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track01. 夏鳥は銃弾を噛む-Summer Bird Bites the Bullet-(1)
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――銃弾を畏れたその鳥は
歌うことを忘れてしまった
track01.
そこにはただ、海が在った。
確か小学校の音楽のテストの時だったと思う。人前で歌うのは初めてだった。自分の順番が近付くにつれて緊張した俺は、少しでも落ち着こうと目を閉じて――そして、瞼の裏に広がる一面の海に出逢った。
波一つなくどこまでも広がるその青に見惚れていると、遠くからピアノの音が聴こえる。俺はその澄んだ空間の中で、呼吸をするように歌い始めた。
最初はそれこそ吐息のように。俺の歌に呼応して、水面がりんと鳴る。その微かな響きは、俺に確かな勇気をくれた。このまま歌ってもいいのだと。俺は大きく息を吸い、持てる声を響かせる。果ては世界を切り裂くように。
歌い終わって目を開けると、驚いたようなクラスメート達の表情が並び、そして大きな拍手が俺を包んだ。
間違いなく、それが俺の一番古い記憶だ。それ以前の生活など何もなかったかのように。
あの時確かに、俺は世界に繋がった気がした。
――そして、『あの日』以来、俺は世界に繋がる術を喪ったままでいる。
***
「なっちゃん、今日皆でカラオケ行くんだって」
亜季が笑顔で話しかけてくる。夏野は丁度帰り支度を始めたところだった。ノートを鞄に入れながら、夏野は「へー」と気のない相槌を打った。
「なっちゃんも行かない?」
「そうそう、夏野の歌聴いてみたいし」
亜季の背後からクラスメートの声が上がった。手を止めて亜季の顔を見ると、彼女は優しく微笑んでいる。その笑顔を自分の嘘で曇らせるのが忍びなく、夏野は一瞬躊躇したが、精一杯の笑顔を作った。
「――わり、今日先約あるんだ」
亜季の表情が少し曇る。夏野は罪悪感を覚えながら席を立った。
「そっか、残念。また明日ね」
「おう、また明日」
えー帰っちゃうのーと口々に上がる非難の声を背後に、夏野は教室を出た。
高校二年生になって、早二週間が経っていた。夏野が通う高校は髪型や服装をはじめ自由な校風が売りの都下の私立だ。学生数はそこまで多くないので、二年生になってクラス替えが行われても見知っている顔が少なくはない。それでも親交を深める為に、クラスメート達は放課後の時間を使い、こぞって交流を図っているようだ。とりわけ幼馴染みの亜季は端正な顔立ちと長いストレートヘアが目立っていて、男女問わずよく声をかけられている。その度に亜季は夏野にも声をかけてくるので、予定が合えば一緒に付き合いもするが――正直、カラオケにだけは付き合う気になれなかった。
先約があると言った手前、そのまま家に帰るのも少し気が咎め、夏野は行きつけの中古CDショップに立ち寄った。夏野はCDが好きだ。懐に限界があるのでもっぱら中古作品を購入しているが、主に聴くのはレトロな洋楽ロックなので、特に問題はない。「あ」アルファベット順に並べられた無数のCDを繰っている中で、思わず声が出た。中学生の頃から聴いていたアメリカのロックバンドのライブ盤。ネットの評価も上々で名盤として挙げられていたものだったが、なかなか見付けられずにいたアルバムがそこに鎮座していた。沈んでいた気持ちが少し上を向く。
その他にも目星を付けていたアルバムを二、三枚買って店を出ると、夏野は駅までの間にある公園のベンチに座った。ポータブルプレイヤーに早速買ったばかりのCDを入れる。
「なっちゃん、重くない?」亜季には何度も訊かれたものだ。「MDに入れないの?」
「買ってすぐにCD聴きたいじゃん。気分だけど、音も綺麗な気がするし」
へーっと感心したように亜季は頷き、最後はその整った顔を優しく綻ばせ、こう言うのだ。「さすが、なっちゃん」
イヤホンから音が流れ出したことを確認し、夏野は目を閉じた。観客の歓声がさざ波のように広がり、ボーカルが口上を喋り出す。その最後の台詞にかぶるようにギターが雄叫びを上げ、ドラムとベースが畳みかけた瞬間――夏野は、微笑んでいた。こうやって目を閉じながらライブアルバムを聴いていると、そのライブを体感しているような気分になれる。二枚組でしめて七十二分。最後の方はスタジオ収録のボーナストラックのようなものが入っていたが、その統一感のなさも何だか愛おしかった。
二枚目のアルバムを聴き終わって気付けば、空は少しずつ日暮れてきている。
そろそろ帰るか、と片付けようとした時――ギターの音がした。
音の鳴った方を見ると、黒いニット帽を被った男がギターを弾いている。この公園でストリートミュージシャンを見たのは初めてだ。惹き付けられたのは、彼が弾いている曲が、夏野にとっては懐かしい曲だったからだ。
とてもアコースティックギターで弾くようなシロモノではなかったが、確かに彼は『その曲』を弾いていて……無意識の内に、夏野は記憶の旅に出ていた。
「――トモ」
ふと、夏野を呼ぶ声がした。顔を上げると、そこには夏野と同世代の少年が快活そうな笑みを浮かべて立っている。
「佑」
夏野が名を呼ぶと、佑は夏野の前の席に座って、ニヤリと笑った。少しずつ周囲の喧騒が耳に入ってきて、中学生の頃の教室の記憶だと気付く。休み時間になると、よく佑はこうやって、前の席から夏野に話しかけてきた。
「トモ、今日兄貴からビデオ借りてきたからさ、昼休み視聴覚室で観ようぜ。すっげー速弾きのバンドのやつ」
「いいね、観よう観よう」
「ほんとビビるから。途中からドリルでギター弾き出すし」
「マジ? やべー、弦切れないのかな」
「なー。今度さ、用務員室にドリル借りに行こうかと思って」
「いいじゃん」
「ナイスアイデアだろ?」
佑は得意げに笑う。夏野もそれを見て笑った。
「次のライブでやってみようぜ」
夏野が佑と組んだバンドは、通っていた中学の中では一番人気があった。特に佑は小さい頃からギター教室に通っており、誰よりもギターが上手かった。ベースとドラムの同級生は初心者なので他のバンドとそこまでレベルは変わらなかったが、夏野の歌と佑のギターがずば抜けており、学内のライブではファンもついていた。
「なっちゃんおつかれ、今日もかっこよかった」
亜季はいつも最前列でライブを観ており、終わった後は声をかけにきた。
「サンキュー」
「ちょ、トモだけじゃなくて俺は?」
佑がにゅっと二人の間に顔を出す。亜季の「佑くんも良かったよ」という答えに佑は得意げに笑い、夏野の肩を抱き寄せた。
「だろ? 俺とトモが組んだら最強だもんな!」
「今度コンテストにも出るんでしょ? 応援に行くから頑張ってね」
「軽く優勝するぜ!」
佑が豪快に笑い、夏野も一緒に笑った。夏野にとっては、正直コンテストの結果はどうでも良かった。バンド活動は楽しかったし、何より佑の演奏が好きだった。佑のギターに乗ると、いつもより上手く歌えている気がする。音楽の趣味が合う一番の友人でもあった。だから、佑がコンテストに出たいと言った時にも、二つ返事で参加を決めた。
――今思えば、あの時が一番楽しかった。
歌うことを忘れてしまった
track01.
そこにはただ、海が在った。
確か小学校の音楽のテストの時だったと思う。人前で歌うのは初めてだった。自分の順番が近付くにつれて緊張した俺は、少しでも落ち着こうと目を閉じて――そして、瞼の裏に広がる一面の海に出逢った。
波一つなくどこまでも広がるその青に見惚れていると、遠くからピアノの音が聴こえる。俺はその澄んだ空間の中で、呼吸をするように歌い始めた。
最初はそれこそ吐息のように。俺の歌に呼応して、水面がりんと鳴る。その微かな響きは、俺に確かな勇気をくれた。このまま歌ってもいいのだと。俺は大きく息を吸い、持てる声を響かせる。果ては世界を切り裂くように。
歌い終わって目を開けると、驚いたようなクラスメート達の表情が並び、そして大きな拍手が俺を包んだ。
間違いなく、それが俺の一番古い記憶だ。それ以前の生活など何もなかったかのように。
あの時確かに、俺は世界に繋がった気がした。
――そして、『あの日』以来、俺は世界に繋がる術を喪ったままでいる。
***
「なっちゃん、今日皆でカラオケ行くんだって」
亜季が笑顔で話しかけてくる。夏野は丁度帰り支度を始めたところだった。ノートを鞄に入れながら、夏野は「へー」と気のない相槌を打った。
「なっちゃんも行かない?」
「そうそう、夏野の歌聴いてみたいし」
亜季の背後からクラスメートの声が上がった。手を止めて亜季の顔を見ると、彼女は優しく微笑んでいる。その笑顔を自分の嘘で曇らせるのが忍びなく、夏野は一瞬躊躇したが、精一杯の笑顔を作った。
「――わり、今日先約あるんだ」
亜季の表情が少し曇る。夏野は罪悪感を覚えながら席を立った。
「そっか、残念。また明日ね」
「おう、また明日」
えー帰っちゃうのーと口々に上がる非難の声を背後に、夏野は教室を出た。
高校二年生になって、早二週間が経っていた。夏野が通う高校は髪型や服装をはじめ自由な校風が売りの都下の私立だ。学生数はそこまで多くないので、二年生になってクラス替えが行われても見知っている顔が少なくはない。それでも親交を深める為に、クラスメート達は放課後の時間を使い、こぞって交流を図っているようだ。とりわけ幼馴染みの亜季は端正な顔立ちと長いストレートヘアが目立っていて、男女問わずよく声をかけられている。その度に亜季は夏野にも声をかけてくるので、予定が合えば一緒に付き合いもするが――正直、カラオケにだけは付き合う気になれなかった。
先約があると言った手前、そのまま家に帰るのも少し気が咎め、夏野は行きつけの中古CDショップに立ち寄った。夏野はCDが好きだ。懐に限界があるのでもっぱら中古作品を購入しているが、主に聴くのはレトロな洋楽ロックなので、特に問題はない。「あ」アルファベット順に並べられた無数のCDを繰っている中で、思わず声が出た。中学生の頃から聴いていたアメリカのロックバンドのライブ盤。ネットの評価も上々で名盤として挙げられていたものだったが、なかなか見付けられずにいたアルバムがそこに鎮座していた。沈んでいた気持ちが少し上を向く。
その他にも目星を付けていたアルバムを二、三枚買って店を出ると、夏野は駅までの間にある公園のベンチに座った。ポータブルプレイヤーに早速買ったばかりのCDを入れる。
「なっちゃん、重くない?」亜季には何度も訊かれたものだ。「MDに入れないの?」
「買ってすぐにCD聴きたいじゃん。気分だけど、音も綺麗な気がするし」
へーっと感心したように亜季は頷き、最後はその整った顔を優しく綻ばせ、こう言うのだ。「さすが、なっちゃん」
イヤホンから音が流れ出したことを確認し、夏野は目を閉じた。観客の歓声がさざ波のように広がり、ボーカルが口上を喋り出す。その最後の台詞にかぶるようにギターが雄叫びを上げ、ドラムとベースが畳みかけた瞬間――夏野は、微笑んでいた。こうやって目を閉じながらライブアルバムを聴いていると、そのライブを体感しているような気分になれる。二枚組でしめて七十二分。最後の方はスタジオ収録のボーナストラックのようなものが入っていたが、その統一感のなさも何だか愛おしかった。
二枚目のアルバムを聴き終わって気付けば、空は少しずつ日暮れてきている。
そろそろ帰るか、と片付けようとした時――ギターの音がした。
音の鳴った方を見ると、黒いニット帽を被った男がギターを弾いている。この公園でストリートミュージシャンを見たのは初めてだ。惹き付けられたのは、彼が弾いている曲が、夏野にとっては懐かしい曲だったからだ。
とてもアコースティックギターで弾くようなシロモノではなかったが、確かに彼は『その曲』を弾いていて……無意識の内に、夏野は記憶の旅に出ていた。
「――トモ」
ふと、夏野を呼ぶ声がした。顔を上げると、そこには夏野と同世代の少年が快活そうな笑みを浮かべて立っている。
「佑」
夏野が名を呼ぶと、佑は夏野の前の席に座って、ニヤリと笑った。少しずつ周囲の喧騒が耳に入ってきて、中学生の頃の教室の記憶だと気付く。休み時間になると、よく佑はこうやって、前の席から夏野に話しかけてきた。
「トモ、今日兄貴からビデオ借りてきたからさ、昼休み視聴覚室で観ようぜ。すっげー速弾きのバンドのやつ」
「いいね、観よう観よう」
「ほんとビビるから。途中からドリルでギター弾き出すし」
「マジ? やべー、弦切れないのかな」
「なー。今度さ、用務員室にドリル借りに行こうかと思って」
「いいじゃん」
「ナイスアイデアだろ?」
佑は得意げに笑う。夏野もそれを見て笑った。
「次のライブでやってみようぜ」
夏野が佑と組んだバンドは、通っていた中学の中では一番人気があった。特に佑は小さい頃からギター教室に通っており、誰よりもギターが上手かった。ベースとドラムの同級生は初心者なので他のバンドとそこまでレベルは変わらなかったが、夏野の歌と佑のギターがずば抜けており、学内のライブではファンもついていた。
「なっちゃんおつかれ、今日もかっこよかった」
亜季はいつも最前列でライブを観ており、終わった後は声をかけにきた。
「サンキュー」
「ちょ、トモだけじゃなくて俺は?」
佑がにゅっと二人の間に顔を出す。亜季の「佑くんも良かったよ」という答えに佑は得意げに笑い、夏野の肩を抱き寄せた。
「だろ? 俺とトモが組んだら最強だもんな!」
「今度コンテストにも出るんでしょ? 応援に行くから頑張ってね」
「軽く優勝するぜ!」
佑が豪快に笑い、夏野も一緒に笑った。夏野にとっては、正直コンテストの結果はどうでも良かった。バンド活動は楽しかったし、何より佑の演奏が好きだった。佑のギターに乗ると、いつもより上手く歌えている気がする。音楽の趣味が合う一番の友人でもあった。だから、佑がコンテストに出たいと言った時にも、二つ返事で参加を決めた。
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