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 父は妹のアリーナの頬を平手打ちしました。それは父が妹に生まれて初めて手を上げた瞬間でもありました。

「いい加減にしろ! 陛下の御前だぞ! これ以上、私を失望させるな!」
「失ぼ……私、が?」

 打たれた頬に手を当てながら母にすがるように視線を向けましたが、母は妹とそっくりな仕草で視線をついと逸らしました。
 妹は愕然とすると、もはや気力を失って虚ろな瞳になります。

 偽善だと思います。いえ、驕りかもしれません。
 彼女に手を伸ばそうとしましたが、私の手首をつかんだ殿下に止められました。

「陛下。お見苦しいものを失礼いたしました」

 再び陛下に向き直った父は謝罪を述べます。

「いや。間違っている事は間違っていると伝え、正しい道を示してやるのが上に立つ者の使命だ」
「寛大なお心、ありがとうございます」
「うむ。それでは最後にもう一つ命じる。――アルミオ・オーブリット伯爵、そなたは息子のエミリオに爵位を譲渡し、自身は隠居すること」
「はい……は、い?」

 父は耳を疑ったようで一瞬言葉を失った後、陛下を見つめます。しかしすぐに我に返りました。

「い、いずれ譲るにしても、息子はまだ16歳です。貴族院の議席に出席する年齢にも達しておりません」
「そうだな。まだ学生でもある。だからその間は後見人を立てることにする。そなたの弟のオーブリット子爵だ」
「なぜ弟を……ち、父である私ではなくて弟なのですか!?」
「父上」

 エミリオは父に声をかけました。
 陛下に尋ねた答えは彼が代わりに出すのでしょう。

「今、うちの財政をご存知ですか。いえ、当然ご存知でしょう。財政の逼迫により、重税を課して領民を苦しめているのですから。しかしそれももはや限界です。ここはきちんと立て直さなくてはなりません。叔父上は領民に慕われるほどの人格者であり、財政が健全な統治者であります。僕は叔父上と共にこの領地を立て直したいのです」
「そ、そんなことをしたら! 伯爵家を乗っ取られるかもしれんのだぞ!」

 弟はふっと笑いました。

「叔父上は父上と違って人格者です。僕が寄宿学校に籍を置くことになってから親元を一人離れて心細かろうと度々顔を出してくださり、これまでたくさんお世話になりました。父上は一度も、一通の手紙すら下さいませんでしたね」
「そ、それは弟がお前をたらしこもうとしているのだ」
「たとえそうでも僕を愛してくれたのは――姉さんと叔父上だけだ!」

 違う。
 私を愛してくれたのは弟のあなただけだったの……。私の方があなたに愛されていたの。

「ありえませんが、叔父上になら乗っ取られても本望です。いえ、その方が領民が幸せになるのならお譲りしてもいい。僕はそう考えています」

 涙を流す私をなだめるように背に手を添えてくれたエミリオは、感情を鎮めて父にそう言いました。

「エ、エミリオ、何を言うの? そんなことをしたらわたくしたちはどうやって生活していけばいいの? 一時の感情でそんなことを言ってはだめよ」

 これまで黙っていた母がおろおろとした様子で弟をたしなめますが、彼は冷たい目を母に向けました。

「心配しないでください。あなたたちは僕の両親です。辺鄙な地でもお二人が生きられるぐらいの生活は保障します」
「ど、どういう意味?」
「今までみたいに贅沢三昧はできないという意味ですよ。質素倹約でお願いいたします」
「――っ!」

 母は顔を青ざめ、口元を手で覆い嘆きます。
 母もまた贅を尽くした生活を好んできたので、これからの生活は厳しいものとなるでしょう。

「なるほど。エミリオ、そなたも聡明な男のようだな。そなたが当主となるのならば、オーブリット家も安泰だろう。私も助力しよう。よろしく頼む」
「はい。陛下のご期待に沿えるよう全身全霊をかけて尽くすことを誓います」
「うむ。そしてアルミオ・オーブリット。長らくご苦労であった」

 エミリオが礼を取る一方、陛下より最終通告された父は床へと崩れ落ち、母は両手で顔を覆ってむせび泣きました。
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