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第3章:聖地ウスクヴェサール編

第74話:帰省

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 ミントの香りが鼻をついて目を覚ますと、目の前にあったのはクルトの厚い胸板だった。

「フグッ…」

 思わず叫び声をあげる手前で慌てて息を止め、声を飲み込む。

 以前にも似たようなことがあった。あの時は自分が酔っぱらって、目が覚めたらクルトの顔が隣にあったのだ。頭をもたげクルトの顔を覗き込むと長い睫毛が、端正な顔に影を作る。少しだけ開いた唇が色っぽく、思わずうっとりと眺めてしまう寝顔だったが、ふと自身を見るとショールをブランケット代わりにまとっているだけで、何も着ていないことに気がついた。傍らに乱暴に投げ散らかした衣類が目に入り、自分がどれほど乱れたか思い出してしまった。

(やらかした!)

 思わず地面に頭を打ち付けたくなったミヤコだったが、自分の自制力のなさを嘆いたところで仕方がなかった。雰囲気に流されたとはいえ、確かに同意の上の事。柔らかな新芽のミントが地面を覆っていたし、ガゼボの中だったとはいえ、最初っからまさかこんな屋外でとは考えてもみなかった。

(キスは前からしていたし、いきなりというわけではなかったけれど…恋人同士とかそんな関係にはっきりなっていたわけでもない、よね?で、でも好き同士なんだし、別に未成年でもあるまいし!)

 思い出しただけで火照る体に深呼吸をして頭をふると、そっと体を起こして脱ぎ散らかした服を身につけた。

「ミヤ。もう着込んだの?」

 いつの間にかクルトの手が後ろから伸びてミヤコを抱きかかえた。

「くっクルトさん、服っ!服着て!」
「なんだ、もう一回くらいやろうかと思ったのに」

 そう言って首筋にキスを落とすクルトを慌てて制して立ち上がろうとするが、腰に巻きつけられたクルトの腕は簡単に解けなかった。

「も、もう一回って…!」

 昨日アイザックたちが去ったのは昼過ぎだったのに、それからメロメロに抱き潰されて気がつけば日が変わっていた。最後には記憶にないほどで、気絶するように寝入ってしまったというのに、まだ足りないとか。

「向こうに帰らないといけないし!やることいっぱいあるんですよ!」

 真っ赤になるミヤコの体をやわやわと撫で回すクルトに遠慮はない。昨日までの紳士で誠実な態度のクルトはどこへ行った、とミヤが睨みつけると、ようやく肩をすぼめてミヤコからしぶしぶ手を離した。

「情熱的ですごくよかった」

 揶揄い半分にいうクルトに服を投げつけ、真っ赤になりながらツンとそっぽを向くミヤの頰にキスを落とすと、クルトはさっと湖で水浴びをして用意をした。

「今回は転移魔法を使うよ」
「え?でも、あれ魔力酔いを起こすんじゃなかった?」
「ん。ミヤには昨日たっぷり魔力を注いだから大丈夫のはず」
「!」
「キスからも魔力譲渡はしてたんだ。僕の魔力にもだいぶ慣れたよね」
「そ、そういうことを…!」

 バーズ村での失態からこれまで、何度も濃度の濃いキスをしたのはそういう理由があったのか、と今更ながら思いつくミヤコだった。

 キスが心地よいと思ったのは魔力を送られたせいだったのだろうか。クルトにされるキスで足に力が入らなくなり、いつもメロメロになってしまう。あれは魔力過多による酔っ払い現象だったのかもしれない。

 キスから送られるクルトの魔力は、それほどミヤコの体に蓄積されるわけではないのだが、少しずつとはいえミヤコの体に馴染んでいったようで、僅かながらも自分の魔力をミヤコから感じることができたクルトは、ミヤコの体の様子を見ながら送る量を増やしていった。それでも時間が経てば、自然に発散してなくなってしまう魔力を常に補充する様にしていたが、今朝はまだ十分な量を保っている様で、クルトは大満足だった。

 狂おしいほど愛おしい彼女から自分の魔力を感じる喜びと、自分のものであるとマーキングをすることができた満足感にはどこか達成感があった。

「体調はどう?魔力循環はうまくいってるみたいだけど」
「ん。大丈夫。…ちょっと腰が痛いけど…」

 自分で言って真っ赤になるミヤコを見て、クルトはぎゅっと抱きしめた。

「今晩は優しくするから」
「しないから!」

 クスクス笑うクルトに拳骨を振りかざしながらも、幸せ感を噛み締めるミヤコだった。


 ***


「おお!なんか懐かしい!」

 転移魔法を使って一ヶ月ぶりに緑の砦に戻ってきたクルトとミヤコは、伸び放題に育った植物を眺めた。

 聖女の結界のあたりに植えてあったピースリリーは森を作り、サンスベリアはすでに5メートルほどある街路樹の様に飄々と伸び上がっていた。アロエベラが店への入り口をふさぐ勢いで育っていたので、精霊にお願いをして少しサイズを小さくしてもらった。訓練場として何も植えていなかった部分もアロマティカスが全て覆いつくしてしまった様だ。緑の砦都その周辺はその名の通り、緑で包まれていた。

「この分だと、裏の畑もすごいことになっているかな」
「…ちゃんと精霊さんにお願いしておくべきだったね」
「まあ、無駄にはならないだろうから、ミヤが向こうへ帰っている間に整えておくよ」
「うん。納品もあるし、きっとうちの畑もすごいことになってると思うしね。一週間ぐらいかかるかなあ」
「ああ、じゃこっちを早々に片付けてそっちも手伝うよ」
「え?いやいいよ。クルトさんの方が大変だと思うし」
「……まさかと思うけど、今更一週間会わないとか言いださないよね?」
「え?」
「え…って、ミヤ。君本当にわかってる?」

 すっと下がった温度にミヤコは動揺を隠せない。

(え?なんか、地雷を踏んだ?)

「え、えっと?いや、だって」
「今ミヤの体には僕の魔力が溢れているだろう?ミヤの体はまだ大量の魔力を保存できない状態だから、少しずつ補充していかないと魔力切れを起こした時に倒れてしまうんだよ」
「ええ!?」
「体がだるいとか、目が回るとか貧血っぽいと思ったらすぐ僕を呼ぶんだよ」
「えええぇ?本当に?」
「今回の転移魔法のことがなかったら、もう少し落ち着いた後でも良かったんだけど…僕も我慢できなかったし…急ぎだっただろう、今回のことは」
「そ、それは、そうかもしれない、けど。我慢って…」
「だから、今晩は優しくするって言ったんだよ」
「ふええぇ!?これは、何?仕事とか任務の話!?」

 クルトはちょっと恨みがましい目をしてミヤコを見据えた。

「そうか…。愛撫が足りなかったんだね」
「えっ!ち、違う!誤解だよ!そういう意味じゃなくてっ!」

 クルトはニヤリと笑い、うんうんと頷いた。

「楽しみにしてていいよ…」
「ちょっと待って!違うからっ!」

 ミヤコは揶揄いがいのある女だった。慌てふためくミヤコをおもちゃに、クルトはキスをするとクローゼットへ向かう扉を開けた。とんでもない会話にぐったりしたミヤコは、部屋に戻ってすぐ仏壇にお線香をつけようとして手を止めた。

 祖父母は二人とも異世界で生きているのだ。仏壇に手を合わせる必要はない。

 だが、父と母は。

 母の体を乗っ取ったルビラの魂は、ミヤコが消滅させた。いや、そもそもルビラの魂が母の体を乗っ取ったのか、母である敦子として生まれ変わったのがルビラだったのか。目を閉じれば、父の最期の姿が目に浮かぶ。

 ミヤコは線香に火を灯して、仏壇の前で手を合わせた。

「お父さん」

 何かを言いたくて口を開いたが、言葉は出てこなかった。

 ごめんなさいでもなく、ありがとうでもない。父を思うミヤコの心には何も浮かんでこなかった。

 ふうっとため息をついて、ミヤコは立ち上がる。線香の煙だけが一筋になってゆっくり立ち昇り空に消えていった。時計を見れば、8時を少し回ったところだ。挨拶に行くには早すぎるかと思い、ミヤコはシャワーを浴びようと風呂場に向かった。

 考えても見れば、バーズの村で温泉に入って以来お風呂に入っていない。まあ、何度かずぶぬれの状態になったし、洗浄魔法で綺麗にしてもらった覚えもあるが、着た切り雀だった。クルトの送ってくれたショールのおかげで汚れらしい汚れは付いていないものの、一ヶ月も同じ服で過ごしていたなんて、今までのミヤコでは考えられなかった。

「そういえば生理が来てなかった…っていうか、あれ?やばい?」

 今更ながら気がついて、青ざめた。異世界ですっかり油断していたが、避妊具なんかつけていなかった。ミヤコ自身、聡と付き合っていた時はピルを飲んでいたが、帰ってきてからは使っていない。大慌てでシャワーを浴びて、着替えを済ませたミヤコは妊娠テストキットを買うべきか悩んだ。昨日の今日で結果は出るのか、と焦って考える。

「そ、そうだ、その前に洗濯をして、庭も見てみないと」

 パニックになって何を優先すべきかもわからなくなってしまった。

「お、おばさんに相談…いや、ダメダメ!おばあちゃんに聞くのが一番かな。えっと、水晶玉!そうだ、水晶玉だ!」

 ショールのポケットを探ってみたが、残念ながらクローゼットのこちら側では空間魔法は使えなかった。となると扉の向こう側に行くしかないのだが、今しがた別れたクルトはきっとまだ店に入るだろう。慌ててミヤコが現れれば、何事かと聞かれるに違いない。

 妊娠したかも、なんて言えるだろうか。

「言えない、言えないよ~!」

 廊下で座り込んで頭を抱えたミヤコは完全パニックに陥っていた。
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