中に受け継がれ生き続けると私は信じている。ミヤコの周りには、あの子を信じる人がたくさんいるわ。その人間たちが、ミヤコのことを忘れるはずがない。意味のある人生をミヤコは作り上げている。それは認めてあげなくちゃ」
「いやじゃ!」
「アリー?」
「私は!お前たちがこの世界からいなくなるなんて、いやじゃ!許さんぞ!人間一人の命でみんなが助かるんじゃろ!ミヤコに助言してやろう。道は一つだと!精霊界を救えと!ハルクルトに大精霊になれと」
「アラヴェッタ。今、あなたを殺しても問題はないわよね?」
「キミヨ!?」

 キミヨはアラヴェッタに凍るような殺意を飛ばし、ずいっと近寄り襟首を捕まえ真顔になる。

「あの子に何か一つでも吹き込んでごらんなさい?あなたの世界を一瞬で滅ぼしてあげるわ」
「!!な、何で、そんな、そんな恐ろしいこと、言うのじゃ……怖すぎじゃろ、お前」
「恐ろしいこと?ミヤコがいなければ、あの醜い姿のままで死んでいたかもしれないくせに。その可愛らしい姿で死ねるなら本望よね?」
「ヒィッ!?」

 青ざめて小さな体をますます縮こまらせながら、アルヴェッタは泣き顔になった。
 レアは呆れた顔で、「アリーが悪い」とアラヴェッタを突き放した。

 キミヨの本気は怖い。この女は精霊王でさえも殺すのだ。誰が王なのかわかったものではない。水のも、火のも、風のも、地のも、みんなキミヨには頭が上がらない。いつからそうなのか、アルヴェッタには想像もつかない。誰も彼もキミヨに頭が上がらなかった。

「せめて最後くらい、自分の選んだ道を進んでもらいたいのよ」

 それが、この上なく非情な選択肢だとしても。

 キミヨは持っていたグラスを傾けて一気に飲み込んだ。

「さて、私はそろそろエリカちゃんと話してこなくちゃ。レア、ご馳走様。美味しかったわ」
「いいさ。また来てちょうだい。ああ、それから白の支配者が王都に出てきた。神殿にこもってた人間がようやくアガバの火山にたどり着いたみたい」
「そう。アイザックもルノーも頑張ったわね。ミラートの末裔は?」
「……気配がないわ。朽ちたのかしら……まだ水のからの連絡はないし、カルラも音沙汰なし」
「そう……。逃げ延びたのかしら。一旦見に行くわ。じゃ、また後でね。アラヴェッタ!いい子にしてなさいよ!」
「……あい」

 よほど怖かったのか、アラヴェッタはレアの横にちょこんと座り、ちびちびと酒を口にして涙目で答えた。
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