8 / 51
第4話 初日、夜、居酒屋にて(後篇)
しおりを挟む
***
「それにしても、酒が飲めないのは残念だな。地球には『飲みニケーション』っつー文化があって、飲み会も仕事みたいなもんなんだけど。なぁ鈴木」
「地球の文化じゃなくて、日本のごく一部の文化だと思いますけど。気を付けないとアルハラって言われちゃいますよ」
そんな風に言いつつ、雪花は手に持ったハイボールをぐびりと飲む。会社の飲み会は積極的に行く方ではないが、お酒自体は嫌いではない。隣に座ったマークの前には、ジンジャーエールのグラスが置かれている。
「是非お付き合いしたいのですが、規定を破るわけにはいかず、すみません」
マークが丁寧に頭を下げた。火星人の身体にアルコールがどう影響するか未知数の部分もあるため、マークにお酒を与えないよう、NASAからも通達が来ている。
雪花が無言で浦河を睨むと、彼は「冗談だよ」と肩を竦めてみせた。
「俺だって変なことしてNASAに消されるのはまっぴらだ。家で可愛い娘が俺の帰りを待ってるし」
「あれ、娘さん何歳ですっけ」
「再来月で6歳。来年小学生だよ、あっという間だな」
焼酎に切り替えた浦河がにんまりと笑みを浮かべる。会社では決して見せないその表情を見ながら、ふと雪花は浦河とこうしてお酒を飲むのも随分と久し振りだということに気付いた。
前回飲んだのは、現在育児休職中の先輩の最終出勤日のことだ。彼女の体調を考慮して、職場近くの個室居酒屋を予約したことを覚えている。
あれからおよそ1年が経ったが、業務に追われてバタバタ毎日が過ぎていってしまい、実感が湧かない。
「鈴木のところは変わらず、妹さんと二人暮らし?」
「はい。まぁ、いつまで続くかわかりませんけど」
雪花は大学に入学するタイミングで上京した。2つ下の妹――花菜も同じく上京してそれぞれ別々のアパートに住んでいたが、花菜の就職が決まったタイミングで二人暮らしを始め、現在に至っている。
二人の勤務地を踏まえて決めたので、通勤時間もドアtoドアで40分程度とそこまで遠くなく、何より家賃を花菜と折半できるのは魅力的だった。平日はあまり顔を合わせることもないが、姉妹仲も悪くなく、決して今の生活に不満はない。
一方で、花菜と一緒に過ごしていると、雪花は時々自分に自信を持てなくなることがある。
どちらかというと真面目で融通の利かない雪花と異なり、花菜は小さい頃から要領が良く、周囲からも可愛がられていた。大人になった今でも、花菜は有名企業でバリバリと働く一方、大学時代から交際している彼氏とも安定して関係性を築いている。
業務に追われて日々を慌ただしく過ごし、彼氏もろくにいない自分とは雲泥の差だと雪花は思う。普段は何とも思わないが、ふとした瞬間に小さな劣等感が雪花の心をじわりと蝕むことがあった。
ハイボールを握る手に力が入ったところで、「セツカさん」と己を呼ぶ声が鼓膜を揺らす。
隣を見ると、マークがこちらをじっと見つめていた。
「実は、私にも妹がいます」
「へぇ、マークにも妹さんがいんのか」
「――そうなんですか。お揃いですね」
そう言って雪花が笑顔を作ると、マークは真面目な表情のまま、すっとフォークを持ち上げた。先端にはだし巻き卵が刺さっている。
「セツカさんがこの食器を頼んで下さったので、とても食べやすいです。妹さんがいると聞いて、何故セツカさんが面倒見が良いのかわかった気がします」
そして、口元を小さく緩めた。
「セツカさんのようなお姉さんがいて、妹さんは幸せ者ですね」
その言葉は、雪花の心を薄く覆っていた靄を静かに振り払う。
脳裏に自分を「お姉ちゃんお姉ちゃん」と慕う花菜の笑顔が過った。
「――そうですかね……」
「はい、私はそう思います」
そう言ってマークはまた真面目な表情に戻り、だし巻き卵を齧る。
「おいしい」とでも言いたげに目を見開くマークを見ながら、雪花はハイボールを一口飲んだ。しゅわしゅわと心地良い炭酸が、口の中だけでなく心の中も洗ってくれるようだ。
ふと気付く。お昼、社員食堂から総務課に帰る道中のあの時も、マークからかけられた言葉がすっと心に染み渡っていったことを。
まるで、雪花を素直にさせる魔法がかかっているようだった。
「お待たせしました。イカの一夜干しです」
「お、来たな」
店員が運んできた皿を見て、浦河が吹き出す。少し怪訝そうな表情で去って行く店員の背中を見送り、浦河は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「よし、マーク。これが地球のイカだ。共食いしていいぞ」
「課長。それ、捉えようによってはパワハラです」
「はい。我が同胞よ、頂きます」
「おまえなかなかノリがいいな」
「マヨネーズ付けるとおいしいですよ」
他愛もない会話を交わす総務課の面々。
こうして静かに初日の夜は更けていった。
第4話 初日、夜、居酒屋にて (了)
「それにしても、酒が飲めないのは残念だな。地球には『飲みニケーション』っつー文化があって、飲み会も仕事みたいなもんなんだけど。なぁ鈴木」
「地球の文化じゃなくて、日本のごく一部の文化だと思いますけど。気を付けないとアルハラって言われちゃいますよ」
そんな風に言いつつ、雪花は手に持ったハイボールをぐびりと飲む。会社の飲み会は積極的に行く方ではないが、お酒自体は嫌いではない。隣に座ったマークの前には、ジンジャーエールのグラスが置かれている。
「是非お付き合いしたいのですが、規定を破るわけにはいかず、すみません」
マークが丁寧に頭を下げた。火星人の身体にアルコールがどう影響するか未知数の部分もあるため、マークにお酒を与えないよう、NASAからも通達が来ている。
雪花が無言で浦河を睨むと、彼は「冗談だよ」と肩を竦めてみせた。
「俺だって変なことしてNASAに消されるのはまっぴらだ。家で可愛い娘が俺の帰りを待ってるし」
「あれ、娘さん何歳ですっけ」
「再来月で6歳。来年小学生だよ、あっという間だな」
焼酎に切り替えた浦河がにんまりと笑みを浮かべる。会社では決して見せないその表情を見ながら、ふと雪花は浦河とこうしてお酒を飲むのも随分と久し振りだということに気付いた。
前回飲んだのは、現在育児休職中の先輩の最終出勤日のことだ。彼女の体調を考慮して、職場近くの個室居酒屋を予約したことを覚えている。
あれからおよそ1年が経ったが、業務に追われてバタバタ毎日が過ぎていってしまい、実感が湧かない。
「鈴木のところは変わらず、妹さんと二人暮らし?」
「はい。まぁ、いつまで続くかわかりませんけど」
雪花は大学に入学するタイミングで上京した。2つ下の妹――花菜も同じく上京してそれぞれ別々のアパートに住んでいたが、花菜の就職が決まったタイミングで二人暮らしを始め、現在に至っている。
二人の勤務地を踏まえて決めたので、通勤時間もドアtoドアで40分程度とそこまで遠くなく、何より家賃を花菜と折半できるのは魅力的だった。平日はあまり顔を合わせることもないが、姉妹仲も悪くなく、決して今の生活に不満はない。
一方で、花菜と一緒に過ごしていると、雪花は時々自分に自信を持てなくなることがある。
どちらかというと真面目で融通の利かない雪花と異なり、花菜は小さい頃から要領が良く、周囲からも可愛がられていた。大人になった今でも、花菜は有名企業でバリバリと働く一方、大学時代から交際している彼氏とも安定して関係性を築いている。
業務に追われて日々を慌ただしく過ごし、彼氏もろくにいない自分とは雲泥の差だと雪花は思う。普段は何とも思わないが、ふとした瞬間に小さな劣等感が雪花の心をじわりと蝕むことがあった。
ハイボールを握る手に力が入ったところで、「セツカさん」と己を呼ぶ声が鼓膜を揺らす。
隣を見ると、マークがこちらをじっと見つめていた。
「実は、私にも妹がいます」
「へぇ、マークにも妹さんがいんのか」
「――そうなんですか。お揃いですね」
そう言って雪花が笑顔を作ると、マークは真面目な表情のまま、すっとフォークを持ち上げた。先端にはだし巻き卵が刺さっている。
「セツカさんがこの食器を頼んで下さったので、とても食べやすいです。妹さんがいると聞いて、何故セツカさんが面倒見が良いのかわかった気がします」
そして、口元を小さく緩めた。
「セツカさんのようなお姉さんがいて、妹さんは幸せ者ですね」
その言葉は、雪花の心を薄く覆っていた靄を静かに振り払う。
脳裏に自分を「お姉ちゃんお姉ちゃん」と慕う花菜の笑顔が過った。
「――そうですかね……」
「はい、私はそう思います」
そう言ってマークはまた真面目な表情に戻り、だし巻き卵を齧る。
「おいしい」とでも言いたげに目を見開くマークを見ながら、雪花はハイボールを一口飲んだ。しゅわしゅわと心地良い炭酸が、口の中だけでなく心の中も洗ってくれるようだ。
ふと気付く。お昼、社員食堂から総務課に帰る道中のあの時も、マークからかけられた言葉がすっと心に染み渡っていったことを。
まるで、雪花を素直にさせる魔法がかかっているようだった。
「お待たせしました。イカの一夜干しです」
「お、来たな」
店員が運んできた皿を見て、浦河が吹き出す。少し怪訝そうな表情で去って行く店員の背中を見送り、浦河は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「よし、マーク。これが地球のイカだ。共食いしていいぞ」
「課長。それ、捉えようによってはパワハラです」
「はい。我が同胞よ、頂きます」
「おまえなかなかノリがいいな」
「マヨネーズ付けるとおいしいですよ」
他愛もない会話を交わす総務課の面々。
こうして静かに初日の夜は更けていった。
第4話 初日、夜、居酒屋にて (了)
11
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
魔石と神器の物語 ~アイテムショップの美人姉妹は、史上最強の助っ人です!~
エール
ファンタジー
古代遺跡群攻略都市「イフカ」を訪れた新進気鋭の若き冒険者(ハンター)、ライナス。
彼が立ち寄った「魔法堂 白銀の翼」は、一風変わったアイテムを扱う魔道具専門店だった。
経営者は若い美人姉妹。
妹は自ら作成したアイテムを冒険の実践にて試用する、才能溢れる魔道具製作者。
そして姉の正体は、特定冒険者と契約を交わし、召喚獣として戦う闇の狂戦士だった。
最高純度の「超魔石」と「充魔石」を体内に埋め込まれた不死属性の彼女は、呪われし武具を纏い、補充用の魔石を求めて戦場に向かう。いつの日か、「人間」に戻ることを夢見て――。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

僕の目の前の魔法少女がつかまえられません!
兵藤晴佳
ライト文芸
「ああ、君、魔法使いだったんだっけ?」というのが結構当たり前になっている日本で、その割合が他所より多い所に引っ越してきた佐々四十三(さっさ しとみ)17歳。
ところ変われば品も水も変わるもので、魔法使いたちとの付き合い方もちょっと違う。
不思議な力を持っているけど、デリケートにできていて、しかも妙にプライドが高い人々は、独自の文化と学校生活を持っていた。
魔法高校と普通高校の間には、見えない溝がある。それを埋めようと努力する人々もいるというのに、表に出てこない人々の心ない行動は、危機のレベルをどんどん上げていく……。
(『小説家になろう』様『魔法少女が学園探偵の相棒になります!』、『カクヨム』様の同名小説との重複掲載です)

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

シーフードミックス
黒はんぺん
SF
ある日あたしはロブスターそっくりの宇宙人と出会いました。出会ったその日にハンバーガーショップで話し込んでしまいました。
以前からあたしに憑依する何者かがいたけれど、それは宇宙人さんとは無関係らしい。でも、その何者かさんはあたしに警告するために、とうとうあたしの内宇宙に乗り込んできたの。
ちょっとびっくりだけど、あたしの内宇宙には天の川銀河やアンドロメダ銀河があります。よかったら見物してってね。
内なる宇宙にもあたしの住むご町内にも、未知の生命体があふれてる。遭遇の日々ですね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる