モブキャラ男子は三条千歳をあきらめない

未来屋 環

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 ――そう、今日こそ僕は生まれ変わる。


 『モブキャラ男子は三条千歳をあきらめない』


 中学まではとにかく目立たない存在だった。
 友達がいないことに気付かれないよう、一人教室の端で本を読む振りをして休み時間をやり過ごす――そんな日々に別れを告げたくて、僕は人生最大の勇気を振り絞り、今この場所に立っている。

 そう――軽音楽部の部室に。

 正直、楽器の心得こころえは全くない。幸いにも音楽の成績は悪くないけれど、取り立てて良くもない。
 それでも、このままでは今後もモブキャラとして人生を終えてしまいそうで、僕は一念発起いちねんほっき、いわゆる高校デビューを夢見て軽音楽部の体験入部にやってきた。
 この前生まれて初めて行った美容院でワックスの使い方を教わり、我ながら随分と垢抜あかぬけた気がする。コンタクトは親に反対されたので眼鏡めがねのままだが、毎朝鏡を見るのが少し楽しみになった。


 まさに新しい人生が始まろうとしている、そんな記念すべき今日――何故か僕の目の前では、二人の男子が一触即発状態で睨み合っている。

「てめぇ、もう一度言ってみろよ。俺のドラムが、何だって?」

 そうすごむのは、黒い髪を無造作むぞうさに伸ばしたがたいのいい男だ。先程まで激しい勢いでドラムを叩いていた。
 あまりに上手かったので、先輩をはじめ、皆何も言えなかった。正直、新入生でこのレベルが求められるのだとすれば、僕の入部は間違いなく認められないだろう。

 そんな彼に異を唱えたのが、眼前がんぜんに立つ金髪の男子だ。
 女性のように線が細く、綺麗な顔をした彼は、無言のまま冷めた眼差しで相手を見据えている。

『――君のドラム、うるさいんだけど』
 
 先程彼がそう言いはなった瞬間、室内の空気は見事に凍り付いた。
 そういう意味では、先に喧嘩を吹っ掛けた金髪の彼の方がが悪そうだが、全く動じる気配がない。そんな態度が、余計にがたいのいい彼の機嫌きげん逆撫さかなでしている。

 もはや僕の高校デビューどころの騒ぎではない。
 誰かこの二人を早く仲裁ちゅうさいしてほしい――そんなかすかな期待を胸に先輩たちをちらりと見るが、皆僕と同じように固まっている。


 どこからか救世主が現れないかと、誰もが祈ったその時だった。


「――ほらほら、二人ともそこまで!」

 足を進めると同時に、肩下で切り揃えた髪がさらりと揺れる。
 眼鏡をかけたその女子は、りんとした声と共に、目の前で睨み合う二人の間に割って入った。
 虚をつかれた二人が驚いたように目を見開くが――そんなことを意に介す様子もなく、彼女は金髪の男子に言う。

「今のは鬼崎きさきが悪いよ。思うのは自由だけど、もっと言い方あるでしょ」

 次に彼女はがたいのいい男に向き直った。

冬島ふゆしまも気持ちはわかるけど、他の人に迷惑がかかるから喧嘩は別の所でやるように」

 金髪の男子――鬼崎くんは一つため息をき、「はいはい」と言いながら部屋を出て行く。
 残されたがたいのいい男――冬島くんはそんな彼の後ろ姿を睨んでいたが、やがて「ちっ」と舌打ちをして同じく部屋を出て行った。

 そして――ぽかんとしたままの僕たちを振り返り、彼女はにっこりと笑う。

「さて、体験入部も無事終わったことだし、帰りますか。今日はおつかれさまでした!」

 それが、僕と彼女――三条さんじょう千歳ちとせのファーストコンタクトだった。

 *** 

「お、いっちー、おはよう!」

 朝、一人で学校に向かう途中、よく通る声が背後から響いた。
 ――僕をこんな風に呼ぶひとは、たった一人しかいない。
 振り返ると、あんじょうそこには三条さんが立っていた。

「さ、三条さん、おはよう」

 僕の名前は一瀬いちせ拓也。
 華々しい高校デビューはし損ねてしまったが、なんとか軽音楽部への入部は果たすことができた。

 僕の返事に、三条さんが満足気に笑う。
 猫のような瞳が優しく細められるさまにどきりとしながら、僕も慌てて笑みを浮かべた。そもそも女子にあだ名で呼ばれるなんて、生まれて初めての経験だ。きちんと笑えているか不安でならない。
 そんな僕の胸のうちなど知るはずもなく、彼女は「今日も部活頑張ろうねー」と手をひらひらさせながら、かろやかに通り過ぎていく。

 そのまま三条さんは前方を歩く同級生の女子に話しかけた。
 少し距離があるので話の内容は聞こえないが、楽しそうに笑っている。

 こうやって見ていると普通の女の子なのに――あの日、先輩たちを含め誰も動けない中で、彼女はおくすることなく同級生の男子二人に立ち向かっていった。
 僕の中で、三条さんの凛とした声がよみがえる。
 ずっと教室の端で生きてきた僕とは、別の世界のひとのような――そんな明るい彼女の横顔から目を離せずに、僕はその後ろを一定の距離を保ちながら付いていった。


 学期初めの穏やかな授業は淡々と流れていき、僕たちは無事に部活の時間まで辿り着く。
 軽音楽部が所有するスタジオは2つ――高校1年生から3年生までの各バンドには曜日毎に練習日が割り振られる。
 残念ながら今日スタジオを使う権利のない僕たちは、空き教室に集合した。

「じゃあいっちー、れい、発表曲何にする?」

 そう言って黒板の前でチョークを握るのは、言うまでもなく三条さんだ。
 一番前の席で彼女を見上げる僕の隣には、同じ軽音楽部の1年生である二見ふたみ冷が座っている。

 僕たちの学校は校則がとても緩く、学生たちは皆思い思いの格好をしている。
 あとで知ったことだが、あの体験入部の日に喧嘩をしていた金髪の男子――鬼崎くんは高校生ながらにしてプロのミュージシャンだった。
 確かに彼のキーボード演奏はとても素晴らしく、なんて神様は不公平なんだろうと思ったものだ。

 しかし、恐らく僕と同じ一般人であろう二見さんも、一般人の割には少し変わっていると思う。
 地毛であろう黒髪の先っぽだけを丁寧に青く染め上げた彼女は、三条さんとは逆であまりしゃべらない。
 
「――任せる。あたしはベースが弾ければそれでいい」

 二見さんはぼそっとそう呟いて、ポケットから出した携帯電話をいじり出した。
 そんな彼女に、三条さんは「OK、かっこいいベース期待してるよ!」と明るく返す。

 ――そう、三条さんと二見さん、そして僕は同じバンドのメンバーになった。

 結局軽音楽部に入部したのは、体験入部の日に喧嘩をしていた鬼崎くんと冬島くん、他のクラスの男子生徒5人、そして僕たち3人だった。
 鬼崎くんと冬島くんはバンドを組むつもりがないらしく、また5人組の男子たちは同じバンドになるよう示し合わせてきたため、残りの僕たちは三条さんの号令でバンドを組むことになり、今日こんにちに至る。

 まさか女子二人とバンドを組むことになるなんて――願ってもない状況だが、ろくに同性の友達すらいなかった僕からすると、一気にハードルが上がりすぎだ。
 そんなよろこびと不安に翻弄ほんろうされる僕を、三条さんの台詞せりふが追撃する。

「それにしても、6月に公演があるなんて、想像以上に早くてワクワクしちゃうね!」

 そう、僕たちは毎年恒例の6月に学内で行われるお披露目ひろめライブに出ることが決まっていた。新入生は全員出演し、2曲演奏しなければならないらしい。
 そのため、僕たちは前回の部活で担当パートを決めた。
 元々ベーシストだという二見さんは当然ベースだが、僕と三条さんは初心者で、特に楽器にこだわりもない。

「いっちー、やりたいパートある?」
「えっと、特に……」
「いっちー、楽器持ってる?」
「えっと、何も……」
「いっちー、ボーカルはど」
「無理無理無理無理」

 そんな煮え切らない僕の返事に少し首をかしげた後、三条さんは何かをひらめいたような笑顔でこう言った。

「じゃあ、私ギターボーカルやろうかな。兄貴のお下がりのギターがうちにあるし」
「えっ、そうなの?」
「うん。そしたらいっちー、ドラムやろうよ。スティックさえ買えば練習できそうだし」

 そして僕は、初体験のドラムパートを担当することになった。
 ――正直、不安しかない。
 それでも、バンドの華であるボーカルや、とても弾けそうにないギターに比べれば何とかなりそうだ。

 そんな経緯もあり、発表曲についても僕には特にこだわりがない。
 それでも、三条さんは僕に「ねぇ、いっちーはやりたい曲ないの?」といてくれた。

「特に……初心者でも叩けそうなものであれば」

 すると、三条さんはにんまりと笑みを浮かべて「じゃあ、この曲でどう?」と黒板に曲名を書き始める。
 それを見た僕と二見さんは、目を丸くした。

「「……『いぬのおまわりさん』?」」
「そう! これをガチガチのメタルっぽくやったら面白いかなって。童謡だったらそんなに曲長くないし、アレンジ前提だから多少自由に演奏してもおかしくないし、どう?」

 想定外の提案に、僕は何も言えない。
 すると、隣に座っていた二見さんが「……悪くないかも」とぼそっとつぶやいた。
 それを聞いて、三条さんが嬉しそうにうなずく。

「こういう曲だからこそ、演奏がしっかりしているとむちゃくちゃ映えると思うんだよね。だから冷、かっこいいベースよろしく!」

 そこから、残るもう1曲を決める作業に入った。童謡と言われると、あまり音楽に詳しくなくてもアイデアを出しやすい。3人で話し合い、最終的に二見さんが提案した『どんぐりころころ』に決まった。
 
「よしっ、じゃあこれから3人で練習頑張っていこう!」

 三条さんがそう言って、元気に「えいえいおー!」と右手を突き上げる。
 それにつられて手を伸ばそうとしたところで、隣の二見さんの冷たい視線に気付いた僕は、慌てて手を引っ込めた。
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