【完結】クローゼットの向こう側〜パートタイムで聖女職します〜

里見知美

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第1章:東の魔の森編

第18話:扉の結界〜クルトの心情〜

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 夕闇が近づく頃、相変わらず殺伐とした結界の中に漂う瘴気に眉をしかめ、食堂内に浄化魔法をかけるクルト。開かない食物庫のドアを、今日は何度振り返って見たことだろう。

「今日はミヤは来ない日か…」

 閉店時間になり、クルトが店を片付けを始めた頃、転移ポイントから誰かが来たことを知らせるライトが点滅した。

「ハルクルト隊長。ご無沙汰しています」

 入ってきたのは、クルトが隊長だった頃の討伐隊の副隊長アッシュだった。藍色の髪に金の瞳を持つ豹のような男。2メートルほどある長身と鍛え上げられた体、妥協を許さない厳しい表情の男は、討伐隊の服装でもある赤い鎧をつけたまま食堂へ足を踏み入れた。討伐から帰ってすぐここへ渡ったのか、錆びついたような魔物の血が所々にこびり付いている。

 チッ…また随分瘴気を纏ってきたものだ。気がつかないのか?

 クルトは眉をしかめた。クルトが除隊してから、彼が隊長に昇進したと聞いた。他の隊員が頻繁にここを訪れて食事をしながらその日の報告をするのに対し、アッシュがここへ来たのは初めてだった。隊員の愚痴もそこここで聞いている。どうも真面目すぎて融通が利かず、自分にも他人にも厳しい。隊のまとまりも悪いようだった。

「アッシュ。隊長は君だろう。僕はもう討伐隊員ではないよ」
「閉店時間でしたか。申し訳ありません」
「いや、かまわないが。……君がここに来るのは初めてだろう。陛下か聖女から何か言われてきたのか?」
「ええ、まあ」

 やはりな。出廷を言いつけられても、聖女から神殿へと要請されても、行かなかったからな。今度は討伐隊長を送ってきたか。ミヤを差し出せというのなら残念だったな。そのつもりは全くない。

「王から、討伐隊への復帰を任命されています」
「ふん。それでお前はどうなるんだ?隊長はお前だろう」
「ハルクルト隊長が戻るのなら、私は構いません」
「僕はもう討伐隊には戻らない」
「何故ですか。あなたの魔力も視力ももう戻ったはずです。赤獅子の名は健在と隊員たちも噂をしております。聞けば昔よりも精鋭になったとか。新しい聖女のお力ですか」
「……彼女は関係ない」

 全く腹立たしい。二言目には聖女だ。

 クルトは片付けていた手を止め、アッシュを睨みつけたが、アッシュは微動だにせず手を後ろに組んで立っていた。

「マリゴールドのことで悩んでおいでならば、私は夫の立場を辞退してもいい。あなたさえ戻ってきてくださるのなら。王もそれを望んでいます」
「誤解するな。マリの気持ちはどうなる?お前を最終的に選んだのは彼女だろう」
「でしたら新聖女を。…現聖女の力が弱っているのです。結界にほころびができて、この砦も結界がいつ壊れるかわかりません。ハルクルト様、異世界の少女は我らに必要な聖女なのでしょう?無理矢理にでも攫ってしまえばいいではないですか」

「ふざけるな!」

 聖女など元から信じていないくせに!この国が欲しいのは聖女という名の都合の良い道具だ。権力と名声を欲しがるどす黒い欲が瘴気のように目に見える。『風の赤獅子』などと呼ばれた名もマリも隊長の地位も今の僕には必要ない。

「僕は討伐隊に戻る気持ちはない!他の誰にもこの砦を任せるつもりもなければ、魔物の勝手にさせる気もない!聖女が結界を張れないのであれば、なぜ他の方法を考えない?国の中枢は怠け者ばかりか!」
「……結界のないトライアングルは危険以外何物でもありません。その異世界人が真の聖女であるならば、さっさとこちらに連れてこればいいのです!何をためらっているのですか。」

「……ミヤは聖女ではない」

 身勝手な奴らだ。さっさと連れて来いだと?
 
 クルトは声を押し殺すことで、己の感情を抑えようとした。誰も彼も自分たちのことしか考えていない。あの小さな異世界の女性が、ミヤがどんな人間なのかも知らずにただ引きずりこめばいいと、聖女に祭り上げればいいと思っている。

 儚げでそのまま風景に溶け込んでいきそうな頼りなげな彼女が、どれだけ精霊に愛されていて、どれだけ凛として一人で立っているか、それを見たことがないから簡単に囲んでしまえば良いと言えるのだ。

 カタン、と食物庫の中から小さな音がした。聞き取れるか否かの小さな声と床の軋む音。普通の人間ならば聞こえない音も、討伐隊で磨かれた聴覚はそれを拾った。

 まずい、ミヤだ!今日はこちらには来ない日だからと油断した。話を聞かれたか!

 アッシュの目が鋭く光った瞬間、クルトはアッシュの行動を見切った。ドアに向かって走りこむアッシュと行かせるか!と、それを制止しようとするクルトはもんどり打って食物庫のドアを打ち破る。

「待てっ!」

 アッシュがクルトより一歩早くミヤコの腕を捻りあげる。一瞬ビクッと飛び上がったミヤコが、金切り声をあげて手にしていたものをアッシュめがけて振り上げた。それはガツンとアッシュの頭に当たり、床に落ちて壊れた。

 瞬間、あたりの空気がピンと張り詰めて、氷のような冷たい空気が肺に入り込みアッシュに突き刺さった。
 クルトがひゅっと息を飲むと、黒い霧がアッシュの体から抜けるのが見えた。

 奴の体から一瞬にしてに瘴気が蒸発した。

 あれは、ミヤの植物?

 割れた鉢から…精霊の吐息?

 いや、……怒り?

 クルトはそれがミヤコが持ってきた植物の作用だと気づき、ひるんだアッシュに殴りかかった。目を見開き、保けた顔のアッシュを階段から引きずり落とし、ミヤコに手を伸ばす。

 パンッ

 何かに弾き飛ばされた。

 それが、精霊の拒否反応だと気付くのに何秒も掛からなかった。

 強烈な拒絶が針のように体に刺さった。

 ドアに結界が張られて、手を伸ばすことができない。結界に触れる手がピリピリとしびれる。目の前には、恐怖に張り付いたミヤコがいる。大きな目を更に大きく見開いて、信じられないものを見るように怯えている。

「……ミヤ!」

 突然の拒絶。壊れた植物の鉢から肺に刺さるような冷気が充満する。

 ……僕も精霊の怒りに触れたか。

 ミヤコを守る精霊達から冷ややかな視線がクルトとアッシュに纏わり付く。アッシュは青ざめて、歯が合わずガチガチと鳴らしている。

「僕は、君を傷つけるつもりは毛頭ない」

 嫌わないでくれ。

 行かないで。

 頼むから、お願いだから。

「ハルクルト隊長!!」

 アッシュが怯えたように叫ぶ。

「下がれ、アッシュ!お前は黙ってろ!」

 ミヤ。

 頼むから、僕を見てくれ。

 君に嫌われるなんて、思ってもみなかった。

 嫌われるようなことをするつもりもなかった。

 今までも、これからも。引き止めたいと思ったのは確かだが、それは僕のためだ。

「…すまない。怖がらせるつもりではなかったんだ。それだけは…」

 わかってくれ。

 後の言葉が続かない。あんな目で見られるなんて。

「せ、聖女なんてできないって…言いましたよね。わたし」
「ああ」

 聖女になんか、したくない。僕のそばにいてくれるなら。

「でも、お掃除、手伝うって言ったでしょ」
「うん。すごく助かると、思ってる」

 少しでも長一緒に居られるならば。

「わたしを、そっちに引き止めるつもり、だった?」
「まさか。君が自由に行き来してくれたら、それでいいと思ってた」

 共に過ごせるなら、どこでもよかった。君さえいれば、僕は一人じゃないと思えるから。

「怖かったんですよ」

 ズキズキする頭で、ミヤコの瞳から大粒の涙が零れ落ちるのをクルトは見つめ、それが自分のせいでこぼれ落ちたことに気がついて、胸がキリキリと痛んだ。

 言い訳しかできない。

 でも。

 聞いてほしい。

 話しかけてくれ。

 笑ってくれ。

 背を向けないでくれ。

 クルトはなんとかして落ち着いて話し合おうと、ミヤコに優しくできるだけ丁寧に話しかけた。ミヤコの瞳から恐怖が消えて、アーモンド型の瞳がヘニャリと垂れ下がる。ミヤコの周りを包む空気が柔らかく変わり、食物庫も優しい空気に包まれた。

 ああ、そうだ。これがミヤコの持つ力。優しくて温かいオーラ。精霊の加護。これが心地よくて、僕は君から離れたくないんだ。いや、それすらも言い訳にすぎない。僕は—―。

 ほうっとようやく息を吐くクルトだったが次の瞬間、キッチンの方から男女がすごい勢いで入ってきた。男の方が真っ赤な怒気を放って、ミヤに向かってくる。

「ミヤ!」

 どん、と結界を叩くがびくりともしない。押し付ける掌が焼けるように熱い。男がミヤの腕を掴み、無理やり立ち上がらせたが、ミヤは足に力が入らないようだ。

 ミヤを離せ!

 クルトが歯ぎしりをして睨みつけると、後ろにいた女と目があった。女はあっと口を押さえ、何かに気づき男の行動を止めようとした。二人はクルトの後ろに釘付けだった。

 訝しげに振り向くが階段しかない。いったい何を…と狼狽えているうちにミヤが結界を解いたため、クルトは勢い余って廊下に転げ出した。

「ミヤ!」

 クルトは急いで立ち上がり、ミヤと二人の間に入ろうとしたが、ミヤがそれを止める。

 そしてその二人がミヤの家族だということを知らされたのだった。

 二人から先ほどまで纏っていた真っ赤なオーラは消えてなくなり、たまに男の方がギラリと鋭い視線を投げつけてくる以外、ミヤコに対しては害はなさそうだった。もちろんクルトにも分かっているが、女一人の家に男がいたのだ、疑われても仕方あるまい。

 ミヤコがクルトを庇い、精霊の話も持ち出すが視線は痛い。

 責任をとって、と言うのもやぶさかではないが、値踏みをされていると感じたクルトは、なるべく視線を合わさないように無害を装い、時が過ぎるのを待った。





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読んでいただきありがとうございました。
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