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第三章

□仮面舞踏会2

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 一口二口飲んでから、ゆっくりとグラスから唇を離す。思いのほか強い酒精に、それ以上は飲めなかったのだ。

「は……ぁ」

 胃の腑も酒精で熱くなり、思わず零れた吐息も熱っぽかった。吐息だけじゃない、体が内側からかっかと熱を発してくる。

 匂いを嗅いだ時には、これほどの酒精だとは思わなかった。ワインではなくブランデー並に強い酒は、あまり酒に強くない私には酷く効く。

 これで注目が外れるかと思ったのに、こちらを伺う視線は変わらずにいくつもあった。

 いや、一層視線が強くなった気すらする。
 一体何なんだ。
 一部から向けられる視線に戸惑い、こめかみを指で押さえて口元を引き締めると、給仕がやってきてそっとグラスを取り上げた。

「大丈夫ですか? 休める部屋がございますので、ご案内いたします」
「いや、不要――あ、いえ、それよりも、お水をいただけますか」

 つい出てしまった男言葉を取り繕いながらそう頼むと、給仕はすぐに水を持ってきてくれた。受け取ったグラスは匂いもないので普通の水だと判断して口を付けた瞬間、違和感に異物を除去する魔法を使う。
 ぶわっと口中に広がった酒の味に、むせるのを堪えて飲み下す。

「ありがとう、助かりました」

 グラスを回収しようとする手をかわし、引きつる笑顔で給仕を下げる。せり上がる動悸、そして噴き出す汗。

 飲み物の匂いと味が、なにか薬をつかって変えられているのか。気付かなければ、一気に飲み干してしまっただろう。

 手の中のグラスの透明な液体は、やはり蒸留酒なのだろう。先程のワインなら辛うじて誤魔化せないこともないだろうが、異物を除去してしまったこの水を渡してはまずいだろうと手元に残したが、どう処理をすればいいか。

 熱くなる体もくらりとする頭も、どうすればいいか。くそっ、ジェンド団長はいつ戻ってくるんだっ。

 喉元を伝う嫌な汗を手の甲で拭う。

「どうしました、お嬢さん。やぁ、いけない、具合が悪いのか」
「い、いえ、大丈夫……です、大丈夫ですから……っ」

 私に気付いた客の男性が近づいてきて、異国訛りの言葉で心配そうな声を掛けてきたので、騒ぎにならぬように小声で拒絶する。だが、弱い抵抗のせいで本気で嫌がっているとは気付かれないのか、強引に腕を引かれて椅子から腰が浮いてしまった。

 くそっ。

 腰に回された強い手に押され、ふらつく足を促されて強引に歩かされる。

 位の高くない貴族や商人の、気軽な夜会とは聞いていたが、国外の人間まで居るとは。まさか……この男も関係者なのか。

「ほぅら、もっとこちらに体を預けていい」

 触れられている腰が、取られている手が気持ち悪い。

 掴まれていないほうの左手でハンカチを口元に当て、男から匂ってくる強いコロンの匂いを防ぐ。

 下品な匂いのうえに、仮面に隠されていない口元も下品ににやけている。
 酔っていても男の目論見がわからぬほど、馬鹿ではないつもりだが、酔いによってどうすればいいか判断が浮つく。
 ふわふわと逃げてしまいそうな思考を、必死にかき寄せて口を開く。

「もうしわけありません……お手洗いに寄りたいのですが……」
「あぁ、吐き気がする? 大丈夫、部屋に付いている」

 まったく大丈夫ではない。ああ、だけど、部屋に入った時にこそ隙ができるんじゃないだろうか。トイレに入り、こいつの目から離れることができれば、この仮面の効果を使って逃げることもできるかもしれない。

 足音を消す絨毯をふらふらと歩きながら、ハンカチの下でなんとか呼吸を整えようと喘ぐ。

「すみません、失礼いたします……っ」

 部屋に入った途端に言い捨てて、トイレと思しきドアに駆け込む。大きな鏡と洗面台のある広いトイレで、胃の中に残る酒をなんとか吐き出す。

 ドアの外から聞こえる、安否を確認する声にうんざりする。女性のこのような様に聞き耳を立てるなんて、なんて下品な。

 ふわふわとする頭のまま、洗面台で手袋を外した両手に魔法で水を出して、何度も口をすすいで水を飲む。

 すこしだけ、頭がはっきりしてきた。

 手に付いた水を振り払い、もう一度手袋に手を通す。

「おおい、大丈夫か?」

 ドアの外から聞こえる男の声を無視して顔の仮面に魔力を通すと、魔法が作動する手応えを感じる。

 スカートをまとめて持ち、ドアの影で息を潜める。
 男の声に応えることなく息を潜めて程なく、ドアが空けられた。

「逃げ……?」

 室内に入ってきた男が、姿を隠した私を探すために奥まで行ったところで、開け放たれているドアから足音を殺して脱出する。

 部屋には、先程は気付かなかった大きなベッドのサイドテーブルに様々な小瓶や水差しが置かれていて、淡い灯りがいやらしさを醸している。
 素早く廊下へと出るドアの側に立っていると、荒々しい様子でトイレから出てきた男が真っ直ぐそのドアを開け放ち廊下に出て行った。案の定ドアは開けっぱなしだ。

「おいっ! 女がいなくなった!」
「お客様、どうか声をお控えください。女性が逃げたのですか?」

 私も外へ出ようとしたとき、男がすぐに戻ってきたばかりか、給仕の男まで入ってきた。

「ドアからはどなたも出ておりませんので、まだこちらに居ると思うのですが」

 そう言いながら、給仕の男は部屋の中を確認して歩き、怒り顔の男が腕を組んでその様子を睨み付けている。

 ありがたいことにドアは開け放たれたままなので、私は音を立てぬようにそこから廊下に出た。

 廊下には等間隔にドアが並び、所々に給仕の服を着た男達が立っている。まるで門を守る衛兵のようだ。

 このようすだと、うかつに気配を動かせば、気取られてしまいそうだ。出そうになる溜息を飲み込み、壁際で立ち尽くす。

 壁際で息を殺していると、廊下の角を曲がって顔を赤らめ足をふらつかせて歩く年若い女性と、その女性を脂下がった顔で支える趣味の悪い派手な服を着た男が近づいてきた。

「ささ、こちらで休みましょう。大丈夫、あなたのご主人もご承知ですから」
「あの人も……知ってらっしゃるの? なら……」

 ほんのりと微笑む女性に、男の顔がにたりと笑うのを見た。

 世事に疎い若い夫人を誑かすなど、胸くそが悪い。そして男の言が真実であれば、彼女の夫もまた一枚噛んでいるのではないのか。

 ふつふつと怒りが湧く胸元を握りしめ、男を睨み付ける。うっすらともやがかかったような頭に酔いを自覚しているが、今ここで出ては行けないと理性が歯止めを掛ける。

 そんなことをすれば、今後助けられるはずの多くの女性を危険に晒してしまうことになる。
 だが……ここで彼女が毒牙に掛かるのをみすみす見逃して、私は騎士を名乗り続けられるだろうか。

 どうする、どうする、どうすると悩みながらも絨毯で足音を消しながら、二人を追う。

 迷った時点で心が決まっていたのだと、体が勝手に動いたあとで気付いた。

 ドアを押し開け、招き入れようとする男に、女性が躊躇った僅かな時を突いて、靴に付与魔法を掛けて素早く二人の前を抜けて部屋に滑り込んだ。
 急いだせいで動いた空気が男の頬を撫でたらしく男は一瞬視線を彷徨わせたが、既に室内に入った私を視認できないまま、女性をエスコートするのを優先することにしたようで、何事も無かったかのように彼女の手を引いて部屋に入り、後ろ手に鍵を掛けた。

 仮面に強く魔力を送りながら壁際に張り付いて息を殺した私の視線の先で、男が女性をベッドに押し倒した。

「なにを、なにをなさるのですっ!」
「男女がベッドですることといえば、ひとつでしょう? かわいらしいお嬢さん」

 醜悪な顔に、私の胸にあった理性が、ふつりと音を立てて切れた。

 女性の細い腰にまたがり舌なめずりする男の横に立って軽く拳を作り、隙だらけのその顎めがけて拳を繰り出した。

 手応えは十分。
 男がゆっくりと白目を剥いて倒れるのを受け止め、静かにベッドに寝かせる。

「え……え……?」

 突然出現した私を見て驚いた女性に微笑みかけて、戸惑うその手を取って身を起こさせる。

「助けに参りました」

 戸惑う女性の頬に掛かる乱れた髪をそっと耳に掛けて、その細い肩を抱く。

「もう、大丈夫ですよ」
「あ……」

 耳元で囁けば、彼女の頬が触れる肩が濡れるのを感じ、彼女の細い嗚咽と震えに、思わず抱きしめる腕に力を込め、宥めるように背を撫でて落ち着かせてから体を離した。

 その時、ベッドに転がしていた男がうめき声を上げて身じろぎし、彼女は身を強張らせて私にしがみついた。

「立てますか? ソファのほうへ移動しましょう」
「は……はい」

 低い声で囁いた私を見あげた彼女は、私の促しに従ってベッドから足をおろしたものの、足に力が入らぬ様子で。立たぬ足に戸惑いながらもなんとか立ち上がろうとする彼女を止めて、膝下と背に手を入れて持ち上げた。

 軽々ととは言えないが、付与魔法を使わずに問題なく持ち上げた彼女をそっとソファに下ろした。そして、男の様子を見ようと、離れようとした手を引き止められる。

 不安げに見あげる彼女に、緩く笑みを作る。

「大丈夫ですよ、私がお守りいたしますから」

 安心させるように頬を撫で、そっと手を取る。

「イケメン過ぎ……っ」

 ベッド付近から聞こえた呟きに、振り向いて目と意識を凝らすが誰も居ない。シュラの声だった気がするのだが、気のせいか?

 でも気のせいでよかった、この姿を見られるのはなんだか恥ずかしいから。ドレス姿になることを伝えてからシュラに何度かドレス姿を見たいと請われていたのを、頑なに拒み続けたんだものな。

「あの? どうかなさいましたか?」

 私を見あげて不安げに小首を傾げる彼女から離れ、まだ眠る男にゆらりと近づく。

「悪い子には、お仕置きが必要ですね」

 ベッドの男にまたがり、仮面を剥がす。どこかで見たような顔だが、思い出せないな。
 洒落たスカーフを首から引き抜き、それで両手を縛る。
 ベストのボタンを外し、シャツのボタンを数個外したが、酔いで揺れる頭ではちまちまとした作業は煩わしく、開いた合わせに手を掛けて一息に左右に引けば、ブチブチとボタンが飛んでゆく。

「ん……ぁ? な、んだ……?」
「おはよう、坊や。お仕置きの時間ですよ」

 殊更優しい声で言ってにんまりと笑う私を、男は寝ぼけた目で見あげてくる。

 男に馬乗りになったまま、男の薄い胸を手袋を外した両手で撫でる。

「今日は、趣向を変えたのか?」
「ふっ、馬鹿な男ですね。お仕置きですよ、お仕置き。うら若き女性に、無体を働こうとしたあなたにぴったりの、お仕置きをしてあげます。さぁ、私の目を見て、私の手を感じて」

 ゴクリと男の喉が上下し、男の濃いグレーの目が私の目を映す。
 そして、私はゆっくりと自分の魔力を、男へと注いでゆく。

「は……ぅっ」
「目を逸らして良いと、誰が許しました? ほら、しっかりとこちらを見なさい」

 片手で男の顎を掴んで強引に、仰け反った顔をこちらに向けさせた。上気した男の顔に、この『魔力渡し』がまんまと効いていることを教えてくれる。

「本当に、悪い子だ。そんなに熱を解放したければ、私が手伝ってやろうじゃないか。ほぅら私の魔力は心地よいだろう? たっぷりと、味わいなさい」
「う……ぁ、ああぁっ――んぐっ、んんんっ」

 うるさい口はシーツで塞ぎ、存分に魔力を通す。

 何度も男の体がびくびくと震えるが、その瞳は私の目を捉えて離さない。ということは、この男は、こんな状況でありながらも、性的興奮を求めているのか。浅ましさに笑えてくる。

「はははっ、本当に悪い子だ。精根尽きるまで、お相手してやろう」
「んん――っ!!!」

 シュラとの訓練で増えてきた魔力のお陰で、いくら注いでもまだ尽きることのない魔力で、男が白目を剥いて泡を吹くまで魔力渡しすることができた。
 男の首筋に触れて生きていることを確認し、ベッドからおりた。

 心なしか男のズボンの前がじっとりしているようだが、まさか小水を漏らしたのか? 私の目が据わるのも、致し方ないだろう。
 せめてもの情けで男にシーツを被せておく。見苦しいものは隠すに限る。
 魔力が減ったせいで少々重くなった体をほぐすために、ぐっと伸び上がった途端にクラリと目眩で体が傾いだ瞬間。

 ふわりと甘い花の香りが鼻をかすめ、なにかに支えられるように体が持ち直した。

「……」

 なにも疑うことなく、ここにシュラが居ることを確信する。

 彼のことだ、私に渡したこの仮面と同じような。いや、もっと凄い道具を持っていたとしても、おかしくはない。
 だが、姿を現さないということは、そういうことだろう。

 思わず小さく笑ってから、何事もなかったように歩き、ソファにくたりと体を預けている女性に近づく。

 男へのお仕置きをはじめてから程なく、彼女がソファで寝息をたてたのは気付いていた。きっと、恐怖と緊張と、飲まされた度数の高い酒のせいだろう。

 とはいえ、ここに寝かせておくわけにもいかないか。

 思案する私の耳に、廊下から僅かに騒がしい声が聞こえてきた。もしかすると、第一騎士団の捕り物でもはじまったのだろうか。
 では、いま出て行くわけにはいかないな。

「は……ぁ」

 急に動いて酔いが回ったのか、少々目が回る。私は溜息を吐いて女性の眠るソファの背に立ったまま凭れて目を瞑り、体を休めることにした。


 近くから仄かに感じる甘い花の香りに、口元が緩むのを自覚しながら、意識がぼんやりする心地よさに身を任せた。
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