雨の彼岸花

あやたろす!

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相模屋

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そんな思い出に浸っていると、遠くからドタドタと婆の足音が聞こえきた。


「露村!露村や!相模屋様がおいでだよ!支度はできてんのかい!」

いつもこういった調子で女郎を呼ぶため、ここのり手ばあの声はざらついていた。しかし、客の前となると足音も衣擦きぬずれも、声すらも人が変わったかのように品のあるものへと変わる。それを「裏表のある」という人もいれば「客商売のかがみ」と賛辞を送る者もいると聞いたことがあった。

「わっちにはどちらでもいいことでおんすが」

婆が善人だろうと悪人だろうと、自分の願いはひとつだけ。そうぽつりと呟いた声が地獄耳には聞こえたらしい。

「なァに!?お前を身請みうけしてもいいと言ってくださる相模屋様じゃないか!そんなバチ当たりな口を叩く馬鹿があるかい!」

婆は露村の一言を取り違え、鬼をも尻尾を巻いて逃げ出すような形相でまくしたてる。

「違う!違いんす!支度ならできていんすから!」

焦って額に冷たい汗をかきながら、怒りを鎮めようと露村の声も自然と大きくなる。婆の勢いにつられてばたばたと廊下へ出、仕事部屋へと向かう。

ふと、婆が静かになる。原因はどうやら、女のものではない、大幅で歩く足音のようだ。

「相模屋様がいらっしゃったよ、ちゃんとおし」

同じ人間のものとは思えない美しい声とともに、露村のかけた打掛をしっかりと撫でる。遊女屋の主人は忘八ぼうはちと言われるが、その妻は時折このような母性も見せるのだ。

「露村。久しぶりだな」

「まあ、相模屋様」

昨晩に続いて昼見世にもやってきたことを冗談に、爽やかな笑顔を見せる相模政之進。露村も深く会釈をし、花のような笑顔をこぼす。

「女将さん、部屋を」

普段は昼見世に顔を出すなり外を歩こうと誘う相模屋だったが、今日は気分が違うらしい。予想外の注文だったが、婆に抜かりはなかった。

「ご用意できてございます」

相模屋は露村の手を取り、婆の案内についてゆく。露村は生活に使う部屋は他の女郎と同じだが、仕事や私物の保管に使う部屋は見世の配慮から別に用意されていた。そこは見世番が支度や片付けをし、客がいつ来ても迎えられるよう整えられていた。

部屋に入ると障子を静かに閉め、二人はいつものように寄り添って座る。密やかな話があるのだ。
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