7 / 51
第4話 初日、夜、居酒屋にて(前篇)
しおりを挟む
――会話を重ねる程、あなたのことをもっと知りたいと思うようになりました。
第4話 初日、夜、居酒屋にて
「いやー、それにしてもあいかわらず営業部は勢いあるな。まさかいきなりマークにガンガン話しかけてくるとは」
ビールのジョッキを片手に浦河が笑い声を上げる。アルコールが入ってすっかりご機嫌な上司を、雪花は恨みがましい眼差しで射抜いた。
「課長、笑いごとじゃないですよ。部長が助けてくれなかったらどうなっていたことか」
――ここは、会社から少し離れた場所に位置する居酒屋だ。
週の半ばである今日水曜日を定時退勤日に設定している会社も多いのか、店内は多くの客で賑わっている。申し訳程度の半個室席で、総務課の実習生歓迎会はこぢんまりと開催されていた。
「悪ぃ悪ぃ。まぁでも出社初日にしちゃあ上出来だろ。マークももうPC使って他の部署にメール打ってたみたいだし、立ち上がり早いな」
浦河がそう話を振ると、焼鳥を手に持ったマークがこくりと頷いた。
「はい、セツカさんのお蔭で、無事に業務を始めることができました」
「へー、鈴木さすがじゃん」
「そんな大したことしてませんよ」
テーブルの上には定番の居酒屋メニューが並べられている。雪花は近くを通りかかった店員を呼び止め、マーク用にフォークを持ってきてもらえるようお願いした。
***
お昼休みに営業部の先輩達とひと悶着あったものの、午後は大きな問題なくスムーズに進んで行った。浦河がマークに総務課の仕事について簡単に説明をした後、雪花がそれを引継ぎ、自分の担当する業務の中から幾つかの内容についてマークに説明した。
そもそも生きてきた惑星自体が違うので、上手く言いたいことを伝えられるか雪花は不安でならなかったが、マークは真剣な表情で説明を聞いた後、ゆっくりと頷いた。
「セツカさんが話している内容について、理解しました。まずはやってみます」
「お願いします。午前中にPCの設定は終わったのでもう使えますが、マークさんはPCを使ったことはありますか?」
「火星でも似たようなものは存在します。ただ、文字を打ち込む仕様ではないので、慣れるまでには少し時間がかかるかも知れません」
「え……文字を打ち込まないんですか?」
「はい。言いたいことを想像すればそれを自動で読み取って画面上に表示されるので、手で入力する必要がないのです」
雪花は思わず「便利ですね」と呟く。地球にも音声認識や自動筆記の装置はあるが、「イメージするだけで言いたいことが入力される」までには至っていない。脳波を読み取りテキスト化するAIの開発についてこの前ニュースで報道されていたが、それでも頭に装置などを繋げる必要があり、誰もが日常的に使用するまでにはまだまだ時間を要するだろう。
もしそんなことができれば、メールを打つ速度も格段に上がって、もっと仕事が効率化できるに違いない。その頃には、そもそもメールを打つ必要もなくなっているかも知れないが……。
そしてマークはPCを前に作業を始めたが、すぐに眉をぴくりと歪める。
「――セツカさん、すみません」
「どうしました?」
「私の打ち方が悪いのか、妙な言語が表示されてしまいます」
雪花が画面を覗き込むと、確かに画面上には意味を成さない言語の羅列が表示されている。これはどうしたことか。マークも「妙な言語」と言うからには、火星語というわけでもないようだ。
何が起こっているかよくわからず、雪花は暫くディスプレイとにらめっこをしたが、解決の糸口は見えない。そこで、マークと会話しながら文字を入力してもらい、その事実に気付いた。
「マークさん、『かな入力』なんですね」
そう――マークは『かな入力』をしていたのだった。キーボードに書かれたひらがなのキーを押して入力する方法だが、雪花は職場で『かな入力』の人を見たことがない。思い返せば、学生時代に地元の図書館で調べ物をしようとした時、同様の状況になって困ったことがあった。雪花の前の利用客が『ローマ字入力』から『かな入力』に切り替えたまま戻していなかったらしく、職員が直してくれたことを思い出す。
『かな入力』に切り替えてマークに文章を打つよう促すと、きちんとした日本語が画面上に姿を現していく。マークは小さく口元を緩めた。
「セツカさん、ありがとうございます。直ったようです」
「よかったです。多くの日本人は『ローマ字入力』なので、気付きませんでした」
「そうですか……すみません、『ローマ字』というものがわからなくて」
そして、マークは左手の袖を捲る。そこには、スマートウォッチのようなものが巻き付けられていた。
「――それは?」
「これは、火星語と他言語の変換装置です。私はこれを付けることで、セツカさん達が使用する言語を理解し、使用することができるのです」
話を聞いてみると、人々の会話や街中で表示されている日本語が、自動でマークには火星語に変換され、インプットされているようだ。同じく、マークが話す火星語も自動的に日本語に変換され、周囲に発信される。
ただ、この変換装置のスコープは今のところマークが訪れた日本に限定されているらしい。つまり、日本語以外では日本でも定常的に使われている外来語でないと、理解も使用も難しいということだ。社員食堂で先輩達に英語で話しかけられた時に反応できなかったのは、そのためだった。
「この地域で使用されている言語に特化して、私自身もこの入力部分に記載された文字を学んだつもりではあったのですが、不勉強でしたね」
マークの表情がほんの少し曇ったのを見て、雪花は敢えて明るい声を出す。
「いえ、全然問題ないですよ。でも、これでマークさんの日本語が綺麗な理由がわかりました。日本語は複雑で難しいと言われているものですから、あまりにもマークさんの日本語が自然で驚いていたんです」
そして、実際にマークの仕事振りは全く問題なかった。
他部署に展開するメールの文章も違和感なく、リスト作成も多少時間がかかるもののきちんと一人で完成させる。言語が自動変換されていることを差し引いても、地球人と火星人の感覚にそこまでギャップがないのか、マークは雪花が想定していたよりも速いスピードで仕事をこなした。
――マークさん、すごい。
隣の席には、変わらない表情でPCと向き合うマークがいる。強力な助っ人に心の中で感謝しながら、雪花は飲むヨーグルトを静かに啜った。
第4話 初日、夜、居酒屋にて
「いやー、それにしてもあいかわらず営業部は勢いあるな。まさかいきなりマークにガンガン話しかけてくるとは」
ビールのジョッキを片手に浦河が笑い声を上げる。アルコールが入ってすっかりご機嫌な上司を、雪花は恨みがましい眼差しで射抜いた。
「課長、笑いごとじゃないですよ。部長が助けてくれなかったらどうなっていたことか」
――ここは、会社から少し離れた場所に位置する居酒屋だ。
週の半ばである今日水曜日を定時退勤日に設定している会社も多いのか、店内は多くの客で賑わっている。申し訳程度の半個室席で、総務課の実習生歓迎会はこぢんまりと開催されていた。
「悪ぃ悪ぃ。まぁでも出社初日にしちゃあ上出来だろ。マークももうPC使って他の部署にメール打ってたみたいだし、立ち上がり早いな」
浦河がそう話を振ると、焼鳥を手に持ったマークがこくりと頷いた。
「はい、セツカさんのお蔭で、無事に業務を始めることができました」
「へー、鈴木さすがじゃん」
「そんな大したことしてませんよ」
テーブルの上には定番の居酒屋メニューが並べられている。雪花は近くを通りかかった店員を呼び止め、マーク用にフォークを持ってきてもらえるようお願いした。
***
お昼休みに営業部の先輩達とひと悶着あったものの、午後は大きな問題なくスムーズに進んで行った。浦河がマークに総務課の仕事について簡単に説明をした後、雪花がそれを引継ぎ、自分の担当する業務の中から幾つかの内容についてマークに説明した。
そもそも生きてきた惑星自体が違うので、上手く言いたいことを伝えられるか雪花は不安でならなかったが、マークは真剣な表情で説明を聞いた後、ゆっくりと頷いた。
「セツカさんが話している内容について、理解しました。まずはやってみます」
「お願いします。午前中にPCの設定は終わったのでもう使えますが、マークさんはPCを使ったことはありますか?」
「火星でも似たようなものは存在します。ただ、文字を打ち込む仕様ではないので、慣れるまでには少し時間がかかるかも知れません」
「え……文字を打ち込まないんですか?」
「はい。言いたいことを想像すればそれを自動で読み取って画面上に表示されるので、手で入力する必要がないのです」
雪花は思わず「便利ですね」と呟く。地球にも音声認識や自動筆記の装置はあるが、「イメージするだけで言いたいことが入力される」までには至っていない。脳波を読み取りテキスト化するAIの開発についてこの前ニュースで報道されていたが、それでも頭に装置などを繋げる必要があり、誰もが日常的に使用するまでにはまだまだ時間を要するだろう。
もしそんなことができれば、メールを打つ速度も格段に上がって、もっと仕事が効率化できるに違いない。その頃には、そもそもメールを打つ必要もなくなっているかも知れないが……。
そしてマークはPCを前に作業を始めたが、すぐに眉をぴくりと歪める。
「――セツカさん、すみません」
「どうしました?」
「私の打ち方が悪いのか、妙な言語が表示されてしまいます」
雪花が画面を覗き込むと、確かに画面上には意味を成さない言語の羅列が表示されている。これはどうしたことか。マークも「妙な言語」と言うからには、火星語というわけでもないようだ。
何が起こっているかよくわからず、雪花は暫くディスプレイとにらめっこをしたが、解決の糸口は見えない。そこで、マークと会話しながら文字を入力してもらい、その事実に気付いた。
「マークさん、『かな入力』なんですね」
そう――マークは『かな入力』をしていたのだった。キーボードに書かれたひらがなのキーを押して入力する方法だが、雪花は職場で『かな入力』の人を見たことがない。思い返せば、学生時代に地元の図書館で調べ物をしようとした時、同様の状況になって困ったことがあった。雪花の前の利用客が『ローマ字入力』から『かな入力』に切り替えたまま戻していなかったらしく、職員が直してくれたことを思い出す。
『かな入力』に切り替えてマークに文章を打つよう促すと、きちんとした日本語が画面上に姿を現していく。マークは小さく口元を緩めた。
「セツカさん、ありがとうございます。直ったようです」
「よかったです。多くの日本人は『ローマ字入力』なので、気付きませんでした」
「そうですか……すみません、『ローマ字』というものがわからなくて」
そして、マークは左手の袖を捲る。そこには、スマートウォッチのようなものが巻き付けられていた。
「――それは?」
「これは、火星語と他言語の変換装置です。私はこれを付けることで、セツカさん達が使用する言語を理解し、使用することができるのです」
話を聞いてみると、人々の会話や街中で表示されている日本語が、自動でマークには火星語に変換され、インプットされているようだ。同じく、マークが話す火星語も自動的に日本語に変換され、周囲に発信される。
ただ、この変換装置のスコープは今のところマークが訪れた日本に限定されているらしい。つまり、日本語以外では日本でも定常的に使われている外来語でないと、理解も使用も難しいということだ。社員食堂で先輩達に英語で話しかけられた時に反応できなかったのは、そのためだった。
「この地域で使用されている言語に特化して、私自身もこの入力部分に記載された文字を学んだつもりではあったのですが、不勉強でしたね」
マークの表情がほんの少し曇ったのを見て、雪花は敢えて明るい声を出す。
「いえ、全然問題ないですよ。でも、これでマークさんの日本語が綺麗な理由がわかりました。日本語は複雑で難しいと言われているものですから、あまりにもマークさんの日本語が自然で驚いていたんです」
そして、実際にマークの仕事振りは全く問題なかった。
他部署に展開するメールの文章も違和感なく、リスト作成も多少時間がかかるもののきちんと一人で完成させる。言語が自動変換されていることを差し引いても、地球人と火星人の感覚にそこまでギャップがないのか、マークは雪花が想定していたよりも速いスピードで仕事をこなした。
――マークさん、すごい。
隣の席には、変わらない表情でPCと向き合うマークがいる。強力な助っ人に心の中で感謝しながら、雪花は飲むヨーグルトを静かに啜った。
11
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜
羽村美海
恋愛
古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。
とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。
そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー
住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……?
✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦
✧天澤美桜•20歳✧
古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様
✧九條 尊•30歳✧
誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭
✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦
*西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨
※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。
※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。
※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。
✧
✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧
✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧
【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる