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第二章 オーバーヒールの代償
第二十八話 賞賛の吐息と降参の嘆き
しおりを挟む降りかかる天使達を屠るたった一人の人間。かつて、このような光景がこの世に存在し得ただろうか。目の前のそれに、未だ脳が理解を受け付けないでいた。
「あっははははぁー!! アルテミ! アルテミ! ウェポォォォン!」
気味の悪いほど持ち上がった口角と見開かれた眼球をぎょろと回し、その手に握り締めた棍棒らしき凶器を振り回し、襲い来る天使の群れを叩き、薙ぎ、抉り、削ぎ落し、これでもかと屠り散らかしている。その周囲では物干竿に胴体を貫かれ地面に固定された天使が二体、足掻きながら脱出を図っている。しかしその都度、その男に頭部を踏み潰され、脱出が叶わないでいる。
「ひぃいいいははははは!! なんて素敵だろう! まだまだまだまだ溢れてるううう!!」
叫び舞う彼の姿に、不思議と見惚れる自分がいた。狂気とはかくして美しくもあるのかと、場違いな感慨を抱く程だった。先程までの不審者っぷりは一体どこへやら。
* * *
時は戻り、天使達が襲撃を始める少し前のこと。
「……あんたが、芸人っていうのは百歩譲って信じるとして、なんでそんなとこで寝ころんでんのよ」
クィルナは木の影に隠れつつ顔を覗かせ、にやにやと下卑た微笑を浮かべるその男に投げた問いであった。それに男はそりゃあさ、と溜息混じりに言った。
「赤い髪の変なのにぶん殴られちまったのさ。ちょ~っと声を掛けただけだってのにこの仕打ちだぜ? 起き上がる気も失せるくらい厭世的になっちまうってもんさ」
「ふーん……」
赤い髪。そう聞いてクィルナの思い浮かべた人物は、レリィナとの間に割って入ったオルミという男。この大樹の如く強い心を持っていた。確かにあの男なら、ここに寝ころぶ卑しい旅芸人の捻じくれた性根に憎悪か嫌悪を覚えて殴るのも納得だ。
「ねえ、私も一発殴っていい?」
「やだね。生憎そんな変態嗜好は持ち合わせが無いもんで。なんなら君、一発蹴ったじゃないか」
それもそうか、と思いつつクィルナは樹木の根に腰かけた。男と丁度反対側になるように。空を見上げ、はあ、と一つ溜息をこぼす。すると、おや、とまたしてもその男が言った。
「悩み事かいお嬢さん」
「ええ、悩み事よ木の妖精さん」
「開き直るとは面白いね君。ご褒美に僕が一肌脱いでやろうじゃないか。ほらほら、どんな悩みか言ってみな。恋か? どうせ恋だろお嬢さん」
やっぱり一つ殴ってもよさそうだ。なんて思いつつ、どうせだしぶちまけちゃおうかな。とも思いつつ、クィルナは独り言のようにそれを言った。
「なーんかね、世界がおかしいの」
「ああ、僕も同じ意見だ。世界はおかしくて面白くて最高さ」
「みんなわかったようなフリして、私を関わらせないようにしてるの。特にディランってのがいけ好かないわ。ガキみたいな態度の奴。ペテロアってのも、あいつのことエデンだなんてむちゃくちゃ言うし……。そんなわけないじゃない。エデンはもっと……そう、あんなディニみたいなのじゃない」
そうだ。ディランがエデンな訳が無い。第一、彼が村を焼いて去ったあの日から六年が経つ。あの時と全く同じ顔をしているなんて、そんなの嘘だ。だから、記憶に残る幼い顔立ちと重なるディランがエデン本人であるわけ……。
「聞くところによると、そうだね、君ってやつはもしかして、それでいじけちゃっているんじゃないか?」
「んな! そんなこと……!」
言われ、思わず立ち上がるクィルナ。それにあっはは、と愉快気な声を上げて木の妖精は言った。
「やめとけやめとけよそんな子供仕草はさ。なんでもかんでもよくわからないことだらけで忘れちまっているのさ。奪っていくぜこの世界は。知っているだろそんなこと。はぁ? 知っているから何だってんだい? やるっきゃないだろ僕らはさ。この世界に生まれちまったろお嬢さん」
「……え」
男の口にした言葉はどこか、昨日の自分の決意を彷彿とする言葉選びに思えた。
クィルナが呆気にとられる間も口八丁の男は止まらない。
「思い出せよ。あの日、君はどうしてエデンを憎まなかった? 激情を覚えなかった? 考えるべきだ。知るべきだ。そんでさ、またこの世界に言ってやっておくれよ。ふざっけんじゃない、てさ」
「……あんた何で知ってんの」
「さあな。木の妖精さんはわりかし結構、知っているのさ」
すでに木を隔てることをやめたクィルナは、取り合うつもりの無い男がすっくと立ちあがる様子を何も言えず見ていた。
思い出していた。村が焼かれた日、エデンが松明を持つのを確かに見た。逃げる村人にそれを投げ、燃やしているのを見た。だのにどうして、彼を憎まず、気にかけているのだろう。どうして、彼との約束を諦めずにいるのだろう。不思議でならない。私には一体何の心残りがあるというのか――、
「さて、タイムオーバー。ここから先は君一人で辿り着くべき問題だ。けれど頼むよ? なんせ世界の存亡がかかっているからね」
そう言った彼は足元に転がっている痛々しい棍棒を足でひょいと器用に蹴り上げて掴み取る。それを目で追ったクィルナには、男がこの場を去ろうというように思えた。
「ちょっと、待って! まだ聞きたいことが……」
一歩、クィルナが駆け出そうとした時、気付いた。男がその棍棒を天に差し向けていることに。
何をやっているの、と聞くことも忘れ、ひょう、と吹く風に押されながら同じく天を向いた。その宙空では、五体の天使がこちらを見降ろしていた。
「――天使様?」
その姿を認識した瞬間、風とともに天使達の姿は消え、ぐしゃりと聞きなれない音がした。音のした方を見てみれば、地に伏した二体の天使。その頭部が潰されている。下卑た男の粘つくような声がする。
「さあさあさあ! 遊ぼう世界! 友よ!!」
それからだ。その光景を見ていることしか出来なくなったのは。天使達は男めがけ、目にも留まらぬ速度で降りかかる。それに対して男は超人的な棍棒捌きと体捌きとその他諸々、折れた木の枝や石ころ、その辺に立っていた洗濯棒を扱って天使を蹂躙している。長いような短いような時間が過ぎた。その間、ひたすらに笑い叫びながら彼は舞うような戦いを見せた。
クィルナは思い出す。そういえばあいつ、旅の芸人と言っていた。ようやく実感した。そんなものに収まるような人間じゃないということを。というか、本当に人間かすら疑わしい。絶対に背骨折れてるよあの動き。
どれだけ時が経ったかは分からない。しかしそれの終わりは突然訪れた。
「動かないでくれ」
その声は少し離れた支援院の方からだった。男は棍棒を振るう手をピタリと止める。どうしてか天使達も上空でその動きを止め、吊り下げられた人形のように全身をぶら下げていた。男がゆっくりと声のする方を向く。それに釣られてクィルナもまた視線を向けた。
「……なんか見ないと思ったら、あんたも向こう側ってわけ? ――ユウ」
「向こう側って、やめてくれよクィルナ。思い出しただけだ。自分が何者かってことを」
丘の下に立つのは、年齢を差し置いても大柄に思える青年。
力比べで負けるところを一度だって見たことが無い青年。
しかしその割に穏やかな顔付きをした、優しい青年。
だったはずの、ユウ・トウミ。
「急で悪いんだけどさ」
彼は極めて平坦な面持ちで、極めて平坦な声色で、足元に横たわる“彼女”を指してこう言った。
「アリスさんの命が惜しけりゃさ……君ら死んでくれないか?」
それは刃物のようなに冷たい言葉であった。
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