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第2章:西獄谷編

第44話:荒野の樟(クスノキ)

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 緑の砦を出発してから3時間ほど経って、マロッカに跨りそろそろ内股の筋肉がプルプルと痛みだした頃になってようやく休憩をとることになった。

 ミヤコはふらふらとシロウの背を降り、内股を撫でながら周囲を見渡す。

 ほとんど水溜りのような小川の横でマロッカたちはすするように水を飲む。元々は豊かな川だったのだろうか、河川敷に転がる小石が昔の川幅の名残を見せていた。枯れ草がそこここに見られ、ポツポツと生えた大木以外に植物らしいものはない。

「もともとここは草原だった」

 クルトが水筒を差し出してミヤコの横に立った。

「ほとんどの植物は魔性植物になってね。一晩のうちに荒野に成り果てたらしい」
「もっとも、大半は東の森に移住したか、村を襲って西へ移動したって話ッス」
「村を襲って…」

 クルトとルノーの説明を受けながらミヤコは想像して眉をしかめた。

「その村の人達は?」
「村人は隣町へ避難、討伐隊が植物を焼き払ったりしたらしいが結局、村は失われていった」
「バーズにたどり着く前に三つ四つの村があったんだけど今はゼロ。バーズの人口が増えたこともあって、川を堰き止めて水飲み場をバーズの村の麓に作った為にこの辺は荒れ地になってしまったんッスよ」
「この付近に住み着いていた動物も魔獣も今はシーズンだからね。水を求めて彷徨い出て、今回の結界の崩壊でホロンの水場を見つけたってわけだ」

 そうか。人為的被害ってわけだ。

 ミヤコの能力は精霊の力を借りて植物を育てること。水辺を作ることはきっとできない。記憶を辿っても水を作る歌はないのだ。

 でも、雨を降らすことはできる。

 緑の砦で畑を作るのにどうしても必要で祖母に尋ねたところ、雨を降らせる歌があることを知った。緑を育てるのに必要だからだ。

「ホロンの水場は川を堰き止めているんですよね。一定の放水はしているんですか?」
「放水?」
「だって、川を堰き止めたら当然下流の水が無くなるでしょう。動植物だって水は必要ですから水のあるところへ集まるのは当然の話で」
「ああ、そりゃそうッスよね」
「ホロンの水場は村の人間がやっと足りるぐらいの大きさなんだ」
「緑の砦ではどうやって水をとってるんですか?」
「あの辺は地下水が豊富だから地下から汲んでいるんだ」
「地下水…」

 ミヤコたちが立っているのは小高い丘で、大きなクスノキの木陰だ。
 ミヤコはクスノキの幹に触れて耳をつけた。

 ごくりごくりと水を吸う音が耳に伝わる。幹を触りながら地面近くまで耳を近づけるとその音はさらに大きくなる。地面に耳をつけると、精霊たちがミヤコを促した。精霊の促す方向を見るとそれはずっと西へ向かう。

 やっぱりこの辺に地下水はないみたいだ。
 クスノキもただ水を吸って生きているだけで、言葉もなければ精気もない。

「寂しいよね」
「ミヤ?」
「なんとかしよう。精霊さん、お手伝いお願いできるかな」
「何が始まるんッスか?」

 ミヤは地面に手をつけると、静かに目を閉じた。

 慰めるように小さな声で呟くように歌う鎮魂歌レクイエム。それに続けて慈愛の歌。

 地面が震えた。

 クルトも討伐隊員たちも息を飲んだ。

 水を啜っていたマロッカたちも顔を上げて、ミヤコの方に目をやった。大地の揺れは静かに続く。

『我らが同胞はこの地を去った』

 頭の中に声が響いて、ミヤコがはっと顔を上げる。

『狂った大地に我らは打つ術もなく、輪廻の繋ぎを失った。我の同胞は根を絶やし土地を捨てこともあろうか歩み去っていった。我はこの地に残り余生をただここで見守るのみ』

クスノキ?」

『そなたはこの地を救えるか?毒を含み、命を産まぬこの地を浄化できるのか』

「……やってみる」
「ミヤ?誰と話しているんだ?」
「この木、だと思う。ずいぶん前からここに立ってるみたい…古い精霊がついてる」

 討伐隊員たちもようやく現状に気づきミヤコを見つめ狼狽えた。

「木…と会話できるんッスか?もう何者ッスかね、ミヤさん」
「木って話せたんですね」
「いや、精霊だって言ったよな。愛し子だから当然なのか?」
「何を話してるんだ?」

 ミヤはすっと立ち上がると討伐隊員たちを見渡した。

「えっと、ここに生えてる大木はクスノキと言ってずいぶん昔からここにいるんです。仲間がみんな…魔性植物になって去って行ってしまったことを悲しんでいます。あと、この土地が毒に侵されて生を育むことができないとも」

 討伐隊員たちはお互いの顔を見渡してまたミヤコの話を促した。

「なので、浄化してみます」
「できるのか?」
「わかりません。でも東の森で瘴気を浄化したように大地にやってみます」

 ミヤコは記憶をたどり、どの歌が一番効果が高いか考えた。精霊の鎮魂歌ではダメだ。慈愛の歌もクスノキを目覚ませたけど浄化はできなかった。大地の浄化の歌なんて聞いたことがない。

 毒消し…。浄化…。

「ドクダミの種を植えてみる」

 ミヤコはバックパックからハーブの種を取り出し、ドクダミの種をクスノキの根元に蒔いた。水筒の水を少しかけて、育成の歌を口ずさむと弱々しい双葉が地面から現れた。精霊たちが柔らかく双葉に、クスノキに集まってふわりと触れる。

 根を分けて、広がって。

 ポコリ、ポコリと地面から双葉が顔を出し、クスノキの木陰にドクダミの葉が広がっていった。ドクダミは根を深くつけて毒を吸い出す植物だ。普通に言えば葉や花、根を使って薬や茶を作るが、この土地では生息させれば効果が出る可能性が高い。湿地帯や日陰を好むが雨を降らせればうまくいくかもしれない。

 ミヤコはにこりと笑い、今度は慈愛の歌を続けた。

 小さな声で抑揚をつけて、細く長く歌が風に乗る。精霊たちはクスノキに寄り集まり風を作り、小枝を揺らす。枯れた樟の葉がひらりひらりと地面に落ちた。

「クルトさん、少し手伝ってください」
「何をすればいい?」
「そよ風を作れますか?」
「もちろん」
「水魔法を使える人はいますか?」
「ここに」
「俺も」

 ミヤコの呼びかけに、水魔法を使える隊員が前に出る。

「雨雲を呼べる方は呼んでください」
「わかった」
「クルトさん、わたしの歌を西方面に風に乗せてできるだけ遠くまで飛ばして欲しいんです」
「お安い御用だ」
「雨雲が現れたら雨の歌を歌います。雨水を若葉に与えてください」
「よしきた」
「それから水場から少し離れてくださいね。水位が増えるかもしれませんから」
「おう」

 準備が整うと、雨雲が辺りに集まりポツポツと雨が降り始めた。ミヤコは雨の歌に慈愛の歌を即興で合わせ、ドクダミの成長を促した。クルトがそよ風を起こし、歌を乗せるとドクダミの小さな芽はあたりを埋め尽くしていく。

 ドクダミの小さな芽はぐぐっと大きくなったかと思うと花をつけ種を落とし枯れていく。そんなことを何度か繰り返しながら、落ちた種からまた葉が育ち花をつける。その周期はどんどん早くなり荒れ地を緑の絨毯に変えていく。

「すげえ…」
「これが精霊の愛し子の力…」

 ドクダミで覆われた大地をぐるりと見渡してみやこはうんと頷いた。

「皆さん、ありがとうございました。もう大丈夫です」

 ミヤコがそう言うと雨雲はすうっと流れ、青空が広がった。そうしてからミヤコは両手を空に広げると、今度こそ祝福の歌を唄う。

 透き通った空にミヤコの声が響きドクダミはいっせいに蕾をつけ、ポンポンと音を立てて弾ける。弾け飛んだ蕾からは浄化された毒が吐き出されていった。葉は明るい新緑の色から深い緑へ、浄化した花弁は白く浮き立つように。根は地中深く潜り込み、ドクダミはより確かに根付いていく。

 ミヤコがより一層声を張り上げると遠くでドコンっと音が響き、地鳴りがクルトたちを襲った。

「あ」
「なっ、なんだ!?」

 しばらくして地鳴りを伴ってどうっと轟音がしたと思うと、川に大量の水が流れてきた。

「川が!?」
「まさか!」

 川の水はあっという間に川幅に広がり下流に向かって勢いよく流れていく。水流には精霊たちがキャーキャー遊びながら水を撒き散らす。

「みんなありがとう!ちょっとやりすぎたけど!」
『キャー!』

『おお!おお!大地が精気に満ち足りた!娘よ!』
クスノキさん、仲間を増やしましょう!」

 歓喜に震えるクスノキはぽろぽろとどんぐりを落とし、ミヤコはそれを拾い上げた。

「バーズに向かう道々でこの子達を植えていきますね。精霊が手伝ってくれるので丈夫な子達になりますよ。それまではドクダミたちが大地を浄化していきます。また機会があったらもっといろいろな木の実も持ってきます」

『恩にきるぞ。愛し子。我の加護をそなたに与えよう。すべての同胞がそなたを助けるように伝えよう』
「ありがとうございます。クスノキさん」

 ミヤコは水筒に川の水を入れて回復の歌を唄い、魔法を使った討伐隊員に差し出した。

「お疲れ様でした。少しは魔力回復になると思います」

 討伐隊員たちは我も我もと水筒に水を汲みミヤコに回復の歌を頼み、その効果に打ち震えるのだった。

「なんであの樟だけ生き残ってたんですかね」
「樟には忌避効果があるんで、そのせいかなと思うんだけど」
「どうでもいいけど、ちょっと臭いっすね」
「あはは。ドクダミの葉汁は臭いよね」
「でも、マロッカたちは美味しそうに食べてますけど」
「ミヤの薬草だからきっと美味いんだろう」
「それにしても川に水が戻ったっていうことは、この辺にも野生のものが戻ってくるかもしれないな」
「そうなったらきっと野草も戻ってくるでしょうね」

 ミヤコ達はドクダミの種を補充し、またマロッカに跨った。西へ向かう途中、等間隔でどんぐりを植えて歌を唄い、ある程度成長をさせてからまた次へと進む。周囲の風景は荒野から草原へと変わっていく。

 しばらく沈黙を保って考え事をしていたが手綱を取っていたクルトはミヤコに尋ねた。

「君はどこまで自然を操れるんだ?」
「操れませんよ。精霊に助けてもらってるだけで」
「君が頼めば精霊はなんでも言う事を聞くのか?」
「……気味が悪いですか?」
「っ!いや…そうじゃなくて」

 普通に怖いよね。こういう未知の力って。そのせいで、母が狂い、両親を自殺に追い込んだんだから。

「…悪いことに使うつもりは、ないですから。安心してください」
「そんな事を心配したわけじゃないんだ。ただ…」

 その力を王子が見たら。

 国王が見たら。

 その力を利用しようとする人間が現れたら。

 僕はミヤを守りきれるのか。

「……まあ、ホロンの水場はちょっと混乱してるかもしれませんが…」

 ミヤコがぼそりと言った言葉にクルトは身を硬くした。


==========

ちなみに。
ちょっと言い方が悪かったのですが、くすのきにどんぐりは実りません。
樟が落としたどんぐりは、周囲に生えていて死に絶えた木々の遺物です。
ちょっとした秘密が最終章で出てきます。
特に重要じゃないので、読み流していただいても構いません。

読んでいただきありがとうございました。
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