【完結】クローゼットの向こう側〜パートタイムで聖女職します〜

里見知美

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第3章:聖地ウスクヴェサール編

第75話:旅の準備

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 結局のところ、ミヤコの気苦労で心配は消し飛んだ。

 パニックに陥って寝転んでいたところで腹痛に襲われ、気がつけば月のものは訪れた。ただ色々なストレスや食の違い、気候の違いなどが重なったため遅れたようで、薬に頼らずにはいられない辛さだったのだが。

 そんなことで、ふと今晩クルトが訪ねてきてもがっかりさせることになるな、とそんなことが脳裏をかすめた。となると、魔力不足で泡を吹くことになるのだろうか。ただでさえこの腹痛と頭痛に耐えられないというのに。

 そんなことを考えているうちに、和子が訪ねてきた。

「ミヤちゃん!いるならちゃんと報告に来なさいよ!もう!」
「おばさん、ご心配おかけしました。ちょっと生理痛で…」
「あらあら、帰って来るなり?」

 一週間過ぎても帰ってこないミヤコを心配して、この10日ほど和子は毎日ミヤコの家に訪れ、窓を開けたり掃除をしたりしながらミヤコの帰りを待っていたのだ。

「やっぱり囲炉裏なんて残しておくよりも、ちゃんと暖房を入れた方がいいわねえ」

 そう言いながらも、ミヤコのために甲斐甲斐しく雑炊を作り、湯たんぽを布団に突っ込んで石油ストーブにヤカンを乗せる和子は母親を演じてくれた。

「和子おばさん、ありがとう」
「やあねえ、娘の面倒を見るのは親の役目でしょ、今更何言ってんのよ」

 母親よりも母らしい和子に、ミヤコは頭を下げた。

「あのね、和子おばさん。お父さん自殺じゃなかったよ」

 さらりと言いのけたミヤコの言葉にピクリと体を硬直させて、和子は振り向いた。

「どうして」
「うん…。向こうでね。ちょっとした過去と向き合ったの」
「お父さん…じゃなくて、哲也さん呼んでこようかね」
「…うん。そうだね」

 程なくして、哲也が仕事の途中で顔を出した。

「バカ娘が。漸く戻ったと思ったら何寝込んでるんだ」
「お父さん、生理痛ですよ、もう」
「お、おう。そうか。まあ、アレだ。悪阻で寝込んでるとかじゃなくてよかった」
「何言ってるんですか!」

 どやす和子を横目にミヤコはあはは、と乾いた笑いを浮かべ冷や汗を拭うのだった。

「それで、雅也兄さんの話だが」

 ミヤコは父の過去を垣間見たことをかいつまんで話した。どこまで伝えるか迷ったものの、結局水鏡での経験だけを伝えた。自殺ではなく、妻である敦子にルビラの悪霊が乗り移ってその悪霊によって二人とも殺されたのだと。

「やっぱりあの女が元凶だったのか」
「悪霊っていうか、そういう執念って怖いわよねえ。でもあれかしら。自殺じゃなかっただけ救われるわよね?」
「俺としちゃあ、さっぱりわからんよ。次々と真実が暴かれるからな。なんだかんだ言って死んでないんじゃないかとか、もしかしたら向こうの世界で生きてるんじゃないかとか考えちまう」

 確かに、ミヤコが覚醒してからというもの、信じていた事柄が次々と変わっていく。死んだと思っていた祖母が実は向こうの世界で生きていたり、覚えていなかった(記憶から消し去っていた)祖父が実は精霊王だったり、ミヤコが信じていた過去が全く違うものだったりと何が真実なのか、これからまた変わっていくのかわからない。

「本当にね。もしかしたらお母さんはまだ生きているかもしれないし、ルビラなんて全く関係ないような気がしないでもないし。どこまでが現実で、どこからが嘘なのか私にもわからない」
「真実は必ずしも一つではないとどこかの歴史家が言ってたが、こういうのはまた違うんだよなあ」
「見方が違うというのと、真実は別にあったっていうのとではねえ」

 哲也はガシガシと頭をかいて、ため息をついた。

「まあとりあえず、兄貴の墓はそのままにしておいて間違いないんだな…。まあ、いろいろ思うところもあったが、ミヤコのことを大切に思っていたのはわかって、よかったよな。自殺でないのも輪廻転生のことを思えばどこか安心もできるしな」
「輪廻…おじさんもそんなの考えるんだ?」
「日本人だからなあ。頭のどこかでひょっとしたらって考えるだろ?」
「日本人だからというか…宗教的なものではないのかなあ」
「まあ親父が異世界人だからなあ。宗教とは違うだろうが、精霊とか霊魂とか何気に信じたいところはあるな」
「そうか…そうだね。私は輪廻はともかく精霊は見えるしね。霊魂とは違うんだろうけど」

 こんな突拍子もない話を真面目な顔をして話せること自体、不思議に思うのだが、あの祖父母にしてこの叔父というところか。

「それで?今回のもただの旅行ではなかったんだろうが、これからどうなるんだ?」

 さすが叔父なだけあって、よくわかっている。和子は手を揉みながら、不安そうに哲也とミヤコの顔を交互に覗き込むが、口は挟んでこなかった。

 意を決してミヤコは口を開いた。

「やり遂げなきゃいけないことがあるんだよね。ちょっと時間がかかりそうなんだけど」
「親父とお袋の関係か?それともお前の両親の絡みか?」
「ええと…どちらかというと、お母さん絡み、になるのかな?おじいちゃんもおばあちゃんもあっちでは精霊でしょう。向こうの人間の問題に口を出し難いらしくて」

 ミヤコは水の大精霊に頼まれて、火の大精霊と風の大精霊に会わなければならないこと、それぞれの聖地を確認して、もし乱れがあれば正常に戻さなければならないこと、ミラート神国にちょっかいを出す母の悪霊の残骸がまだ関係しているのなら、それを退治すべきことなどを説明した。

「私一人でどうこうなる問題でもないのだけど、みんなと力を合わせれば私が関わったためにできた歪みも正せるかもしれないし」
「かもしれないってことは、正せないかもしれないも含まれるのね?」

 和子がすかさず口を挟んだ。

「うん、まあ。力足らずかもしれないし、時すでに遅しかもしれない」
「でも『正せるかもしれない』方に賭けるんだな?」
「……うん。正したい、という方が合ってるかな」

 それよりも何よりも、生きて欲しい人達に出会ったから。自分が必要とされている、そのことが嬉しいから。そう考えて、ミヤコは気がついた。

「必要とされるって、すごく嬉しいし、力になりたいと思うんだ」
「そうか」

 哲也はきゅっと唇を固く結んで頷いた。

「じゃあ、死ぬ気で行ってこい」
「お父さん!」

 和子が悲鳴をあげる。

「漢気があっていいじゃねえか。それでこそミヤコだ」
「ミヤちゃん。反対はしないけど、死ぬ気で行くのはダメよ。私たちだってミヤちゃんのこと大事に思っているんだからね」
「おじさん、おばさん」
「頑張って行ってらっしゃい。でも終わったら帰ってきて。あなたは私たちの娘でもあるんだからね」
「オフクロにも今度会ったらちゃんと言っとくから。兄貴のためにも、きっちりケジメつけてこい」
「うん。わかった。ありがとう」

 特別に何か心に決めたわけでもなく、目標があったわけでもないが、こうやって背中を押されると何か勇気とか決断とか心の中に準備ができたような気もする。

 ミヤコはどこか吹っ切れたような思いで哲也と和子を見た。両親が離婚であれ、自殺であれ、他殺であれ、ミヤコのそばに常にいてくれたのはこの叔父夫妻であり、祖母だった。両親に対して後ろめたい気持ちがあったにしろ、支えてくれた家族は目の前の二人だった。ミヤコに誰の血が流れているにしても、育ててくれたのはおばあちゃんとこの二人で、ミヤコがミヤコなりに自分の望む人生を生きてこれたのも、この家族がいたからなのだ。

「私が私でいるためにも、きっちりケジメつけてくるよ」

 ミヤコは明るい笑顔を見せて笑った。



 ********


「ちゃんと避妊はしてるよ」

 その日の夜になってクルトが約束通りとクローゼットから現れた。以前キミヨからもらった鍵を使い、控えめにノックをして入ってきた。

 ミヤコから話を聞いて若干がっかりしたような顔を見せたが、ミヤコのお腹に手を当てて回復魔法を唱えてくれたせいもあって、ミヤコの腹痛はなりを潜めた。

「こちらでは魔法を使って周期を決めているんだよ。月に一週間だけ解放する必要があるんだけど、それ以外の日は子供が作れないように設定するんだ」
「そんなことができるの?」
「戦士や討伐隊は特に、戦闘の後は気が立って性行為に走りがちになる。こればっかりは種を残そうと本能のなせる技で、どうしようもない。その度に子供ができたらと心配するわけにもいかないから、人工的に抑制するんだよ。抑制を解かないまま何ヶ月も経つと精神を病んだり、生殖機能がうまく働かなくなるから、休みになる時に抑制を解くんだ」
「そうなんだ。なんかすごい」
「僕の場合はだから、ミヤに合わせて今日から一週間解禁にしておけばいいってことだ」

 ん?ちょっと待って。
 でも、解禁するってことは…。

「……じゃ私とできない間、クルトさんは他の人と…」
「しないから」

 クルトが引きつるようににっこりと笑った。

「ミヤ以外、見向きもしないから安心して」
「ソ、ソウデスカ」
「ミヤが子供が欲しいというのであれば、いつでも相手になるけどね」

 あの純情そうなクルトはどこへ行ってしまったのだろうか。好きだと言われて以来、だんだん大胆になってきているように思うのは気のせいだろうか。

「それより、魔力の方はどう?」
「うーん。さっきまで生理痛で苦しんでいたからなんとも言えないんだけど」
「うん、思ったより馴染んでるみたいだけど…少し補充しておく?」
「え、補充っていうと、でも、その」
「キスでもいいけど…手出して」

 ミヤコが両手を差し出すと、クルトが手のひらを包むようにきゅっと握りしめた。途端に暖かい気が流れ込んでくる。

「あっ」
「魔力がすでに流れてるから、こうしても補充くらいはできるんだよ」

 クルトの右手から流れ込む水流のような暖かな気がミヤコの体を駆け巡り、ポカポカとしてくる。先ほどまで指先と足先が冷たかったのに、少し汗ばんでくるほどだ。

「あったかい」
「ミヤの気と混じりあってる証拠だよ。これが火傷するほどの熱だったり、凍るような冷たい気だと僕の魔力がミヤの体に混じり合っていないことになる」
「へえ」
「初めて見た時から、ミヤの気は僕にとって暖かくて春の日差しみたいな心地いいものだったんだ」
「あ…そういえば…」

 水の大精霊もそんなようなことを言っていた。

 春の陽だまりのようだとか。

 そんなことを考えていると、クルトの目がふと細くなり、ミヤコはひゅっと息を飲んだ。入り込む魔力が冷えたような気がした。

「誰か別の男のこと考えてる?」
「えっいや。男っていうわけでは…」

 クルトと手をつないでいる時は、クルトに集中しようと心に決めるミヤコだった。
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