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第31話 私を労ってください
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私は薬液が入った瓶をシメオン様に手渡すと、彼は目の高さまで持ち上げて瓶をしげしげと観察する。
「今回は前回よりも濁りのない澄んだ薬液だな」
「ええ。そしてもちろん無味無臭です。とても素晴らしい出来でしょう。無色透明、無味無臭というのは本当に大変なのですよ。ああ大変大変。大変だったら。――さあ、どうぞ。今すぐ私を労ってくださいませ」
腕を組んで偉そうに言ってみると、シメオン様は困惑の表情を浮かべた。
「よくやった?」
「何ですか。その上から目線の台詞は。気持ちが足りませんよ。もっと気持ちを示していただかないと。本来ならこんな手間をかける必要はないのですよ。その分、ありがたがる気持ちを上乗せしていただかないと」
「か、感謝する?」
こちらの反応を伺うような様子に、私はわざとらしく大きくため息をついてみせる。
「まったくもって感謝の意が伝わりませんね。次回はもっと気持ちを込めてお願いいたしますよ」
「……分かった。何でこんな話になる」
シメオン様は最後何かをぼやいた後、こほんと咳払いする。
「ところでこれをヘラルド・バントに服用させるにあたって聞いておきたい。この薬は一体何の薬だ?」
「それはですね。――彼の」
私はシメオン様が持つ薬瓶に人差し指を置くと、唇を横に薄く引く。
「彼の大事なものを失わせる薬です」
「大事なもの?」
「ええ。毎夜毎夜、じわりじわりと精神的に追い詰めながら、失わせて行くのです。それはもう彼にとって生き地獄でしょう」
薬瓶をとんとんと叩きながら不敵に笑う私に彼は息を呑んだ。
「ということで」
私は瓶から指を離し、彼に両手を広げて見せると明るい笑顔に変える。
「今回は穏やかに効果を示す薬で、体に急変が起こったりすることはありませんので私の立ち会いは必要ありません。ご都合の良い時にお使いください。ただ一つだけ。服用させた後は決して忘れずにお伝えください。これはあなたの一番大事なものを精魂尽き果てるまで根こそぎ奪う薬だと。おどろおどろしく――ね」
「いや。その言葉こそが毒薬だろう……」
シメオン様からは笑顔が戻らなかった。
三日後。
華王館から夜のかすみ草のご指名があり、シメオン様と共に向かう。
通された部屋で待っていたのは、もちろん当のご本人だ。
ヘラルド・バント子爵とは初めて会うけれど、ソファーに座る彼は、話に聞いたような派手に立ち回っているような精力溢れた方ではなく、肩を落としているせいか、とても小さく見えた。
「お待たせいたしました。わたくしが夜のかすみ草にございます。こちらはこの度の契約を行うエージェントでございます」
私は一礼を取った後、シメオン様を紹介する。立ち上がったバント子爵は、シメオン様には一瞥もせずに私に尋ねる。
「あ、あなたが解毒薬を調合してくれる方か」
「ええ。そうです」
前回と同様に目深に濃紺のベールを被っているので、彼の顔色までは窺うことはできなかったけれど、心細そうな震えた声からおそらく青白い顔をしているのだろうと思う。
「まずはおかけください」
バント子爵にソファーを勧め、私とシメオン様も彼の正面のソファーに腰を下ろした。
「本当に元に戻るのか」
「元がどこかという問題にもなります。薬を服用される直前だとおっしゃるのならば、今回お渡しする薬を飲んでいただければ間もなく戻るでしょう。もちろん髪のことですから一朝一夕に伸びるわけではございませんが」
そう説明していると、なぜかシメオン様からの視線を気配で感じた。
「そ、それは分かっている。だが、それ以上は? もっと若い時のように戻らないか?」
「こればかりは体質もございますから。ただ、改善は可能かと。食生活、運動、睡眠の見直し、ストレス解消など、毎日根気よく続けていただくことが大切となります。もちろん薬もご服用いただいた上で」
「わ、分かった! 金はどれほどかかってもいい。頼む!」
「かしこまりました。――ではよろしくお願いいたします」
私はシメオン様に視線を移すと、彼は一枚の書類とペンをバント子爵の元に差し出した。
「書類をよく読み、納得された上で最後にご署名を。これからあなた様にかかる費用と支払い方法などが書かれています。あなた様が署名し、薬を受け取った時点からこの書類の効力が発生いたします」
「分かった!」
「よくご覧ください。失礼ながら、もしあなた様からのお支払いが滞る場合、バルラガン伯爵に請求が行く旨も記載されております」
ペンを持って今すぐ署名しようとするバント子爵に、シメオン様は言葉をかける。
「大丈夫だ」
バント子爵は、結局流し読みすらせずに署名をし、シメオン様に差し戻した。シメオン様はそれを手に取って確認する。
「確かに頂戴いたしました」
シメオン様が私に合図を送ったので、私は頷くとテーブルに調合した薬、ひと月分と資料を置いた。
「それではこちらがひと月分の薬となります。一度にたくさんご服用されたからと言って効果が早く出るわけではございませんので、必ず用法用量を守ってご服用ください。また資料には生活改善の旨が書かれております。ぜひ毎日実行していただければと思います。精神的負担が一番の大敵でございます。薬を飲んでいるから大丈夫と思われることが大切です」
「そ、そうだな。分かった」
「はい。では薬がなくなり、またご要望の際は、こちらの館にてわたくし、夜のかすみ草をお呼び出しくださいませ」
「分かった。ありがとう!」
薬と資料を引き寄せたバント子爵は鞄に詰め込むと、初めて会った時とは違って堂々と胸を張り、颯爽と帰って行った。
「今回は前回よりも濁りのない澄んだ薬液だな」
「ええ。そしてもちろん無味無臭です。とても素晴らしい出来でしょう。無色透明、無味無臭というのは本当に大変なのですよ。ああ大変大変。大変だったら。――さあ、どうぞ。今すぐ私を労ってくださいませ」
腕を組んで偉そうに言ってみると、シメオン様は困惑の表情を浮かべた。
「よくやった?」
「何ですか。その上から目線の台詞は。気持ちが足りませんよ。もっと気持ちを示していただかないと。本来ならこんな手間をかける必要はないのですよ。その分、ありがたがる気持ちを上乗せしていただかないと」
「か、感謝する?」
こちらの反応を伺うような様子に、私はわざとらしく大きくため息をついてみせる。
「まったくもって感謝の意が伝わりませんね。次回はもっと気持ちを込めてお願いいたしますよ」
「……分かった。何でこんな話になる」
シメオン様は最後何かをぼやいた後、こほんと咳払いする。
「ところでこれをヘラルド・バントに服用させるにあたって聞いておきたい。この薬は一体何の薬だ?」
「それはですね。――彼の」
私はシメオン様が持つ薬瓶に人差し指を置くと、唇を横に薄く引く。
「彼の大事なものを失わせる薬です」
「大事なもの?」
「ええ。毎夜毎夜、じわりじわりと精神的に追い詰めながら、失わせて行くのです。それはもう彼にとって生き地獄でしょう」
薬瓶をとんとんと叩きながら不敵に笑う私に彼は息を呑んだ。
「ということで」
私は瓶から指を離し、彼に両手を広げて見せると明るい笑顔に変える。
「今回は穏やかに効果を示す薬で、体に急変が起こったりすることはありませんので私の立ち会いは必要ありません。ご都合の良い時にお使いください。ただ一つだけ。服用させた後は決して忘れずにお伝えください。これはあなたの一番大事なものを精魂尽き果てるまで根こそぎ奪う薬だと。おどろおどろしく――ね」
「いや。その言葉こそが毒薬だろう……」
シメオン様からは笑顔が戻らなかった。
三日後。
華王館から夜のかすみ草のご指名があり、シメオン様と共に向かう。
通された部屋で待っていたのは、もちろん当のご本人だ。
ヘラルド・バント子爵とは初めて会うけれど、ソファーに座る彼は、話に聞いたような派手に立ち回っているような精力溢れた方ではなく、肩を落としているせいか、とても小さく見えた。
「お待たせいたしました。わたくしが夜のかすみ草にございます。こちらはこの度の契約を行うエージェントでございます」
私は一礼を取った後、シメオン様を紹介する。立ち上がったバント子爵は、シメオン様には一瞥もせずに私に尋ねる。
「あ、あなたが解毒薬を調合してくれる方か」
「ええ。そうです」
前回と同様に目深に濃紺のベールを被っているので、彼の顔色までは窺うことはできなかったけれど、心細そうな震えた声からおそらく青白い顔をしているのだろうと思う。
「まずはおかけください」
バント子爵にソファーを勧め、私とシメオン様も彼の正面のソファーに腰を下ろした。
「本当に元に戻るのか」
「元がどこかという問題にもなります。薬を服用される直前だとおっしゃるのならば、今回お渡しする薬を飲んでいただければ間もなく戻るでしょう。もちろん髪のことですから一朝一夕に伸びるわけではございませんが」
そう説明していると、なぜかシメオン様からの視線を気配で感じた。
「そ、それは分かっている。だが、それ以上は? もっと若い時のように戻らないか?」
「こればかりは体質もございますから。ただ、改善は可能かと。食生活、運動、睡眠の見直し、ストレス解消など、毎日根気よく続けていただくことが大切となります。もちろん薬もご服用いただいた上で」
「わ、分かった! 金はどれほどかかってもいい。頼む!」
「かしこまりました。――ではよろしくお願いいたします」
私はシメオン様に視線を移すと、彼は一枚の書類とペンをバント子爵の元に差し出した。
「書類をよく読み、納得された上で最後にご署名を。これからあなた様にかかる費用と支払い方法などが書かれています。あなた様が署名し、薬を受け取った時点からこの書類の効力が発生いたします」
「分かった!」
「よくご覧ください。失礼ながら、もしあなた様からのお支払いが滞る場合、バルラガン伯爵に請求が行く旨も記載されております」
ペンを持って今すぐ署名しようとするバント子爵に、シメオン様は言葉をかける。
「大丈夫だ」
バント子爵は、結局流し読みすらせずに署名をし、シメオン様に差し戻した。シメオン様はそれを手に取って確認する。
「確かに頂戴いたしました」
シメオン様が私に合図を送ったので、私は頷くとテーブルに調合した薬、ひと月分と資料を置いた。
「それではこちらがひと月分の薬となります。一度にたくさんご服用されたからと言って効果が早く出るわけではございませんので、必ず用法用量を守ってご服用ください。また資料には生活改善の旨が書かれております。ぜひ毎日実行していただければと思います。精神的負担が一番の大敵でございます。薬を飲んでいるから大丈夫と思われることが大切です」
「そ、そうだな。分かった」
「はい。では薬がなくなり、またご要望の際は、こちらの館にてわたくし、夜のかすみ草をお呼び出しくださいませ」
「分かった。ありがとう!」
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