掌 ~過去、今日、この先~

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二章

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―――――――ろ・・・・お・・・・・い
―――お・・き、おき・・・さい
―――?、声がする。
ねぇっ・・・・
―――誰?
おきなさい!
目の前は真っ暗。
「ねぇっ!」
―――誰の声?
・・・・
うっすらとあたりが明るくなった。
―――まぶしっ。
手で光をさえぎる。誰か、私を見てる。輪郭はわかるけど、うっすらとしててよく見えない。
「やっと起きた。遅刻するわよ」
そう言って、その人はこの場から去っていった。
―――遅刻?
「ちこく?」
目をこすって、重いまぶたを開ける。
―――どこ、ここ?
見たことがない場所だ。でも、目の前には机やマンガの棚とかがある。誰かの部屋の中みたい。
―――誰の部屋かしら?
「いけね!遅刻だ」
―――えっ、今の声、どこから?
男の子の声だ。見わたそうとするが、体が動かない。金縛りにかかったかのように。
ベッドから飛び起きる。
「まじかよ!」
また声がするとともに、勝手に体が動いた。
―――あれ?
私の意志じゃない。勝手に動いている。見ているものははっきりしているけど、私の体じゃないみたい。
急いで私の知らない制服に着替える。
―――知らない制服ね。それにこれ、男の子の制服じゃない。
彼は着替えると、部屋を出て、リビングへと向かっていく。テーブルには朝食が用意されている。またその横には新聞が広げられていて、「A国と交渉決裂」と大きく見出しが書かれていた。日付は見えなかった。
―――変な感じね、夢にしてはリアルすぎるわ。
触った感触や風を受けた感じも、しっかりと伝わってくる。
「くそっ、遅刻しちまう」
また男の子の声。感じとしては、私がしゃべっているみたい。
―――もしかして、彼にとりついちゃったのかな?
彼はパンを口に放りこみ、家を出て行った。
―――ここ、どこだろ?
見たことのない街。一軒家が並んでいて、遠くにはちょこちょこと高いビルが見える。よく見ると、私の住んでいる街と大きく変わりはない。
ただ、雲がかかっているわけじゃないのに、空が灰色のような色をしている。にごっていると言ったほうがいいのかもしれない。それに季節のせいなのか、ムシムシとしててちょっと暑い。
―――まぁそれはいいとして、空気なんとかならないかしら?
彼を通して入ってくる空気は、とてもくさくて、汚い。排気ガスがちょっと混じっているんじゃないかと思うくらいで、できれば吸いたくない。
彼はそんなこと気にせず、ひたすら道を走る。きっと彼にとっては当たり前なのだ。
―――それにしても、この人は誰なんだろう?
この人の視点だから、顔も見ることができない。名前も誰かが呼んでくれないとわからない。
―――私の知っている人なのかしら?
すごく気になるけど、動けないからどうしようもできない。
―――まぁ、これからたぶん学校に行くようだから、そこで何か分かるかもしれないわね。
彼はペースを落とすことなく河川敷を走る。川は、泥水のように茶色で汚く、ところどころ油のようなものが浮いている。
  ちっ、今日は遅れられないってのに!
彼はイライラしながら心の中でつぶやいた。
―――何かあるのかしら?
そして、走るペースをあげる。それにより私も少し息が苦しくなる。
彼の足が地面に着く感触、頬に当たる風、ちょっと鼻を刺激するにおい、すべてが私に伝ってくる。本当にこの人になりきっている感じだ。
河川敷を抜けると、また住宅地に入った。
「あっ、あいつ!」
前のほうに誰かが走ってる。この人と同じ制服だ。
―――知り合いかしら?
彼は走るペースを上げて、前の人に追いつこうとする。
と、そのとき・・・
ゴゴゴゴゴ!
「わっ!」
すごい重低音とともに、体がグラッとバランスをくずした。
「なっ、なんだ!?」
―――なにっ、この音!?
ジェット機が低空飛行してるかのような音だ。
「くそっ!」
立ってられないほどすごい揺れだ。彼は片手を地面について、バランスをとっている。とてもじゃないけど動けない。動こうとすれば、すぐに倒れてしまう。
前にいる彼の知り合いは、さすがに立ってられなくて地面に倒れこんだ。
―――もしかして、これ、地震!?
信じられないけど、それしか考えられない。
―――こんな揺れ、初めてだわ。
「うわっ!」
バランスを崩し、四つばいになる。
  地震、強すぎじゃないか!?
あたりを見わたすと、電信柱や木が今にでも倒れそうなくらいにしなっている。周りに人はいないが、家の中のほうから悲鳴が聞こえる。
「こりゃ、やばいな・・・っ!」
ガラガラガラッ!
隣の家の塀が崩れて、こっちに降ってきた。
「やべっ!」
転がって何とかよけるが、反対側の塀も崩れてきていた。
―――あぶない!
「うわぁ!」
崩れたレンガが彼の上に降りかかる。とっさにかばんで頭をかばうようにしてうずくまる。
「うぐっ!」
―――いたっ!
ガンガンと体のあちこちにレンガが当たる。彼だけじゃなくて、私にも痛みが伝わってくる。
―――なんとかして!
といっても私はなにもできないし、彼も身を守ることで精一杯。
「いてて・・・」
やっとレンガの雨が止んだ。揺れもだいぶおさまってきた。背中がそこらじゅう痛む。たぶんアザだらけになっていると思う。
「わーーー!!」
  叫び声!?
前のほうからだ。彼も気づいたみたいで、そっちに目を向ける。
「なっ!?」
―――なに、あれ!?
彼もわたしも目を疑った。
「地面が、割れて、る?」
地面がぱっくりと二等分されてて、そこに大きな空洞ができている。近くの家もケーキを切ったかのように、きれいに半分に分けられていて中がむき出しになっている。
「うわっ!」
また揺れが激しくなってきた。立とうとしたが、バランスを崩してしまう。
  速く離れないと!
「誰かー!」
  ん?
たしかに前のほうから声がするけど、誰もいない。
  この声、もしかして!?
彼は負傷した体に鞭打ち、よろよろと地割れのほうへ走る。
  ちょっ、ちょっと、そっちは地割れを起こしてるのよ!
でも彼はおかまいなしに、バランスを崩しながら走っていく。まだ揺れは強くなったり弱くなったりを繰り返している。なかなか落ち着きそうにない。
「おーーい!だいじょうぶか!!?」
彼は大声で叫ぶが、反応はない。
―――もしかして、地割れの中!?。
「おーい!」
彼は地割れに近づき、声を張り上げる。
ゴゴゴゴゴゴゴ!
地面が波のように浮き上がったり沈んだりしていく。
「くそっ!」
目の前の穴の近くの地面に亀裂が入っていく。
俺も飲み込まれちまう!
離れようとしたとき、
「助けてくれーーー!」
やっぱり地割れの中から声がする。
「まさかあいつ、落ちたのか!?」
―――あいつ?さっきの知り合いの人のことかしら。
彼は落ちないように、そっと地割れの中をのぞく。
「トッ、トスカ!」
彼は叫ぶ。金髪で、色白の肌をしてて、彼と同じ学ランを着ている。
―――彼の友達だったのね。まるで欧米人みたい。
トスカという人は、かろうじて地割れの壁のでっぱりに片手でつかまっている。地割れの底は暗くて見えない。落ちてしまったら絶対に助からない。
―――これじゃ、長くはもたないわ!
「待ってろ、いま助ける!」
幸い揺れは今落ち着いているが、トスカは手を伸ばしても届かないところにいる。彼の手をつかむには、腕が2本くらい必要だ。
周りに人はいない。彼は何か道具がないか見渡す。
ぺっちゃんこにつぶれてる家、倒れてパックリと割れている電信柱、でこぼこになった地面。いつの間にかまわりはがれきの山のようになっていた。
―――こんなんじゃ、使えるものなんてあるはずないわよ。でも、はやくなんとかしないと!
「ちくしょう。なにかないか!?」
ぎりっと歯をかむ。
ふと、彼は学ランと下に着ているセーターも脱ぎ始めた。
  あっ、そっか!
学ランとセーターの袖と袖をぎゅっと結びつける。
「これでどうだ!?」
学ランとセーターでできた縄をトスカにむけて投げ込む。
「トスカ、これにつかまれ!」
トスカは片方の手を伸ばす。だが、あと手一つ分足りない。
「・・・だめだ、届かない」
あとちょっとなのに!
「がんばれ、おまえならやれる!」
彼もギリギリのところまで手を伸ばす。彼の肘がぎしぎしと痛む。でも、彼は彼を救うことに必死で痛みなど感じていない。
トスカも限界まで手を伸ばす。
「うっ・・・っく!」
中指が縄に触れた。
「あとちょっと!」
夢中になって彼も体をギリギリのところまで覗きこむ。いま揺れがきてしまったら、彼も落ちてしまうと思う。
「よし!」
かすかだけど、トスカが縄をつかんだ。その瞬間、ズシっと腕が重くなった。
「その調子だ!」
とは言うが、体が穴に少しづつジリジリと引き寄せられていく。
  ちくしょう!調子に乗って前に行き過ぎたか!?
彼の力がどれくらいあるか分からないが、もうすでに腕が悲鳴を上げている。
「一気に引き上げるぞ!」
彼も縄を上がろうとするが、つかんでいるのが限界になってきている。
「・・・・・・」
トスカはこっちを見たまま、何もしない。
「おい、トスカ!?」
  なにやってやがる!
ふと、いやな予感がした。
「ちゃんとつかめ!」
トスカはこちらから目をそむけ、うつむく。
「無理だ」トスカは下を向いたまま言う。「俺はいいから、お前は安全な場所へ行け」
叫ぶトスカ。
「はっ?なに言ってんだてめぇ!」
怒り狂ったかのように叫ぶ彼。手の届く距離にいたら、こぶしが出そうな感じだ。
「お前、俺を引き上げる力あるのか?」
―――トスカ・・・。
「あるに決まってんだろ、今から引き上げるからお前も上がってこい!」
でも、トスカは動かない。
「おい、はやくしろ!」
彼の腕が熱い。ちぎれるように痛い。でも、今の彼にはそんなこと感じてない。
「強がってんじゃねえ!」
トスカが叫ぶ。
「このまま引き上げようとするとお前まで落ちるぞ」
トスカはすごく冷静だ。それを聞いて、彼も我に返る。
「いや、落ちない。絶対に!」
だが、すぐにまた体が熱くなり、手に力が入る。
「死なせはしない」
と、そのとき、
ゴゴゴゴゴ!
地面がまた揺れ始めた。
―――そんな、このタイミングで!
「急げ!トスカ!!」
急かす彼。
するとトスカは、
「―――ありがとよ」
ニカっと笑って、優しくささやく。
「ト、トスカ・・・?」
  なに、言ってんだ、よ。
「彼女、しっかりモノにするんだぞ」
そして、トスカはゆっくりと縄から手を離す。
「おっ、あ、ああ・・・」
ゆっくりとスローモーションのように落ちていく。底が見えない暗い闇の中へ。
「トスカァァァァァーーーーーー!!」
叫び声一つあげずに。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

――――――

「っ!」
上半身を起こす。
「はぁっ、はぁっ・・・」
呼吸が荒い。汗もだらだらたれてて、全身がびしょびしょだ。
・・・ここは、どこ?
白いコンクリートでかこまれた壁。周りにカーテンで仕切られた3つほどあるベッド。その一つに私がいる。静かな場所で、少なくともさっきいたところじゃない。
どうやら私はさっきまでベッドで寝てたみたい。
「わたし・・・」
両手を見る。グーパーをしてみる。しっかりと自分の意思で体が動く。自分の体をよく見る。
寝巻きの格好をして、腕には針が刺さっていたり、モニターみたいなものがとなりに置いてある。
  病院?なんでこんなところに。
思い出そうとしても、思い出せない。それよりもさっきの夢のことを思い出してしまう。
リアルな夢だったわ・・・。
彼のことを思うと、泣きそうになるくらい心がつらくなる。見ていることしかできなくて、少し罪悪感にかられる。
これは現実なのよね?
自分の意思で体が動くし、腕をつねると痛い。
ぐるっと体をひととおり見てみるけど、ケガらしいものはないし痛いところもない。
  悪いところはなさそう。何で病院に?
ここがどこだか、誰かに聞こうとしたが、まわりには誰もいない。外に出ようかと思ったが、体に管がたくさんついていて、なかなか身動きがとれない。
こまったわね。
と、そうしていると、
「福原さん!」
部屋に入ってきた看護師さんが私に気づいた。
「目が覚めたんですね!?」
看護師さんは目を丸くして私のところへ来た。
「?」
きょとんとしてしまう私。
  なんか、驚きすぎじゃあ。
「私・・・」
いろいろと質問しようとすると、
「体調どう!?」
勢いにのまれ、逆に質問される。
「特に変わりないですが」
「良かった」息をつく看護師さん。「ずっと、意識が戻らなかったんですよ」
「意識が戻らなかった?」
「そう。もうかれこれ4ヶ月くらい目が覚めなかったのよ」
「4ヶ月!?」
数字を聞いてびっくり。そんな記憶全然ない。
「きょ、今日は何月何日ですか?」
おそるおそる聞いてみる。
「4月1日よ」
「4月!?」
  ってことは、12月から眠っていたってこと!?
「なんでこんなに!?」
看護師さんの言っていることは本当だろうけど、信じるに信じられない。
「ちょっと待ってて、主治医に報告してこないといけないから」
と言って、部屋からかけ出て行った。
「あっ・・・」
まだ聞きたいことがあったのに。
部屋にまた静けさが戻った。ベッドに腰かけ、周りを見わたす。ほかに3つのベッドがあるが、誰もいない。部屋には私だけみたいだ。ふと後ろを見ると、カレンダーが貼ってあった。
  ほんとだ。4月。
カレンダーは4月のページがめくられていた。
なにがあったんだっけ?4ヶ月前。
視線を天井に向ける。頭の中で、記憶をめぐる。
12月のクリスマスの記憶はある。たしか、友達と一緒にイルミネーションを見たり、ケーキを食べたりした。それから、終業式をして、冬休みに入り、年末・・・。
「あっ!」
ふと、かすかに記憶がよみがえった。でも、ほんとにほんのかすかだ。
目の前が真っ赤で、とても暑い場所にいて、それで―――。
「っ!?」
ザクッと胸に何かが刺さったような痛みが全身に行きわたった。
なにっ、今の?
それに思い出そうとするが、鍵をかけられたように思考がストップしてしまう。
  なんなの?よく思い出せない。でも、なんかものすごく痛い目にあったような気が・・・。
―――・・・は。
「ん?」
誰かの声がした。でも、周りには誰もいない。さっきも見たとおり、私以外の患者はいない。
気のせいかしら?
それにしてはすごく近くから。それも、私の耳元から聞こえた気がする。
頭おかしくなっちゃったのかしら?
頭を触ってみるけど、特にケガや痛いところもない。
―――なん・・・だ、こ、は。
「!」
  まただ。聞こえた。
また見わたす。天井も見る。でも、やっぱり誰もいない。
声からすると、どっちかというと男性のような声。でも、女性と言われればそんな気もする声。
  幻聴よね。なにか薬入れられてるのかしら?
点滴を見ると、カタカナで書かれている謎の液体が私の中に流れこんでいる。
「福原さん!」
「わっ!」
びしっと白衣を着た医者らしき人と、さっきの看護師さんが来た。
  びっくりした。そんな大声出さないでも。
「福原さん、だね?」
医者も目を丸くして私を見る。まるで私を人として見ていないかのように。
「体調はどうかな?」
またその質問。
「悪くはないですよ」
「それはよかった」
と言って、モニターを見る医者。
「とくに異常ないです」
看護師さんが医者に言う。
「すごい」また私に視線を向ける医者。「いったい何が起こったんだ?」
静かに驚いているみたい。
「どうゆうことですか?」
驚いているところ申し訳ないけど、聞いてみる。
「いやいや、すまない。だが、これはみんな驚くことなんだよ」
横にいる看護師さんはうんうん、とうなずいた。
「君は、普通なら即死してもおかしくないほどの大ケガをしたんだ」
医者は少しためらいつつも話す。
「そくし?」
  そくしって?
「そう、家が火事にあったのは覚えてるかい?」
「火事?」
ピリッと頭が痛んだ。それと同時に真っ赤な炎によって、部屋が燃やされるシーンが一瞬頭をよぎった。
「覚えてないかい?」
「いや、なんとなくは」
そうだ。大晦日の日。なんだかよくわからないけど、下の階が燃えてた。
「それで君はどうなったか覚えてるかい?」
頭がピリピリする。でも少しずつ思い出してきた。
階段を降りようとして、それで、転んで・・・。
今度は、胸が痛んだ。
「階段から転んで、なにか、それからは、ぶつかって・・・痛かった」
記憶をたどりながら言う。文になってない。
「そう」それでも答えてくれる医者。「君の胸に木が刺さったんだ」
「!?」
言われたとたんに胸の痛みがズキンと、ものすごく痛んだ。痛んだ場所を触るが、今はなんともない。
「そう、ちょうどそのあたりに木が刺さって、君の体を貫通したんだ。運ばれてきたときは心臓をやられてて、もう助からないと思ったよ」
医者は淡々と話す。私は今の話を聞いても、全然実感がわかず、一瞬思考が止まってしまった。
「でも、君の心臓は止まらなかった。それに傷が信じられない速さで治っていった。普通では考えられないことだ」
少し声を大きく話す医者。
「とにかく、私、助かったんですね?」
  なんだかわからないけど。
「もちろん。今、こうして話していられるのだから。でもいちおう検査しといたほうがいい」
「検査?」
「ああ。レントゲンとかね。これで異常がなければ退院だ」
たしかに、何があったかか記憶がない以上、いちおう検査受けといたほうがいいわね。
「わかりました。お願いします」
「そうとなれば、さっそく検査の依頼を出しておくよ。さっさと終わらせて、退院しよう。みんな心配していたんだし」
「みんな?」
「君の両親や友達だよ」
「えっ!?」
来てたの?
誰が来ていたか、頭の中でぱっと想像する。
   こんな姿をみんなに見られたのね。
「みんな。君がずっと目を覚まさないから、すごく心配してたよ」
「そう、なんですね」
なんか申し訳ない気持ちと、ずっと寝ていた姿を見られていたという、ちょっと恥ずかしさがこみ上げる。
「さて、じゃあそろそろ行かないと。検査の時間が過ぎてしまう」
そう言って、医者は部屋を後にした。
「今日も両親の方、見えると思うわ。こんなに元気な姿を見たら驚くと思うわ」
そして、看護師さんも部屋を出て行った。
また部屋が静かになる。
「・・・早く帰りたいな」
家がどうなったか知りたい。でも、今は長い眠りから覚めたばかりだから、ちゃんと検査を受けないと。

検査はすぐに終わった。でも結果が夕方以降になるため、明日退院することになった。
病院の時計を見ると、午後の4時をまわったところだ。病院の中を歩く許可をもらったため、今は病院の廊下を歩いている。まだ、診察待ちの人たちが、診察室の前で大勢座っている。その中、私は病院の寝巻き姿で横切る。若い人が珍しいのか、診察待ちの人たちが見てくる。
若い人っていないものね。みんな年輩の人たちばっかり。
売店を見つけたけど、お金を持っていないから何も買えない。仕方ないので、外に行く。
「さぶっ」
4月にしては寒さが身にしみる。薄着ということもあるが。
久しぶりのシャバね。
寒い中、うんと太陽に向かって背伸びをする。凝り固まった体がギシギシと伸びていって、とても気持ちいい。
刑務所から出たときって、こんな感じの開放感なのかな。
冷たい空気が私の奥底まで入ってくる。それがとても新鮮で、生きていることを実感させてくれた。
「はぁ」
こうして自分が病院にいることがまだ信じられない。
  今まで病院にお世話になることなんて一度もなかったのに。
風邪をひいて、薬をもらいに行ったり、予防接種を打ちに行ったりくらいしか病院に行ったことがない。だからこうして病院の中を歩き回ることも初めて。
寒い中、病院の庭を歩く。庭といっても、芝生にベンチ、それに木が数本あて、5分くらいでまわれてしまうくらいの広さだ。
ドラマのように広々とした庭で、散歩できる感じじゃないわね。
初めての病院散策もこれで終わり。一時間もかからなかった。
冷たいベンチに座る。上を見ると、大きな木があり、太陽の光をさえぎっていた。
「君は、普通ならそくししてもおかしくないほどの大ケガをしたんだ」
頭の中であの医者が言っていたことが頭をよぎる。
そくし、即死・・・。
胸に手をあてる。
ドクン、ドクン、ドクン・・・。
心臓がリズムよく動いている。おなかとかも触ってみても、特にケガをした形跡はない。
「うーん」
空を見上げる。木の枝が邪魔をして、その隙間からしか青い空を見ることができない。
あのくらいの太さの枝が刺さったのかしら?
ちょうど私の胸に穴が開きそうなくらいの枝が見える。
でも、あんなのが刺さったら本当に死んじゃうわよね。
そうは思いつつも、医者は刺さっていたと言っていた。どっちが信じられるかといったら、もちろん医者が言っていることのほうが正しいと思う。私はあの時、頭がもうろうとしていたのだから。
もうろう?そういえば火事の中、木が刺さったのよね。
体を改めて見回す。やけどがあった形跡は見る限りない。
誰かすぐに助けてくれたのかしら?
それに、火事ってそもそもなんで火事なんて起きたのかしら?
もちろん、思い出せない。頭も痛む。
  私のせいで火事が起きてなければいいけれど。
不安な気持ちを抱えつつ、部屋へと帰ることにする。
「あーあったかーい」
また、この殺風景の空間へと帰ってきた。景色は寒々としているけど、空調がきいていて、体は適度に暖かい。
「ふぅ」
ベッドに腰掛ける。時計を見ると、5の数字をさしている。
あれからまだ一時間しかたってない。時間が長く感じるなぁ。
時間がたつのが遅く感じる。それがとても苦痛だ。
  やることないなぁ。
外を見ると日が暮れて、さっきいた庭が赤く染まっていた。
―――な、だ。
「?」
何か聞こえた。周りを見わたすが、もちろん誰もいない。
またこれか。やっぱなにかの後遺症なのかしら?
―――ど、だ・・。うごかん。
また聞こえた。気のせいか、耳からではなく、頭の中から声がする感じがする。
看護師さん来たら言わなきゃ。
「虹!」
部屋の外から、聞きなれた声が聞こえた。
  まさか・・・。
「お父さん?」
部屋の外を見てみる。お父さんが心配そうな顔をしてこっちを見ている。
「にじーーー!」
「わっ!」
かけよって来たやいなや、ぎゅっと抱きしめてきた。
「く、苦しい」
抱きしめる力がとても強い。それほど心配していたのだろう。気のせいか、もともと白髪がぽつりぽつりとあったけど、今見たら黒髪と半々くらいになっていた。
  心配してくれるのはありがたいけど・・・このままじゃ窒息しちゃう。
「こらこら、虹が窒息死しちゃうわよ」
 あ、この声は。
「ああ、すまない」
やっと開放された。お父さんの後ろから、お母さんの姿が見えた。
「よかった。ほんと」
今度はお母さんが抱きしめてきた。お父さんと違って、そっと包み込むように優しく抱きしめてくれる。
「ごめんね。家に一人にしちゃって」
「ううん。私が一緒に行かなかっただけだから、お母さんたちは悪くないわ」
そっと、体を引き離すお母さん。
「そう言ってくれると助かるわ」
「体はもう大丈夫なのか?」
お父さんが聞いてくる。
「うん。今のところはね。さっき検査してその結果次第だけど」
そろそろ結果が出ると思うけど。
「そうか」私の体を見わたすお父さん。「でも見たところ大丈夫そうだな」
「そうね。最初見たときははもうだめかと思ったわ」
お父さんがじっとお母さんを見つめる。
「何度呼びかけても目を覚まさないし、ずっと集中治療室に入ってたし。でも、みるみる傷かふさがってきて、お医者さんが驚いていたわ。私も奇跡だと思ったわ」
そうなんだ。傷の治りがはやかったのね。
「傷自体はさっさと治ったんだが、ずっと目を覚まさなくてな。もうずっと目を覚まさないかと思ったぞ」
お父さんが、ポンと私の頭に手をのせる。
「今こうしているのが夢みたいね」
お母さんがうっすらと涙を浮かべている。
お母さん・・・。
こうしてみると、生死の境をさまよっていたんだなと思う。
「あ!」大事なことを思い出した「家はどうなったの?」
4ヶ月たっているのだから、きっと今どこかで落ち着いているはず。
「今な、ちょっと遠くの家を借りているんだ。元の家は修復不可能になってまったからな」
顔をしかめながら言うお父さん。
「そうなんだ」
ずっと暮らしてきた家。家での思い出がいろいろとこみ上げてくる。
まぁ、火事がすごかったみたいだから、そんな予感はしてたけど。
でも、実際知らされるとショックが大きい。
「私たちも引越しなんかしたくなかったんだけどね。もう全部放火魔のせい!」
お母さんが怒りながら言う。
「放火魔?」
なんのことだかよくわからない。
「虹。知らないよな。もう何件やられたんだろうな。年末からかけてこの街を中心に家を放火し続ける凶悪犯がいるんだ。しかも、まだ逮捕されてない」
警察はなにやってるんだ、とイラつくお父さん。
「あっ」
かすかに思い出した。大晦日テレビを見ていた。そこで、放火魔がどうとか言っていた気がする。
「それで、よりによってうちがやられたの?」
「そうみたいね。私たちはその場にいなかったから、そう聞いただけだけど」
「警察からな」
お父さんが付けたす。
「もうびっくりしたわよ。火事が起きて虹がケガしたっていうから、飛んで帰ってみれば、虹が大変なことになっているわ、警察に事情聴取うけて、犯人扱いされるわで頭がパンクしそうだったわ」
お母さんもイラつきながら話す。
「なんでお母さんが犯人扱いに?」
「母さんだけじゃない。俺たちだ。俺たちだけで旅行に行ったことが怪しかったらしい」
イラつきながら話す。
「なにそれ?」
「ほんとおかしいでしょ?こっちは被害者なのにね。それはそうとね。今住んでいるところなんだけど」
イライラから一転、真顔になるお母さん。言いづらそうな雰囲気。
「うん」
「実はね、学校まで片道2時間かかるところなのよ」
「2時間!?」
朝起きれないわよ!
ただでさえ、いつもギリギリで学校間に合っているのに。
「すまんな。そこしかなかったんだ」
謝るお父さん。
「あと一年だから、転校するのも微妙なとこでしょ。一年間がんばれないかしら?」
お母さんが手を合わせて、お願いしてくる。
そんなこと言われても、2時間はねぇ。朝何時に起きればいいのかしら?
すぐに返答できない。今私の中で、睡眠時間をとるか、友達をとるかで迷っている。
と、その時、
「こんにちわー」
またまた聞きなれた声。廊下のほうから聞こえてきた。
お母さんたちが振り返る。
「恵理ちゃん」
お母さんの隣から、顔を出す恵理。こっちに手を振ってくる。
「恵理!」
久しぶりで、一瞬分からなかった。
「よかった。やっと目が覚めたね」
「うん。おかげさまでね」
彼女は市村恵理。ショートカットの髪型で背が低く、小柄な体格。いつものんびりとしててちょっと抜けてる性格だけど、学校では学級委員などやっていて、しっかりしている。恵理は私の同級生で、姉妹のように親しい。
「恵理ちゃん。学校帰り?」
お母さんが聞く。
「はい。そうです」私のほうへ来る。「いつものように眠った姫様の顔を見に来たんですけどね」
にこっと笑いながら言う恵理。
「いつもありがとうね」
「いえいえ、そんなことないですよ」
お母さんたちに言う恵理。
「まさか、何度も来てくれてたの?」
「ん。まぁね」
「そうだぞ。俺たちと同じくらい見舞いに来てくれてたんだぞ」
お父さんが感謝しろよ、と言わんばかりに言ってくる。
「ありがとね。恵理」
「礼を言うなら、クラスのみんなにも言わなきゃね。みんなも来たんだから」
「そうなの!?」
「そうよ。みんなでヨダレたらしながら寝ている虹の顔見てたんだから」
「えっ、ほんとに!?」
「うそー」
笑う恵理。
「ちょっと、本気にしちゃったじゃない」
私も笑う。ひさびさに笑った気がする。
「いつ退院なの?」
「検査の結果次第だけど、うまくいけば明日退院できそう」
「本当に!?じゃあ学校もすぐこれそうなのね」
恵理が学校と言った瞬間、空気が重くなった。
「そうなんだけどね・・・」
「ちょうど今、その話をしていたのよ」
お母さんが恵理に言う。
「ああ、そうでした」恵理は状況を察したみたい。「今の家、学校まで遠いですからね」
「そう。だからどうしようかなって考えててね。転校するのも嫌だけど、一年間遅刻しない自信がないのよね」
慣れてしまえば、2時間なんて大丈夫なんだろうけど、なんとなく自信がない。
「虹。恵理ちゃんと離れるなんて嫌だろ。たった一年間だからがんばりなさい」
お父さんが言ってくる。
「・・・うん。そうね」
結局答えは出ている。転校して、また一から友達をつくっていくのと、睡眠時間をけずるのを考えると、睡眠時間をけずったほうがはるかに楽だ。
「と、いうことだ。だからこれからも虹をよろしくな」
お父さんが、軽くおじぎをする。
はい、と恵理が言い返すと、また私のほうを向く恵理。
「ねぇ、よかったら私の家に居候しない?」
恵理はにこっと笑う。
「イソウロウ?」
「そう、居候」
それを聞いたお母さんたちがびっくりしていた。
「恵理ちゃん!そんな迷惑かけられないわ。それに、あなたの母親の許可がないと」
「大丈夫ですよ。こうなると思って、事前にうちのお母さんに聞いておいたんです。虹ならいいって、言ってましたよ」
お母さんたちがぽかんと口を開けている。
すごい。ここまで先を読んでいたなんて。
「だから、後は虹次第なんじゃない?」
恵理が優しい目で私を見てくる。
「そりゃ、泊めてくれるのはうれしいけどね。ほんと迷惑じゃないの?」
「さっき言ったとおりよ。うちは大丈夫。もともとうちにはお母さんだけしかいないから、虹が来てくれると、にぎやかになるしね」
恵理がグイグイ言葉で引っ張ってくる。恵理は一人っ子で、父親は病気で数年前に亡くなっている。それで、恵理の家に泊まることも多々あったし、おばさんも私を恵理の妹のように扱ってくれる。だから、恵理の家に居候となっても特に抵抗はない気がする。
「ほんとね?」
念を押す。すると、恵理はまたにこっと笑ってうなづいた。
「恵理ちゃん。虹。ほんとうにいいのね?」
お母さんが言う。
「おい、お前」
お父さんが戸惑いながらお母さんに言う。
「いいよ」
それをさえぎって言う私。
「分かったわ。あとで恵理ちゃんのお母さんと話しとくわ」
「本気か?」
お父さんがお母さんを止めようとする。
「いいじゃない。二人とも良いと言っているんだから」
その一言で、お父さんは説き伏せられ、決定した。
「これで、朝ゆっくりと学校へ行けるわね」
恵理が私の肩に手をのせる。
「そうね。今度はゆっくりしすぎて遅刻しないようにしなきゃね」
ほんとね、と恵理が笑う。
「ごめんね。こんな娘だけどよろしくお願いするよ」
お母さんが深々と頭を下げる。
「そんなことないですよ。早く虹が学校に来てほしいですし」
ポンポンと私の肩をたたく恵理。
「やさしいのね。恵理ちゃんは」
「ほんといい子だ」
ベタ褒めするうちの親たち。恵理が顔を赤らめてちょっと照れてる。
  まぁ恵理はほんといい子だもんね。尊敬するわ。
「福原さん」
そう医者の声が聞こえるとともに、私の前に現れた。
「検査の結果なんだけど、特に異常なかったよ」
検査結果の紙を渡してくれる。一通り見てみるけど、数字と知らない単位だらけで、よく分からない。
「虹。よかったね」
みんな言ってくれる。私もこれで心からほっとすることができた。
「もういつでも退院できるけど、どうする?」
医者がすらすらと話す。
「いつでもいいのですか?」
「今日はもう事務のほうも終わっちゃうから、明日以降だね。学校も始まっているだろ。早めのほうがいいだろ?」
「そうですね。ありがとうございます」
お父さんがおじぎする。
「じゃあ、明日退院しちゃおうよ」
お母さんたちに言う。
「そうね。ここでゴロゴロしてたらもったいないものね」
「よし、分かった。明日退院と言うことで話を進めておくよ」
そう言って、医者は部屋から出て行った。
「これで明日から学校ね」
  久々の学校。ついていけるかしら?
「今までの遅れた分、取り戻さないとな」
お父さんがプレッシャーをかけてくる。
「そうよ。今年は受験の年なんだからね」
お母さんがとどめの言葉をかける。
「そっか。3年生・・・」
  受験かぁ。
ため息をつく。急に退院したくなくなってきた。
「受験もそうだが、その前に進路を決めないといけないからな」
そうよね。大学行くにしても、学科とか選ばなきゃ。
具体的になればなるほど追いこまれた感じがしてくる。
「まぁ、今すぐ決められるわけないのは分かってる。夏までには決めるんだぞ。夏すぎてしまうと手遅れになるから気をつけろよ」
「そうね。夏までには決めてね。大学行くならお金もなんとかしなきゃいけないんだから」
お母さんも続いてくる。
「虹なら大丈夫よ。私だってある程度決まってるんだし」
と、のほほんと言う恵理。三人でプレッシャーをかけてくる。
ああ、なんか急に胃が・・・。
「あ、そろそろ時間ね」
お母さんが時計を見ながら言う。部屋の時計を見ると、もう7時で面会終了の時間だ。
「じゃあ、明日朝また迎えに来るわね」
私に手を振るお母さん、そして恵理のほうを向き、
「じゃあ明日から虹をお願いします。お母さんにはあとで電話しときますので」
また頭を下げる。
「いいえ。こちらこそ急な提案を受け入れてくれてありがとうございます」
同じく頭を下げる恵理。
「恵理。迷惑かけるかもしれないけど、明日からよろしくね」
私も頭を下げる。
「うん。また明日ね」
そう言って、お母さんたちにまた軽く頭を下げて部屋を出て行った。
「じゃあ、私たちもそろそろ行くわね」
「うん」
「早く寝るんだぞ。明日は早いからな」
「もういっぱい寝てたから、寝坊なんてしないわよ」
「ははは、そうだな。じゃあまた明日な」
二人とも手を振って、部屋から出て行った。そして、また静寂が訪れる。
  明日からさっそく学校か。
久しぶりすぎて、何年も行ってなかった感じがする。少し不安もあるけど、楽しみだ。
まぁ、思いがけないこともあったけど、これからはまた普通の生活が送れる。少しずつな
れていかなきゃね。
ベッドに横になり、見慣れた天井を見ながら目を閉じた。
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