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第2章:西獄谷編

第40話:やさしいちから

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 有無を言わさない強い意志を持った女。

 それがこの異世界人ミヤへの印象だった。俺は国を動かす指導者として教育されてきたし、それに適合するだけの自信も風格も持つよう努力してきた。聖女と呼べない聖女によってその道を塞がれてきたとしても、敵対し水面下で軍を動かし、民を導こうとこれまで努力してきた。それなりの信頼も威厳もあるだろうと思う。

 それをこの異世界人の女は揺るがそうとしている。剛でなく柔。俺に足りなかった力をこの女はほんの1ヶ月程度で手に入れたらしい。生か死かを常に対面する討伐隊は長年の過酷な状況の下で殺伐としていた。小さな火花で大爆発を起こしてもおかしくない状況にあったはずだ。クーデターから6年もの間、幽閉された離宮に影武者を置き、水面下で戦士のモンドとして情報を集め戦力を温めてきた。

 もしトライアングルを管理する精鋭討伐隊3部隊を味方につけれれば、ルブラート教徒を国から締め出せるメドも立つ。一部隊に15人づつの少人数だとしても、それだけで50人にも100人にもなるほどの戦力になる人間ばかりだ。各人が持つ能力は計り知れない。

 だが精鋭隊を味方につけるには迷宮を片付ける必要がある。聖騎士隊とは違い、精鋭部隊の面々はほとんど庶民の出だ。民や家族を守ろうと立ち上がった人間は国王のためには動かない。王都が飽和状態であったとしても、魔獣や魔性植物を退治し庶民の生活を守るために命をかける。隊長格に貴族を置いたとしてもコントロールは難しかった。

 その中でも3年前の討伐でハルクルトを失ったのは痛手だった。ルフリスト軍師の嫡男であり、貴族からも庶民からも未だに信望が強い男。

 あいつの噂は耳にしたことが何度もある。どんな魔獣も恐れずに立ち向かい斬り裂く、風の赤獅子。風魔法を使わせれば右に出る者がいないと聞いた。若干21歳で隊長の座を勝ち取り、隊員からの羨望と信頼を受ける男。この男の風魔法は誰よりも強力で自由自在に風を操る。複合魔法も使いこなすというから、魔力も当然多いのだろう。

 それが隊員を守るために自ら前衛に立ち隊員を庇って毒を受けた。その後脱退し、緑の砦に閉じこもり昔の文献から薬草を作ろうとしていたが、そろそろ限界だと聞いていた。最後の最後まで討伐隊員のことを考えていた男だった。

 それがつい最近になって奴の毒が完全浄化され、失ったはずの魔力が戻ってきたと噂された。東の魔の森イーストウッドの討伐隊員たちに精気が戻り、活気がついた。

 俺はその時天南門サウスゲート周辺の魔獣討伐に力を入れていて、実際にこの目で見ることは叶わなかったため、諜報員を送った。噂通りハルクルトは生き返り、以前以上に魔力が上がり緑の砦に人が集まっていると聞いた。天南門サウスゲートの先鋭討伐隊も単独の冒険者や戦士までもが足繁く通っているという。
 ハルクルトに指示を仰いでいるらしい。しかも以前に比べ、討伐隊員全員の能力が強化されていた。

 その後、ルブラート教徒の動きを掴んで西獄谷ウエストエンドに侵入した矢先、東の魔の森イーストウッドが崩壊した。あの時の地鳴りは誰もが感じたことだろう。大量の魔獣が放出されこの国はもうダメかと思ったくらいだ。

 だがそれは結界の消滅と瘴気の浄化という意外な結果を生み出した。しかも、溢れ返った魔獣は全て緑の砦で食い止められ、退治された。

 全国の討伐隊員と戦士が集ったのかと戦慄した。だが蓋を開けば、そこにいたのは50人足らずの討伐隊員と戦士だけだった。その人数で、あの森を制覇したというのか。それほどの力をあのハルクルトは手に入れたのか。

 やつは一体何を企んでいるのか。

 それがハルクルトではなく女の力だと噂が広まった。聖女だ、精霊の愛し子だ、魔導師だ、薬師だ、とめちゃくちゃな噂が立ち、挙げ句の果てに女神だとまで謳われた。

 一体何が起きた?

 その女は誰なのか。

 またしてもルブラート教が送り込んだ偽聖女なのか。

 俺が入り込んだ東の魔の森イーストウッドはまるで別の森だった。

 瘴気がない。こんな森は生まれて初めてだった。魔力を持たない野生の獣がいた。魔獣ではない自然の動物と魔性植物ではない清涼な空気を吐く植物。木々とはこんなに清々しいものなのか。森とはこんなに美しいものなのか。

 ひんやりとした大地に大の字になって寝転がった。

 空が青い。

 空とはこんな色をしていたのか。

 こんなにも穏やかだったのか。

 涙が出そうになった。

 そこで人の気配に気がついて、近づいてみることにした。女だ。魔力を感じない、魔力なしの女だった。その隣にいたのがハルクルト元・精鋭討伐隊隊長。

 あれは本当にハルクルトだろうか。あんなに強い魔力を感じたのはいつぶりだろう。奴から溢れる魔力に己の手が痺れる。畏怖感。奴の赤毛は以前にも増して赤く炎のようで、瞳は深い森の新緑の色。

 鳥肌がたった。

 あの魔力はなんだ。

 あんな恐ろしいまでの魔力を持つ男に無防備に笑いかける女。どんな神経をしているんだ。魔力が無いせいで、あいつの持つ魔力の恐ろしさもわからないのか。その女が振り返って果実を摘み始めた。眺めていると、俺の中から怒気が消え失せていくのがわかった。不思議な感覚が身体中を走った。

 瞬時にして俺はその怒気を掴み直して、この喪失感の理由を探ろうと女を攫った。魔力のない女を攫うことなど簡単だろうと侮った。女が暴れて、目に見えない何かが体当たりしてきた。とてつもない殺気に身体が硬直した。

 蛇に睨まれたカエルのように、息ができなくなり魔力が凍りつき、何が起こったのかわからずそのまま地に落ちた。気がつけばハルクルトが俺の喉元に剣先を突きつけていて、ようやく息ができるようになった。

 ハルクルトの魔力の比じゃない殺気を感じた。あの女から発せられるあの気は尋常じゃない。

 殺される。

 あの恐怖は心の底から這い上がってきた。今まで感じたことのない恐怖。クルトから溢れる魔力から来る畏怖感だと思ったのは大間違いだった。あれはこの女の纏う鋭い気から来るものだ。

 この女、何者だ。

 俺はなけなしの勇気を奮い起こして冷静を装った。

 殺るか殺られるかと気を引き締めたが、あの女はそれ以上不穏な空気を醸し出すことはしなかった。殺気は沸き立った時と同じ速さで薄れ、森と同じ静かで爽快な気に変わった。

 興味深い。




 緑の砦は東の魔の森イーストウッド以上に俺を驚愕させた。噎《むせ》ぶほどの冷たい空気が肺を突き、俺の中に溜まっていた瘴気を一気に取り払った。女が砦を案内するたびに驚きが湧き上がり狂喜した。

 何だ、ここは。

 この食べ物は本当に人が食べてもいいものなのか。噂の『聖女で愛し子で魔導師で薬師だ』というのがわかった気がした。付け加えて女神だというのも。戦士たちが、討伐隊員が笑っている。美味そうに食事をして冗談を言い合い、まるで討伐など狩りを楽しんでいるかのように錯覚させる。これがこの女の魅力か。

 この女が欲しい。

 強烈に思考に入り込んだ感情。喉から手が出るほどの感情を初めて持った。絡め取るようにミヤの動きを目で追い、気がついた。ハルクルトが殺気を持って俺を睨んでいる。

 お前もか。

 笑いがこみ上げた。だがよく見れば、冗談を言い合っているように見えた隊員たちも俺の動きを鋭い目つきで観察している。なるほど。全員でこの女を守っているというのはあながち嘘でもなかったらしい。

 俺は目を伏せて、気を静めた。ますます気に入った。なんとしてでも手に入れたい。うまく立ち回らなければ。ハルクルトさえ避けることができれば後の連中は雑魚だ。偽聖女を追い出して神殿に囲って仕舞えばいい。必要であれば権力を使ってでも、この女の力は欲しい。

 昼食後の片付けが終わるまで俺は気をなだめながら待った。焦ってはいけないと言い聞かせながらどうやってこの女を連れ去ろうか算段を立てた。だがその直後、空気が変わった。視線を感じるが俺たち以外誰もいない。居心地の悪いたくさんの視線。なんだ、これは。俺は顔をしかめ、さりげなく辺りを見渡したがそれらしい視線を飛ばすものは何もない。冷や汗が流れた。

 精霊の愛し子。

 ふと頭に浮かんだ言葉と同時に凍てつくような空気が肺に流れ込んだ。森で感じた恐怖がよみがえる。何かが俺を見ている。まさか、本当に。この女は精霊の愛し子なのか?俺には見えない何かが彼女を守っているのか?

 最後に言ったミヤの言葉を反芻する。

「魔性植物とダンジョンについてはわたしにも責任がありますから、壊滅に力を入れたいと思います」

 本物か。俺が女をここから連れ出し、手に入れることは諦めるべきなのか。あるいは……うまく俺に気を向かせることさえできれば。

 ふふ。あのハルクルトがどう出るか、見物だな。




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