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第三章
□宴のあと
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酔いと心地よい揺れのせいで遠のいていた意識が、不意に浮上した。
「目が覚めましたか? バルザクト様」
気付いたのは、マントにくるまれて、シュラに横抱きで運ばれている時だった。深夜なので、ひとけがないのがありがたいな。
シュラはあの隠密効果のある黒衣ではなく、いつものラフな服に戻っていた。顔の仮面も外してあるし、髪の色も美しい黒に戻っている。
「第一騎士団のかたが送ってくれたんですよ。お酒、飲んだんですね? 飲み食いしちゃ駄目だって、言ってあったじゃないですか」
堂々と文句を言ってくるシュラに、マントから手を出して、その首筋に抱きつく。こうしてくっついた方が、運びやすいのは知ってるんだ。
「不可抗力だよ、シュラ。私とて、折角飲むなら、あんな不味い酒じゃなく、口当たりのいいものを飲みたかったよ」
「バ、バ、バルザクト様っ、ま、まだ酔って……っ」
慌てながらもちゃんと運んでくれる彼を、褒めるように撫でる。ああ、やはりこの髪は撫でやすいな、手触りがいい。
黒髪を指に通し、その感触を楽しむ。
「そうだ、口直しをしたいな。シュラ、付き合ってくれるか?」
「は? え、あ、はひっ」
変な返事に喉の奥で笑い、無事に運ばれた部屋の居間にシュラを残し、私室に入ってドレスを脱いで椅子の背に投げ掛けた。体型を補正していた肉襦袢も脱ぎ、動きやすいパンツとゆったりとしたシャツを着る。
「確か、この辺に……」
寝酒として置いてあった瓶を取り出す。少々高い酒だが、滅多に飲まないのだから不味いものを口にしたくはない。
「待たせたな」
「い、いえっ、全然、待ってないですっ」
本当にウチの従騎士は可愛いことを言う。グラスをふたつ出して酒を注ぎ、片方を彼に渡した。
ソファに座る彼の横に、ドサリと腰を下ろす。
「これで、面倒な仕事は終わりだ。シュラ、乾杯」
「か、か、かんぱいっ」
私の差し出したグラスに、彼が小さくグラスの縁を当て、心地よい音を鳴らした。乾杯は掲げるだけでいいのだが、まぁこういうのも悪くないか。
緩む口元にグラスを運んで傾ける。
ああ、おいしい。舞踏会で飲んだあの不味い酒とは雲泥の差だ。
「あ、美味しい」
「だろう? ふふっ、私の秘蔵の酒だ。甘口だから、酒飲みには物足りないらしいがな」
美味しいと言って飲んでくれるのが嬉しくて、いっそう頬が緩む。彼の空いたグラスに継ぎ足して、自分のグラスにも足す。
「バルザクト様、髪、ほどかないんですか?」
「あ? ああ、そういえば、忘れていた。……しかし、随分丁寧に結ってくれたものだ。どう外せばいいんだ……」
装飾品を外そうとして余計に絡まり、舌打ちしたくなる。
「そんなに乱暴にしたら髪が切れますよ。うしろ向いてください、俺がやります」
「そうか。すまないが、頼む」
ソファに横向きで座り彼に背を向ければ、グラスをテーブルに置いた彼が、少しずつ髪を解いてくれる。髪を弄られる心地よさに目を細めながら、グラスを傾けた。
「それにしても、バルザクト様も酔っ払うんですね」
「私はさほど酒に強くないからな。それに、会場で口にした酒は、酒精ばかり強くて、酒と呼ぶのもおこがましい酷いモノだったからな」
「いえ、あの、二日酔いを治す魔法があるじゃないですか」
そう言われて、彼の知りたいことがやっとわかった。
「ああ、あれか。酔っている状態だと、あのての繊細な魔法は上手くいかないんだ。あの魔法の構成は、体内に残る酒精を分解して汗と共に排出させるものでな。今度、しらふの時に教えてやろう。そうすれば、私が酔っても、シュラが癒やしてくれるだろう?」
チラリと背後を振り返れば、「勿論です」と請け負ってくれたのが嬉しくて、クスクスと笑ってしまう。
「でも、酔ってるバルザクト様も、いいですね」
「ん?」
髪を解き終えた彼の指先が、髪を梳くように何度も髪に潜る。その手が心地よくて、吐息が漏れ、時折耳のうしろを掠める指先がくすぐったくて、肩を竦めてしまう。
「バルザクト様って、耳、弱いんですね」
「耳は弱くないぞ? 聴力はいい方だと自負して……っ、こら、くすぐったいから、そんな風に触れてくれるな」
彼の指が耳に髪を掛ける仕草でゆっくりと耳の輪郭をなぞり、首筋に髪を流し、立ち襟のシャツから出ている肌を撫でる。その柔らかな指先の触れ方に、ゾクリと背筋が震え、心地よさすら感じてしまった自分に背徳感を覚えるが、彼の手から逃れたいと思えないのは、きっと酒のせいだ。
執拗にくすぐられていると、なぜか腰のあたりがもやっとしてしまうな。私の髪をくすぐる彼の指に指を絡めていたずらを止め、肩越しにその手を引けば、彼が背から覆うような形になる。
「ちょ、え、バルザクト様っ」
そういえば、以前もこんな体勢になったことが……はじめてシュラと出会った時に、こうしてステータスを見せられたんだ。ああ、そうだ、シュラに聞きたいことがあったのを思い出した。
「シュラ、ちょっと、ステータスを開いてくれないか?」
「は? え?」
「ほら、早くしなさい。確認したいことがあるんだ」
「はっ、はいっ、ステータスオープンッ」
私の背で戸惑う彼を急かしてステータスを出させ、久し振りに見るこの世界とは異なる文字の列を目で追い、目的の文字を見つけた。
「シュラ、これ、これはなんという数字なんだ? ○が二つ、横にくっついているやつだ」
私越しにステータスを出した彼に凭れ、グラスを持っている方の手で、ステータスの出ている文字を示し、振り向いて間近にある彼を仰ぎ見る。間近から私を見下ろす彼の呼吸が荒く、若干顔の赤みが強くなっている。
「シュラ? 大丈夫か? そんなに酔ったのか?」
「や、やばいです……バルザクト様が可愛すぎて、頑張れっ、頑張れ俺の理性っ。聞きたいことは、わかりましたっ、バルザクト様、お教えしますので、前向いてください」
わけのわからないことをブツブツと呟いた彼に強引に前を向かされ、背中の彼と離れてしまった。
「これですね? この、○が二つ横並びになってる文字ですね。これは、ウロボロスをあらわしていて、インフィニティ、ええと無限ってことです」
「むげん?」
「そうです、限り無い、ええと底なしという意味です」
「底なし」
私の魔力は、底なしということか?
「そうです、ここを見てもらえますか。これは、俺のアイテムボックスの容量で、上限が無限で現在は七六八八まで埋まってます。あ、薬草一本でもひとつのカウントなので、そんなに入っている訳じゃないですから。ここに、いくらでもモノが入るってことです」
私の場合だと、魔力の上限が無限ということは、魔力がいくらでも溜まるということなのか。先日確認したら一〇二/∞となっていたが、もっと増やすことができるのか? でも、魔法を使うと魔力は減るからな、どうすればもっと溜まるのだろう――そういえば、飯を食えばそれが魔力になると言っていなかったか?
だが、肉を付けてはならない私は、必要以上に飯を食うわけにはいかないしな……どうしたって、魔力を上げることはできないのか。魔力が上がればもっと強い、放出系の魔法も使うことができるだろうし、付与魔法だって燃費を考えず使い放題だと思ったんだが、そう上手くはいかぬものだな。
思わず溜息を吐いて、気付かぬうちに強張っていた肩の力を抜き、手の中で温くなってしまった酒を一息に飲み干した。
「バルザクト様?」
「ありがとう、ずっと気になってたんだ」
指を絡めていた左手を解こうとすると、彼の手に力が込められて手を握り返され、さらには後から抱きしめるように彼の右腕に引き寄せられた。
「シュラ?」
「バルザクト様、酔ってますよね。俺も、酔ってるんです……だから、きっと、俺もバルザクト様も明日には忘れてるはずです、よね」
低い声と共に、熱い吐息が首筋にかかった。
一度たりとて酒で記憶を手放したことなどないと、そう伝えようとした言葉が喉に詰まってでてこなかった。ただ震えるだけの私の声を、彼は都合よく受け取ることにしたらしく、私を包む腕が強くなる。その腕の強さが心地いいと、伝えることはできないけれど。背後にある彼の胸に凭れ、溜息と共に目を閉じる。
他人の腕の中というのは、温かいものなんだな。
仄かに甘い花の香りを吸い込み、心が安らぐのを感じる。
「バルザクト様? 寝ちゃったんですか?」
起きていると伝えるように身じろぐと、彼がちいさく笑った。手の中のグラスを取り上げられ、静かにテーブルに置かれる音がする。
――背中の温もりと、穏やかな空気が心地よい。
「目を閉じていると、幼く見えますね、バルザクト様」
低い声が耳をくすぐるが、それすら心地よい子守歌のようだ。
「ねぇ、バルザクト様、俺、頑張りますから、ご褒美をもらえますか」
そっと頬を撫でられる、ご褒美とはなんだろう? 私で与えられるものならば、与えることも吝かでは無いぞ。お前は頑張っているものな、私の可愛い従騎士。
頬を撫でるかさつく熱い手に頬を寄せる。話すのも億劫なんだ、察してくれ。
「俺は、絶対にあなたを守ります。カロル団長に鍛えてもらって、もうすぐひとつの限界値を突破できそうなんです」
強い力で抱きしめられ、すこし息が苦しい。限界値というのがなんのことなのかわからないが、一歩間違えば戦闘狂になり得る第十騎士団のカロル団長に鍛えられているのだから、それは目覚ましい成長になるだろうな。鍛えれば鍛えるほど強くなる彼が、うらやましくないといえばウソになるが、彼の成長は素直に嬉しいな。
「第一の好感度も悪くないから、十と一の合同合宿イベントが発生するはずなんです。そうすれば、最終イベントであなたを死なせずに済む。必ず、守り抜きますから」
――私を死なせない? 守り抜く?
彼の肩に頭をもたせかけ、ゆっくりと目を開き、下から彼を睨めつける。
「バ、バルザクト様っ、お、起きて……っ」
「シュラ。私は、お前に守られねばならぬほど、弱いか? ん?」
お互いの息が掛かるほど間近で、見つめ合う。
ああ、黒い瞳が、本当に美しい。
「よ、弱い、ですっ、まだ、まだ駄目なんですっ、いまのバルザクト様だと、戦い通せない……っ」
彼の悲痛な声に、目を細める。正面切って弱いと断じられるとは、騎士として、さすがに腹に据えかねる。
「戦い通せない?」
「バルザクト様は、致命的にスタミナが足りないんですっ。この体格で騎士を続けているのが奇跡なんです、あなたは……あなたは、魔力で肉体を維持してるんです」
「魔力で、肉体を? なにを、馬鹿な……」
笑い飛ばそうとした私に、シュラの真剣な視線が刺さる。
「こんな軽くて、細くて、今にも折れそうなのに、あれだけ動けるのはおかしいとは思いませんか? 付与魔法を使うまでもなく、あなたは魔力を生命力に変換させて、生きてるんです」
彼の言葉が続く。
「魔力を使いすぎた人を、見たことがありますか? 肉体が、干からびるように、筋肉が細り、鼓動が弱くなる。あれは、生命力を魔力に変換してしまったからなんですよ。もし、あなたの魔力が無くなってしまったら……っ」
魔力で生命を維持しているというならば、魔力が尽きてしまえば……。
ぞわりと震えた私を、彼の腕が強く抱きしめる。
「わかりましたか。だから、だから、あなたは俺に守られていてください」
守られて――だと?
私の心のどこかが、ぶちりと切れた気がした。私を抱きしめる彼の手を振り払い、振り向いた私は片膝をソファに乗り上げるようにして、彼の襟首を両手で掴み上げた。
「私は、騎士だ。騎士なんだよ、シュラ」
私が騎士であることが、騎士団にいる理由なんだ。守られるだけの存在になんて、なれるはずがないだろう。襟首を掴んだまま、彼の漆黒の瞳を見つめる。
だが彼の漆黒の瞳も、逸らされることなく真っ直ぐに私の目を見返してくる。
「そんな意地だけで、生き残れる程、甘くないでしょう」
「意地、だと……っ」
襟を握る手のうえから、一回り大きな手が重なり、そこから熱が私に流れ込んでくる。
「……っ! な、にをっ」
「目を離さないでください。俺の魔力を、あなたに送ってるだけです」
魔力流し? なぜ、こんな時にっ。
一瞬身構えたが、話に聞く快楽は襲ってこず。心地よい熱が、両手から腕、肩を巡り、胸、腹へと流れ込む。満たされるようなその感覚に、力が抜けそうになる。
「凄いですね、これだけ送っているのに、平気なんですか? おかしいな、これじゃ、痛い目にあって反省してもらうプランが使えないじゃないか」
「な、にがだっ」
手を振り払いたいのに、抜けた力と、強い彼の力のせいで果たせない。
「まるで砂に水を吸わせてるみたいだ。底が見えない。――でも、それなら、もしかして」
流れ込んでいた熱が止まる。
襟に触れているだけになっていた両手が引かれ、私は彼の膝のうえに尻を落としてしまった。
彼の真剣な目が、私を正面から射すくめる。
「バルザクト様、強くなりたいですか」
「当然だ」
間髪入れずに答えた私に、彼は泣き笑いのような笑みを浮かべ、顔を伏せた。
「そうですよね。そうだ、それがバルザクト様だ……。俺、あなたにぴったりの魔法を知ってるんですけど、覚えてみますか?」
呟くように言った彼に、囚われていた手を取り返し、その手で彼の両頬を挟んで上向かせる。
「覚えよう。それで、お前が求めるだけ、強くなれるのならば」
眩しそうに眇められた目に微笑み、その唇に唇を重ねてやった。
驚きに目を丸くした彼の膝から降り、彼の髪を乱すように撫でる。
「少々飲み過ぎたようだ。おやすみ、シュラ」
逃げるように部屋に戻り、ドアに背を付けて両手で顔を覆う。
妙に高揚するのは、魔力流しをされたせいだろうか。ああ、そうだ、衝動的に口付けしてしまったのも、魔力流しのせいだ、そうに違いない。
ふらふらとベッドに入り、頭までシーツをかぶって動悸を数えているうちに、気付けば眠りに落ちていた。
「目が覚めましたか? バルザクト様」
気付いたのは、マントにくるまれて、シュラに横抱きで運ばれている時だった。深夜なので、ひとけがないのがありがたいな。
シュラはあの隠密効果のある黒衣ではなく、いつものラフな服に戻っていた。顔の仮面も外してあるし、髪の色も美しい黒に戻っている。
「第一騎士団のかたが送ってくれたんですよ。お酒、飲んだんですね? 飲み食いしちゃ駄目だって、言ってあったじゃないですか」
堂々と文句を言ってくるシュラに、マントから手を出して、その首筋に抱きつく。こうしてくっついた方が、運びやすいのは知ってるんだ。
「不可抗力だよ、シュラ。私とて、折角飲むなら、あんな不味い酒じゃなく、口当たりのいいものを飲みたかったよ」
「バ、バ、バルザクト様っ、ま、まだ酔って……っ」
慌てながらもちゃんと運んでくれる彼を、褒めるように撫でる。ああ、やはりこの髪は撫でやすいな、手触りがいい。
黒髪を指に通し、その感触を楽しむ。
「そうだ、口直しをしたいな。シュラ、付き合ってくれるか?」
「は? え、あ、はひっ」
変な返事に喉の奥で笑い、無事に運ばれた部屋の居間にシュラを残し、私室に入ってドレスを脱いで椅子の背に投げ掛けた。体型を補正していた肉襦袢も脱ぎ、動きやすいパンツとゆったりとしたシャツを着る。
「確か、この辺に……」
寝酒として置いてあった瓶を取り出す。少々高い酒だが、滅多に飲まないのだから不味いものを口にしたくはない。
「待たせたな」
「い、いえっ、全然、待ってないですっ」
本当にウチの従騎士は可愛いことを言う。グラスをふたつ出して酒を注ぎ、片方を彼に渡した。
ソファに座る彼の横に、ドサリと腰を下ろす。
「これで、面倒な仕事は終わりだ。シュラ、乾杯」
「か、か、かんぱいっ」
私の差し出したグラスに、彼が小さくグラスの縁を当て、心地よい音を鳴らした。乾杯は掲げるだけでいいのだが、まぁこういうのも悪くないか。
緩む口元にグラスを運んで傾ける。
ああ、おいしい。舞踏会で飲んだあの不味い酒とは雲泥の差だ。
「あ、美味しい」
「だろう? ふふっ、私の秘蔵の酒だ。甘口だから、酒飲みには物足りないらしいがな」
美味しいと言って飲んでくれるのが嬉しくて、いっそう頬が緩む。彼の空いたグラスに継ぎ足して、自分のグラスにも足す。
「バルザクト様、髪、ほどかないんですか?」
「あ? ああ、そういえば、忘れていた。……しかし、随分丁寧に結ってくれたものだ。どう外せばいいんだ……」
装飾品を外そうとして余計に絡まり、舌打ちしたくなる。
「そんなに乱暴にしたら髪が切れますよ。うしろ向いてください、俺がやります」
「そうか。すまないが、頼む」
ソファに横向きで座り彼に背を向ければ、グラスをテーブルに置いた彼が、少しずつ髪を解いてくれる。髪を弄られる心地よさに目を細めながら、グラスを傾けた。
「それにしても、バルザクト様も酔っ払うんですね」
「私はさほど酒に強くないからな。それに、会場で口にした酒は、酒精ばかり強くて、酒と呼ぶのもおこがましい酷いモノだったからな」
「いえ、あの、二日酔いを治す魔法があるじゃないですか」
そう言われて、彼の知りたいことがやっとわかった。
「ああ、あれか。酔っている状態だと、あのての繊細な魔法は上手くいかないんだ。あの魔法の構成は、体内に残る酒精を分解して汗と共に排出させるものでな。今度、しらふの時に教えてやろう。そうすれば、私が酔っても、シュラが癒やしてくれるだろう?」
チラリと背後を振り返れば、「勿論です」と請け負ってくれたのが嬉しくて、クスクスと笑ってしまう。
「でも、酔ってるバルザクト様も、いいですね」
「ん?」
髪を解き終えた彼の指先が、髪を梳くように何度も髪に潜る。その手が心地よくて、吐息が漏れ、時折耳のうしろを掠める指先がくすぐったくて、肩を竦めてしまう。
「バルザクト様って、耳、弱いんですね」
「耳は弱くないぞ? 聴力はいい方だと自負して……っ、こら、くすぐったいから、そんな風に触れてくれるな」
彼の指が耳に髪を掛ける仕草でゆっくりと耳の輪郭をなぞり、首筋に髪を流し、立ち襟のシャツから出ている肌を撫でる。その柔らかな指先の触れ方に、ゾクリと背筋が震え、心地よさすら感じてしまった自分に背徳感を覚えるが、彼の手から逃れたいと思えないのは、きっと酒のせいだ。
執拗にくすぐられていると、なぜか腰のあたりがもやっとしてしまうな。私の髪をくすぐる彼の指に指を絡めていたずらを止め、肩越しにその手を引けば、彼が背から覆うような形になる。
「ちょ、え、バルザクト様っ」
そういえば、以前もこんな体勢になったことが……はじめてシュラと出会った時に、こうしてステータスを見せられたんだ。ああ、そうだ、シュラに聞きたいことがあったのを思い出した。
「シュラ、ちょっと、ステータスを開いてくれないか?」
「は? え?」
「ほら、早くしなさい。確認したいことがあるんだ」
「はっ、はいっ、ステータスオープンッ」
私の背で戸惑う彼を急かしてステータスを出させ、久し振りに見るこの世界とは異なる文字の列を目で追い、目的の文字を見つけた。
「シュラ、これ、これはなんという数字なんだ? ○が二つ、横にくっついているやつだ」
私越しにステータスを出した彼に凭れ、グラスを持っている方の手で、ステータスの出ている文字を示し、振り向いて間近にある彼を仰ぎ見る。間近から私を見下ろす彼の呼吸が荒く、若干顔の赤みが強くなっている。
「シュラ? 大丈夫か? そんなに酔ったのか?」
「や、やばいです……バルザクト様が可愛すぎて、頑張れっ、頑張れ俺の理性っ。聞きたいことは、わかりましたっ、バルザクト様、お教えしますので、前向いてください」
わけのわからないことをブツブツと呟いた彼に強引に前を向かされ、背中の彼と離れてしまった。
「これですね? この、○が二つ横並びになってる文字ですね。これは、ウロボロスをあらわしていて、インフィニティ、ええと無限ってことです」
「むげん?」
「そうです、限り無い、ええと底なしという意味です」
「底なし」
私の魔力は、底なしということか?
「そうです、ここを見てもらえますか。これは、俺のアイテムボックスの容量で、上限が無限で現在は七六八八まで埋まってます。あ、薬草一本でもひとつのカウントなので、そんなに入っている訳じゃないですから。ここに、いくらでもモノが入るってことです」
私の場合だと、魔力の上限が無限ということは、魔力がいくらでも溜まるということなのか。先日確認したら一〇二/∞となっていたが、もっと増やすことができるのか? でも、魔法を使うと魔力は減るからな、どうすればもっと溜まるのだろう――そういえば、飯を食えばそれが魔力になると言っていなかったか?
だが、肉を付けてはならない私は、必要以上に飯を食うわけにはいかないしな……どうしたって、魔力を上げることはできないのか。魔力が上がればもっと強い、放出系の魔法も使うことができるだろうし、付与魔法だって燃費を考えず使い放題だと思ったんだが、そう上手くはいかぬものだな。
思わず溜息を吐いて、気付かぬうちに強張っていた肩の力を抜き、手の中で温くなってしまった酒を一息に飲み干した。
「バルザクト様?」
「ありがとう、ずっと気になってたんだ」
指を絡めていた左手を解こうとすると、彼の手に力が込められて手を握り返され、さらには後から抱きしめるように彼の右腕に引き寄せられた。
「シュラ?」
「バルザクト様、酔ってますよね。俺も、酔ってるんです……だから、きっと、俺もバルザクト様も明日には忘れてるはずです、よね」
低い声と共に、熱い吐息が首筋にかかった。
一度たりとて酒で記憶を手放したことなどないと、そう伝えようとした言葉が喉に詰まってでてこなかった。ただ震えるだけの私の声を、彼は都合よく受け取ることにしたらしく、私を包む腕が強くなる。その腕の強さが心地いいと、伝えることはできないけれど。背後にある彼の胸に凭れ、溜息と共に目を閉じる。
他人の腕の中というのは、温かいものなんだな。
仄かに甘い花の香りを吸い込み、心が安らぐのを感じる。
「バルザクト様? 寝ちゃったんですか?」
起きていると伝えるように身じろぐと、彼がちいさく笑った。手の中のグラスを取り上げられ、静かにテーブルに置かれる音がする。
――背中の温もりと、穏やかな空気が心地よい。
「目を閉じていると、幼く見えますね、バルザクト様」
低い声が耳をくすぐるが、それすら心地よい子守歌のようだ。
「ねぇ、バルザクト様、俺、頑張りますから、ご褒美をもらえますか」
そっと頬を撫でられる、ご褒美とはなんだろう? 私で与えられるものならば、与えることも吝かでは無いぞ。お前は頑張っているものな、私の可愛い従騎士。
頬を撫でるかさつく熱い手に頬を寄せる。話すのも億劫なんだ、察してくれ。
「俺は、絶対にあなたを守ります。カロル団長に鍛えてもらって、もうすぐひとつの限界値を突破できそうなんです」
強い力で抱きしめられ、すこし息が苦しい。限界値というのがなんのことなのかわからないが、一歩間違えば戦闘狂になり得る第十騎士団のカロル団長に鍛えられているのだから、それは目覚ましい成長になるだろうな。鍛えれば鍛えるほど強くなる彼が、うらやましくないといえばウソになるが、彼の成長は素直に嬉しいな。
「第一の好感度も悪くないから、十と一の合同合宿イベントが発生するはずなんです。そうすれば、最終イベントであなたを死なせずに済む。必ず、守り抜きますから」
――私を死なせない? 守り抜く?
彼の肩に頭をもたせかけ、ゆっくりと目を開き、下から彼を睨めつける。
「バ、バルザクト様っ、お、起きて……っ」
「シュラ。私は、お前に守られねばならぬほど、弱いか? ん?」
お互いの息が掛かるほど間近で、見つめ合う。
ああ、黒い瞳が、本当に美しい。
「よ、弱い、ですっ、まだ、まだ駄目なんですっ、いまのバルザクト様だと、戦い通せない……っ」
彼の悲痛な声に、目を細める。正面切って弱いと断じられるとは、騎士として、さすがに腹に据えかねる。
「戦い通せない?」
「バルザクト様は、致命的にスタミナが足りないんですっ。この体格で騎士を続けているのが奇跡なんです、あなたは……あなたは、魔力で肉体を維持してるんです」
「魔力で、肉体を? なにを、馬鹿な……」
笑い飛ばそうとした私に、シュラの真剣な視線が刺さる。
「こんな軽くて、細くて、今にも折れそうなのに、あれだけ動けるのはおかしいとは思いませんか? 付与魔法を使うまでもなく、あなたは魔力を生命力に変換させて、生きてるんです」
彼の言葉が続く。
「魔力を使いすぎた人を、見たことがありますか? 肉体が、干からびるように、筋肉が細り、鼓動が弱くなる。あれは、生命力を魔力に変換してしまったからなんですよ。もし、あなたの魔力が無くなってしまったら……っ」
魔力で生命を維持しているというならば、魔力が尽きてしまえば……。
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守られて――だと?
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「私は、騎士だ。騎士なんだよ、シュラ」
私が騎士であることが、騎士団にいる理由なんだ。守られるだけの存在になんて、なれるはずがないだろう。襟首を掴んだまま、彼の漆黒の瞳を見つめる。
だが彼の漆黒の瞳も、逸らされることなく真っ直ぐに私の目を見返してくる。
「そんな意地だけで、生き残れる程、甘くないでしょう」
「意地、だと……っ」
襟を握る手のうえから、一回り大きな手が重なり、そこから熱が私に流れ込んでくる。
「……っ! な、にをっ」
「目を離さないでください。俺の魔力を、あなたに送ってるだけです」
魔力流し? なぜ、こんな時にっ。
一瞬身構えたが、話に聞く快楽は襲ってこず。心地よい熱が、両手から腕、肩を巡り、胸、腹へと流れ込む。満たされるようなその感覚に、力が抜けそうになる。
「凄いですね、これだけ送っているのに、平気なんですか? おかしいな、これじゃ、痛い目にあって反省してもらうプランが使えないじゃないか」
「な、にがだっ」
手を振り払いたいのに、抜けた力と、強い彼の力のせいで果たせない。
「まるで砂に水を吸わせてるみたいだ。底が見えない。――でも、それなら、もしかして」
流れ込んでいた熱が止まる。
襟に触れているだけになっていた両手が引かれ、私は彼の膝のうえに尻を落としてしまった。
彼の真剣な目が、私を正面から射すくめる。
「バルザクト様、強くなりたいですか」
「当然だ」
間髪入れずに答えた私に、彼は泣き笑いのような笑みを浮かべ、顔を伏せた。
「そうですよね。そうだ、それがバルザクト様だ……。俺、あなたにぴったりの魔法を知ってるんですけど、覚えてみますか?」
呟くように言った彼に、囚われていた手を取り返し、その手で彼の両頬を挟んで上向かせる。
「覚えよう。それで、お前が求めるだけ、強くなれるのならば」
眩しそうに眇められた目に微笑み、その唇に唇を重ねてやった。
驚きに目を丸くした彼の膝から降り、彼の髪を乱すように撫でる。
「少々飲み過ぎたようだ。おやすみ、シュラ」
逃げるように部屋に戻り、ドアに背を付けて両手で顔を覆う。
妙に高揚するのは、魔力流しをされたせいだろうか。ああ、そうだ、衝動的に口付けしてしまったのも、魔力流しのせいだ、そうに違いない。
ふらふらとベッドに入り、頭までシーツをかぶって動悸を数えているうちに、気付けば眠りに落ちていた。
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