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日常編

第一話 塩瀬さんは忘れっぽい

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────卒業式・体育館裏────



「佐藤くん!」

そう呼ばれて振り返ると、塩瀬さんが向こうからこちらに駆け寄ってきていた。
すらっとした印象のシルエット。
僕を見つめ、喜び駆け寄る彼女の姿に、いったい何人の男子が撃沈したか……。

桜、舞い散る。

一見するとそう、恋愛漫画の最終回のような雰囲気だ。
学校一の美少女と、普通な僕。
例年より早く開花した桜の木々の桃色は、このクライマックスを祝福しているようだった。

そもそも、なんで僕がココにいるのかと言うと……。


──僕は、塩瀬さんに呼び出されたのだ。



「私、佐藤くんに言わなきゃいけない事があって……」

そう言って、もじもじとする塩瀬さん。
どこか、申し訳なさそうに言葉を続ける。

「4月、くらいかな? 初めて話した時からずっと……」

……これは、やはりそういうコトなのか?
確かに4月、僕は塩瀬さんの隣の席という最高なポジションだった。

「ずっと、ずっと前から……」

『一目惚れ』というものは凄まじく、それで結婚まで行く例も多々ある。
もしも塩瀬さんが『そういうコト』なら、僕は明日死んでしまうのかもしれない。



──来る!



今、塩瀬さんが覚悟を決めた。
僕のことをまっすぐ見つめ、大きく息を吸って、告白のセリフを──



「ずっと前から消しゴムを返し忘れてました! ごめんなさい!」

「はい、…ん? ……ん?」

そう言った彼女の手のひらには、カバーに『佐藤』と名前の書かれた消しゴムが乗っていた。

「覚えてる? 4月の1番最初、佐藤くんと初めて話した時に消しゴムを借りたの」

「ええっと、まぁ、なんとなく?」

朧げながら、その時の様子が浮かんでくる。
たしか塩瀬さんに突然話しかけられて、ものすごくテンパっていたような。

「……そう、あれから約一年間。この消しゴムは私の筆箱にいました」

過去を思い馳せるような表情で、彼女は言う。
そして、もう一言付け加える。

「受験の時にも、お世話になりました」

「家に忘れたんだな、消しゴム」

「うん」

塩瀬さんはさも当然かのように頷く。

そうだ、そうだ。そうだった。
塩瀬さんはずっと、この一年間、こういう人だった。
ノートを忘れ、シャーペンを忘れ、教科書を忘れ、時には友達の名前を忘れ……。

返すことすらも忘れる、忘れっぽい人。


「……とりあえず、返してくれてありがとう」

塩瀬さんから消しゴムを受け取る。
『佐藤』という時は擦れて、ところどころ見えなくなっていた。
僕がそうやって、消しゴムを見つめていると……。



「あぁ! ユイちゃんたち待たせてるの忘れてたっ!」

塩瀬さんは突然そう言って、ジタバタする。
そしてクルリと方向転換して、最後にコッチを向き直す。

「またねっ!」

「……バイバイ」

塩瀬さんは駆け出して行った。
彼女の後を追うように、桜の花びらは舞い散り、ひらり、地に落ちた。

春は出会いと別れの季節と言いますが、どう考えたって別れる方が辛い。
それに、もし別れるんだったらドラマチックな演出が欲しいな。
僕らの日常にBGMは流れず、ただ淡々と次の瞬間が訪れるだけ。

だからこうして、ひっそりと、僕らの『中学校生活』は終わるのだった。

「またね……って?」



────入学式・教室にて────

期待と不安、それらが奇妙に混じった空気感。
クラス替えの時もこういう雰囲気にはなるが、それ以上のモノを感じる。
そりゃあそうか、だって『高校』だもんなぁ。

「おい、おいっ」

後ろの席の男子生徒(名称不明)が僕の肩を叩いた。
いかにも運動部ですっといった風貌は、どこから醸し出されているのか。

その坊主頭か?

それとも褐色で、生き生きとした肌の色か?

とにかく目の前の坊主は、真面目な顔をして向こうを指さしていた。
として僕にだけ聞こえる声で尋ねる。

「あの子めっちゃ可愛くね?」

「……ん? どの子?」

『可愛い』と言われれば、自然とその対象を探してしまう。
これは悲しき、男子高校生の習性なのです。

「あの1番前の、黒髪でロングの子」

坊主頭が指差した方向には、真っ直ぐ前を向いて席に座る女の子が1人。
周囲の喧騒に『我関せず』といったご様子で、クールな印象。
それでいて親しみ深いような、なんとも言えない雰囲気。

「俺、あんな子が好みなんだよなぁ……」

「クール系の?」

「そうそう!」

なんというコトだ。
この坊主の名前を知る前に、女子の好みを知ってしまった。

「あんな子に叱られたいよなぁ……。名前、あとで聞きにいこうぜ?」

「お、おう」

……性癖まで知ってしまった。



──ガラガラッ!



この喧騒を切り裂いたのは、教室のドアが動く音だった。
教室内にいた全生徒(主に男子)と先生の注目は、そのドアへ向けられることとなった。

「遅れましたーっ!」

なぜ?

あの日、全てが終わったと思っていたのに……。

終わらせたと、思っていたのに……。

そう言って教室内に入ってきたのはそう、塩瀬さんだった。
高校の制服に身を包んだ彼女はやはり、男子の視線を独占する。

「あっ! 佐藤くん!」

ピシィと塩瀬さんに指さされ、今度は僕に視線が集中する。
そんな中、塩瀬さんは周囲の視線などお構いなしにコチラに来て、僕の隣の空いている席に荷物を置く。

「おひさっ!」

「……久しぶり」

「あと私、筆箱忘れたからさ、シャーペンと消しゴム貸してくれない?」

「いいよ」

いつもの会話、いつもの空気、いつもの事。
もはや、周囲の喧騒なんて気にする暇もないくらいドキドキする。

「はいこれ」

「ありがとうございますっ!」

どうやら僕の物語は、もう少し続くようだ。
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