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第33話 一食のご飯だけは確保したい

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「え? 明日、アルナルディ侯爵との謁見ですか」
「謁見と言うか、親族への顔見せだが」

 シメオン様から、彼の父親、つまりアルナルディ侯爵とお会いすることが決まった。
 一応、私はシメオン様の妻の位置にいるらしいけれど、まだ結婚式も挙げていないし、公表もされていないし、今回、侯爵のお眼鏡に適わなかったから妻の称号を剥奪されるかもしれない。

 ――あ。そうか。明日の顔見せは私を評価するためなのか。密偵の妻としてふさわしいかどうか見極めるために行われるということ。
 シメオン様がご両親との顔合わせを遅らせたのは、私に実績を作ってからにするためだったのだ。と言っても、私が関わったのはまだ二件のみで、実績と言えるほどのものではない。こんなに早めの顔見せで大丈夫なのだろうか。ましてアルナルディ侯爵は私の行動をどう評価するか分からない。当主に反発する厄介な人物だと判断されるかもしれない。

 当主の命令は絶対だろうから、妻にふさわしくないと判断されると私は妻の座から下ろされるに違いない。けれどシメオン様には借金しているわけだから、私は今後アランブール家で専属薬師としてタダ働きさせられるのだろうか。いや。弟の学費と生活費、そして華王館の花の一人としてすでにお金が払われているのだからタダ働きと言うのは失礼か。

 けれどどうしよう。以前はお金がなくて、あるいは調合に夢中で、一日食事を抜いていた日もあったが、アランブール伯爵家に来てから三食が日常になっている。もはや一日何も食べなかった頃のお腹には戻れない気がする。妻の座から退いた後、雇われ人となっても食事は出るのだろうか。

「……旦那様、後生ですから住み込みで一食のご飯だけは食べさせてください」
「いきなり何の話だ? お腹が空いているのか?」

 懇願するとシメオン様は不可解そうに眉をひそめた。


 いよいよ顔見せ当日となった。
 侍女のクラリスさんには、アルナルディ家の雰囲気に呑み込まれないような才女に仕上げてくれた。少なくとも姿だけは。

「エリーゼ様、負けずに頑張ってきてください!」
「ありがとうございます」

 クラリスさんに拳を作って発破をかけられて、やっぱり頑張ってこなければならないことなんだと自覚させられた。

「では行って参ります」

 アランブール家の皆さんから心配そうに見送られながら、私とシメオン様は家を出た。
 馬車に乗り込んでから、正面に座るシメオン様は話を始める。

「今日、集まるのは私の両親、弟と婚約者、それと父方の伯父らだ」
「これも次期アルナルディ侯爵の試験の一つですよね」
「一応、君の顔見せという形にはなっているが、そういうことだ」
「ですよね……」

 シメオン様の妻業も本日で終わるかもしれない。グッバイ三食研究付きの生活。
 念の為に先にさよならしておく。

「そういえば旦那様には弟さんにも婚約者がいらっしゃるのですね」
「ああ。彼女は我々と同様、密偵の家系だ」
「そうなのですか。ではアルナルディ侯爵にもお会いしたことがあるのですか?」
「ああ。彼女は幼い頃からアルナルディ家に出入りしている。だから今日のこの場で初見なのは君だけということになる」

 これでも一応緊張しているのだから、輪をかけてプレッシャーを与えないでいただきたい。
 私は気を紛らわすために話を続ける。

「そういえば、例えばですが、旦那様も弟さんも次期当主にふさわしくないと判断されることもあるのですか?」
「ああ。その場合は、密偵としての当主は伯父らに移ることもある。ただしアルナルディ侯爵は、世襲で継いでいく爵位なので伯父らに譲位されることはない。伯父らが何らかの功績を立てれば、王家から何らかの爵位を賜ることはあるかもしれないが。名ばかりの侯爵位となることだけは避けなければならない」
「これまで名ばかりの侯爵位を持つ方はいらっしゃいましたか?」
「いない。だからこそ私たちの代からも出すわけにはいかない」

 世襲で継ぐ爵位も大変だけれど、アルナルディ家は密偵としての当主としての実力も身に付けなければならない。とても大変なことだと思う。そんな重責を背負いながらシメオン様は生きてきたのか。

「……君が背負うことではない」
「え?」

 まるで私の心を読んだかのようにシメオン様はそう言った。私はいつのまにか落としていた視線を上げて彼を見る。

「アルナルディ侯爵家に生まれ落ちた以上、私にとっては果たすべき使命だが、君はそうではない。君には関係のない話だ」
「……旦那様?」

 突き放すような言い方だけれど、私はそんな重い荷物は背負わなくていいと言っているのだろうか。自分一人で抱えるからと。
 真意を問おうと思って声をかけたが、シメオン様は話を終わらせるかのように窓に視線を流した。

「もう間もなく屋敷に着く」

 私もつられて窓に視線を移すと鬱蒼とした森が見えた。いや、森しか見えない。まだではないかと一瞬思ったが、まさかもうすでにアルナルディ侯爵家の敷地に入っているのだろうか。アランブール伯爵家も大きいとは思っていたけれど、桁違いだ。
 アルナルディ侯爵家の名を抱える重さの一端を突きつけられた気分になった。

「心の準備はいいか」

 顔を正面に戻したシメオン様が尋ねてきた。
 愚問だ。心の準備など誰ができようか。

「お願いすれば、心の準備ができるまで半年ほど待っていただけるのですか?」
「それは無理だ」

 嫌味っぽく返すとシメオン様は苦笑する。

「ですよね。心の準備などできていませんけれど、諦めて謁見に臨みます」

 私は肩をすくめて答えた。
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