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最終話 その同僚、9,000万km遠方より来たる(前篇)

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『――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした』


最終話 その同僚、9,000万km遠方より来たる

 
 総務課の部屋に戻り、古内ふるうちから受け取った封筒を開く。
 中に入っている数枚の便箋びんせんを開いた時、雪花せつかの目に飛び込んできたのは、その一文だった。

 思わず雪花はくすりと笑う。
 それは、雪花も当時いだいた想いだったからだ。
 雪花は誰も居ない部屋で、マークからの手紙をゆっくりと読み始めた。

 ***

 スズキ セツカ様


 セツカさん、地球滞在中は大変お世話になりました。

 セツカさんは指導員として、自分の業務もお忙しい中沢山たくさんのことを私に教えてくれました。
 平日だけでなく、週末も色々な場所に連れて行って頂いたお蔭で、私は仕事に加えてそれ以外の多くのことも学ぶことができました。
 この地球実習中、貴重な時間を過ごすことができたのは、すべてセツカさんのお蔭です。
 本当にありがとうございました。

 以前、私が火星に居た時の話をしたことがありましたね。

 あの時お伝えしていませんでしたが、私は元々ダニーと同じ一族でした。身体の弱かった母は病気で早くに亡くなり、その息子である私は一族の跡継ぎとして不適と判断され、地底の最下層に落とされました。
 あの頃はただ、日々を生き抜くことで精一杯でした。悪意が渦巻くあの世界で生き延びられたのは、本当に幸運であったとしか言いようがありません。ありとあらゆることを強制され、命の危険を感じるような酷い目に遭ったことも一度や二度ではありませんでした。
 永い時間をかけてようやく選抜試験の切符を手に入れた私の心は、随分とすさんでいたと思います。

 しかし、地球に来てから、私の世界は一変しました。
 セツカさん、あなたは初めて逢うであろう異星人の私に、とても親切にしてくれました。
 ウラカワ課長は私の身体のことをいつも気遣ってくれました。
 トリカイ部長は私に興味を持ち、色々なことを話してくれました。
 ハレヤマさんはいつも明るく私に接してくれました。


 ――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした。


 そしてセツカさん。
 あなたに出逢った日のことを、私はこの先何度でも思い出すことでしょう。

 初日、総務課に訪れた私を、あなたは笑顔で迎えてくれました。
 社員食堂で営業の先輩方に囲まれたこともありましたね。しかし、総務課までの帰り道、私はとても穏やかな気持ちでいることができました。
 それは、セツカさんが必死で私を守ろうとしてくれたからです。
 あなたと話していると、不思議と心が和らぐことに気付きました。

 会話を重ねる程、あなたのことをもっと知りたいと思うようになりました。
 あなたはいつも一生懸命に目の前のことに取り組んでいました。
 自分の仕事に向き合う時も、指導員として私に教えてくれる時も。
 その真摯な姿勢に、私は胸を打たれました。

 ですから、私はあなたのために、できることを精一杯やろうと決めたのです。
 私にできることは、本当に小さなことかも知れませんが――それが少しでもあなたのためになればいいと思いました。

 週末に一緒に出掛けることになった時は、とても嬉しかったです。
 たとえ人々の雑踏の中であっても、私はあなたを見付けることができました。
 ――そして、あなたと一緒に見るものはどれも、私にとって特別なものとなりました。

 勿論、いつか訪れるその日を、知らずにいたわけではありませんでした。
 私はいつか火星に帰らなければなりません。
 火星に帰り、自分の居場所をつくること――それが私の目標だったからです。

 しかし、地球に来てから過ごした日々は、かつての私からすれば想像もできない程素晴らしいものでした。
 本当においしいものが何かを、改めて知ることができました。
 穏やかな気持ちで日々を過ごすことの幸せを知りました。
 私には私の居場所があるのかも知れないと、そう思えるようになりました。

 そして、セツカさん。
 少しずつあなたを知っていけること、それは何よりも嬉しいことでした。
 正直なことを言えば、セツカさんとハレヤマさんの会話を聞いて、複雑な気持ちになることもありました。
 私の知らないあなたの姿が、そこにはあったのですから。

 気付けば、私はあなたのことばかり考えていました。
 あなたの優しさは、私を私らしく居させてくれました。
 あなたのその言葉が、あなたのその何気ない仕種が、私の心をかき乱すことを知りました。
 ――そして、私を笑顔にしてくれるのも、あなたの一言でした。

 あなたにはそんなつもりは一切なかったのかも知れない。
 しかし、私の目にはいつもあなたが輝いて見えました。

 先日、プラネタリウムに二人で出掛けましたね。
 私にとって、あの時間はかけがえのないものでした。
 一方で、私は気付いていました。
 あなたは、少し寂しげな眼差しをしていました。

 あなたと過ごす時間が残り少なかったとしても、共に居られることが私の幸せでした。
 しかし、残り時間が刻一刻と減っていく中で――私の気持ちも少しずつ変わっていきました。

 ――さぁ、私にはあと、何ができる?
 あなたのために、何を残すことができる?

 ずっとこの時間が、続いてくれたならいい。
 たとえそんなことはありえないとわかっていても――それでも、願わずにはいられませんでした。

 そして――思いがけず終わりは訪れました。
 あなたには本当に多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。
 私のせいで、怖い目にも遭わせてしまった。
 謝っても謝りきれません。
 本当に申し訳ありませんでした。

 ――しかし、あなたはそんな状況下でも、私のことを気遣ってくれました。
 意思疎通もできない私の手を、優しく握ってくれました。
 あの瞬間、私は気付きました。


 セツカさん

 ――私は、あなたのことが

 好きだ。


 今更こんなことを言われても、困るかも知れない。
 それでも、伝えずにはいられなかった自分勝手な私を許してください。

 本当はあなたともっと一緒に居たかった。
 その願いは途絶えてしまいました。

 ――しかし
 最後にそっと、私を抱き締め返してくれた
 あのぬくもりだけで、私はこの後の人生を生きてゆけるのです。

 私の存在を認めてくれた
 私の居場所があると言ってくれた
 300年の人生の中で、こんなにも満たされたことはありません。
 あなたの存在は私にとって、くらい夜空に輝く何よりも美しい星でした。

 セツカさん、あなたに出逢うことができて本当に良かった。
 あなたの幸せを心よりお祈り申し上げます。

 ありがとう、そしてさようなら。


 鈴木・マーク・太郎

 ***

 ――手紙にぽたりと雫が落ちて、雪花ははっと我に返る。

 大切な手紙を汚してはいけない。
 だって――これは、あのひとがただひとつ、私に残していったものなのだから。

 雪花は慌てて両目をぬぐった。
 しかし、溢れる想いは止まらずに、雪花の指の隙間からこぼれ落ちていく。

 二人で映画館に行った時の記憶がよみがえる。
 あの時、映画の感想を語り合う中で――マークは穏やかな表情で言った。
 
『共に過ごした奇跡のような時間は、たとえ離れてもうしなわれるものではない――私はそう思います』

 そう、私だってそう思っていた。

 たとえ離れてしまっても――この出逢いに、きっと意味はあった。

 だって――生きる惑星が違う私達が出逢えたこと、そのものが奇跡のような出来事だったんだから。


 ――マークさん、

 私もあなたのことが好きです。

 好きです、好きです

 ――好きです。


「――マークさん……!!」

 がらんとした部屋の中で、雪花は思わずその名を呼ぶ。
 その声に答える者は、誰も居ない。

 それでも――その存在は、雪花の心の中でいつまでも輝き続ける。


 あの金色こんじきに光る瞳も

 口元を緩めるだけの控えめな微笑みも

 聴いた者を落ち着かせてくれるような穏やかな声も

 ――すべてが私にとって、大切な光だった。


 誰も居ない部屋の中で、雪花は手紙を胸に抱き、静かに泣いた。
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