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裏の光と表の闇
しおりを挟む人が燃えた。
焼けた匂いが鼻について、目をこれ以上開けないほど見開いた。煙突にぶつかって落ちた人は屋根の上で倒れたまま身動きひとつしない。熱波に包まれた三人は黒い灰になって風に消えた。あとの一人は瞬時に消え去った。
ムスターファが後ろを振り返り、ちっと舌を打つとふわりと地面に降りた。私の頭を抱きかかえて外が見えないように私をマントの中に隠す。
「大丈夫だ」
ギュッと抱きしめられたが、私は目が閉じられず、もう一度その光景を見ようともがいた。だけどムスターファはギュッと私を押さえつけて、大丈夫だと繰り返す。
なにが、大丈夫?
あの熱波はなに?
私が出したの?
私が、殺した?
私が、
人を殺した。
「ム、ムスタ……ムスターファ、私、」
「……殺らなければ、殺られていた。あいつらも覚悟はあったはずだ」
「嘘……」
「ミミ…。悪かった。お前にさせることじゃなかったのに」
体から力が抜けた。ムスターファの体にしがみ付いて、震える体を押さえつけた。
嘘だ。
私が、そんなこと。
いや。
こんなの、嘘だ。
帰りたい。
こんな世界に、居たくない。
「帰る…。帰る。帰してよ。こんなところ、いたくない。私の世界に帰して。帰してよ」
「ミミ。すまない…」
「ヤダ…。帰る。帰してよ!私を帰してっ!こんなところ居たくない!戻してよっ!」
「いずれは。約束するから。帰る方法を探すから。落ち着いてくれ」
「……そうだ、リストアを使えば。魔物が魔石から戻ったみたいに、あの人たちも戻ってくる?戻ってくるよね!リストアで元に戻るよね?」
「無理だ。だめだ、ミミ。人間は、戻らない」
信じられないものを見るように、ムスターファを見上げると、ムスターファの銀の瞳が苦しそうに歪んだ。なんでそんな目で私を見るの?なんで、ダメなの?
「壊れた器が元に戻っても、魂は戻らない」
目の前が真っ暗になった。私が殺した。五人も一度に、この世から消した。
こんな魔法、いらない。
こんな力なんか欲しくない。
闇に引きずり込まれるように私は意識を手放した。
「あの五人は王家の影の者たちだ。これまでに何人の国民が奴らに殺されたことか。娘を貴族に奪われて反論した男は打ち首に、門前で転んだだけで、その子供は両足を切断された。それを助けようと手助けした隊員は謀反を企てたとして、見せしめの刑にあった。……確かに奴らも王族に逆らえず、仕事をしただけかも知れん。だが命を狩る者は、その逆もまた覚悟しているはずだ」
「……それでも、私はそんな覚悟もしていないし、誰かの命を奪うことなんて考えてなかった」
「だとしたら、ミミ。お前はジャハールの言う通り、神殿に匿われていた方がいい。」
「……っ」
「ジャハールの言う通り、神殿にいれば安全だし、見たくないモノは見なくてもいい。お前が生まれ育った世界はおそらく綺麗な所なのだろう。そんな場所から引きずり出して、こっちに合わせろというのは酷だ。俺は……守ると言って守りきれなかった。お前の感情まで簡単に考えていたのだと思う。すまない」
意識が戻った私は、使われなくなったという教会のベンチに寝かされていた。目をさますと覗き込むムスターファの顔が目に入り、膝枕をしてくれていたことに気がついた。ゆっくり起き上がると、ムスターファは背を支えて心配そうに覗き込み、目を伏せた。
「それは……。ムスターファのせいじゃない……」
「俺は。お前の魔力が規格外すぎて、浮かれてたんだ。きっと、お前と俺ならこの国を変えられると思って、お前の心境を考えていなかった。」
「魔力ってそんなに大事なの?」
この世界で、魔力は武器だ。武器を持たない人々は弱く、武器を持った人が縦横無尽している世界。日本のように一般市民が武器を持たずに平和に暮らせる国は少ない。そんな国でも事件は起こる。権力に溺れる人もいるし、お金に溺れる人も、暴力にものを言わせる人もいる。それに立ち向かうのは知識と法律と権利。でもそれも民主主義の国においてだけで、全てが賄えているわけでもない。
「生憎、この世界は弱肉強食の世界で、弱いものは自分を守る術を持たない。だからこそ、俺はこの力を使って守りたいと思った。お前もそうできると思った」
ムスターファは、拳を握ったり開いたりしながら言葉を紡ぐ。イライラしているのか、言葉端がきつい。もっとも、わからないわけではない。私だって、あの子供たちを守りたいと思った。そう思うことが正しいと、一般常識があって心がある人ならそう思うものだと、思った。
私の『人助け』の意識は、この人の意識とはまるで違う。覚悟が違うんだ。生と死のスレスレのところで生きていながら、それでも守りたいと思っているムスターファと、安全に守られた場所から見下ろした私の「かわいそうだから助けたい」と思う気持ちは比べ物にもならない。
「人を殺したのに聖女だなんて言えるのかな。聖女って、聖なる人でしょ。人を、殺めておいて聖女とは言えないんじゃない?私は聖女なんかじゃない。そんな資格ないよ」
「……綺麗事だけじゃ世界は変えられない」
私はハッと息を飲む。
「理不尽なことは起こる。それが人災だろうと自然災害だろうと、命は簡単に奪われてしまう。歴代の聖女だって、魔獣を殺したり敵対する国を滅ぼしたり、人間を殺したりもしてきた。善悪とか白か黒かなんてきっちり分かれているわけじゃない。それでも、俺は自分が信じている善を掴みたい。一人一人が自身で考えることができて、選べる世界を作りたい。一人一人が良いと思って行動できるように導いてやりたい。烏滸がましいかもしれないが、何もしないで見ているよりはマシだと思う。たとえ一筋でも光を求める人に手を差し伸べることができのなら、俺は自分の手が汚れることは厭わない」
そう言ってムスターファはヘニョリと微笑んだ。
ああ、そうか。
「ムスターファの方が、聖女みたいね」
「笑えん冗談だな」
私がこの人に強く惹かれるのは、顔でも体でもなくて、この光なんだ。銀の月の光のように優しくて、私は小さな羽虫のように引き寄せられる。
私の世界の常識はここでは通用しないんだ。人を殺した事実は変えられないけれど、その重みの分だけこの人を助けよう。それが償いになるわけではないけれど、この人の痛みが少しでも和らぐのなら手を添えよう。
「手伝うよ、私も。」
顔を上げて、私を見つめるムスターファに、私は笑顔を見せているだろうか。
無理だと思った。ミミは優しすぎる。ミミの住む世界は、夢のようにきらびやかで皆が幸せで平等で平和で。この世界の闇はミミには暗すぎるのだと。
ジャハールが正しかった。
ミミは神殿にいるべきだったんだ。
こいつがあまりにも綺麗に笑うから、その光でこの闇が照らされるのではないかと錯覚して、漆黒の闇に光は届かないのだと、思い知らされた。
人が死ぬことに慣れすぎて、失うことの痛みを忘れていたのかもしれない。俺は、ミミの恐怖心と罪悪感に寄り添うことができなかった。いつの間に、忘れてしまったのだろう。俺の心はこの髪と瞳と同じように鉛のように重くて、動かなくなっていたのだろうか。
ジャハールは知っていたのだろう。彼女たち異世界人にはこの世界は残酷すぎると。だからあいつは、神殿で真綿にくるんで聖女達を守ろうとしていたのだろう。ほんの少しだけ力を借りて、少しずつ少しずつ時間をかけて、使い捨ての魔石のようにこの暖かい光を奪い取っていくことで全てを誤魔化して、永遠に異世界から聖女を呼び出すんだ。それが神官の役割だと言わんばかりに、その罪をこれからもずっとあいつは一人で背負って行くつもりだったのか。
『魔力ってそんなに大事なの?』
違う。魔力は月の呪いだ。魔力持ちは罪を償わなければならない。月の神に返さなければならない力を使って、民を救うのが俺たちに課せられた罰だ。
ミミにはわからないのだろう。あいつの魔力がどれほど暖かい光を放っているのか。俺たちとは違う魔力。柔らかい太陽の光みたいに、月の裏側の世界に住む俺たちが温まろうと必死で手を差し出している事に、気がついていない。
腹が立った。使えないのなら俺によこせ、と言いたくなって口を開きかけて。力が抜けた。
『ムスターファの方が、聖女みたいね』
笑えない冗談だ。自笑して下を向いていると、ミミの手が俺の手に重なった。暖かくて、細い綺麗な指だった。震えているこの細い手を黒く染めて、俺たちの為に力をよこせと子供のように怒鳴り散らすところだったと胸が苦しくなった。
この女が欲しい。
この女の温もりが欲しい。
この手を取って逃げ出してしまおうか。月の光が届かないどこか遠くへ。
ミミさえいれば。ミミの心さえ手に入るなら。それでいいじゃないか。
『手伝うよ、私も。』
細い声が教会に響いた。
それがミミの声だったのか、女神の声だったのかわからなくて、思わず顔を上げた。ミミの魔力が優しく膨らんで弾け、暖かい光になって教会の中に広がった。
泣きそうな顔をしながら無理やり笑おうとした変な顔をしている。涙を飛ばそうと何度か瞬きをして、俺の手をキュッと握りしめて、小首を傾げたミミの瞳が俺の中の闇を見つけた。
一筋の光が、心の中に差し込んで一気に染み込んだ。優しい魔力が俺に降り注いで、俺はその光が逃げないようにそっと、そっと包み込んだ。
ああ、本当に。
全面降伏するしかない。
この温もりを守るためなら、俺はどんな闇にも身を落とすだろう。
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