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第5章:聖地ラスラッカ編

第107話:モンファルトの呪い

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 モンファルトの私兵が息も絶え絶えの王と聖女を見つけたのは、偶然だった。一夜にして様変わりした森に入るのは誰もが嫌がったのだ。

「あれだろ?聖女だか愛し子だかが水の聖地を癒してすぐに、この神殿の森が死に絶えたんじゃなかったっけ?」
「そうそう。そんで、この森って元々、毒素が強くて近寄れないって話だったっけ?それとも結界だったっけ?」
「聖女の呪いがかかってるとか、精霊に嫌われた土地とか言うんだろ?」
「聖女がなんで自分の居住地を呪うんだよ?変だろ?」
「聖女が本当は聖女じゃないって聞いたぞ?」
「じゃあなんだ?魔女かなんかか?いくら王子の命令でも、俺も呪われたくないしなぁ」
「パッと見てパッと帰ろうぜ。どうせ誰もいないよ、こんな呪われた場所」

 兵士たちが、びくびくしながら神殿に近づくと、すでに崩れかかっていた神殿の屋根がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

「「「ヒイイィッ!」」」

 飛び上がった兵士たちだったが、そのうちの一人が、崩れ落ちた屋根の向こう側に人影を発見したのだ。

「お、おい!あれ陛下じゃないのか!?」
「えっ!あ、聖女も…?し、死んでんじゃないのか?動かないぞ?」

 恐る恐る瓦礫を超えていくと、ヒューヒューと喉を鳴らす王と既に事切れた聖女が、聖水の泉のあった庭に続く階段で横たわっていたのだ。

「王はまだ息がある!王子に知らせろ!」



 連絡を受けたモンファルトが神殿に到着し、横たわる王の目の前に立ち見下ろした。

「最後まで、裏切りか」

 王子はペッと唾を吐き、王の髪を掴み上げた。

「母もこうして殺したのか」

 王はうう、と呻くもののもう視線を合わせることもない。空に虚空を見つめるばかりだ。聖女は死んで数日経つのだろう。腐臭が辺りに漂い、虫が湧き始めていた。王に顔を近づけてみると目は充血し、口臭が酷い。確実に毒に侵されていた。おそらくはカソリ。この泉付近は特に毒がひどく、以前来た時は中毒に苦しむ聖女だけだったのだが。

「ほっといても死ぬんだろうな」

 モンファルトがパッと手を離すと、王の頭は力なく床に打ち付けられた。

「楽に殺してやるとでも思ったか?母上の苦しみはもっと長かったよなあ、父上。父上に裏切られて、聖女に虐められて、離宮に押し込められた正妃の気持ちを、アンタは考えたことがあるか?僕と会うことも許されず、一人寂しく死んでいった隣国の王女の気持ちを」

 クク、とモンファルトは笑い、ついてきた部下に聖女の首を切り落とせと命令した。

「どうせ死んでるんだ。痛みも苦しみも感じはしないだろう」
「……はっ」

 兵士は剣を打ち構え、聖女の細い首を打ち落とした。一度では落としきれず、何度か剣を振り下ろし、骨が砕けるのをモンファルトは楽しそうに見つめ、王の顔を聖女の方へと向けてやる。

「ほら父上。あんたの好きな聖女様が血みどろだ。虫も湧いて醜い死体だよ。どんな気分だ?」

 グフっと息を吐く王だが、言葉は出てこない。聖女の頭を王の目の前に置いて、モンファルトは楽しそうに笑った。その目には狂気を含み王の反応を見る。兵士たちは青ざめ無言で後ろに下がり、吐き気を抑えた。

 狂っている。

 その場にいた私兵は皆、同じことを考えていた。いつ逃げ出そうかと。

 私兵たちは、アイザック率いる革命軍が愛し子についていることを知っている。気がつけば、何人かはちゃっかりアイザック側についてしまった。ハルクルトの討伐隊は勿論全員向こう側にいて、美味しい食事をして英気を養っているのに、自分たちはどう見ても負け組にいて、スラム地帯でネズミを追いかけているか、運が良ければ隠れ家である貴族の家の食堂で冷たいスープと固いパンをかじっているところだ。なぜ下っ端とはいえ、貴族である自分たちが平民よりもまずい食事をしなければならないのか。

 神官たちが行方をくらまし、王都の国民が神国に不満を持って以来、宰相をはじめとする国王派の貴族も焦りを見せはじめていた。結局の所、平民がいなくては貴族もままならないのだ。ほとんどのメイドや下働きの人間が王都から離れ、バーズ村やグレンフェールへと移動して行ったのだ。昔滅びたはずの村跡に戻って、村起こしをした話も耳に入ってくる。愛し子の送った精霊が手助けをしているとも聞いた。王都以外の近隣のほうが豊かになっているのを、貴族たちは指を咥えて見ているしかないのか。

 狂った王子について、自分たちに未来はあるのか。

 ――いや、ないな。

 その夜、モンファルトが聖女の首と死にそうな王のそばに座り、語り合っている間に十数人の兵士が闇に消えた。

 次の日になって、兵士が何人か消えたことを知ったモンファルトは怒り狂い、腹いせに数人の私兵を切り、王の首を打ち落とした。その後も、ザクザクと王の体に剣を刺しながら叫ぶ姿を見て、明日は我が身かと、残った私兵達は震え上がった。

「王と聖女の首は七日七晩見せしめにする!北の外門で晒せ!」
「……は、はっ!」

 私兵は慌てて麻袋に首を入れ、モンファルトに従った。

「これで俺は唯一の神の血を受け継ぐ者だ!王は俺だ!」

 声高らかに笑うモンファルトに、進言する者はいない。私兵たちはお互い視線を交わし、青ざめてただ俯いた。

 ――不甲斐ない者達め。寝返りたければ寝返ればいい。最終的に頂点に立つのは僕だ。僕の魔力は誰よりも強い。だが、それだけでは決め手に欠ける。やはりあの女……愛し子を手に入れなければ。あれは役に立ちそうだからな。歴代の聖女のように宮殿に幽閉して力を搾り取っても良いし…あれを手篭めにして、アイザックとハルクルトの奴の悔しがる姿を見るのもまた一興だ。

 背中に感じる不協和を鼻で笑い、モンファルトは堂々とした態度で王都へ急いだ。

 だが、モンファルトは気がつかない。魔力が精霊と強く結びついていることに。モンファルトの持つ風と闇の魔力が急激に弱まっているのに、策に溺れ魔法を使うこともなく、ひたすら王になることだけを考え、自分自身がミラートは神ではないと公言し、矛盾したことを言っている事に。

「……それにしても、ルブラート教徒がどこにも見当たらない。まあ、アイザックたちが上手いこと追い払ってくれたのかもしれん。ご苦労なこったな。知らずに俺の王位を確かなものに仕上げてくれるとは。ははっ」



 モンファルトが持ち帰った王の首と聖女の首は、王都民を震撼させた。

「皆の者!頼りない国王と役立たずの聖女はもういない!これからは私が、父王に変わり国を守ると誓おう!もう恐れることは何もないのだ!私を崇め、神として讚えよ!」

 青ざめる国民を前にして、王宮のバルコニーからモンファルトは声をはりあげる。皆が彼をたたえ、歓喜すると想像し体が震えた。だが、国民は動揺し憤慨し、モンファルトが想像した称賛の声は全く聞こえてこなかった。

「聖女を襲っただけでなく、両親殺しの元王子を王などと認められるか!」
「ずっと前に廃嫡されたはずだろう!追い出されたはずだ!人殺しめ!」
「神への冒涜だ!」
「愛し子様を出せ!愛し子様こそが我らを救うお方だ!」
「アイザック様はどうした!?わしらを導いてくださったのはアイザック様だ!」

 国民の思わぬ声を聞いて、モンファルトは激怒した。

「たわけ共が!王は私だ!モンファルト・ツヴァイク・ミラートがっ!」

「呪われた廃嫡王子が今更何用だ!」
「わしらが困っているときに隠れて、今の今まで何もしなかったくせに!」
「そうだ、そうだ!!」
「引っ込め!引っ込め!」

 口々に不平不満を吐き出す国民は、既に止められないところまで来ていた。

 モンファルトが神殿に向かい、ほんの1日留守にしていた間に、各地から集まった革命軍は王都に押し寄せており、アッシュに代わりガルシアが率いる精鋭隊によって国王派の貴族を捕獲、牢に入れられた。勿論、そこには王宮に籠城していた大臣たちも含まれる。わずかに残ったモンファルトの私兵も、半数以上が寝返っていた。

 もともと常識があり不満を持っていた貴族も少なからずおり、またミヤコとハルクルトの力を目の当たりにした者も多数いたことから、彼らと共に行動していたアイザックが注目され、その後ろを守る軍神と名高い元帥ガルシア、聖騎士隊長のガーネット・サトクリフ、精鋭隊長と副隊長のアッシュ・バートンとルノー・ク・ブラントと実力者が揃っているのだ。

 伝承の魔女の息子、アイザック・ルーベン。魔女と呼ばれるのはかつての聖女のことだ。精霊の愛し子を敬愛するアイザックとハルクルトをはじめとする討伐隊が味方ならば、従わないわけがない。それに軍師ガルシアが加わった。国民は当然のように追従した。

「お、おのれ!!不敬だぞ!俺の力を見せてやる!」

 魔力を行使しようとして、モンファルトは両手を広げるが、今まで簡単に使えていた風魔法が発動しない。突風は吹くが、体を持ち上げるほどの威力が纏えないことに初めて気がついた。黒い風のモンドと恐れられたはずの力が、使えない。

「な、なぜだ!?」

 何度か試してみたが、魔力は感じるのに魔法が発動されなかった。国民の不満の波は次第に大きくなる。モンファルトの私兵はおののき、速やかに宮殿から逃げ出した。モンファルトはわなわなと打ち震え、膝をついた。

「馬鹿な。なぜだ。俺がここまで苦労して築き上げてきたものは、なんだったんだ」
「モンファルト…。風魔法の効果は薄れたのだ」

 モンファルトが振り向くと、そこには子供の頃、師として仰いだガルシアが立っていた。

「ぐ、軍師。なぜ、何が起こったのだ。なぜ魔法が使えない?」
「……風の聖地が汚されて、風の大精霊が消えようとしているせいだ」
「な……なんだ、と?せ、精霊が魔法と関わっているのか?」
「知らないとは言わせない。王子としての教育で学んだろう。聖地がどれほど大切かを。あなたは何を学んでいたのだ」
「ミラート神国は、神に愛された国だ!精霊なんか信じていなかっただろう!」
「何を馬鹿な。ミラート王は精霊の加護をもらって、国を作ったのだぞ?精霊なくしてこの国はない。この国のものなら誰でも知っていることだ」
「う、嘘だ!この国は聖女が結界を張って守っていたじゃないか!精霊なんかいないはずだ!」

 ガルシアはふう、とため息をつく。この馬鹿に教育を施したのは、どこのどいつだと。

「仮にそうなのだとしたら。その聖女にあなたは何をした?」

 ――首を、落とした。だが、その前に聖女は死んでいた。

「お、俺じゃない!聖女を殺したのは、俺じゃない!」
「そうかもな。聖女が死んだのは、あなたのせいではないのだろう。だが、実際聖女は死んだ。あなたが首を持ち帰った。そして聖地も穢された。ルブラート教が聖地を穢し続けていたことはご存知か?」

 ――ルブラート教。そうだ。あいつらが。

「瘴気が出て、魔獣が生まれたのも、聖地が穢されたせいだ。それを知っていても、誰も浄化できるものがいなかったのだよ。なぜなら、この国は恩義を欠いて精霊をないがしろにし、浄化のできる聖女を政治の駒として飼い殺してきたからだ」

 モンファルトは、呆然としてガルシアの顔を見つめた。

「あなたは、被害者だったかもしれない。だが…王妃が、あなたの母上がルブラート教と繋がっていたことをきちんと理解してくださっていれば、この国はまだ違う位置にいただろうに、あなたは聞く耳を持たなかった」

 もちろん、あの聖女も本当に聖女だったのかは疑わしいものだが、とガルシアはつぶやくが、モンファルトの耳には入ってこなかった。ガルシアの後ろにはアイザックとガーネットが控えており、静かにガルシアの話を聞いている。それを見ながらモンファルトはぼんやりと考える。

「違う…。父上は、聖女を寵愛し母上をないがしろにして、僕は…母上に会いたかったのに、誰も、教えてくれなくて、」

 そこから、間違えていたのか?

 母上が、諸悪の根源だったのか?

 なら、僕が、俺が、今までしてきたことは。復讐は。この悲しみと怒りは。一体、誰に向ければいいと?

 ふと、モンファルトの脳裏に、黒髪の華奢な女の顔が浮かんだ。その隣で熱い視線を飛ばし、頬を緩めるハルクルトの顔。周囲には、その女を守ろうと動く戦士たち。緑の砦にいた戦士たちの鋭い視線に貫かれた。

 国民が今一番欲しているもの。皆が敬愛するあの娘。精霊王の孫娘と言ったか。

「愛し子……あれを手に入れれば、僕は王になれるのか」

 欲しい。あれが欲しい。

 あれさえあれば。

 あれさえ、手に入れば。

 モンファルトの体から、瘴気が溢れた。
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