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第七章
□デート
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第一騎士団に入って二週間、勉強漬けの日々に安息がやってきた。そして、どうやって私の休日を把握したのかはわからないが、シュラからデートに誘われたのだ。
いま私は身繕いしているのだが……。
手持ちの服に絶望をしていた。
それはそうだ、私はいままで男としてここにいたのだ、女性ものの服など持っていたらおかしい。おかしいから仕方ないのだが……折角の、シュラとのデート、初めてのデートといっても過言ではないのに。
「無いものは、ないのだ。諦めよう……」
とはいえ、今まで着ていた服も胸元がひどくキツい。ゆとりのあるシャツでも胸回りはギリギリで、なんとかボタンを留めることはできたものの今にもはじけ飛びそうだ。
スカーフでシャツの開きを隠し、ジャケットを着る。貧弱な体を誤魔化すために大きめに作ってあったお陰でなんとか見られるだろう。ズボンもウエストはいいにしても、腰回りが少しキツい。
折角だから、出たついでに服も見てきたいな。
鏡をもう一度見て、薄く化粧をしている顔で小さく笑顔を作ってから、寮を出てシュラが待つ王宮の裏門へと急いだ。
「バルザクト様っ! 宝塚っぽくて、最高に格好いいです」
一回り逞しくなった気がするシュラが、私を見つけて駆け寄ってきた。彼を促し、並んで町へと歩き出す。
「タカラヅカ? ああ、そうだ。シュラにまだ伝えていなかったが、私の名だが、今後はファーネと呼んでほしいんだ」
首を傾げる彼に、名を変えるいきさつを伝えた。
「ファーネ様ですか」
「様は要らないだろう?」
微笑めば、彼は少し頬を赤らめて私の名を口にする。
「ファ、ファ、ファーネ……さん」
「さんも要らない。もう一度呼んでごらん」
促すと、顔を赤くした彼が、意を決した表情で口を開く。
「ファーネ」
低い、甘い声音に胸の奥が熱くなる。心のこもった声だ。
「ふふっ、その調子だ。あなたにこの名を呼んでもらえて、嬉しいよ」
「往来でなければ、抱きしめてキスしてました」
真顔で言われて首を傾げる。
「そんな可愛い顔で、嬉しいとか言われたら、滾らないわけがないじゃないですか」
「真顔でなにを言ってるんだ、君は。それよりも、申し訳ないが、洋服を見てきてもいいだろうか。手持ちが男物しかないから、何着か用意したいのだが」
「大賛成ですっ。男物の服も似合ってますけど、スカート姿のファーネが見たいですっ。一緒に見に行ってもいいですかっ」
「ああ、もちろんだ」
そして、行ったのは、今まで使ったことのない服屋だ。さすがに今まで男として通っていた服屋に、この容姿で顔を出す勇気はなかった。
いやそもそも紳士服屋では女性ものの扱いはないが。
華やかな雰囲気に気圧されながら、中に入ると……まさかの御仁が出てきた。
「おや、お久しぶりでございます」
「ああ、いつぞやの。その節はお世話になりました」
仮面舞踏会の時にドレスを用意してくれた紳士だった。そうか、ここは彼の店だったのか……しまったな。
「お元気そうで、なによりでございます。お顔の色も、明るくなられて。今日はどのような服をお探しですか?」
「外出着を数着見たかったのだが――」
「ああ、それはよかった。少々お待ちください」
やはりやめようかと思って言葉を濁した私に、紳士は奥から一着の服を取り出してきた。品のいい落ち着いた感じで、尚且つ動きやすそうな。
「どうぞ、ご試着ください」
「え、あの」
背を押され、渡された服を小部屋で着替える。ドアの外からは、シュラの意見を聞いている声も聞こえてくる。
仕方なく袖に腕を通したのだが、まるで誂えたように体に馴染む。
一人で脱ぎ着できる形もありがたい。
揃いで置かれた靴を履き、試着の小部屋のドアを開ける。
ドア近くのソファに座っていたシュラが立ち上がり、私を見て表情を輝かせた。
「素敵ですっ。とても似合ってますっ」
「あ、ありがとう。では、これをもらうことにする」
手放しの賛辞に頬が熱くなるのを感じながら、紳士を振り返る。
「そちらは、初の女性騎士になられたあなた様へ、当店からの贈り物です」
女性騎士ができたことはまだおおやけになっていないのになぜ知っているのかと訝しむ私に、店主は朗らかに種明かしをした。
「お嬢様の騎士服は、当店で縫製を承っておりますので。どうぞ、今後ともご贔屓に」
なるほど、だからこれほど着心地がいいのか。誂えたように、ではなく本当に私のために誂えてくれていたとは。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
微笑む店主に見送られ、着替えた服のまま店を出る。服は後で店の者が、第一騎士団に届けてくれるそうで、大変助かる。
「とても、綺麗です。誰にも見せたくないくらい」
「ふふっ、ありがとう。あと、ひとつお願いがあるんだが」
ヒールの高い靴が慣れないから腕を貸して欲しいと願った私に、彼は赤くなりながら肘を差し出してくれた。彼の肘に手を掛け、寄り添って歩く。
町を散策し、すこし疲れたところで喫茶店に入った。
奥まった席に座る。私を見せたくないと言った言葉どおり、通路から見えない場所に私を座らせる彼に苦笑する。
「独占欲です。あなたが男の姿でも、俺は誰にも見せたくないですよ」
「それは光栄だが、すこし照れてしまうな」
独占したいほど好きだと言ってくれる彼に嬉しくなって、頬が緩んだ私を見て、彼がテーブルに突っ伏す。
「可愛い……俺の、ファーネが可愛くて、致命傷だ」
「なにを言ってるんだ。ほら、店員さんがお茶を置けないだろう。邪魔になるから起きなさい。申し訳ないねお嬢さん、ありがとう」
「いえっ、大丈夫ですぅっ」
給仕の女性が頬を薄紅にして、テキパキとテーブルに注文したお茶を置いてくれる。感謝して微笑めば、彼女もニッコリと笑ってからキッチンの方へと戻っていった。
「この格好でもか……っ」
呻くように呟く彼に驚く。
「どうした、シュラ? この格好が、似合わなかったか?」
私は似合うと思ったが、シュラの趣味ではなかったのだろうか。弾むようだった気分が、シュルシュルと萎んでゆく。
「似合ってますっ、凄く、とても、世界で一番綺麗ですっ」
私の両手を握りしめて、真っ直ぐに私の目を見る彼の言葉に、萎えていた心が少し復活するが、どうにも言わせてしまった感が否めない。
「無理は、しなくていいんだぞ」
「無理なんてしてません。俺のファーネは、世界で一番綺麗で、可愛いです。今すぐ攫って食べちゃいたいくらい、素敵なんですけど……っ、願わくばそれは、俺だけが知っていたかったっていうか」
彼は視線を逸らし、困ったように斜め下を見た。
そうか、独占欲なのか。胸がくすぐったく、嬉しくなる。
ここが死角なのを確認してから、うなだれる彼の頬にそっと口付け、驚いて顔を上げたその唇に掠めるように唇を触れさせた。
「バッ、ファ、ファッ」
大きな声を出しそうな彼の唇に、人差し指を乗せて止める。
「お茶が冷めてしまうよ、シュラ」
微笑んだ私に、小刻みに彼が頷く。そんな小動物のような仕草も可愛いな。
まだ温かい紅茶を飲み、一緒に出された焼き菓子を摘まむ。
「あっ、そういえば、大事なことを伝えるのを忘れてました。実は俺、第十騎士団に転属になりました」
思わず紅茶を吹き出しそうになりながらも堪え、彼を見る。
「第十騎士団なんて、凄いじゃないか。大栄転だな」
第五から第十になった人物など、聞いたこともない。いや、第五から第一に移るのも聞いたことがないが、私の場合、特殊な事情があったからだし。
「でも、忙しい上に、出張、じゃなくて遠征が多くて、ファーネに会う時間が減っちゃうんですよ……っ。いままでみたいに、一緒に居たいです……」
尻すぼみの声で呟いた彼の気持ちはよくわかる、私だってそうだ。厳しい訓練の中、彼が側に居てくれたらと思うことは何度もあったのだから。
カップを置いた手で、彼の頬を撫でる。
「ああ、そうだな。一緒にいたい」
「ファーネ」
「だが、第十になったということは、それだけシュラが期待されているということだ。私は、とても鼻が高い。それにな、第十になったと言えば、その、父も、容易く、私たちの結婚に賛同してくれると思うんだ。ウチの父は、実力主義なところがあるから――あ……っ」
言っていて、大事なことに気付いて愕然とした。
「どうしたんですかっ」
私の動揺を彼が心配してくれるのを手で制し、片手で目を覆った。
「父に連絡するのをすっかり忘れていた……」
「えっ、あの、大丈夫なんですか?」
「新年まであと半月しかないか。今日手紙を出せば、年内には届くな……多分」
手紙を普通に出すと、そちらの方に向かう行商人に預ける形で届けられる。だから、向かう行商人が居なければ、いつまでも届かないことになるのだが。最低でも月に数度は、必ず行き来はある場所なので大丈夫だ、それに年末なので往来も増えているだろう。
だが、一応割増料金を付けて早く届くようにしておこうかな。うん、そうすれば間違いなく届くものな。
心の中で算段を付けて顔を上げると、心配そうな彼の顔があった。
「心配させてすまない。大丈夫だよ、シュラ」
「本当ですか? 時間が無いなら、今から戻って手紙を書いても――」
「このデートを切り上げて? それは嫌だな、私はもっと一緒に居たい。シュラだって、嫌だろう?」
困ったように眉尻を下げる彼の頬を、指の背で撫でる。久し振りに会ったのに、手紙のためにやめざるを得ないなんて、絶対に御免だ。
「それは、そうなんですが。でも――」
「でも、は無しだよ。どうしたいか、言ってごらん」
そそのかす私に、彼は顔を赤くして自分もまだ一緒に居たいと白状してくれる。理性と欲望に揺れる表情が、とても可愛いと言ったら怒られてしまうだろうか。
ああ、愛しいな。
この人と共にありたい、この人と愛を育みたいという思いがあふれてくる。彼の頬を撫でていた手が取られ、テーブルの上で私の指に彼の指が絡められた。
「ずっと、あなたと一緒に居たい、です。あ、あ、あい、してるので」
「うん、私もだ、私も愛してる、一緒に居たい」
指が絡まった手が引かれ、指先に彼の唇が触れる。熱が、指先から送り込まれるように、体が熱くなるけれど、手を離す気にはなれない。
手を繋いだままお茶をして、離れがたいまま公園で身を寄せ合い。他愛も無いことをはなし、見つめ合い、同じ時を過ごした。
「名残惜しいですけど……っ、送っていきます」
「シュラの宿舎の方が遠いだろう、ここで――」
私の言葉を、彼の指先が塞ぐ。
「離れがたいので、送らせてください」
「は……い」
言葉に詰まりながら頷いた私に、彼は嬉しそうに手を差し出してきた。
はじめて会ったときとは違う逞しいその手に手を重ね、視線を交わしてから歩き出す。
門の前でシュラと別れ、部屋へと向かったのだが、スカート姿だからかすれ違う同僚から奇異の目で見られるのが恥ずかしかった。
部屋に入り、ホッとする。
寮に届けられていた荷物を開いて、丁寧に畳まれていた服をクローゼットに掛けてから、気合いを入れて机に向かった。
便箋とペンを取りだして、父への手紙を綴る。
まずは、女性騎士として認められたこと、それから第一騎士団に所属することになったこと、だから領には帰らないことを簡潔に書いた。
そこから手を止めて、ひと呼吸してから、ペンを動かす。
将来を誓った相手ができました、最速で第十騎士団の所属になった人です、と。文章を読むのが苦手な人だから、あまり多く文字を書くとちゃんと読まないかも知れないので、このくらいあっさり書いた方がいいだろう。
ペンを置き、インクを乾かしてから封をして、王宮内から手紙を送った。予定通りならば、十日ほどで届く筈だ。
すっかり忘れて遅くなってしまったが、年が明ける前に気付いてよかった。
服を着替えてすぐに浄化の魔法を掛け、次に会える日を楽しみにしてクローゼットを閉じた。
いま私は身繕いしているのだが……。
手持ちの服に絶望をしていた。
それはそうだ、私はいままで男としてここにいたのだ、女性ものの服など持っていたらおかしい。おかしいから仕方ないのだが……折角の、シュラとのデート、初めてのデートといっても過言ではないのに。
「無いものは、ないのだ。諦めよう……」
とはいえ、今まで着ていた服も胸元がひどくキツい。ゆとりのあるシャツでも胸回りはギリギリで、なんとかボタンを留めることはできたものの今にもはじけ飛びそうだ。
スカーフでシャツの開きを隠し、ジャケットを着る。貧弱な体を誤魔化すために大きめに作ってあったお陰でなんとか見られるだろう。ズボンもウエストはいいにしても、腰回りが少しキツい。
折角だから、出たついでに服も見てきたいな。
鏡をもう一度見て、薄く化粧をしている顔で小さく笑顔を作ってから、寮を出てシュラが待つ王宮の裏門へと急いだ。
「バルザクト様っ! 宝塚っぽくて、最高に格好いいです」
一回り逞しくなった気がするシュラが、私を見つけて駆け寄ってきた。彼を促し、並んで町へと歩き出す。
「タカラヅカ? ああ、そうだ。シュラにまだ伝えていなかったが、私の名だが、今後はファーネと呼んでほしいんだ」
首を傾げる彼に、名を変えるいきさつを伝えた。
「ファーネ様ですか」
「様は要らないだろう?」
微笑めば、彼は少し頬を赤らめて私の名を口にする。
「ファ、ファ、ファーネ……さん」
「さんも要らない。もう一度呼んでごらん」
促すと、顔を赤くした彼が、意を決した表情で口を開く。
「ファーネ」
低い、甘い声音に胸の奥が熱くなる。心のこもった声だ。
「ふふっ、その調子だ。あなたにこの名を呼んでもらえて、嬉しいよ」
「往来でなければ、抱きしめてキスしてました」
真顔で言われて首を傾げる。
「そんな可愛い顔で、嬉しいとか言われたら、滾らないわけがないじゃないですか」
「真顔でなにを言ってるんだ、君は。それよりも、申し訳ないが、洋服を見てきてもいいだろうか。手持ちが男物しかないから、何着か用意したいのだが」
「大賛成ですっ。男物の服も似合ってますけど、スカート姿のファーネが見たいですっ。一緒に見に行ってもいいですかっ」
「ああ、もちろんだ」
そして、行ったのは、今まで使ったことのない服屋だ。さすがに今まで男として通っていた服屋に、この容姿で顔を出す勇気はなかった。
いやそもそも紳士服屋では女性ものの扱いはないが。
華やかな雰囲気に気圧されながら、中に入ると……まさかの御仁が出てきた。
「おや、お久しぶりでございます」
「ああ、いつぞやの。その節はお世話になりました」
仮面舞踏会の時にドレスを用意してくれた紳士だった。そうか、ここは彼の店だったのか……しまったな。
「お元気そうで、なによりでございます。お顔の色も、明るくなられて。今日はどのような服をお探しですか?」
「外出着を数着見たかったのだが――」
「ああ、それはよかった。少々お待ちください」
やはりやめようかと思って言葉を濁した私に、紳士は奥から一着の服を取り出してきた。品のいい落ち着いた感じで、尚且つ動きやすそうな。
「どうぞ、ご試着ください」
「え、あの」
背を押され、渡された服を小部屋で着替える。ドアの外からは、シュラの意見を聞いている声も聞こえてくる。
仕方なく袖に腕を通したのだが、まるで誂えたように体に馴染む。
一人で脱ぎ着できる形もありがたい。
揃いで置かれた靴を履き、試着の小部屋のドアを開ける。
ドア近くのソファに座っていたシュラが立ち上がり、私を見て表情を輝かせた。
「素敵ですっ。とても似合ってますっ」
「あ、ありがとう。では、これをもらうことにする」
手放しの賛辞に頬が熱くなるのを感じながら、紳士を振り返る。
「そちらは、初の女性騎士になられたあなた様へ、当店からの贈り物です」
女性騎士ができたことはまだおおやけになっていないのになぜ知っているのかと訝しむ私に、店主は朗らかに種明かしをした。
「お嬢様の騎士服は、当店で縫製を承っておりますので。どうぞ、今後ともご贔屓に」
なるほど、だからこれほど着心地がいいのか。誂えたように、ではなく本当に私のために誂えてくれていたとは。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
微笑む店主に見送られ、着替えた服のまま店を出る。服は後で店の者が、第一騎士団に届けてくれるそうで、大変助かる。
「とても、綺麗です。誰にも見せたくないくらい」
「ふふっ、ありがとう。あと、ひとつお願いがあるんだが」
ヒールの高い靴が慣れないから腕を貸して欲しいと願った私に、彼は赤くなりながら肘を差し出してくれた。彼の肘に手を掛け、寄り添って歩く。
町を散策し、すこし疲れたところで喫茶店に入った。
奥まった席に座る。私を見せたくないと言った言葉どおり、通路から見えない場所に私を座らせる彼に苦笑する。
「独占欲です。あなたが男の姿でも、俺は誰にも見せたくないですよ」
「それは光栄だが、すこし照れてしまうな」
独占したいほど好きだと言ってくれる彼に嬉しくなって、頬が緩んだ私を見て、彼がテーブルに突っ伏す。
「可愛い……俺の、ファーネが可愛くて、致命傷だ」
「なにを言ってるんだ。ほら、店員さんがお茶を置けないだろう。邪魔になるから起きなさい。申し訳ないねお嬢さん、ありがとう」
「いえっ、大丈夫ですぅっ」
給仕の女性が頬を薄紅にして、テキパキとテーブルに注文したお茶を置いてくれる。感謝して微笑めば、彼女もニッコリと笑ってからキッチンの方へと戻っていった。
「この格好でもか……っ」
呻くように呟く彼に驚く。
「どうした、シュラ? この格好が、似合わなかったか?」
私は似合うと思ったが、シュラの趣味ではなかったのだろうか。弾むようだった気分が、シュルシュルと萎んでゆく。
「似合ってますっ、凄く、とても、世界で一番綺麗ですっ」
私の両手を握りしめて、真っ直ぐに私の目を見る彼の言葉に、萎えていた心が少し復活するが、どうにも言わせてしまった感が否めない。
「無理は、しなくていいんだぞ」
「無理なんてしてません。俺のファーネは、世界で一番綺麗で、可愛いです。今すぐ攫って食べちゃいたいくらい、素敵なんですけど……っ、願わくばそれは、俺だけが知っていたかったっていうか」
彼は視線を逸らし、困ったように斜め下を見た。
そうか、独占欲なのか。胸がくすぐったく、嬉しくなる。
ここが死角なのを確認してから、うなだれる彼の頬にそっと口付け、驚いて顔を上げたその唇に掠めるように唇を触れさせた。
「バッ、ファ、ファッ」
大きな声を出しそうな彼の唇に、人差し指を乗せて止める。
「お茶が冷めてしまうよ、シュラ」
微笑んだ私に、小刻みに彼が頷く。そんな小動物のような仕草も可愛いな。
まだ温かい紅茶を飲み、一緒に出された焼き菓子を摘まむ。
「あっ、そういえば、大事なことを伝えるのを忘れてました。実は俺、第十騎士団に転属になりました」
思わず紅茶を吹き出しそうになりながらも堪え、彼を見る。
「第十騎士団なんて、凄いじゃないか。大栄転だな」
第五から第十になった人物など、聞いたこともない。いや、第五から第一に移るのも聞いたことがないが、私の場合、特殊な事情があったからだし。
「でも、忙しい上に、出張、じゃなくて遠征が多くて、ファーネに会う時間が減っちゃうんですよ……っ。いままでみたいに、一緒に居たいです……」
尻すぼみの声で呟いた彼の気持ちはよくわかる、私だってそうだ。厳しい訓練の中、彼が側に居てくれたらと思うことは何度もあったのだから。
カップを置いた手で、彼の頬を撫でる。
「ああ、そうだな。一緒にいたい」
「ファーネ」
「だが、第十になったということは、それだけシュラが期待されているということだ。私は、とても鼻が高い。それにな、第十になったと言えば、その、父も、容易く、私たちの結婚に賛同してくれると思うんだ。ウチの父は、実力主義なところがあるから――あ……っ」
言っていて、大事なことに気付いて愕然とした。
「どうしたんですかっ」
私の動揺を彼が心配してくれるのを手で制し、片手で目を覆った。
「父に連絡するのをすっかり忘れていた……」
「えっ、あの、大丈夫なんですか?」
「新年まであと半月しかないか。今日手紙を出せば、年内には届くな……多分」
手紙を普通に出すと、そちらの方に向かう行商人に預ける形で届けられる。だから、向かう行商人が居なければ、いつまでも届かないことになるのだが。最低でも月に数度は、必ず行き来はある場所なので大丈夫だ、それに年末なので往来も増えているだろう。
だが、一応割増料金を付けて早く届くようにしておこうかな。うん、そうすれば間違いなく届くものな。
心の中で算段を付けて顔を上げると、心配そうな彼の顔があった。
「心配させてすまない。大丈夫だよ、シュラ」
「本当ですか? 時間が無いなら、今から戻って手紙を書いても――」
「このデートを切り上げて? それは嫌だな、私はもっと一緒に居たい。シュラだって、嫌だろう?」
困ったように眉尻を下げる彼の頬を、指の背で撫でる。久し振りに会ったのに、手紙のためにやめざるを得ないなんて、絶対に御免だ。
「それは、そうなんですが。でも――」
「でも、は無しだよ。どうしたいか、言ってごらん」
そそのかす私に、彼は顔を赤くして自分もまだ一緒に居たいと白状してくれる。理性と欲望に揺れる表情が、とても可愛いと言ったら怒られてしまうだろうか。
ああ、愛しいな。
この人と共にありたい、この人と愛を育みたいという思いがあふれてくる。彼の頬を撫でていた手が取られ、テーブルの上で私の指に彼の指が絡められた。
「ずっと、あなたと一緒に居たい、です。あ、あ、あい、してるので」
「うん、私もだ、私も愛してる、一緒に居たい」
指が絡まった手が引かれ、指先に彼の唇が触れる。熱が、指先から送り込まれるように、体が熱くなるけれど、手を離す気にはなれない。
手を繋いだままお茶をして、離れがたいまま公園で身を寄せ合い。他愛も無いことをはなし、見つめ合い、同じ時を過ごした。
「名残惜しいですけど……っ、送っていきます」
「シュラの宿舎の方が遠いだろう、ここで――」
私の言葉を、彼の指先が塞ぐ。
「離れがたいので、送らせてください」
「は……い」
言葉に詰まりながら頷いた私に、彼は嬉しそうに手を差し出してきた。
はじめて会ったときとは違う逞しいその手に手を重ね、視線を交わしてから歩き出す。
門の前でシュラと別れ、部屋へと向かったのだが、スカート姿だからかすれ違う同僚から奇異の目で見られるのが恥ずかしかった。
部屋に入り、ホッとする。
寮に届けられていた荷物を開いて、丁寧に畳まれていた服をクローゼットに掛けてから、気合いを入れて机に向かった。
便箋とペンを取りだして、父への手紙を綴る。
まずは、女性騎士として認められたこと、それから第一騎士団に所属することになったこと、だから領には帰らないことを簡潔に書いた。
そこから手を止めて、ひと呼吸してから、ペンを動かす。
将来を誓った相手ができました、最速で第十騎士団の所属になった人です、と。文章を読むのが苦手な人だから、あまり多く文字を書くとちゃんと読まないかも知れないので、このくらいあっさり書いた方がいいだろう。
ペンを置き、インクを乾かしてから封をして、王宮内から手紙を送った。予定通りならば、十日ほどで届く筈だ。
すっかり忘れて遅くなってしまったが、年が明ける前に気付いてよかった。
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