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track08. ジャッジメント・デイ-The Judgement Day-(2)

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 鈍色にびいろidiotsのライブが終わった。
 できる限りのことはした。ギターが抜けた穴を埋める為に、必死で練習し、曲も3ピースバンド前提で選んだ。曲数を減らし、他のメンバーのソロパートや俺の苦手なMCも取り入れて、何とか一時間の公演をやりきった。
 ――それでも、胸の内に残ったのは、後悔ばかりだ。もっとこうすれば良かった、ああするべきだったと、思いが溢れてくる。やはりギタリストが抜けた穴は大きかった。

 次のパートであるカラオケ大会で演奏をするメンバーと機材の入れ替えをする為、俺達は早々に撤収しなければならない。アンプからシールドを抜いていると、背後から「おつかれ」とぼそりと声をかけられた。

 そこには、同学年の春原はるはらがギターを持って立っていた。

 俺は、春原が苦手だ。高校生とは思えない程のギターの実力に加え、俺達同級生には目もくれず上級生達とバンドを組んだりと、何を考えているのかよくわからない。少なくとも俺達とは住む世界が違う――そんな風に感じさせる雰囲気が、春原こいつにはあった。
 言葉を返さずにその場を離れようとすると、「御堂みどうくん」とまたもや声をかけられる。

 振り返ると――二年生の『あの人』が立っていた。

 正直、俺は『この人』も得意じゃない――というか、嫌いだった。中学の頃から音楽をやっていた俺にとっては、春原こうはいから誘われて軽音楽部に入るという中途半端さがそもそも気に食わない。六月公演の時に遅れてやってきたのも鼻についた。
 そして、何より、歌い出した時の――圧倒的な存在感。
 それは、俺のちっぽけな自尊心を粉々に砕くには十分過ぎる代物だった。

「春原、あとは頼むな」
「わかりました、夏野さんはそちらをお願いします」
 春原との会話を終えて――夏野さんは俺に向き直る。
「御堂くん、昼飯ついでに俺に付き合ってもらえない?」


 そして現在――何故か俺は、夏野さんこの人と共にKing & Queenのライブの客席で開演を待っている。元々観に行こうとは思っていたが、何故一緒に来ることになってしまったのだろうか。

 鬼崎きさき達哉は俺の憧れだ。二年前にKing & Queenがデビューした時、俺は中学二年生だった。俺とそんなに年も変わらない弱冠高校一年生のあの人が、メジャーなアーティスト達と対等に渡り合うその姿に衝撃を受けた。
 好きな音楽のジャンルは異なったが、あんな風になりたくて、俺は必死に歌とギターの練習をした。同じ高校に進学し、軽音楽部に入った。中学のバンドでは一番俺が上手かった。きっと俺の歌と演奏は鬼崎達哉にも届くだろう――そんな淡い期待を抱いていた。
 しかし、鬼崎達哉にとって、俺は名前も覚えられない存在でしかなかった。俺以外は初心者のバンドだ。仕方のないことだとは思う。しかし、口惜しさはどうしても拭えなかった。

 なのに――横に立つこの人は、俺とは違う。
 確かな才能を持ち、実力派のバンドメンバーに恵まれ、鬼崎達哉からも一目置かれる存在――何でこんなにも、俺と違うのだろう。
 この人は『持てる者』、俺は『持たざる者』だ。
 この人を見ていると、自分の小ささを思い知らされるようで嫌だった。

 ――だからこそ、あの夏休みの日

『――俺にも、なかったよ』

 いきなりスタジオに現れたこの人の言葉が、逆に胸に刺さったのかも知れない。事情はよく知らないが、この人にも何らかの傷があって、それが今の彼を作り上げているのだと俺は理解した。
 公演前一ヶ月をきった段階でLAST BULLETSのベーシストが怪我をしたという話を聞いた時、他人事ながらどうするのだろうと思った。ベース無しで当日やりきるのだろうか。もし自分がその立場に置かれたら――想像もしたくない。

 ――しかし、この人は笑顔だった。強がりでもなく、自然に俺に笑ってみせた。

 ちらりと横目で様子をうかがう。彼は俺のそんな思いを知ることもなく、正面を向いて開演を待っていた。しかし、俺の視線に気付いたのか、こちらを振り返る。目が合ってしまい、言葉に詰まる俺に対して、夏野さんは表情を綻ばせた。
「ライブ、途中からだったけど聴いた。良かったよ」
「――そうすか? 俺にはとてもそう思えませんでしたけど」
 社交辞令のような言葉に嫌気が差して、つっけんどんに返す。しかし、夏野さんの表情は変わらない。
「やっている本人としては色々あるよな。でも、俺は純粋に六月公演より聴きやすかったよ。バンドとしての一体感があって、聴いている側としても伝わってくるものがあった。何より、ベースとドラムの二人のやりきった感っていうのかな? あれが六月公演の時とは全然違ってさ、それは御堂くんの力があってのものなんじゃない?」
 そして、夏野さんは笑った。
「そういうの大事だと俺は思うよ」

 確かに、六月公演の時よりも、今回のライブやそれに至るまでの練習の中で、二人は活き活きとしていたように思う。今回のセットリストも、二人のアイデアで入れた曲が半数以上だ。前はただ演奏するのにいっぱいいっぱいだったが、俺に色々と意見を返すようにもなった。
 ――いや、逆にいっぱいいっぱいだったのは、俺の方か。
 ギタリストが辞めてどんどん余裕がなくなっていく俺に対して、二人は何の文句も言わずに着いてきてくれた。思い返せばいつも俺は自分のことばかりだったかも知れない。そんなことに今更ながら気付かされた。

 何も返せずにいる俺に対して、夏野さんもそれ以上何も言わなかった。そのまま俺達は二人で並んでKing & Queenのライブの開演を待った。周囲にはどんどん人が集まってくる。すごい人数だ。まぁ、無料でキンクイのライブが観られるとなれば、無理はない。
 カラオケ大会の方は大丈夫だろうか。少しだけ気になった。

「――実は、ちゃんとKing & Queenの曲聴いたことないんだ、俺」
 開演まであと一分になったところで、唐突に夏野さんが言う。俺は耳を疑った。
「は? あんなにそこら中で流れてるのに?」
「ちょっと昔色々あってさ」
 憂鬱そうに顔を顰めた後、夏野さんが真剣な眼差しでステージを見る。

「――でも、もう逃げないことに決めた」

 その言葉の意味がわからず、俺が訊こうとした時――大きな音が鳴り響いた。

 King & QueenのCDは一応全部持っている。しかし、流れる曲は今まで聴いたことのないインストゥルメンタルだった。流れる曲に合わせて、会場内のどこからともなく手拍子が始まる。その音に合わせて、俺の鼓動もどんどんと高まっていくようだった。

 そして――ステージの上にメンバーが現れた瞬間、大きな歓声が上がる。
 最初に現れたのは鬼崎達哉だった。学内で初めてその姿を見た時、芸能人だけあって整った顔をしているとは思ったが、ステージ上に立つ姿はまたそれとも異なっていた。紫を基調とした煌びやかな衣装に金色の髪を靡かせて歩く姿は気品に溢れ、自分と同じ高校生とはとても思えない。彼は一度だけ観客達に控えめな笑顔で手を振り、そのまま複数台のキーボードに囲まれたおりの中に入っていった。
 続いてボーカルのワン小鈴シャオリンが現れると、更に大きな歓声が上がった。六月公演の時にも驚いたが、とにかく顔が小さく、足が長い。黒い短めのワンピースに赤いジャケットを羽織り、堂々とステージのセンターに立つ姿には、圧倒的な存在感があった。

 ――これが、本物のKing & Queenか。

 六月公演のサプライズとは違い、二人のプロミュージシャンが放つオーラが空気を切り裂いてこちらまで届くようだった。
 歓声が止まない中、鬼崎達哉が演奏を始める。王小鈴が手拍子をして観客を煽った。CMとタイアップした有名曲に、会場も一体となって手拍子をする。キーボードの演奏が一瞬止まった瞬間、王小鈴が口元にマイクを近付けた。

「――Welcome to the show!」

 その言葉で会場の歓声がまた大きく跳ね上がる。王小鈴が曲に合わせて歌い始めた。まるでCDを聴いているかのような再現性だ。それでも、生で放たれる彼女の声は、肌に刺さるようなインパクトを持ってこちらに届く。鬼崎達哉は淡々と演奏を続けているが、間奏に入ると身体の向きを変え、前方と横に位置するキーボードを同時に弾き出した。鍵盤楽器に疎いので何をやっているのかよくわからないが、間違いなくその姿には観客達の興味を惹き付ける華があった。

 二曲目は王小鈴のボーカルがより映える曲だった。鬼崎達哉がコーラスを入れながらキーボードを弾く。一曲目の時もそうだったが、ステージ上にはキーボードしかないはずなのに、音が厚い。コンピューターで流している音源も当然あるだろうが、鬼崎達哉のキーボードからも複数の音色が流れているのだろう。

 二曲終わったところで、王小鈴が手短に挨拶を済ませ、そのままバラード曲を歌い始めた。曲と彼女の歌声の雰囲気がまた大きく変わる。続く四曲目は六月公演の時にサプライズで演奏されたものと同じ曲だったが、アレンジが利いていてまるで別の曲のようだ。そしてその後、今度はアルバムに収録されているダンスナンバーが始まる。
 会場は完全にステージ上の二人のものだった。俺は次々に繰り出される曲に圧倒されるばかりだ。周囲の観客達は楽しそうに盛り上がっている。その熱がステージ上にも伝播したのか、鬼崎達哉が手を挙げて、王小鈴がその手にハイタッチした。会場がまた湧く。普段は冷静な鬼崎達哉のたかぶりに、俺の胸も熱くなるのを感じた。

 そして、来月発売という新曲を歌い終わった後に、王小鈴がまたマイクを持ってステージの前方に立った。
「次の曲で最後となりました。King & Queenの初ライブ、いかがでしたか?」
 会場から「最高!!」という声が上がる。それを聞いて、王小鈴がにっこりと笑った。心なしか鬼崎達哉も嬉しそうな表情に見える。
「ありがとうございます、私達も最高です! また絶対にどこかで逢いましょう。今日はありがとうございました。それでは最後に聴いて下さい――『Save Our Revolution』!」


「あの曲、『Save Our Revolution』っていうんだな」
 隣を歩く夏野さんが言った。
 King & Queenのライブは予定していた十三時四十五分丁度に終わった。アンコールはなく、鬼崎達哉も王小鈴も観客席に手を振りながら早々に引き上げていった。完全にライブが終了したことに気付いた観客達は、熱に浮かされたままそれぞれの目的地に散っていく。俺達もライブの余韻に浸りながら、視聴覚室に戻ろうとしていた。

「デビュー曲ですよ。あれで一気に話題になったんです」
「そうなんだ」
「――マジすか。本当に何も知らないんですね」
 俺が呆れたように言うと、夏野さんが顔を顰める。
「いや、実はさ――俺、あの曲にすごく嫌な思い出があるんだよね」 
 そして、俺の方を見て、照れくさそうに言った。
「――それで、一人で聴く勇気ないから、御堂くんに着いてきてもらったってわけ」

 ――何だ、そういうことか。合点がいった。
 目の前の『持てる者』の恥ずかしそうな顔に、俺は思わず吹き出す。
「――何すか、それ。ダサっ」
「ダサいって言うな」
 俺の言葉に夏野さんが笑いながら言った。
「でも改めて聴くといい曲だったな」
「そりゃそうでしょ。俺もあの曲で鬼崎達哉好きになったんですから」
 えっ、と夏野さんが目を丸くする。
「何、御堂くんって鬼崎さんのファンなの?」
 ――勢いで言ってしまった。俺が黙っていると、今度は夏野さんが吹き出す。
「――何すか、何か文句あります?」
「いや、別に」
 ニヤニヤしながら夏野さんが言った。

 俺はその態度に苛立ちを覚えながらも――いつの間にか、この人のことが嫌いじゃなくなっていることに気付く。

「今度鬼崎さんにサインでももらいに行こうかな。初対面の時、断っちゃったし」
「は? どんだけ罰当たりなんですか。仕方ないから俺も一緒に行ってあげてもいいです」
「御堂くん、どんな立場?」
 そんな無駄口を叩き合いながら、俺達は初めて笑い合った。


 ***


「やっと終わった……」
 一時間四十分、ぶっ続けの演奏を終えた俺は、控室で一息ついていた。
 カラオケ大会は想像以上の盛況ぶりだった。フルコーラスだと全員さばけなかったので、一番とラスサビだけにしてもらい、全希望者の演奏をやりきった。メジャー曲が多かったのが唯一の救いだが、それでも初見で楽譜を見ながら演奏するのは気が張るものだ。
 まぁプロのスタジオミュージシャンならこれくらいできなければならないだろう。予行演習だと思えば、良い練習機会になった。

 凍らせたペットボトルを額に当てて一人で涼んでいると、控室のドアが開いて、高梨亜季が入ってきた。
「冬島さん、おつかれさまでした。あれ? 春原くんと繭子ちゃんは?」
「知らね。二人とも終わったらどっか行った」

 それにしても、春原のギターの腕前は知っていたが、もう一人の一年生――秋本も思った以上にキーボードを弾ける。いつもマスクして黙っている変な女子だとしか思わなかったが、夏野も色々な奴を見付けてくるもんだ。
 見付けてくると言えば、例の『Secret Guest』もそうだ。夏野から話を聞かされた時には、正直冗談だと思っていた。しかし、話はとんとん拍子に進んで行き――俺達は何とかこの文化祭、4ピース揃えてライブができることになった。

 夏野に出逢ってから、退屈しない日々が続いている。本当にあいつは、不思議なやつだ。

「あ、私も行かなきゃ」
 高梨がバタバタと荷物を整理する。
「お前も忙しいな。今度は何だ?」
「これからペリドットのメンバーと、校内練り歩きです」
 ペリドット……あぁ、あのビジュアル系か。あいつらは確かに見栄えが良い。あの格好で練り歩いたら演劇部と間違われそうな気もするが、インパクトとしては十分だろう。

 ふと高梨の方に視線を送る。左手の包帯はだいぶ取れてきたようだ。
 九月の初め、落ち込んでいた時の顔が頭をぎる。しかし、目の前の彼女にはその片鱗はなく、使命感に燃えているようにも見えた。

 ――こいつも、面白いやつだよな。

 そう思っていたところで、高梨がこちらを振り返る。いきなり目が合って、俺は一瞬どきりとする。そんな俺の気も知らずに、高梨は俺の方に近付いてきて、ビニール袋を差し出した。

「――冬島さん、これ」
「……おぉ、何だ?」
「差し入れです」

 そうとだけ言ってビニール袋を俺に渡すと、高梨は荷物を持って控室を出ていった。
 残された俺は、ビニール袋の中身を取り出す。中からは出店の焼きそばが出てきた。色気の欠片もないが、俺にとっては最高の差し入れだ。
 早速食べようと袋から箸を取り出したところで、箸袋に小さな付箋が貼ってあることに気付いた。

『いつもありがとうございます。今日も頑張ってください。高梨』

 俺のものとは似つかない綺麗な字で書かれたその言葉には、高梨のまっすぐな性格が表れているようだった。

「――可愛いことするじゃん」

 俺は付箋を自分の楽譜バンドスコアにそっと貼り付けて、焼きそばを食べ始めた。
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