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track07. 嵐は秋に巻き起こる-The Storm Rises in Autumn-(3)

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 夏野と亜季が教室に戻ると、クラスメート達は先程のニュースに湧いていた。
 無理もない。King & Queenが先日の六月公演でサプライズ演奏した時も、「それだったら観に行ったのに」という声が多く聞かれた。どうやら鬼崎はあまりメディア露出していないようで、あれはかなりレアな機会だったのだろう。
 そんなKing & Queenが、今回は正式にイベントゲストとして文化祭でライブを行う。鬼崎が軽音楽部の公演に出られないのはその為だった。ソロで例年通り出ても良いような気もするが、それをしないということは鬼崎にも何らかの考えがあるのだろう。

 結局打合せは先程のニュースの衝撃で、大した意見も出ないまま終わってしまった。King & Queenが出るとなれば、その時間帯の枠は集客を見込めないだろう。頭を抱えた三条に対して、ひとまずその時間に応じてバンドの出演順を再度見直すことだけは決めた。

 夏野が少し意外に思ったのは、亜季が三条に対して「鬼崎さんのことはひとまず置いておいて、軽音楽部としてお客さんを増やす方法がないか、一緒に考えさせて下さい」と申し出たことだ。
 教室までの帰り道、亜季に真意を問うと、彼女は少し照れたように笑った。

「少しでも、軽音楽部とLAST BULLETSの役に立ちたいから――当日演奏はできないけど、私は私のできることを頑張るつもり」

 幼馴染みの力強い言葉に、夏野は少し背中を押されたような思いになった。
 ――そうだ。俺達は、俺達にできることをする。

 午後の授業中も、夏野は文化祭に向けて思考を巡らせていた。
 一番の問題は亜季の抜けた穴をどうするかだ。今日の様子を見ると他のバンドに頼む余裕はないだろう。以前春原から、ベースパートを事前にキーボードで打ち込んでおいて当日流す方法を提案されたが、できれば生演奏が良いと思っていた。

 それを解決する心当たりは――なくはない。勝率は低い選択肢だが、やる価値はある。
 夏野は思い付いたアイデアを、放課後の練習で春原と冬島に相談することに決めた。

 次に鬼崎の空いた枠をどうするか、思いを馳せる。コラボが難しいなら、どこかのバンドが二公演するか、それとも全く違うことをやるか。
 二公演するなら、高三の三条率いるバンド、takoyakiだろうか。三条に以前どんなバンドなのか訊いたことはあるが、いわゆるあの手この手で観客を楽しませるコミックバンドとのことだった。童謡をガチガチのメタル風に演奏したり、変わった歌詞の曲を探してきては観客と一緒に合唱したりしているらしい。「やってて超楽しいんだけど、そういうところも鬼崎や冬島とは温度差ありすぎてさー」と三条が溜め息を吐いていたのが印象的だった。
 同級生の吉永のバンド、ペリドットはいわゆるビジュアル系のようだ。それとなく二公演できそうか訊いてみたが、化粧等の準備が結構大変らしく、「もしやるなら連チャンがいいなぁ、化粧直しとかあまりしたくなくて」とのことだった。連続で同じバンドが演奏するのも何だかバランスが悪い気がする。二回目の公演をKing & Queenとぶつけてしまえばそんなに集客も見込めないし良いか――というのも、何だか消極的だ。
 一年生の二バンド、鈍色idiotsとCloudy then Sunnyはどちらもいけるかも知れない。もしくはバンドを分けて、三十分ずつ演奏するか。いやいや、それだと楽器入れ替えの時間が――

「――夏野、なーつーの、聞いてる?」
 いきなり思考の中に声が割り込んできて、夏野は慌ててそちらを見る。そこにはクラスメートの男子が呆れた顔で立っていた。周囲を見回すと、皆席を立って帰る準備をしている。いつの間にか授業どころかHRまで終わっていたらしい。
「ごめんごめん、考え事してた。何?」
「何かお客さん来てるよ、ほら」
 彼に促されて教室の前方のドアを見ると――そこには、Cloudy then Sunnyのキーボーディスト、繭子が立っていた。


 「話したいことがある」という繭子に連れられて、夏野は食堂で彼女と向かい合い、座っていた。文化祭前のシーズンでもあり、あまり食堂に人はいない。皆それぞれの部活で準備を進めているのだろう。
 繭子はいつものようにマスクをしている。なかなか話し始めない彼女の真意を測りかねて、夏野は話を切り出そうとしたが――ふと、繭子の苗字を知らないことに気付いた。
 とはいえ、許可なしにいきなり名前で呼ぶのも、馴れ馴れしい気がする。困った挙句、夏野が机の下で春原に助けを求めるメールを打とうとした矢先――

「――亜季さん、大丈夫ですか?」

 繭子がぽつりと言った。夏野が繭子の顔を見ると、彼女はぱっと視線を夏野の顔から逸らす。
「あぁ、怪我はそこまでじゃないみたい。心配してくれてありがとう」
 夏野がそう返すと、「そうですか」と繭子は言い、また黙った。
 そして――ふと、夏野の目を見つめる。マスクで表情は読めないが、その瞳は夏休みに見た時と同じように、きらきらと輝いていた。

「あの――私を、LAST BULLETSに入れてもらえませんか」

「……えっ!?」
 予想だにしなかった発言に、夏野は思わず大声を上げる。それでも、目の前の繭子は微動だにせず、そのまま夏野を見つめていた。
「ちょっと待って、あの――自分のバンドの方は?」
「勿論出ます。プラスアルファで、LAST BULLETSのサポートをさせてもらえませんか」
 繭子は淡々と続ける。
「Cloudy then Sunnyの方は、ほとんど仕上がっています。ピアノは子どもの頃から十年以上弾いています。暗譜はこの残り期間だときついですが、当日楽譜さえあれば大体弾けるので、力になれると思います」
 そこまで一気に言い切って、繭子は一つ息を吐いた。

 夏野は即座に答えを返せなかった。繭子の提案は非常にありがたい。確かに繭子が亜季の代わりに弾いてくれるなら、バンドのたいを成すだろう。
 しかし、夏野達は亜季と練習してきた曲を文化祭でやるつもりはない。そうなると、これから選ぶ新しい演奏曲のベースパートを繭子が弾く為に、春原がTAB譜を楽譜に書き換えることになる。夏野が今考えている構想を踏まえると、春原にこれ以上負担をかけたくはなかった。
 また、亜季のことも気がかりだ。サポートとはいえ、LAST BULLETSで繭子がシンベを弾いたら彼女はどう思うだろう。亜季の性格上勿論嫌とは言わないだろうが、正直夏野はあまり気が進まなかった。そんな思いで繭子にサポートを頼むのは、彼女にも失礼だ。

 どう返すべきか、考えあぐねたその時――ふと夏野の頭の中を閃光が走った。

 夏野は繭子に向き直る。彼女は真剣な眼差しでこちらをじっと見つめていた。
「――確認したいんだけど、楽譜があれば曲は弾ける? 初見でも?」
「はい、初見でも弾けます。完璧には難しいので、できれば練習したいですけど」
「ちなみに、習っていたのはクラシックピアノだよね。バンドの方だとJ-POPも弾いていると思うけど、どう?」
「そうですね。Cloudy then Sunnyで曲を決める時は、私が一通りメンバーの前で弾いてみせることが多いので、J-POPもだいぶ慣れました」

 ――それなら、もしかして、いけるかも知れない。

「ありがとう。サポートに立候補してくれて、すごく嬉しい」
 夏野は素直な気持ちを繭子に伝えた。繭子は目を嬉しそうに細め、小さく頷く。そんな彼女の様子を見て、少し言い淀んだ末に――夏野は意を決して口を開いた。
「ただ――ごめん。俺達は、いつもとは違うやり方で文化祭公演をやるつもりなんだ」
 夏野は繭子の目をじっと見つめる。彼女の表情はいつものような、感情の見えないものに戻っていた。それはそうだろう。好意でわざわざ申し出てくれたものを、断っているのだから。
 しかし、夏野は臆さず続けた。

「――だから、別のことをお願いしたい」

 夏野は自分のアイデアを繭子に話して聞かせる。彼女は夏野の言葉を咀嚼しているようだった。一通りの説明を終えるが、繭子は黙ったままだ。彼女なりに思うところがあるのだろう。
 そう、夏野の依頼は『LAST BULLETSのサポート』ではない。しかし――

「――俺は、軽音楽部の為に、繭子さんの力が必要だと思っているんだ」

 夏野の言葉に、繭子の目がはっと開かれる。
 そんな彼女の様子を見て――夏野は、その色素の薄い瞳を、改めて綺麗だと思った。そして、思わず彼女を名前で呼んだことに気付く。
「あっごめん! 馴れ馴れしく名前呼んで! その、苗字度忘れしちゃって……」

 慌てて弁解していると、繭子がきょとんとした後に、俯いて肩を震わせた。
 ――やってしまった。泣く程嫌だったのだろうか。
 夏野の脳内を後悔の念が渦巻いていると――目の前の繭子から、くっくっと呼吸をするような音がして、それは次第に――明るい笑い声に変わっていった。
 初めて聴く繭子の笑い声に、夏野は呆気に取られる。普段言葉少なな彼女が上げる笑い声は、まるで玉が鳴るようで――思いがけず、夏野の心を揺らした。

 一通り笑い終わった後で、繭子は夏野に向き直り――マスクを外す。
 マスクの下からは、色鮮やかな口唇が姿を現した。おとなしく見える繭子のものとは思えない、存在感のある明るいオレンジリップに、夏野は思わずどきりとする。
「――秋本です」
「……え?」
「秋本繭子です、私」
 そう言って、繭子は立ち上がる。彼女はその表情を、にこやかに綻ばせてみせた。

「わかりました、夏野さん。あなたのアイデア――お手伝いします」


 ***


 翌月曜日の昼休み、三度みたび軽音楽部のメンバーは物理室に参集していた。

 前の週の金曜日、繭子と会話した後、夏野はスタジオで練習する春原と冬島の所に向かい、自身のアイデアを説明した。二人は少し驚いたものの、あっさりと夏野の提案を受け入れた。
「面白そうじゃん。ま、そんなことできるのはこの学校じゃあ俺様くらいだろ」
「いや、他にもいるかも」
「あいかわらず一言多いやつだな」
 軽口を叩き合う春原と冬島に、夏野は心の底から感謝した。このアイデア実現の為には、二人の協力が絶対に必要だったからだ。

 夏野は物理室に集まったメンバーに、空いていた一枠の使い方を説明した。
「――生バンドカラオケ大会、いいじゃん!!」
 夏野の説明を聞き終えた三条が興奮したように声を上げる。

 ――そう、夏野のアイデアは、文化祭を訪れた客が生バンドでカラオケできるというものだった。さすがにありとあらゆる曲に対応するのは難しいが、幸い軽音楽部のスタジオにはこれまで買い溜めてきた多くのバンドスコアがある。事前に演奏可能な曲目をパンフレット等に掲載しておき、その場で楽器隊が演奏し、カラオケを楽しんでもらおうというのだ。

「楽譜を見れば、ドラムは冬島さんが、ギターは春原が、そしてキーボードは秋本さんが初見でも演奏できます。なので、この三人に伴奏を担当してもらおうと思います。で、当初予定の一時間では――大体一曲五分と考えると十二人しか捌けないので、LAST BULLETSの枠を三十分にして、予備の時間もあてこめば――この枠に一時間四十分割けます」
 一時間四十分あれば、少なくとも二十人程度は歌うことができる。どれだけ客が来るかはわからないが、それが確保できるギリギリの時間だ。歌手は一グループ一人までとすれば、歌いたい人が連れてくるギャラリー達も観客としてカウントできる。更に、楽器隊はぶっつけ本番にはなるが、事前練習は不要だ。
 夏野はちらりと繭子の方に視線を送った。彼女はいつものようにマスクをして、香織の隣におとなしく座っている。Cloudy then Sunnyのメンバーにも特に驚いた様子は見られない。事前に繭子が話していたのだろう。

「――あの、ちょっといい?」
 吉永がおずおずと手を挙げた。
「俺達は全然構わないんだけど、その、LAST BULLETSはいいの? 冬島さんは今年最後の文化祭だろうし――枠三十分になっちゃうわけだけど」
「――え、何? お前、俺のこと心配してんの?」
 冬島が驚いたように声を上げる。
「俺は別に、カラオケの所でも叩けるから何も文句ねぇけど。そもそもLAST BULLETS俺のバンドじゃねぇし」
「吉永さんって、すごくいい人なんですね」
 春原がしみじみと言って、室内の雰囲気が丸くなった。

「じゃあ元鬼崎の枠はそれでいこう。King & Queenは午後一で十三時からのスタートだから、カラオケ大会と丸かぶりだし丁度いいね」
 三条の指示で、三年生の男子が黒板にタイムテーブルを書き出す。カラオケ大会に出場するメンバーの負担も考慮して、少し調整を行い、最終確定させた。


 10:00-11:00 Cloudy then Sunny
 11:10-12:10 鈍色idiots
 12:20-14:00 カラオケ大会
 14:10-15:10 takoyaki
 15:20-16:20 ペリドット
 16:30-17:00 LAST BULLETS


「さて、それ以外の話でいうと、当日までのプロモーションだね。今高梨さんが色々と動いてくれてて、今日も別の仕事を頼んでるんだけど――皆にもお願いしたいことがあるんだ」
 三条がプリントをまとめて隣のメンバーに渡す。一枚取って隣に回しながら、内容を見たメンバー達が歓声を上げた。
「おぉー」「カッコイイじゃん!」
 夏野の所に回ってきたプリントを見ると、そこには――各バンドの名前と、バンドをイメージしたらしきロゴ画が掲載されている。確かにセンスも良く、目を惹くデザインだ。メンバー達が喜ぶのも頷ける出来だった。

「高梨さんが作ったんだよ、それ。彼女もタレント豊かだよね」
「――亜季が?」

 夏野は改めてプリントに目を戻す。思い返せば、亜季は絵も上手かった。しかし、前回の打合せからまだ三日しか経っていない。左手も自由にならない中、他にやることもあっただろう。

 ――それでも、亜季は、自分にできることをやっている。

 亜季がデザインしたLAST BULLETSのロゴは、四発の弾丸が中心に向かって描かれていた。亜季はどんな思いでこのロゴを作ったのだろう。心の中で、夏野は亜季をとても誇りに思った。
「このロゴで作ったステッカーを校内で配布するのと、あとはビラね。各バンドの特徴と、セトリに組み込んだアーティストの名前とか書いて配るから、来週の頭までに皆考えてきてね」
 今日はここまで、という三条の声で、メンバーが一斉に立ち上がる。

 部屋を出たところで、「あの」と背後から声をかけられた。振り返ると、そこには御堂が立っている。あちらから話しかけてくるなんて、珍しい。
「うん、どうした?」
 夏野が促すと、御堂は少し躊躇った後に――ぼそぼそと言った。
「俺が言う話じゃないけど――大丈夫なんすか。そっちのバンド」
 夏野は思わず御堂をまじまじと見つめる。御堂は、どちらかと言うと自分を敵視していると思っていた。それが、こんな気遣いの言葉が出てくるとは。

 確かに本番まで残り三週間弱、ベーシストは現時点で不在、演奏枠は三十分に短縮されたとはいえ、練習回数は残り六回と、はたから見れば、とても順調とは言えない状況だろう。
 ――しかし、夏野には確信があった。色々なことが起こったが、良い流れは間違いなく来ている。

「ありがとう、心配してくれた?」
 そう返すと、御堂は顔を真っ赤にして「ハァ!?」と怒声を上げた。その反応ですら何だか愛らしく感じられたが、それを言うと余計怒り出しそうだ。不機嫌そうにこちらを睨み付ける御堂に対して、夏野は笑顔で伝えた。
「――大丈夫、俺達には『奥の手』があるから」
 夏野は今の自分が置かれている立場に深く感謝していた。
 LAST BULLETSだけではなかった。ここには沢山の味方がいる。同じ目的に向かって突き進む仲間達がいる。


 ――嵐が吹き荒れようが、構わない。
 それならば、その嵐を乗り越えてみせようじゃないか。


 夏野は決意し、教室へと歩き出した。


track07. 嵐は秋に巻き起こる-The Storm Rises in Autumn-
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