そして魔女は荒野で躍る -世界を救ったその先に-

未来屋 環

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そして魔女は荒野で躍る -世界を救ったその先に-

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 目の前の彼女からは、いつだって透明の香りがした。

「――みなさん、大変お世話になりました」
 彼女は俺達の前に立ち、深々と頭を下げる。震えそうな声を必死で気丈に保とうとする――そんな懸命な色の挨拶だった。
 数刻のちに、彼女は静かに顔を上げる。その漆黒の瞳が、俺の姿を捉えて小さく潤んだ。
「ディランさん、私は――自分の世界に帰ります」


 『そして魔女は荒野で躍る -世界を救ったその先に-』


 俺がサラサに初めて出逢ってから、数百の朝と夜が過ぎた。それでも、初めて彼女を見付けた時の記憶は、今も強く俺の中に残っている。
 俺は国境を守る守護者として、国を囲む森の中で日々を過ごしていた。先祖代々果たしてきたこの仕事は、その危険度に反して大した稼ぎにはならない。それでも、俺は他に生きるすべを知らなかった。
 両親は流行り病で、二人いた兄弟は仕事の最中さなかに獣に襲われ、それぞれかえらぬ人となった。俺も何度も死にかけ、この顔にも身体にも多くの傷が残っているが――悪運が強いのかいまだに生き永らえている。

 その日も変わらず、俺は一人暮らしには少し広くなった家を出て、周囲を見回っていた。すると、視界の外から、何かを威嚇するような獣の声が飛び込んでくる。
 ――面倒なことになった。俺は舌打ちをして声の方に駆け出す。
 獣が声を上げるのは、獲物を見付けたからだ。それが単なる餌なら良いが、この国の人間だとすると、守り切れなかった俺は国から処罰を受ける。ただでさえ少ない稼ぎが更に減らされるのはまっぴらだ。
 そして声の発生源に辿り着いた俺が見たのは、唸り声を上げる獣と――その前に横たわる人間だった。
 反射的に俺が両者の間に割って入った瞬間、獣が飛び掛かってくる。俺は右手のナイフで獣の喉元を一閃した。耳障りの悪い悲鳴を上げながら獣は倒れ、不定期な痙攣の末に動きを止める。それを確認してから、俺は横たわっていた人間の方を振り返った。

 ――あぁ、こいつが『魔女』か。そう思った。

 小さい頃に親父から聞いた言い伝えだ。世界に異変が訪れる時、その者はどこからか現われる。俺達とは違う、漆黒の髪と目を持ったその女は『魔女』と呼ばれ、務めを果たしたのちにひっそりと姿を消すという。
 身体を起こしてこちらを見上げるその女は、見たこともない身なりをしていた。髪と瞳は、言い伝え通り禍々しくも見える漆黒だ。目が合った瞬間、吸い込まれそうな錯覚を覚える。
 しかし、それ以上に俺が感じたのは、その圧倒的な儚さだった。そこに実体があるはずなのに、彼女からは透明の香りがした。
 何も言えずにいる俺に対して、驚いたような表情でこちらを見上げていた彼女は――やがてその表情を落ち着け「助けてくれて、ありがとうございます」と小さな声で呟いた。

 ***

 サラサは自分の名こそ名乗ったものの、最低限のことしか話さなかった。俺も魔女を見付けたのは初めてで、どう対処すれば良いのかわからない。ひとまず家に連れて帰り、王国騎士団に連絡を入れようとすると、彼女が身を固くする。その幼い顔立ちを少し引き攣らせながら、彼女は口を開いた。
「ご迷惑でなければ、ここに置いて頂けませんか」
 か細い声のはずなのに、サラサの声は俺の耳にすっと届く。
 言い伝えによると、魔女は特別な力を持っているらしい。世界に異変が訪れるなら、その役割を果たす必要があるだろう。しかし、何かに怯えたようなサラサの顔を見ると、とてもそんな気分にはなれなかった。
「――別に、俺は迷惑じゃない。気が済むまでここにいればいい」
 そう伝えると、サラサはほっとしたような面持ちで頭を下げた。

 それから、二人での生活が始まった。俺が仕事に行っている間、サラサは俺の親が残した本を読んで過ごしているようだった。俺はろくに読んだことはないが、彼女にとっては「この世界のことがよくわかって面白い」のだという。
 また、サラサはよく料理を作った。肉も野菜も焼くくらいしかしてこなかった俺にとって、彼女の料理はとてつもなく美味かった。素直にそれを伝えると、サラサはその表情を嬉しそうに綻ばせる。出逢った当初に比べると、少しずつサラサの緊張はほどけてきたようだった。


 或る日、俺の家に来訪者が現れた。
 一人は王族に仕える大臣、そしてもう一人は――
「このお方は勇者アルトレット様だ。魔女よ、お主は勇者と共に北へ向かい、魔王を討ち果たすのだ」
 大臣が偉そうな口調でそうのたまう。その隣で勇者として紹介された優男やさおとこ――アルトレットは、にこりとサラサに微笑んでみせた。
「魔女殿、世界を救う為にはあなたの力が必要だ。どうか私に力を貸してくれないか」
 アルトレットの言葉に、サラサは表情を曇らせる。俺はその様子を見守ることしかできない。勇者と大臣を前にして、単なる守護者の俺には発言権などないからだ。久々に見るサラサの不安げな様子を歯痒く思っていると――アルトレットが、おもむろにこちらに視線を向けた。
 ずかずかと俺の前にやってきたアルトレットは、俺を頭のてっぺんから足の爪先までじろじろと眺める。勇者というのはこうも不躾ぶしつけなものなのかと辟易へきえきしていると――奴は笑顔でこう言った。

「わかった。魔女殿、あなたもお一人ではご不安でしょう。護衛として、この者も連れていくことにしては如何いかがか?」

「――はぁ!?」
 予想だにしないアルトレットの言葉に俺が驚くと、大臣も首を横に振る。
「アルトレット様、この者は守護者です。勇者がお連れするような身分の者ではありません。それにこの数多あまたの傷――大して強くもないのでしょう。護衛どころか足を引っ張るのが目に見えている」
 どう見ても弱そうなこいつに言われるのはしゃくだが、確かに俺は勇者一行に名を連ねるような存在ではない。そもそも面倒事に巻き込まれるのも御免だ。
 しかし、サラサの次の台詞せりふも、俺の予想だにしないものだった。
「――ディランさんが一緒に行ってくれるなら、行きます」
 俺は思わずサラサの顔を見る。その表情は相変わらず透き通っていたが、その芯に一本の熱を帯びていた。アルトレットが微笑む。
「さて、話はついた。早速行こうか」

 ***

「私も勇者の血を継ぐ者としていきなり引っ張り出されてな。世界を救えと王様に頼み込まれて、ほとほと困ってるんだ」
 アルトレットは気の良い奴だった。大臣がいた時にはそれらしい振舞いをしていたが、国を出て話し相手が俺達だけになると、にわかにそんなことを言って笑った。その人懐こさに、初めは警戒していたサラサも次第に態度を軟化させていった。
「サラサ殿は不思議な雰囲気を持っているな。あなたの世界はどんな所だった?」
 しかし、アルトレットのその問いには、サラサは沈んだ面持ちを見せる。
「――ただ暗く、冷たい所でした」
 その口から弱々しく放たれた言葉に、アルトレットは笑顔で応えた。
「そうか――さて、次の街で私の仲間達が待っている。二人を歓迎するよ」
 少し澱んだ空気を吹き飛ばすように、アルトレットがウインクを寄越よこす。野郎のウインクなど嬉しくも何ともないが、サラサの安堵した様子を見ると、まぁそれも良いかと思えるから不思議だ。

「何この変な男! 傷だらけで怖っ」
 合流して早々ぶつけられた言葉に、歓迎の色は微塵もない。俺とサラサが言葉をうしなっていると、アルトレットがいきり立つ少女に笑顔で近付いていった。
「こらミディア、そういう失礼なことを言うもんじゃない。ディランは魔女サラサ殿の護衛として来てもらったんだ」
「護衛? こいつが?」
 よわい十かそこらであろう少女は、俺を品定めするようにめ付けてくる。黙っていれば可愛らしいであろう顔は、しかめられている為に憎たらしさしか感じさせない。
 アルトレットの話によると、このミディアという少女は幼いながらに強い魔法を使いこなす賢人けんじんなのだという。「大魔術師ミディア様と呼びなさい」ミディアはふんと鼻を鳴らして胸を張った。そして、ミディアは視線を俺からサラサに移す。
「で、こっちが魔女? 辛気臭い顔してるわね。しかもまだ子どもじゃん」
ミディアおまえにだけは言われたくないな」
 他の仲間から揶揄からかわれ、ミディアは「うるさいなぁ」と口を尖らせた。
「――で? 魔女っていうからには、特別な力があるんでしょ。見せてみなさいよ」
 そう焚き付けるミディアに、サラサはこくりと頷き、そして――

「――サラサ?」

 ――次の瞬間、サラサは忽然と姿を消していた。
 ミディアが目を丸くする。アルトレットがおぉ、と声を上げた。
 一刻のちに、サラサは元いた場所に姿を見せる。
「成る程、『透明化』か。これは色々と使えそうだ。さすが魔女殿だな」
 アルトレットの言葉に続いて拍手する仲間達の中で「や、やるじゃない……」とミディアが口惜くやしそうに洩らした。
 一方、そんなサラサの力を初めて見た俺は、驚きを禁じ得ない。俺の様子に気付いたのか、サラサが小さい声で説明を始めた。いわく、俺の家の書物の中に魔女の生態について書いたものがあり、その中に魔女の力の一つとして記載されていたのだと。試しに念じてみたところ、自分の姿が消えたというのだ。
「あと――私の歳は、二十二です」
 そう言って、サラサは黙る。幼さの残る顔立ちの所為せいで、もう少し下かと思っていた。俺と三つしか変わらないとは。
 ――何はともあれ、俺達はこうして勇者の仲間として受け容れられた。


 旅を続けていた或る日、次の街に辿り着けずに野宿をすることになった。
 男達が順番に起きて、一晩中焚き火に薪をくべながら、番をする。俺の番になり、座って焚き火を眺めていると――ミディアの隣で眠っていたサラサが、苦しそうに悶え始めた。
「――サラサ?」
 彼女に近付くと、荒い息を吐いて寝汗を流している。次第にその手が震えて、何かを掴もうと空を彷徨さまよい始めた。思わず俺がその手を握ると、サラサの表情がふっと緩む。次第に穏やかな寝息を立てるようになり、俺はほっと息を吐いた。
 しかし、この握られた手をどうしたものか。こんな場面をアルトレットやミディアに見られたら、面白がって揶揄われるか、氷のように冷たい軽蔑の眼差しを向けられるだろう。そう考えあぐねていると――ふとぱちりと開いたサラサの瞳が、こちらを向いた。
「ディランさん」
 慌てて手を離そうとするが、サラサはその手をしっかりと掴んで離さない。
「すまん、おまえがうなされているようだったから……その――」
「――怖い夢を、見ていました」
 弁解する俺を前に、サラサはぽつりと呟いた。
「毎晩訪れるこの情景が、夢なのかわからないけれど。私は荒野にひとりぼっちで、周りには誰もいなくて。もう私は死んでしまうのかと、いつもそう思うのです」
 でも、と言葉を切り、サラサは俺をじっと見つめる。

「今日は違いました。死んでしまうのかと、そう思った時――ふと左手があたたかくなったのです。その熱は、まるで私の心をもあたためてくれるかのようでした。その心地良さに誘われるように目が醒めると――そこには、あなたがいました」

 その漆黒の瞳に、俺はまた吸い込まれそうな感覚をいだいた。それと同時に、湧いた疑問を口にする。
「……いつも、そんな夢ばかり見ているのか」
 あの家に共に住んでいた時は、違う部屋で寝ていたので気付かなかった。彼女は控えめに頷く。その寂しげな仕種しぐさに、俺はたまらない気持ちになった。こんなか細い身体で毎夜悪夢に魘される彼女が不憫ふびんでならなかった。
「わかった。俺がおまえのそばにいて、また助けてやるから安心しろ」
 思わずそう言ってから、はたと妙なことを口走ったと気付く。俺は護衛としてサラサの傍にはいるが、夢の世界で彼女が追い詰められていることなどわかりようもない。サラサはきょとんとした表情でこちらを見つめている。
 俺は恥ずかしさのあまり顔を伏せたが――ふるふると繋いだ手が揺れ、顔を上げるよう促される。観念してサラサに視線を向けると、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「わかりました。ディランさん、ありがとうございます」


 それから、サラサは少し変わった。以前よりも感情を見せるようになったのだ。
 あれは或る日立ち寄った街での出来事だった。二人で自由行動をしていると、装飾品を並べた屋台を見付けた。ふとサラサの左手に巻かれた装飾品を見ると、随分と年季が入っている。
「前から思っていたが、それは何だ」
「これは時計です。みなさんの国のものとは随分違いますが」
「おまえの国には、こんな小さい時計があるのか」
「はい。でも、デンチギレなのでもう動きません」
 サラサはたまに理解できないことを言う。いずれにせよ、使い道がないということだろう。
「だったら、俺が代わりのものを買ってやるよ。時計じゃなくたって良いだろう」
 え、とサラサが固まる。しかし、その漆黒の瞳には、きらきらと嬉しそうな光が差していた。随分と悩んだのちに、サラサがおずおずと選んだのは、控えめに輝く白銀色の細いバングルだった。
「こんなものでいいのか」
「これが、いいんです」
 買ったバングルをサラサに渡すと、彼女は嬉しそうに左手に巻いて俺に見せる。
「どうですか?」
「――似合ってるんじゃないか」
 そう言うと、ふふっと彼女は笑って「ありがとうございます」と礼を言った。

 揃って集合場所に戻ると、仲間達が絡んでくる。それをいなしながらサラサを一瞥すると、嬉しそうにミディアにバングルを見せているところだった。
 いつしか、サラサはよく笑うようになった。初めて逢った時には見ることのできなかった明るい表情で。
 それでも――彼女からは、依然として透明の香りがしていた。

 ***

 ――そして、遂にその日はやってきた。
 暴虐の限りを尽くし人々を苦しめて来た魔王を、勇者一行が討ち果たしたのだ。
 最終的に止めを刺したのはアルトレットだが、そこに至るまでには数々の戦いがあった。そして、中でも魔女であるサラサの果たした役割は大きかった。

「よくやってくれた、勇者達よ」

 王城に呼ばれた俺達は、王を前にこうべを垂れている。許可が出て俺達が顔を上げると、そこには煌びやかな服に身を包んだ王と、あの日俺の家にアルトレットと共にやってきた大臣が立っていた。
 そして――大臣は、俺の隣に立つサラサの元に近付いて、何かを彼女に囁く。それを聞いた彼女は、ふっとその表情を驚きの色に染めた。そんな彼女の様子を気にも留めず、大臣は耳打ちを繰り返す。サラサの顔は段々と色を喪っていった。
「――サラサ?」
 俺が声をかけると、サラサは何かを言いたげにこちらを見て――
「魔女サラサよ」
 ――その先を王の声が断ち切った。
「今回のお主の働きは誠に十分なものであった。礼を言う。そして――お主の役割は終わった」
 俺とサラサの間に、大臣が割って入る。
「こちらの都合に付き合わせて悪かったな。どうぞ、自分の世界に戻りたまえ」
 サラサは逡巡する様子を見せたが、一つ大きな息を吐いて、俺達の前に進み出た。その様子を、王と大臣は無感情に眺めている。
「――みなさん、大変お世話になりました」
 深々と頭を下げるサラサを見ながら、俺は昨夜アルトレットから聞かされた話を思い出していた。


「先代勇者の祖父から聞いたことがある。魔女は世界の窮地を救う為に、王家が異世界から召喚した存在だ。用が済めばまた王家の手によって、元いた世界に送り返される。だから、魔女はいつしか姿を消すのだと」
 魔王を倒し、出立した王国の隣町まで戻ってきていた俺達は、思い思いの夜を過ごしていた。夕食を終えた後、俺とミディアはアルトレットの部屋に呼ばれたのだった。
「何それ、じゃあサラサもいなくなっちゃうの!?」
 ミディアが戸惑いの声を上げる。当初はサラサに突っかかっていたミディアも、今では彼女に一番心を開いていた。
「この国の法だ。異世界の者をこの地には置いておけない。全く勝手に呼び出しておきながら、酷いものだよ。祖父の仲間の魔女も、本人の意思も確認されぬまま送還されたらしい」
 アルトレットの言葉に、俺は自分の血が沸騰するような感覚を覚える。サラサがあちらの世界でどんな生活をしていたのか、俺は知らない。しかし、出逢った当初の様子を思うと、決して彼女にとってあたたかい場所でなかったことは明らかだった。
 だからといって、王族に叛逆できるのか。また、仮にこの地に留まれたとしても、サラサは幸せになれるのか――俺の中に、解のない問いが渦巻く。
「――ディラン」
 はっと我に返ると、アルトレットが真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「サラサ殿の想いに気付いていないわけではないだろう――おまえはどうする?」


「ディランさん、私は――自分の世界に帰ります」
 その瞬間、俺は隠し持っていた煙幕を床に投げつける。瞬時に室内は煙に包まれ、怒号と悲鳴が上がった。
「王をお守りしろ!!」
 アルトレットの声が響く。混乱の中、俺は目の前のサラサの手を取り、部屋の外へ出た。
「ディランさん!?」
「サラサ、すまん。暫く透明になっていてくれ」
 サラサは慌ててその姿を消す。騒ぎに気付いて向かってくる兵士達に、俺は「大変だ! 王の間に賊が侵入したぞ!!」と声をかけた。彼らは俺の言葉を鵜呑みにして突進する。俺とサラサはまんまと外に出ることに成功した。


 走って、走って、走った。
 最後の方は、透明になったままのサラサを背負って、俺は決められた場所へと向かう。

「――ディランさん」
「何だ」
「アルトレットさんやミディア達は大丈夫でしょうか?」
「心配いらない。あいつらは俺とは無関係の振りをするさ。それより、おまえは大丈夫か。本当は自分の世界に帰りたかったのなら、城に戻るが」
「――ディランさん、あなたは、私の所為で」
「違う。俺が好きでやったことだ」
「……ありがとう」

 その場所には、見慣れない文様が地面に刻まれていた。「大魔術師様に不可能はないのよ」と胸を張るミディアの様子が目に浮かぶ。俺はその上に立ち、サラサを下ろした。
 やがて実体を取り戻したサラサは、潤んだ瞳で俺を見上げている。
「――言っておくが、この世界のどこに飛ばされるかはわからない。この旅で立ち寄ったことがない異国かも知れないし、猛獣が眠る未開の地かも知れない。それでも、良いか」
 こくこくと懸命に頷く様子に、俺は今更ながらにほっとする。
 ――足下が光り出した。転送が始まるようだ。
「――ディランさん」
 サラサが口を開いた。
「私はこの世界に来た時、見知らぬ大地に横たわりながら、このまま溶けてしまいたいと、そう思っていました。それまでの暗い日々に比べれば、ここで朽ちてしまった方が良いのだと」
 光は色を変えながら俺達に纏わり付いてくる。ふと不安になって、俺は目の前のサラサを抱き締めた。決して離してしまわないように。
「でも――あなたはそんな私を助けてくれた。あの時だけじゃない。いつだって、あなたは私に生きる意味をくれました」

 ――そして、光が弾けた。


 次に意識がじ開けられた時、視界に広がっていたのは果てのない青空だった。
 ふと、右手の先に繋がれた手の感触を覚える。
「――サラサ?」
 すると、その手が俺の手を握り返してきた。
「ディランさん」
 名を呼ばれて、そちらに顔を向けると――そこには、確かに実体を持って微笑む彼女がいる。
「――あなたと二人なら、荒野だって怖くはありません」
 もう、透明の香りを纏った魔女はここにはいない。
 視界の隅で、小さく白銀が光った。


(了)
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