ロシナンテ・ナンチャッテの苦難

里見知美

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第12話:カルメーラ

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「きもちわるっ」

 たまたま公爵令息のスティーブンに捕まり、引きずられるように生徒会室前まで連れて来られ、あわや生徒会室に連れ込まれるか、指を落とすかの選択に迫られたところで、第3王子の婚約者であるカルメーラがすごい顔をして目の前にいた。無理やり連れてきたのを見られたと勘違いして、慌てたスティーブンがラズの手を離した隙を見て、隠密で屋根裏に逃げた時のことだ。

 自分の名を呼びながら、はぁはぁと息を荒げる第3王子が眼下にいた。オカズにされてると気がついたラズは身震いをした。常日頃王子ヅラをしてすましていて、たまに視線を感じるとはいえ話した事も無ければ、近づいたことすらない男に、妄想で弄ばれていると言うのは気分の良いものではない。いつもそういう目で見ていたのかと思うと、ゾッとする。

「もげろ」と思わず呟いてしまった言葉に聖魔力をのせてしまった。やべと思い、今のなし、と焦って逃げ出した。「お願い」になっていなければ良いけれど、考えてもみれば、願いが叶ったとしても誰にバレる事もない。言わなければ良いだけのことだ。元はと言えば、向こうが悪いのだ。自業自得だろう。とはいえ、もげてしまっては人生に関わるので、やっぱりナシでと付け加える。

 そもそもスティーブンがラズを引っ張り出さなければ知らずに済んだことだ。

「クソが。手ひどく振られれば良いんだ、あんなヤツ。やっぱり指落としておけばよかった」

 デブッチ公爵令息であるスティーブンは、ムリーノ公爵令嬢であるクラーラと婚約中である。クラーラは一人娘なので、次男坊であるスティーブンが婿に入る予定だが、なぜかスティーブンは偉そうだった。初めて顔見せをした時からずっと、クラーラを蔑ろにし続けているのである。

「俺が公爵になるのだから、お前は傅いていればいいんだ」と。学院でも用事のある時に「おい」とか「お前」で言い付けて偉そうに踏ん反り返っているのがよく目に入る、対外的にも人としてなっていない男なのである。

 クラーラは深窓の令嬢というに相応しく穏やかで物静かな女性で、白百合の女神と呼ばれるたおやかな御仁である。ラズのように裏表もなく、おそらく雑念すら持っていないのではと思われるほどの完璧な令嬢で、当然ラズは話した事もなければ、商品を売り捌いた事もない。全く関わりのない人であるのにも関わらず、最近何やら噂が耳に入ってきた。

 どうやらラズマリーナ嬢は、池に落とされたらしい。
 どうやらラズマリーナ嬢は、教科書を破られて焼却炉に放り込まれたらしい。
 どうやらラズマリーナ嬢は、花瓶を屋上から落とされあわやの大怪我をするところだったらしい。
 どうやらラズマリーナ嬢は、階段から突き落とされて全治三週間の怪我をしたらしい。
 どうやらラズマリーナ嬢は、休日に暴漢に襲われそうになったらしい。

 どれもこれも、ラズマリーナ嬢を妬んだクラーラ公爵令嬢の仕業らしい。

 全部嘘である。

 ラズは池に突き落とされるほどぼんやりしていないし、教科書は全て学園のもので私物ではない。どこぞの子息にインクをぶちまけられたことはあるが、花瓶を落とされたことはない。そもそも貴族令嬢が花瓶を屋上まで運んで、転落防止のために張られた自分の背よりも高い鉄柵をわざわざ乗り越えて、落とすことなどするわけがない。階段から突き落とされるほどの殺気をラズが気付かないわけが無いし、自分の怪我など治癒ですぐに治せると誰もが知っているはずだ。

 週末になればカルトロと特訓をするか、フロランテ商会の荷下ろしのバイトをしている。友人達に渡す賄賂にも金がかかるのだ。サンプルと称して差し出しているのは、全部ラズが購入した物を小分けにしているだけである。街をぶらぶら散策とか、貴族令嬢のすることなど、ラズはしないのだ。お金も時間ももったいない。暴漢なんかに負けるほど弱くもない。市井ではラズがフロランテ商会の秘蔵っ子だと知れ渡っているし、魔力の多さも強さも知られていて、襲いかかるようなゴロツキもいない。そんなものがいたら、ロシナンテかカルトロにとっくにされているはずだ。

 一部の令嬢達にされたことと言えば、婚約者関係で嫌味を言われたり、最初の頃ちょっと生意気よと呼び出されたりしただけで。ほとんどの令嬢は絡まれていないかとか、怖い思いをしているのではないかとか心配をしてくれるし、賄賂のおかげで令嬢間の仲は良好である。

 ましてやクラーラ嬢とは視線を合わしたことすらない。

 そして全ての令嬢達は、それが嘘であると知っているから、その噂もほったらかしていたわけだが。

「大変よ、ラズマリーナさん。断罪が始まってしまったみたいなの」

 まるで「大変よ、雨が降り始めてしまったわ」みたいな感じで、友人扱いの子爵令嬢が静々と歩いてきた。

「断罪って誰の?」
「それが、クラーラ様の断罪ですって。なんでもあなたを貶めたとか何とか」
「はあ?ワタシ?」

 第3講堂で公爵令息のスティーブン様がご自分の婚約者に対して、断罪を始めた。理由が『俺の愛するラズマリーナ嬢を虐めた』からだという。そしてそこに集っているのが、ラズにちょっかいをかけてきていた子息達数十名。そこに第3王子とその婚約者であるカルメーラも居合わせているのだという。

「どうなさるおつもり?いくのなら私達もついていくわ、ねえみなさん?」
「もちろんよ!どれだけラズマリーナさんが嫌がっているか、教えて差し上げるわ!」
「そうよ、そうよ。ついでに私の婚約者がその場にいたらとっちめて差し上げるわ!」
「全くもって許せないわね。あんな素晴らしいクラーラ様を陥れるなんて、何様のつもりかしら。もう、我慢ならないわ!ねえ、皆様?」
「そうよ、そうよ」
「じゃあ、みんなで行きましょうか?」
「そうね、行きましょう」

 何分、おっとりしたお嬢様達なので勢いはちょっと弱いが、クラーラ様の危機とあっては皆行動を共にせんと奮い立ってくれた。




 実は、ラズがスティーブンから逃れた後、カルメーラとスティーブンも同じように王子の執務室に聞き耳を立てていた。

 カルメーラ・ストーキン伯爵令嬢は第3王子の婚約者である。第3王子アダルベルトを敬愛していて、ちょっと愛が重い。カルメーラは自分が可愛い系でモテると思っていたし、頭だって悪くない。大臣の娘である自分の地位は確立していると思っていた。

 だが、そこへ現れた美少女ラズマリーナ。首席が取れるほどの頭脳を持ち、しかも聖女の資質も持っていると噂されていた。大聖女様の色合いを持っていると言われるが、大多数の生徒は大聖女を見たことがないため、それが本当か嘘かはわからない。

 とはいえ、実際にラズマリーナは天使の微笑みと貴族令嬢らしい控えめな態度から、数多の子息たちのハートを鷲掴み、常に男を侍らせて喜んでいる(ように見える)。観察していると、アダルベルトも彼女を視線で追っているではないか。しかも生徒会室の横、王子の執務室で自慰をしながら彼女の名前を呼んでいるのが聞こえてきた。

 その現場にスティーブンがやってきたため、一緒になって耳を壁に押し当てて聞いたのだ。

 二人揃って嫉妬に歪み、焦り、そして奸計を練った。スティーブンは己が尊大であると自負しているためあまり考えがない。ラズマリーナを手に入れるのは公爵子息である自分に他ならないと思っている。逆にカルメーラは他の誰をも押し切って、第3王子の婚約者の地位を獲得したのだ。悪巧みは得意である。

 カルメーラは、その他大勢に漏れず、スティーブンがラズマリーナにうつつを抜かしているのは知っていた。そして婚約者であるクラーラを蔑ろにしていることも。

 この馬鹿な男は自分が公爵になると豪語しているが、その実、公爵になるのはクラーラである。スティーブンは婿入りするので公爵になれるわけではなく、単なる配偶者の方である。散々蔑ろにしている婚約者の両親からは、卒業までに態度を改めなければ、婚約を白紙に戻されるであろう事も聞かされている。その後釜にカルメーラの弟が用意されている事も。カルメーラの伯爵家は爵位こそ低くとも、父が大臣であることからそれなりに力も歴史もあるのだ。

 つまり、この男をその気にさせ、クラーラに罪を着せて断罪の上婚約を破棄し、ラズマリーナと婚約すると言わせれば良いのだ。そうすれば、この男は男爵家に婿入りするか廃嫡されて平民に落ちる。代わりにラズマリーナという真実の愛を手に入れ、第3王子は無事、カルメーラと結婚をする。いかに妄想を膨らませようとも王族から平民に落ちるようなことはすまい。人のものになってしまえば、その妄想も抱くことはない。そして弟はスティーブンの後釜に座り、公爵の配偶者の地位に収まるのだから、弟からは感謝され、ストーキン伯爵家としては万々歳だ。

 カルメーラはラズマリーナの男爵家がどういう位置にあるのかを知らなかった。商会を立てて成り立っている弱小貴族。それがカルメーラの最大の誤算だったのだが、今の彼女に知る由もなし。

 斯くして、学院最大の悲劇が今まさに始らんとしていた。
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