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第4話 初日、夜、居酒屋にて(後篇)
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「それにしても、酒が飲めないのは残念だな。地球には『飲みニケーション』っつー文化があって、飲み会も仕事みたいなもんなんだけど。なぁ鈴木」
「地球の文化じゃなくて、日本のごく一部の文化だと思いますけど。気を付けないとアルハラって言われちゃいますよ」
そんな風に言いつつ、雪花は手に持ったハイボールをぐびりと飲む。会社の飲み会は積極的に行く方ではないが、お酒自体は嫌いではない。隣に座ったマークの前には、ジンジャーエールのグラスが置かれている。
「是非お付き合いしたいのですが、規定を破るわけにはいかず、すみません」
マークが丁寧に頭を下げた。火星人の身体にアルコールがどう影響するか未知数の部分もあるため、マークにお酒を与えないよう、NASAからも通達が来ている。
雪花が無言で浦河を睨むと、彼は「冗談だよ」と肩を竦めてみせた。
「俺だって変なことしてNASAに消されるのはまっぴらだ。家で可愛い娘が俺の帰りを待ってるし」
「あれ、娘さん何歳ですっけ」
「再来月で6歳。来年小学生だよ、あっという間だな」
焼酎に切り替えた浦河がにんまりと笑みを浮かべる。会社では決して見せないその表情を見ながら、ふと雪花は浦河とこうしてお酒を飲むのも随分と久し振りだということに気付いた。
前回飲んだのは、現在育児休職中の先輩の最終出勤日のことだ。彼女の体調を考慮して、職場近くの個室居酒屋を予約したことを覚えている。
あれからおよそ1年が経ったが、業務に追われてバタバタ毎日が過ぎていってしまい、実感が湧かない。
「鈴木のところは変わらず、妹さんと二人暮らし?」
「はい。まぁ、いつまで続くかわかりませんけど」
雪花は大学に入学するタイミングで上京した。2つ下の妹――花菜も同じく上京してそれぞれ別々のアパートに住んでいたが、花菜の就職が決まったタイミングで二人暮らしを始め、現在に至っている。
二人の勤務地を踏まえて決めたので、通勤時間もドアtoドアで40分程度とそこまで遠くなく、何より家賃を花菜と折半できるのは魅力的だった。平日はあまり顔を合わせることもないが、姉妹仲も悪くなく、決して今の生活に不満はない。
一方で、花菜と一緒に過ごしていると、雪花は時々自分に自信を持てなくなることがある。
どちらかというと真面目で融通の利かない雪花と異なり、花菜は小さい頃から要領が良く、周囲からも可愛がられていた。大人になった今でも、花菜は有名企業でバリバリと働く一方、大学時代から交際している彼氏とも安定して関係性を築いている。
業務に追われて日々を慌ただしく過ごし、彼氏もろくにいない自分とは雲泥の差だと雪花は思う。普段は何とも思わないが、ふとした瞬間に小さな劣等感が雪花の心をじわりと蝕むことがあった。
ハイボールを握る手に力が入ったところで、「セツカさん」と己を呼ぶ声が鼓膜を揺らす。
隣を見ると、マークがこちらをじっと見つめていた。
「実は、私にも妹がいます」
「へぇ、マークにも妹さんがいんのか」
「――そうなんですか。お揃いですね」
そう言って雪花が笑顔を作ると、マークは真面目な表情のまま、すっとフォークを持ち上げた。先端にはだし巻き卵が刺さっている。
「セツカさんがこの食器を頼んで下さったので、とても食べやすいです。妹さんがいると聞いて、何故セツカさんが面倒見が良いのかわかった気がします」
そして、口元を小さく緩めた。
「セツカさんのようなお姉さんがいて、妹さんは幸せ者ですね」
その言葉は、雪花の心を薄く覆っていた靄を静かに振り払う。
脳裏に自分を「お姉ちゃんお姉ちゃん」と慕う花菜の笑顔が過った。
「――そうですかね……」
「はい、私はそう思います」
そう言ってマークはまた真面目な表情に戻り、だし巻き卵を齧る。
「おいしい」とでも言いたげに目を見開くマークを見ながら、雪花はハイボールを一口飲んだ。しゅわしゅわと心地良い炭酸が、口の中だけでなく心の中も洗ってくれるようだ。
ふと気付く。お昼、社員食堂から総務課に帰る道中のあの時も、マークからかけられた言葉がすっと心に染み渡っていったことを。
まるで、雪花を素直にさせる魔法がかかっているようだった。
「お待たせしました。イカの一夜干しです」
「お、来たな」
店員が運んできた皿を見て、浦河が吹き出す。少し怪訝そうな表情で去って行く店員の背中を見送り、浦河は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「よし、マーク。これが地球のイカだ。共食いしていいぞ」
「課長。それ、捉えようによってはパワハラです」
「はい。我が同胞よ、頂きます」
「おまえなかなかノリがいいな」
「マヨネーズ付けるとおいしいですよ」
他愛もない会話を交わす総務課の面々。
こうして静かに初日の夜は更けていった。
第4話 初日、夜、居酒屋にて (了)
「それにしても、酒が飲めないのは残念だな。地球には『飲みニケーション』っつー文化があって、飲み会も仕事みたいなもんなんだけど。なぁ鈴木」
「地球の文化じゃなくて、日本のごく一部の文化だと思いますけど。気を付けないとアルハラって言われちゃいますよ」
そんな風に言いつつ、雪花は手に持ったハイボールをぐびりと飲む。会社の飲み会は積極的に行く方ではないが、お酒自体は嫌いではない。隣に座ったマークの前には、ジンジャーエールのグラスが置かれている。
「是非お付き合いしたいのですが、規定を破るわけにはいかず、すみません」
マークが丁寧に頭を下げた。火星人の身体にアルコールがどう影響するか未知数の部分もあるため、マークにお酒を与えないよう、NASAからも通達が来ている。
雪花が無言で浦河を睨むと、彼は「冗談だよ」と肩を竦めてみせた。
「俺だって変なことしてNASAに消されるのはまっぴらだ。家で可愛い娘が俺の帰りを待ってるし」
「あれ、娘さん何歳ですっけ」
「再来月で6歳。来年小学生だよ、あっという間だな」
焼酎に切り替えた浦河がにんまりと笑みを浮かべる。会社では決して見せないその表情を見ながら、ふと雪花は浦河とこうしてお酒を飲むのも随分と久し振りだということに気付いた。
前回飲んだのは、現在育児休職中の先輩の最終出勤日のことだ。彼女の体調を考慮して、職場近くの個室居酒屋を予約したことを覚えている。
あれからおよそ1年が経ったが、業務に追われてバタバタ毎日が過ぎていってしまい、実感が湧かない。
「鈴木のところは変わらず、妹さんと二人暮らし?」
「はい。まぁ、いつまで続くかわかりませんけど」
雪花は大学に入学するタイミングで上京した。2つ下の妹――花菜も同じく上京してそれぞれ別々のアパートに住んでいたが、花菜の就職が決まったタイミングで二人暮らしを始め、現在に至っている。
二人の勤務地を踏まえて決めたので、通勤時間もドアtoドアで40分程度とそこまで遠くなく、何より家賃を花菜と折半できるのは魅力的だった。平日はあまり顔を合わせることもないが、姉妹仲も悪くなく、決して今の生活に不満はない。
一方で、花菜と一緒に過ごしていると、雪花は時々自分に自信を持てなくなることがある。
どちらかというと真面目で融通の利かない雪花と異なり、花菜は小さい頃から要領が良く、周囲からも可愛がられていた。大人になった今でも、花菜は有名企業でバリバリと働く一方、大学時代から交際している彼氏とも安定して関係性を築いている。
業務に追われて日々を慌ただしく過ごし、彼氏もろくにいない自分とは雲泥の差だと雪花は思う。普段は何とも思わないが、ふとした瞬間に小さな劣等感が雪花の心をじわりと蝕むことがあった。
ハイボールを握る手に力が入ったところで、「セツカさん」と己を呼ぶ声が鼓膜を揺らす。
隣を見ると、マークがこちらをじっと見つめていた。
「実は、私にも妹がいます」
「へぇ、マークにも妹さんがいんのか」
「――そうなんですか。お揃いですね」
そう言って雪花が笑顔を作ると、マークは真面目な表情のまま、すっとフォークを持ち上げた。先端にはだし巻き卵が刺さっている。
「セツカさんがこの食器を頼んで下さったので、とても食べやすいです。妹さんがいると聞いて、何故セツカさんが面倒見が良いのかわかった気がします」
そして、口元を小さく緩めた。
「セツカさんのようなお姉さんがいて、妹さんは幸せ者ですね」
その言葉は、雪花の心を薄く覆っていた靄を静かに振り払う。
脳裏に自分を「お姉ちゃんお姉ちゃん」と慕う花菜の笑顔が過った。
「――そうですかね……」
「はい、私はそう思います」
そう言ってマークはまた真面目な表情に戻り、だし巻き卵を齧る。
「おいしい」とでも言いたげに目を見開くマークを見ながら、雪花はハイボールを一口飲んだ。しゅわしゅわと心地良い炭酸が、口の中だけでなく心の中も洗ってくれるようだ。
ふと気付く。お昼、社員食堂から総務課に帰る道中のあの時も、マークからかけられた言葉がすっと心に染み渡っていったことを。
まるで、雪花を素直にさせる魔法がかかっているようだった。
「お待たせしました。イカの一夜干しです」
「お、来たな」
店員が運んできた皿を見て、浦河が吹き出す。少し怪訝そうな表情で去って行く店員の背中を見送り、浦河は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「よし、マーク。これが地球のイカだ。共食いしていいぞ」
「課長。それ、捉えようによってはパワハラです」
「はい。我が同胞よ、頂きます」
「おまえなかなかノリがいいな」
「マヨネーズ付けるとおいしいですよ」
他愛もない会話を交わす総務課の面々。
こうして静かに初日の夜は更けていった。
第4話 初日、夜、居酒屋にて (了)
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