【完結】クローゼットの向こう側〜パートタイムで聖女職します〜

里見知美

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第2章:西獄谷編

第36話:途切れた記憶

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ミヤコの失われた過去編です。

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「じいちゃん!じいちゃん!」
「おお、ミヤコ。今日はどうした」

 5歳の孫娘ミヤコが小さな苗木を持って走ってくるのを見て、精霊王はいつものような厳しい視線から一変して蕩けた顔をした。

「これね、オリーブっていう木なの。ばあちゃんにもらったの!」
「うん、オリーブか。ヨーロッパではオリーブは神の贈り物で平和の象徴なんだよ」
「そうなの?ばあちゃんはオイルにしたり、マリネにするとうまいって言ったよ」
「はっはっは。そうか、君代はなんでも食べるからなあ」
「だからね、ここにも植えようと思って。そうしたらばあちゃんもっとこっちに居るかもしれないでしょ」
「うむ。それはいい考えだ。どれどれ」

 精霊王は昼寝をしていた場所にポコリと穴を掘ると、ミヤコに「ここに植えなさい」といった。ミヤコは小さな手で上手に苗木を鉢から取り出し穴にそっと入れて土をかけた。

「じゃあ、ミヤコに大きく育ての歌を唄ってもらおうかな。覚えているか?」
「うん!」

 ミヤコが育成の歌を口ずさむと、植えられたばかりのオリーブはニョキニョキと育ち実をつけた。上手にできたな、と大好きな祖父からお褒めの言葉をいただいて大満足のミヤコ。

「じいちゃん大好き」
「俺もミヤコが大好きだよ」

 精霊王はとろけるように笑い、ミヤコを抱きしめた。






「じいちゃん、ミヤコ悪いことしたみたい」

 数日後、ミヤコがしょんぼりしながら精霊王にぎゅっと抱きついた。どうしたのだと尋ねると、公園の桜を満開にしてしまったと言った。眉を寄せて精霊王が顔を上げると、君代が眉を八の字にして苦笑している。

「敦子さんと近所のお友達とピクニックに行った時、桜があまり咲いていなかったのよ。みんなが残念がってるのを見て、なんとかしようとしたらしいの。迂闊だったわ」
「敦子?」
「やあね、ミヤコの母親よ」
「ああ、あの女か」
「ママがミヤコは気持ち悪いっていうの」
「そんなことを言ったのか!」
「でもね、ミヤコが怒ったらママの育ててたお花が全部死んじゃったの。ごめんなさいしたけど、ママ泣いて怒ってお家出て行っちゃたの」

 ミヤコはウワアア、と泣き出してしまった。精霊王は、よしよしとミヤコを抱きしめて落ち着かせる。精霊たちがふわふわとミヤコの周りを飛び慰めようとしているのがわかったのか、ミヤコは涙を拭いて少しだけにこりと笑った。

「雅也は…パパはどうしたんだ?」
「パパはママのこと探しに行った」
「しばらく預かってくれって私のところに来たのよ」

 君代が付け加えるが、不安気だった。

「あの子もちょっと思い詰めてたみたいで、心配なんだけど…。敦子さんはほら、あまり受け入れていなかったみたいだし、こちらのこと…。雅也もあなたの息子とはいえ、何の力も持たずに生まれたから。まさかミヤコに出るなんて…」
「雅也は俺に否定的だったからな。ミヤコがせめて哲也のところに生まれていれば、まだ良かったんだが」
「淳にも今のところ何も影響は出ていないみたい。その分全部この子に集まってるみたいで、私の庭もすごいことになってるわよ。精霊の加護が半端ない」
「無自覚だからな。歌うなとは言えないし。やはりこちらで育てた方がいいんじゃないか」

 それを聞いたミヤコがパッと顔を明るくした。

「ミヤコ、じいちゃんと住むの?」
「そうだなあ。ミヤコはそれでもいいかい?」
「うん。じいちゃんがいい」

 精霊王とミヤコはオリーブの他にも君代が持ち込んだ薬草ハーブや果樹などを植えて森を作り上げていき、精霊王から様々な知識を受け取りながら数ヶ月の時間は楽しく過ぎ去った。

 真木村の家系で精霊王の血を受け継いだのはどうやらミヤコのみだったようで、精霊王と君代の息子二人はいたって普通の人間として成長した。精霊の力を持たない二人の息子はこちら側へは来れないし、精霊の存在も見えないし分からない。

「真木村の巫女筋で考えると、やっぱり女の子にだけ受け継がれるのかしらね」

 君代の家系は代々巫女として神通力を発揮する子供が生まれた。君代もその一人で、普通に結婚をして生活をすることは阻まれていたが、神降ろしの祈祷の前に精霊王であるアルヒレイトと遭遇し、熱烈な求婚からその身を捧げた。君代の巫女としての力は精霊の加護と置き換えられ、ミラート神国への行き来が自由にできるようになった。

 だが精霊王であるアルヒレイトはその土地を長く離れることはできず、ミラート神国で暮らそうと君代には何度も願い立てた。だが息子が生まれ、その二人に何の力も継続されていないとなるとそうもいかない。こちら側で魔力も精霊の加護もなしでは、元々異世界人として生まれた子供たちは、普通に生きていくことすら難しいからだ。

 そうして君代は日本で、アルヒレイトはミラートで別れて暮らすこととなる。



「雅也が自らの命を絶ったわ…」

 ミヤコとアルヒレイトがミラートで暮らすようになってからしばらくして、君代が悲報を持ってきた。母親の敦子がおかしくなり、耐えられなくなった雅也は心中自殺を図った。雅也からはすまないと手紙が来ただけだった。ミヤコをこちら側で育てることを決断し、アルヒレイトはミヤコには両親のことを伝えるなと君代に言うが、それも長くは続かなかった。

「おじいちゃん。パパとママが死んだって、本当?」

 アルヒレイトはひゅっと息を飲んだ。どこからバレた、と狼狽えるが答えはすぐそこにあった。

「精霊たちが教えてくれたの。どうして教えてくれなかったの」
「ミヤコ…」
「お葬式も全部終わっちゃったって聞いたよ。わたしは会うことも許されなかったの?最後に一目、見ることもできなかったの?わたし、そんなに嫌われていたの?」
「そうじゃない。ただ、俺は…」
「わたしが原因なんだよね。わたしが変なことしたから」
「そうじゃない、ミヤコ」
「おじいちゃん、わたしもうここには来ない。もう精霊の歌も歌わない。精霊とお話もしない。おばあちゃんと日本で暮らす。ミラートここのことは全部忘れる」
「待て、ミヤコ!」

 ミヤコが唄ったのは封印の歌。

 悲しみと怒りを歌に乗せて唄う歌。

 ミヤコの負のエネルギーを受けて精霊たちが暴走を起こす。

 薬草が毒草に。

 森は悲しみを纏い、しな垂れていく。

 忘れてしまえ。

 なくなってしまえ。

 こんな力など要らなかった。

 化け物だと罵られ一人残された。

 苦しい。

 悲しい。

 わたしなんか生まれなければよかった。

 精霊たちから精気が失われていく。

「ミヤコ、やめろ!歌うな。精霊を苦しめる!」

 精霊王は精霊の悲しみと絶望を感じ、胸を押さえながら切願するが、ミヤコの顔からは表情が消える。瞳に深い悲しみを湛えながら。

「おじいちゃんなんか、嫌い」

 掻き消えるミヤコに手を伸ばすも虚しく、強烈な拒絶を受け、精霊王は瘴気の森に呑まれた。




 ***




 祖母と暮らすようになったミヤコからは笑顔が消え、無気力に時が過ぎた。外にも出ず、話もせず、食事もろくに摂らないミヤコを、哲也と和子そして淳は家族のように心配をするがミヤコはやせ細る一方。8歳になってもミヤコは快方に向かわず、業を煮やした君代はミヤコを無理やりミラートヘ連れて行く強行手段に出た。

「お袋!ミヤコは大丈夫なんだろうな」
「わからないわよ、そんなこと。ミヤコ次第だけどなんとかしなくちゃ」
「ばあちゃん、ミヤコ連れて帰ってきてくれよ。大事な妹なんだから」
「わかってるよ、淳。ばあちゃんも頑張るから、淳も祈ってて」
「わかった!俺もミヤコが無事帰ってくるように祈るよ」

 君代は緑の砦へと向かった。あそこならまだ瘴気は入り込んでいないはず。まだ健全な精霊もいるはずだと願いながら。

 広がるのは荒れた大地とポツリと佇む緑の砦。

 君代は口笛を吹いて精霊を慰める。

 お願い。

 小さな愛し子を助けて。

 絶望の淵にいるこの子に手を貸して。

 精霊王《アルヒレイト》を救えるのはこの子だけなの。

 気がつくと、ミヤコが口笛を吹こうと奮闘していた。

 反応した。いける。

「ミヤコは唄えばいいよ」
「歌?」
「そうだよ。精霊の鎮魂歌レクイエムは覚えてる?」
「うん」

 ミヤコが歌いだすと精霊も動いた。悲しみを拭い取るように心に入り込む。このまま癒されれば。

 ああ、それがまさか抹消封印キャンセレーションの歌を思い出すなんて。

 抹消封印キャンセレーションの歌は、記憶したあるいは体験した事実に封印をして『なかったこと』にしてしまう究極の忘却の歌だ。いつこの歌を覚えたのだろうか。まさか精霊王アルヒレイトが教えたわけではあるまい。

 精霊の意識の核にたどり着いたのか、精霊が導いたのか。

 それほどまでにミヤコの心の傷は大きかったのか。

 君代にはそれを止める術を持たなかった。

 歌い終わったミヤコから5歳から8歳までの記憶が抜け落ちて、つじつま合わせの記憶が取って代わった。そしてその影響は、その3年のミヤコを知るすべての人間に及んだ。哲也も和子も淳もを受け止めて疑わなかった。

 それからの君代にできたのは、ミラートへの扉を封印しミヤコを普通の人間として育てることだった。そして時間をかけて、哲也と和子に真実を告げること。



 ミヤコの悲しみを事前に防ぐことができなかった罪を償いながら。

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