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第五章

□豊穣の巫女の護衛1

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 神祭しんさいの主役である、貴族から選ばれし乙女である豊穣の巫女は、祭りの三日間だけ、特別に誂えられた白を基調とした豪奢な刺繍をふんだんに施された巫女服を着る。

 豊穣の巫女はその名の通り、国民を代表して神に豊穣を祈る、平穏と富の象徴たる存在だ。

 そして、豊穣の巫女となった女性が結婚すると、その家に繁栄をもたらすといわれている。

 実際、過去に巫女となった女性達は幸福な結婚をし、しあわせな家庭を築いているということだ。

 私はその巫女の付添人として、黒を基調とした一般的な巫女の服を着た。服の下には、前回も使用した胸を盛る用の肉襦袢を付け、地面に着きそうな程長いスカートの下には、シュラからもらった黒い細身のズボンとブーツを身につけ、薄手の革で作られた洒落た手袋をする。最後に顔の下半分を覆う薄い紗の布をかけ、細身の剣を腰にさげた。

 多少なりとも胸に肉がついてしまったいま、肉襦袢をつけると胸が圧迫されて息苦しいものの、行動を制限する程ではなく安堵する。

 前回と違い化粧は派手さを押さえて薄く目元に墨を入れる程度だし、髪もひとつにまとめるだけだったので、思ったよりも準備に時間はかからなかった。

「準備ができたようだな」
「午後からになるのでしたら、昨晩のウチに移動する必要はなかったのではないですか? ジェンド団長」

 闇に紛れて王宮にある第一騎士団の宿舎に入り、空き部屋で一晩過ごしたのだが。居心地がいいものではなかったし、胸を圧迫される息苦しさもあってついぼやいてしまった。

「そう言うな、念には念を入れてだ。それにしても、今回も見事に化けたな」
「それなりに見えるのでしたら、羞恥を耐えている甲斐があります」

 溜息交じりにこたえて立ち上がる。

「謙遜すると嫌味になる程度には、いいできだぞ。特に胸のあたりが」

 軽口を叩く彼に胡乱な目を向ける、胸を盛ってあれば女認定されるのならば、他の騎士でもいいだろうに。

「私は打合せどおり、巫女の付添人として護衛すればいいのですね?」
「ああ、武器は馬車のなかに仕込んである。座席の座面の下にレイピア、ドアの内張に短剣。有事の際は後部から鉄製の覆いを引き出して掛ければ、多少の時間稼ぎはできるようになっている。パレード以外は剣を提げていて構わない」
「承知いたしました」

 さすがに巫女の格好をしているから、衆目の中では剣を持てぬか。

 例年巫女がパレードで使用する馬車を思い出す。二頭立ての馬車だが、車体自体はそれほど大きくなく、巫女が座る席のうしろに一段低く護衛の騎士が立つ場所があり、騎士は護衛がてら日傘を持ってそこに立つのだったな。

 周囲を馬に乗った騎士が隊列を組んで護衛するのだから、滅多なことはあり得ないが、過去に有事がなかったわけではないので、気を引き締めて任務にあたらねばなるまい。

「まずは、豊穣の巫女と顔合わせだ」

 先にたって歩く彼に、続いてゆく。

「そうだ、わかっていると思うが、君はいま、女性だということを忘れないでくれよ。間違っても、男だとばれないようにしてくれ」
「無茶をおっしゃいますね、ジェンド団長。それでしたら、私はなるべく黙して語らねばよいでしょうか? 少なくとも見た目は、女性的であるようですので」

 城詰めの騎士達は祭りの期間中はとても忙しいらしく、がらんとしている宿舎を並んで歩きながら、胸の下あたりの服を押さえ、作られた胸の膨らみを強調させてみせれば、彼は僅かに眉を寄せる。

「そうは言ってないだろう。口調をもっと柔らかくして、そうだな、あとは笑顔だ。笑顔があればなんとかなるだろう」
「本当に、無理をおっしゃる」

 溜息を飲み込み、飲みきれなかった愚痴をこぼしながら、スカートを穿いて早く進めない私の歩調に当たり前に合わせてくれるジェンド団長は、顔は平凡だがやはり貴族であり騎士なのだなと、妙なところで感心してしまう。

 いや、第一騎士団といえば、品行方正で文武両道であることを信条としている我が国一の騎士団であるのだから、当然ではあるのだが。近年ではそこに、見目の麗しい者が就くという暗黙の了解があるのだが、それをものともせずに団長の座を掴んだジェンド団長なのだから、よっぽど素晴らしい御仁なのだろう。

 考えてみれば、私のような下級貴族で第五騎士団の人間にも気安く接してくださるのだから、心が広いのだろうな。

 その心の広さを試すように、思いついたことを提案してみる。

「いい加減、女性の騎士を作ってもいいのではありませんか? 今回のように、男性嫌いのご令嬢の護衛だけじゃなく、女性王族の護衛だって、女性騎士がいれば、室内の護衛などで護衛対象に気を遣わせることも減るでしょうし、なにより、護衛対象が安心するのではないでしょうか?」
「女性、騎士か。だが、どうしたって、男よりも力で劣ってしまうだろう」

 苦くそう言う彼に、肩を竦めてみせる。

「魔力があればどうとでもなります。筋力とて、魔法で補うことができるのですから。だから私のように、体格に恵まれぬ貧弱な者でも、こうして騎士をしていられるのです」
「貴殿が言うと……説得力があるが……」

 絞り出すような彼の返答に、そうだろうと内心笑う。いっそ、女であると明かしてしまえば、彼はどんな反応をするのだろうか。

 考えるように口を噤んで、黙々と歩く彼の横顔を見上げてから、視線を前に戻す。考え事をしていても、歩調を合わせるのはさすがと言おうか。

 神殿が見えたところで、やっと彼が長考から抜け出した。

「君の考えは面白い。一考の余地があるだろう、検討してみよう」

 一笑に付すことなく、誠実に答えてくださることに感動を覚えつつも、本気で受け取られたことに驚きを隠せないまま返事をする間もなく、神殿にたどり着いた。

「ご足労いただき、ありがとうございます」

 扉の前で待っていた老齢の神官が、ゆっくりと頭をさげる。

「今年もよろしくお願い致します。彼女が、この度、豊穣の巫女の護衛を務めるアーバイツ嬢です」

 ジェンド団長に紹介されて、頭を下げた私に対する神官の表情は芳しいものではなかった。

「本当に、女性を用意なさったのですね。そのような細腕で、巫女を守れるのですか?」

 もっともな不安だろうな。そう納得したのは私だけだったようで、ジェンド団長は僅かに目を眇めて顎を引いた。

「そちらから、当代の巫女は男嫌いだからと、女性の護衛を求められたはずですが?」
「え、ええ、そうですとも。ですから、こうして護衛を用意していただいて、感謝はしているのですが。守れぬ者ならば、どうしようもないのでは、と」
「なるほど、実力に疑問がある、ということですか」

 柔らかい声音なのに、冷えて聞こえるジェンド団長に、神官は気圧されたように目を彷徨わせる。

「そこまでは、言っていないではありませんか」
「言っているでしょう」

 言っていましたね、確かに。

「アーバイツは細腕ではあるが、あなたに侮られるような、弱い者ではございませんので、どうぞご安心ください」
「しかし、ですな。口ではなんとでも」

 いっそう厳しいジェンド団長の視線に貫かれて、しどろもどろになりつつも言い募る神官に、ジェンド団長はあからさまに溜息を吐き出した。

「わかりました、では、あなたの心配が杞憂であることを証明いたしましょう。庭をお借り致しますよ」

 神殿の左手側に向かって歩いて行くジェンド団長に、私と神官がついて行くと、すぐにひとけのない空き地に出た。

「軽く流してみようじゃないか、アーバイツ」

 剣を抜いたジェンド団長に笑顔を向けられ、私も腰の剣を手にする。

「お手柔らかにお願い致します」

 礼をしながら、第一騎士団の団長と手合わせをするなど、これから先もありはしないだろうということに気付いてしまった。突然降って湧いた得がたい機会に、胸が高揚してくるのを感じながら、腰を落として呼吸を整える。

 私は決して戦闘狂ではないが、シュラと出会ってから、訓練を楽しく思うようになったのは否めない。

 私の気合いに気付いたのか、ジェンド団長の表情が引き締められた。

「では、参ります」

「こい」

 薄い革で作られた手袋に付与魔法を掛けて握りを強くし、瞬間的にブーツに付与魔法を掛けて地面を蹴り、一直線に彼の懐を目指す。

 一瞬で間を詰めて胴を薙ごうとしたところを、ジェンド団長の剣が振り下ろされ、咄嗟に横に飛んでその剣を躱し、距離を取る。

「いい気迫だ」
「一撃入れるつもりだったのですけれど、そう簡単にはさせてくれませんか」
「これでも、第一を背負っているのでな」

 口は軽口だが、私も彼も口調ほど軽い気持ちは持っていない。奇襲が失敗してしまい、分が悪くなってしまったな。
 だが、向こうの剣を受けることなく、躱すことができるのがわかった。やりようによっては、勝ち目がないわけじゃない。

 呼吸を整えて意識を彼に集中すると、ゆらりと空気が揺れて彼の周囲にあの魔獣と同じように靄が掛かって見えた。

 あの魔獣と同じだけの魔力、ということか。さすがは、第一騎士団団長、化け物めいている。

 ゾクリと身の内が震えるのを気力で堪え、彼を見据える。いい機会じゃないか、次にあの一角の魔獣と対峙する、前哨戦だ。

 彼に向かって行くことができねば、あの魔獣と戦うこともできない。

「くくっ、お前を引き抜けば、ボルテスが怒りそうだな」

 軽口を叩く彼に返事をすることもできず、隙をうかがう。魔力の靄は彼にまとわりついているだけで、こちらを威圧することはないものの、緊張に汗が頬を伝う。

 これ以上消耗するのは、私の体力的に不利になりそうだ。ということは、正攻法では勝機は薄いだろう、ではどうすればいいだろう。

 低くした姿勢で、剣を軽くする魔法を掛け、右手だけで持つ。

「ほう? 面白い構えだ」

 奇をてらっているだけと見て取ったのかニヤリと笑った彼に向かい駆け出す、ブーツに掛ける付与魔法はまだ弱く、彼の間合いに入ると同時に強化して速度を一気に乗せる。スカートが邪魔でいつもの歩幅が取れぬのがつらいな。

「はっ!」

 剣を地面すれすれから突き上げる瞬間に、剣に掛けていた軽量の魔法を切り、突きに重さを乗せる。咄嗟に剣の軌道から身を躱した彼の動きを見て、瞬時に剣に軽量の付与を掛けて強引に軌道を変えて剣を横に薙ぐ。

「くっ! やるなっ」

 剣が彼の胴に当たる瞬間に、彼の周囲にある靄のように見える魔力が動き、彼の周囲を囲って剣を弾いた。なるほど、魔法が発動すると、あんなふうに魔力が動くのか。

 そう考えたのは一瞬で、彼の魔力が動くのを見て、慌てて横っ飛びに飛ぶ。

 パシュッという軽い音を立てて、私の立っていた地面に傷ができた。

 地に転がりながら、それを目にして気分が高揚する。

 詠唱もなく魔力で風の刃を飛ばしたのか、あるいは魔力でつぶてを弾いたのか、なかなか姑息な手を使うものだな。騎士の花形ともいえる第一騎士団が、泥臭い真似もするとは、面白い。

「あれを避けるのか」
「こちらの服装を考慮して、手加減していただけると嬉しいのですが」
「すまんな、楽しすぎた」

 立ち上がり、黒いスカートについた土を払いながら文句を言うと、彼は愉快そうに笑って剣を鞘に戻してしまった。

 ああもう終わりなのか、落胆と共に気を抜くと、彼の周囲に見えていた魔力の靄が消えた。

「そんな顔をするな。続きはまた今度だ、動きやすい服で十分な力を出せる時のほうが、君もいいだろう?」
「そうですね、ではまた今度お願いいたします」

 笑いながら肩を叩かれたものの、本当に次があるとは信じないままにお為ごかしの笑顔を向け、剣を鞘に戻して返事をする。所詮私は第五騎士団の平団員であり、彼は騎士の花形である第一騎士団の団長なのだから、期待するだけあとで落胆することになるだろう。

 離れた場所でこちらを見ていた神官の元へ歩く彼のうしろに続いて歩きながら、自分とジェンド団長の汚れた服に浄化の魔法を掛けておく。

「さて、神官殿、これでよろしいか? ウチの秘蔵っ子を出してると、理解していただけましたか」
「あなた様と渡り合える女性がいるとは。アーバイツ様、先程は失礼を申しました、どうぞ豊穣の巫女の護衛をよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 神官の謝罪を受け入れてこちらも礼を返すと、ここまで一緒だったジェンド団長が帰ってしまった。


 忙しいだろう彼なので、他に任せずに付き添ってくれたことがありがたいものの、ここから先は一人でいかねばならぬのが少々不安ではある。
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