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第4話 馬車にてパストゥール家へ
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結婚式は花嫁の方が準備が大変だろうと、私の地元で開かれることになった。その厚意を突いて逃げ出したのがブランシェというわけだ。見知らぬ地では逃走のための下調べが大変だっただろうから。
パストゥール辺境伯、アレクシス様はお堅い国防の指揮官長であるがためか、あまり派手を好まない方のようで近親者のみの小規模な式とし、粛々と行われた。
謝罪されたが私も元々派手好きではないし、今回の件においてはその方が都合が良かったと思う。さすがに共通の友人には見破られる可能性があったからだ。
式の最中、一つ思ったことがある。それは意外とアレクシス様には付け入る隙があるのではないかということだ。
と言うのも、誓いのキスになって震えていた(違う。闘志みなぎる震いである)私に、一瞬怯んだ様子を見せて触れるか触れないかの掠るような口づけを落としたのだ。
それを見て私は察した。
アレクシス様は、女性には滅法弱いということ!
……ということにしたい。是が非にも。
パストゥール家の領地、サザランスへと向かう馬車の中でそう思う。
「どうした? 馬車に酔ったか?」
表情が硬く青ざめている私を見てのことだろう。アレクシス様は眉をひそめて尋ねた。
正直、実家の馬車よりもはるかに乗り心地は良い。
王都から遠く離れた国境近くの領土へと向かうのにはとても時間がかかる。逆もしかりだ。だからパストゥール家の馬車は、華美さこそ完全にそぎ落としてはいるが、品質の高い丈夫な作りで揺れを吸収するような設計になっているようだ。あるいは御者さんの技術が高いのかもしれない。
ただ、無骨な内装の割には座席にはお尻が痛くならないようクッション性のあるものが詰められ、上質な天鵞絨が張られている。
これでは馬車酔いで気分が悪くなりようがない。
だからといって。
違います。あなたがさっきから捕虜は決して逃がさないと言わんばかりの眼光で私を見つめてくるからです。
……とは言えない。ええ。生涯言うまい。
「いえ。わたくしは生まれてこの方、地元を離れたことがなく、とても緊張しているのです」
とりあえず間に合わせの言葉を紡ぐと、アレクシス様はわずかに目を見張った。
「家族での旅は?」
「近隣ではあります。遠出も幼い頃ならあったかもしれませんが、一度大病いたしまして、それ以前の記憶はあまり残っておりません」
「……そうか」
――はっ。つい大病したとか、自分のことを正直に白状してしまった。
魔力の高い優秀な世継ぎを産ませるために妻にしたのだろうに、健康体ではないのかと思われてしまう。
「で、ですが今は健康体です! 元気元気!」
私は無理に笑みを作って空元気を見せる。
「え? ……ああ、うん。それは良かった」
両拳を作って明るく振る舞う私を前にして、アレクシス様は少し呆気に取られたご様子だったが特に反論することなく素直に頷いた。
よ、良かった。何とか乗り切った。やはりこの方を前に気を抜いては駄目だ。気をつけよう。
心の冷や汗を拭う。
――それにしても。
私は、窓から見える景色に視線を移したアレクシス様の様子をこっそりと窺う。
赤みがかった茶色の髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ美しい琥珀色の瞳。筋の通った高い鼻。
精悍なその横顔で流し目の一つでもすればたくさんの女性を魅了させそうだ。
それにただ黙って見据えられるとその視線だけで蒸発してしまいそうな威圧感を覚えるが、落ち着いた口調のためか、話してみると少しばかり恐怖が和らぐ。あくまでもほんの少しばかりだが。
「……何だ?」
不意に視線をこちらに流されて肌がぶわりと粟立ち、心臓がギュンと縮こまった。
しまった。ときめくのは不審そうに眇められた目と不愉快そうに固く結ばれた唇さえなければ、が前提だった。今のやり取りで一年とふた月は寿命が縮まったはず。色々逸話はあるようだが、寿命が尽きるまでに味見と称して寿命を削っていく死神系らしい。
うつむいて、ばくばく高鳴る胸に手を当てて呼吸を整えていると。
――ヤバイまずい怖い! まだこっちを見ているっぽい!
突き刺してくるような視線を無視するだけの勇気はなくて顔を上げると、アレクシス様は顔を正面に戻して私を見ていた。
「さっきより顔色が悪いようだが、馬車を止めるか?」
こちらへとわずかに身を乗り出すのが見え、私は反射的に腰を引く。引いたところで後ろは壁で、動く密室の中だが。
「い、いえ。お気遣いいただきありがとうございます。大丈夫でございます」
「何か私にできることは?」
「それではサザランスについて教えていただけますか。どんな土地なのでしょう」
やはり話をしてくれている方がいいと思った私は、これから訪れる地について尋ねることにした。
「……そうだな。広大で自然豊かな地だ。国境沿いで昔は隣国とのいざこざもあったが現在は落ち着いていて交易もあり、王都ほどではないが活気づいた町だと思う」
「そうなのですか」
血なまぐさい戦いは、今は昔という話だったわけだ。きっと国防の最前線ということで根も葉もない噂が飛び交ったのだろう。
クラウスったら噂に惑わされて!
「安寧な地なのですね」
「まあ。時折、我がサザランス地区の防衛力も知らぬ愚かな者が手を出そうとしてくることはある」
「手……?」
「心配することはない。我が領地を穢される前に適切に排除している」
目を細めて薄く唇を引くアレクシス様に死神の笑みを見た。
うん。
やっぱり黙っていていただけますか……。
パストゥール辺境伯、アレクシス様はお堅い国防の指揮官長であるがためか、あまり派手を好まない方のようで近親者のみの小規模な式とし、粛々と行われた。
謝罪されたが私も元々派手好きではないし、今回の件においてはその方が都合が良かったと思う。さすがに共通の友人には見破られる可能性があったからだ。
式の最中、一つ思ったことがある。それは意外とアレクシス様には付け入る隙があるのではないかということだ。
と言うのも、誓いのキスになって震えていた(違う。闘志みなぎる震いである)私に、一瞬怯んだ様子を見せて触れるか触れないかの掠るような口づけを落としたのだ。
それを見て私は察した。
アレクシス様は、女性には滅法弱いということ!
……ということにしたい。是が非にも。
パストゥール家の領地、サザランスへと向かう馬車の中でそう思う。
「どうした? 馬車に酔ったか?」
表情が硬く青ざめている私を見てのことだろう。アレクシス様は眉をひそめて尋ねた。
正直、実家の馬車よりもはるかに乗り心地は良い。
王都から遠く離れた国境近くの領土へと向かうのにはとても時間がかかる。逆もしかりだ。だからパストゥール家の馬車は、華美さこそ完全にそぎ落としてはいるが、品質の高い丈夫な作りで揺れを吸収するような設計になっているようだ。あるいは御者さんの技術が高いのかもしれない。
ただ、無骨な内装の割には座席にはお尻が痛くならないようクッション性のあるものが詰められ、上質な天鵞絨が張られている。
これでは馬車酔いで気分が悪くなりようがない。
だからといって。
違います。あなたがさっきから捕虜は決して逃がさないと言わんばかりの眼光で私を見つめてくるからです。
……とは言えない。ええ。生涯言うまい。
「いえ。わたくしは生まれてこの方、地元を離れたことがなく、とても緊張しているのです」
とりあえず間に合わせの言葉を紡ぐと、アレクシス様はわずかに目を見張った。
「家族での旅は?」
「近隣ではあります。遠出も幼い頃ならあったかもしれませんが、一度大病いたしまして、それ以前の記憶はあまり残っておりません」
「……そうか」
――はっ。つい大病したとか、自分のことを正直に白状してしまった。
魔力の高い優秀な世継ぎを産ませるために妻にしたのだろうに、健康体ではないのかと思われてしまう。
「で、ですが今は健康体です! 元気元気!」
私は無理に笑みを作って空元気を見せる。
「え? ……ああ、うん。それは良かった」
両拳を作って明るく振る舞う私を前にして、アレクシス様は少し呆気に取られたご様子だったが特に反論することなく素直に頷いた。
よ、良かった。何とか乗り切った。やはりこの方を前に気を抜いては駄目だ。気をつけよう。
心の冷や汗を拭う。
――それにしても。
私は、窓から見える景色に視線を移したアレクシス様の様子をこっそりと窺う。
赤みがかった茶色の髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ美しい琥珀色の瞳。筋の通った高い鼻。
精悍なその横顔で流し目の一つでもすればたくさんの女性を魅了させそうだ。
それにただ黙って見据えられるとその視線だけで蒸発してしまいそうな威圧感を覚えるが、落ち着いた口調のためか、話してみると少しばかり恐怖が和らぐ。あくまでもほんの少しばかりだが。
「……何だ?」
不意に視線をこちらに流されて肌がぶわりと粟立ち、心臓がギュンと縮こまった。
しまった。ときめくのは不審そうに眇められた目と不愉快そうに固く結ばれた唇さえなければ、が前提だった。今のやり取りで一年とふた月は寿命が縮まったはず。色々逸話はあるようだが、寿命が尽きるまでに味見と称して寿命を削っていく死神系らしい。
うつむいて、ばくばく高鳴る胸に手を当てて呼吸を整えていると。
――ヤバイまずい怖い! まだこっちを見ているっぽい!
突き刺してくるような視線を無視するだけの勇気はなくて顔を上げると、アレクシス様は顔を正面に戻して私を見ていた。
「さっきより顔色が悪いようだが、馬車を止めるか?」
こちらへとわずかに身を乗り出すのが見え、私は反射的に腰を引く。引いたところで後ろは壁で、動く密室の中だが。
「い、いえ。お気遣いいただきありがとうございます。大丈夫でございます」
「何か私にできることは?」
「それではサザランスについて教えていただけますか。どんな土地なのでしょう」
やはり話をしてくれている方がいいと思った私は、これから訪れる地について尋ねることにした。
「……そうだな。広大で自然豊かな地だ。国境沿いで昔は隣国とのいざこざもあったが現在は落ち着いていて交易もあり、王都ほどではないが活気づいた町だと思う」
「そうなのですか」
血なまぐさい戦いは、今は昔という話だったわけだ。きっと国防の最前線ということで根も葉もない噂が飛び交ったのだろう。
クラウスったら噂に惑わされて!
「安寧な地なのですね」
「まあ。時折、我がサザランス地区の防衛力も知らぬ愚かな者が手を出そうとしてくることはある」
「手……?」
「心配することはない。我が領地を穢される前に適切に排除している」
目を細めて薄く唇を引くアレクシス様に死神の笑みを見た。
うん。
やっぱり黙っていていただけますか……。
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