【完結】クローゼットの向こう側〜パートタイムで聖女職します〜

里見知美

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第4章:聖地アードグイ編

第81話:風の赤獅子

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 ——人間じゃねえ。

 ルノーは壁に激突し、ボロ布のように地面に落ちた。ゴホッと咳込み血を吐く。

「受け身を取れと何度言えばわかる!」

 ハルクルトの叱咤がルノーの頭上に降り注いだ。ぐっと拳を握り、よろよろと立ち上がりハルクルトを睨みつける。

 特別訓練場の一角。精鋭討伐隊候補生を訓練付けるハルクルトの姿があった。毎日10時間の特訓は、訓練生達にとってはシゴキ以外の何物でもなく、体力作りから剣技、魔法に至るまで尽く絞られていた。ルノーを含む30名の討伐隊候補生たちは、すでに限界を迎えていた。壁の周辺にはルノーと同じようにハルクルトの風魔法で投げ飛ばされた候補生が転がっている。体力も魔力も尽きて瀕死の状態にも見える。

「それで、討伐隊員になりたいなどど笑い話にもならん!死ぬ前にとっとと辞めろ!」

 そう言うと、三つあった訓練場の扉が一斉に勢いよく開く。これもハルクルトの魔法だった。やる気のない奴はいつでも出て行け、と促しているのだ。

 ルノーがハルクルトの下で働きたいと入ってから半年、ハルクルトのスパルタな特訓は毎日行われた。最初は100人ほどいた候補生も今では30名のみになり、ルフリスト軍師が頭を悩ませていた。

「ちょっと厳しすぎないか」
「軍師は甘い。我々は魔物、魔獣を相手に戦うんですよ。人間の事情など知ったことではない悪魔たちだ。へたりこんでいる間に食われるのがオチでしょう。そんな隊員のために、僕の命を態々張ることはありえない。ここでやめさせる方が慈悲というものです」
「しかしだな…」
「あれを見てください。ルノーはここでは一番年若いが、根性だけは人一倍ある」

 ハルクルトが口角を上げ、顎でルノーの方を指したのを見て、軍師は振り返った。
 そこには、気力だけで立っていると言っても過言ではないルノーが肩で息をしながら、ハルクルトを睨みつけている。それを聞いた他の隊員の何人かは、悔しげに呻き、立ち上がろうと上体を動かした。

「お前、容赦ないな」
「魔物は容赦しませんからね。ルノーはまだ若いが、魔力も十分あるし、何よりも意気込みが違う。あれは使えます」

 そう言うと、ハルクルトはすっと腕を上げ、ルノーを指差した。と、ルノーの体が水泡に包まれ、宙に浮かび上がった。慌てたルノーが大急ぎで息を吸い、鼻を摘んで息を止める。瞬時に水泡はルノーの全身を包み、数秒後、弾け飛んだ。
 乱暴に地面に落とされたルノーだったが、身体中を覆っていた傷や腫れが治癒され、浄化もされていた。

「……は?」

 ルノーが、それまで感じていた体力の限界、倦怠感と痛みが無くなったことに気づき、キョロキョロと自分の体を見回した。

「お前は、もういい。よくやった。他のものも医務室で休め。ポーションを飲み忘れるな」
「あ、ありがとう、ございます」

 そう言ってルノーは納得がいかないという顔をしながらも、扉の一つから出て行った。他の者もお互いを支えあいながら、のろのろと出て行く。

「回復魔法か?」
「いえ、治癒魔法と浄化魔法です。水と風の混合魔法ですよ」
「ほう……独自の技か」
「時間は有限ですから。戦いの最中に回復魔法のような時間のかかるものは役に立たない」
「手厳しいな」
「生き残るためです」
「ところで、ハルクルト」
「嫌です」
「……まだ何も言っておらん」
「また聖騎士隊の話でしょう。何度もお断りしたはずです」
「ならば王家との婚約話を受けるか」
「それも、お断りしたはずです」
「何もかもお前の思う通りにはならんのだ。どちらかを選べ」
「………軍師はすべてご自分の望んだものを取られたはずですが?」
「またお前は……」
「ともかく、僕は僕の行きたい道を選びます。……ルノー!盗聴は別の機会にしろ!」

 扉の向こう側で隠れて聞き耳を立てていたルノーだったが、しっかりバレていたことで飛び上がり、走り去って行った。

「おっかねえ、おっかねえ」

 ハルクルトの治癒魔法のおかげで、倦怠感も取れすっかり元気になったルノーは、持ち前の調子の良さと好奇心から、ルフリスト軍師とハルクルト隊長の会話を盗み聞きした。

「聖騎士隊か政略結婚かってとこか。お貴族様は忙しいねえ。国もよほど隊長をつなぎとめておきたいんだろうな。魔力だけ見てもバケモンだしな…」

 水魔法と風魔法だけでなく、火魔法も操れるとか。治癒魔法も使えるし、剣術も聖騎士として使えるほど。まるで常識を外れてる。おまけにルフリスト軍師の嫡男で、指導力もあるときて、なんだって討伐隊なんかでくすぶっているんだろう。俺だったら、とルノーは考えて頭を振った。

「ま、関係ないか。俺には使命があるしな」

 自分が今この時世に生まれたのには理由がある。愛し子とやらはまだ出会っていないし、精霊の存在すらわからない。でも、ルノーは自分が執行人の一人であることは血を持って理解していた。共に戦える仲間を探さなくては。

 初めてハルクルトに出会って以来、ルノーは魔法で瞳の色と髪の色を茶色に変えた。全体的に地味に仕上げ、ヘラッとした笑顔を顔に貼り付けることも覚えた。そうすることで周囲になじみ、油断させる。魔力制御もだいぶうまくできるようになり、気配遮断も覚えた。なかなかうまくいっていると自負していたが、まだまだだ。ハルクルトにはなぜか通用しないからだ。

「もっと強くなって認められねえと……」


 *****


 ルノーが隊に入って数年経った。

「お呼びで?」

 ルフリスト軍師に呼び出され、ルノーは今軍師の執務室にいる。貴族や騎士の礼にのっとった話し方はワザとしないよう心がけた。ハルクルトを長年見てきて、貴族ほど面倒なものはないと理解していたからだ。
 あの盗み聞きの後しばらくして、ハルクルトは下位王族のマリゴールド様と名ばかりの婚約をした。

 そもそも討伐隊に家庭などない。常に気を張り詰めて、緊急であれば前衛に否応なくでなければならない。死と隣り合わせているのだ。
 ハルクルトはそれでも、「彼女に申し訳ない」とできるだけの時間を取り、マリゴールドを。はたから見れば、それは仲睦まじいカップルに見えたことだろう。だが、ルノーにはわかっていた。ハルクルトには恋心の微塵もないし、マリゴールドは張りぼての令嬢だと。

『隊長も、よくやるっスね』
『何が言いたい?』
『あの婚約者っスよ。全然愛してないくせに、なんで婚約なんてするんっスか?』
『お貴族様にはいろいろあってな。政略結婚とかで箔をつけるらしい。大事にしている様に見えるのなら、それでいい。この縁談が壊れて、他をあてがわれるよりはまだマシだ』
『ぷっ。隊長だってお貴族様じゃん』
『形式上はな。……親父が貴族なだけで、僕は違う。だからこうやって討伐隊をして…少ない自由を味わってる。結婚する前になんとか逃げ出そうと思ってるよ』
『なんだ、隊長らしくなく、不誠実っスね?』
『不誠実はお互い様さ』
『へえ?』
『子供は気にすることはない』
『あっひでえ。都合のいい時だけ子供扱いっスか』

 ハルクルトは笑って話を打ち切ったが、ルノーにはわかっていた。
 不誠実なのはマリゴールドの方だ。下町で何度か男たちと絡んでるのを見かけた。お忍びで隠れてきているつもりなんだろうが、香水臭くて、すぐに気がついた。下町の女が化粧をしてるのは、夜の仕事をしている奴か妾になってるやつくらいだ。尻軽な女。あれでハルクルト隊長に想われてると信じている、頭も軽い女だ。血の薄い王族の末裔とか言っても、気品のかけらもありゃしない。アレだったら、酒場の給仕人ウェイトレスの方がよっぽど清楚だ。

「おい、ルノー?聞いているのか?」

 ルノーは、はっとしてルフリスト軍師を見た。

「すみません、ちょっと飛んでました」
「まったく。未だにハルクルトの特訓に慣れないのか?」
「あの人の特訓に慣れる人がいたら見てみたいっス」
「ふう。仕方のないやつだな。いつまでたっても落ち着かん。ところで、お前もずいぶん腕が上がったと聞く。そろそろ副官にでもならんか」
「副官?隊長の下っスか?」
「ああ」
「俺より、アッシュ先輩の方がいいと思いますけど」
「アッシュか。あれは真面目すぎて、ハルクルトに頭が上がらん。意見の言えない副官など役に立たんと思ってな」
「あ~、あの人真面目ですからね…。でも、俺には無理っス」
「年齢か?」
「そっスね…それもあるけど……俺、上官に向きませんよ。人を指導して使うくらいなら自分で動く方が楽っス」
「……お前は、あれとよく似てるからな…」
「12の時から寝ても覚めても指導されてますから」
「そうだったな……お前いくつになった?」
「16っス」
「……うむ。わかった。時間を取らせたな」
「いえ」
「そういえば、お前は女の経験があるか?」
「……いえ。まだそういうのは、いいっス。俺、理想が高いんで」
「そうか。なら、いい。戻っていいぞ」
「ういっス」

 ——やっべえ。これで婚約者なんて与えられたら、この国に縛り付けられちまう。早いとこ、愛し子現れねえかな。


 *****


魔物の暴走スタンピードだ!精鋭討伐隊!東の魔の森イーストウッドへ向かえ!第2、第3部隊も準備、待機しろ!」
「大きな魔力を感じた。瘴魔が現れたのかも知れん。気を抜くな!」

 東の魔の森から這い出してきたのは、キマイラだった。伝説級の魔獣。しかも瘴気をまとい、腹の部分が既に腐っている。腹から落ちる血に毒が含まれ、魔性植物すら焼き尽くす強烈な匂い。

「こ、こんなのどうやって戦えってんだ!?」

 初めて見たキマイラに、ルノーは狼狽えた。だが、そんなルノーに、ハルクルトは焦る風でもなく声をかけた。

「キマイラは火魔法に弱い」
「へっ?」
東の魔の森イーストウッドにいる魔獣は火魔法に弱いものが多い。森に火をつけるわけにはいかんが、街道に出てきた魔獣は火魔法で焼き消せばいいだけだ。問題はビャッカランとフランダケだ。迂闊に火魔法で消し去ると毒菌糸を飛ばして激増する。吸い込めば死に至る猛毒だ。ルノーは魔性植物を中心に攻撃してくれ。結界魔法で包み込み瞬間焼却。できるな?」
「結界と瞬間焼却!はい!」
「よし、行け。キマイラは僕にまかせろ。近づくんじゃないぞ」
「わ、わかりました!」
「なんだ、お前。普通にしゃべれるんじゃないか」
「え」
「っスっス、言ってないだろ」
「あっ」
「死ぬなよ」
「ハ、ハルクルト隊長こそ!キマイラなんかに負けないっスよね!」
「当たり前だ」

 精鋭討伐隊は、精鋭というだけあって魔力も戦闘能力も高い集団だった。全員ハルクルトに鍛えられてきたから当然といえば当然だが。その当時30人ほどいた精鋭討伐隊員は、果敢にも魔物に向かっていき、三日三晩死に物狂いで戦った。その戦闘で、ハルクルトの力量の違いを改めて見せつけられた。

「あの人は狂戦士《バーサーカー》か!?」

 ハルクルトの風魔法がハリケーンのように猛威をふるい、雑魚を空中に巻き上げ、球体結界で閉じ込めた中で瞬間焼却をする。一体幾つの魔法の重ねがけをしているのか。ルノーは自分独自の複合魔法で魔獣を倒しながら、ハルクルトの戦闘を横目に見ていた。
 ハルクルトの瞳は深い樹海の緑に変わり、使う風魔法に巻き上がった髪は、燃えるような赤。ギラギラと魔獣を追いかけ追い詰める顔に浮かぶのは、狂気の笑み。咆哮する獅子のような姿に、ルノーは背筋が凍るかと思った。

 風の赤獅子。
 
 そんな二つ名がぴったり当てはまる姿。そしてあっという間に、本当にあっという間に、キマイラを倒すと討伐隊の補助へと回って行った。

 敵わない。

 どう頑張ったって手の届かない存在だと、ルノーは確信した。

 三日三晩の闘争に時折休憩を入れ、フラフラになりながらも暴走も収まりつつあったその時、一瞬の油断から、討伐隊員の間に戦慄が走った。

「隊長がやられた!」
「なんだって!?バカな……!」

 倒れた魔獣に足を取られてよろめいた自分の部下を庇い、ビャッカランの毒を正面から被ったのだ。それなのに、それでも、ハルクルトは残った魔性植物をなぎ払い、魔物の暴走スタンピードに終止符を打った。

 幸い、けが人は多数出たものの、命を落とした者はいなかった。それが、ハルクルトの最後の戦いになり、率いる精鋭討伐隊の矜持になった。

「すぐに水魔法で浄化すれば、こんなに浸透しなかったのに、なんで!」
「……部下の安全を見守るのも隊長だからな」

 泣きそうなルノーに、包帯でぐるぐるにされた見えない目で、ハルクルトは力なげに笑った。こんなことになったのに、聖女からは労いの言葉もなければ、治癒魔法を施されることもなかった。唯一、あの低俗マリゴールドとの婚約が白紙に戻されたのが朗報だったくらいだ。

「バカっスよ」
「いうな。それに、これで僕は自由だ。だからまあ、しばらく引き篭もる事にするよ。あとは、任せたぞ」
「……アッシュに任せます」
「ふっ…。そうだな。ルノーは僕とよく似たタイプだから、早死にするだろうし」
「俺にも目的がありますからね。まだ死にたくないっス」
「……そうか。それじゃあ、風と共にあれ、ルノー」
「……カッコつけてないで、さっさと治してくださいよ。みんな待ってるんっス」

 なんだ、休ませてくれないのか、とハルクルトはまた笑った。

 ———やっぱりこの人には、まだまだ敵いっこない。

 ルノーは眉をしかめた。
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