そして兄は猫になる

Ete

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語らない口元

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暗くなった国道。
夫の運転で、私と両親を乗せた車は 事故現場に向けて走った。
信号で止まるたび、状況が分からないもどかしさでどうにかなりそうだった。
車内は無言。みんなが緊張しているのが分かる。

「で?お兄はどうなったの?」
私が口を開く。
「分からん。とにかく警察は 現場に来てとしか言わない」母が興奮気味に話す。
慌て過ぎて、一番肝心な生死を聞かずに電話を切ってしまったようだ。

「なんでそこを聞かなかったの⁉︎大事じゃん!」ついつい私も口調が強くなる。

「まぁ行ってみたら分かるだろう。もう少しだから」
夫が間に入る。私も黙るしかなかった。
父は終始ため息だけをついていた。
事故現場は実家から15分足らずのスーパーの前。
運転し慣れた道なのに 一体何があったのだろうか?


現場に近づくと、赤いパトライトが遠目に分かるほど光って見えた。
「あそこだ!」
スーパーの明かりで 片側通行になり、警察官や野次馬が複数いるのが分かる。

路肩に車を停めて、小走りで警察官に近づくと兄の乗っていたバイクが横たわっていた。
辺りには壊れた破片が飛び散り、反対車線を走る車のライトでキラキラ光っていた。
バイクのタンクは思いっきり凹み、アスファルトにオイルのようなものが流れている。

兄の姿は見えない。どこだ?

「ご家族ですか?」警察官が聞いてくる。
「はい!そうです!息子はどこですか⁉︎」母が聞き返す。
「息子さんは救急車で病院に運ばれました。ちょっと詳しく聞きたいので教えてください」
母は気が動転し過ぎてか、真面目に警察官の話に答えている。

別の警察官が私の横に来て
「すみませんが、バイクを移動させて欲しいんですよね。通行の邪魔になるんで」とサラッと宣った。

はぁああああ⁉︎

人の生死が分からない時に、バイクを片付けろと⁉︎
こんな状態で、こんな暗い中どうやって運ぶの⁇意味がわからん!
私の頭の中は怒りでいっぱいになった。

そんな時ふと我に返る。
《そんな事より病院!義姉に電話しなくちゃ!》

そこからびっくりするほど冷静になった私。
親戚に電話して状況を説明。バイクの移動をお願いできないか相談しOKをもらった。
警察官とは別に、新聞記者もいた様子。母から話を聞き出している。
母の服を掴み、「病院行くよ!」と引っ張った。

警察官に事情を話し、その場を離れ 兄が運ばれた病院へ向かった。
帰宅の車で一般道が渋滞していたため、途中から高速道路に乗ることにした。

義姉に電話しようとしていたら「500円ちょうだい!」と夫が叫ぶ。
車にはETCが無かったので、通行料金を出す必要があった。
急な要請に慌てすぎて、せっかく持った500円玉が、するりと手からこぼれ落ち シートの隙間に落ちてしまった。
「これこれ!」母が財布から500円を出す。
ドタバタしながら車は無事高速に乗った。

義姉に電話する。

義姉は二つ上だが、私とどっちが歳上か分からないような、小さくて、でも穏やかで静かな女性。
まさかこんな電話とは知らないわけで、私からの電話だったからか、いつものようにほんわりと、そして楽しそうに「もしも~し」と返事をしてきた。

「ごめん!兄貴が事故って病院に運ばれた。そっちの方が近い。早く行って!私達も向かってるけど遅くなってしまう!早く!」と急かす。
事故現場を見た限り、もうやばい状態だとなんとなく思えたからだ。

「え?…ええ⁉︎」状況が飲み込めない義姉の声が変わる。
「でも、でも、今日はお兄さんに送ってもらったから車がない!」姉がうろたえているのが分かる。

「そんなもん!誰かに頼むかタクシー拾って!とにかく急いで!」

自分の中にある不安が的中しそうで、のんびりした姉の返事が私をイラつかせた。
「分かりました‼︎なんとかします!」
やっと義姉は病院に向かうべく動き出した。

車中の両親に、私から
「あの現場から考えて、もしかしたら…もうダメかもしれない。そこのところ考えといて」とポソっと告げた。

両親も同じ事を感じていたようで、ため息と共に「ダメかもしれんなぁ…」と呟いた。
生きて会えたら…それだけを信じながら、夜の高速をひたすら走った。


まもなく一般道という時に、私の携帯に義姉から連絡が入ってきた。
病院に着いたようだ。
「早く…早く来て…早く…」小さな声は震えていて、時々途絶えながら 泣いている様子が伺える。

「もしかして、(心臓が)もう止まってるの?」と車内のみんなに聞こえるように聞き返す。
「……」義姉は返事をしない。
「まさか開胸とか(胸を切って心臓を直接マッサージする方法)してる!?」
「うん…うん…早く…」

当たってしまった…。
最悪なシナリオだ。
両親に「もうダメだから諦めて…。間に合わなかった」と話す。
「いつかは事故するんじゃないかと思っていたけど…はぁ…今日話をしたばかりだったのに…」母は啜り泣きをしていた。
父が珍しく口を開いたが「仕方ないわ」とだけ呟いた。

一般道は混雑していて、信号で度々止まる。
みんなもうダメだと分かっていても、もしかして…と言う気持ちが背中を押す。
駐車場に着くと、みんな一斉に走り出した。


看護師に案内されて救急外来に行き着く。
モニターも点滴も全て片付けられていた。
薄暗い部屋の中で、白いシーツを首まで掛けられた兄が、そこに横たわっていた。
顔は怪我もなく綺麗で、ただ眠っているという感じで。

頭元を見ると、小さくうずくまった義姉が座り込んで泣いていた。
「間に合わなかった…間に合わなかった…。お兄ちゃん…死んじゃったよ…」
義姉は兄の手を握り、小さな声で呟いた。
誰も…誰も間に合わなかった。

「病院に来られた時にはすでに意識はなく、処置をさせて頂きましたが心臓が再び動く事はありませんでした。ご家族の気持ちを考えると…力になることが出来ず、申し訳ありませんでした。ご愁傷様です」と、医師等が深々と頭を下げられた。

「お世話になりました」みんなそれを言うのがやっとだった。


兄の元に行き、もう一度顔を見る。
「おい!おーい!何やってんの?もしもーし?おーい!」
耳元で声をかけてみた。
最後まで耳は聴こえているとよく言われていたから。
でもその口は何も語らなかった。

何度か声をかけてみたが、唇は薄っすら白くなっていて、2度と開くことはなかった。
歌う時の良い声も、笑い声も、私への悪口も説教も何もかも…もうこの口から言われることはないんだ。
色々なシーンが頭をよぎったが、何故か不思議と涙は出なかった。


「電話してきた時は、もうダメだったんだね」義姉に問いかける。
小さく頷くのが精一杯だった。

シーツ越しにお腹が異常に膨れていたので聞いてみると、腹部を打ったようで、あと止血のためにドライアイスが載せてあるとのこと。
手を触ると 処置室のエアコンのせいか、裸でいるせいか ほとんど冷たくなっていた。

「まだ温かいよ!まだ温いもん!」
義姉は子どものように泣きながら 兄の手を握ってみせる。
両親も言葉少なに近寄る。「なんでこんな事になったかいなぁ…」
名前を呼び続けるが、もちろん返事はない。

あんなに喋っていた口は、呆気なく、そして誰にも何の予告もなく閉じてしまった。
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