上 下
30 / 42

第30話 父親の苦悩

しおりを挟む
 調合室で薬を調合しているとシメオン様が資料を持ってやって来た。
 そう言えば、彼は薬慣れしているのか、部屋に漂う薬の匂いは気にならないようだ。薬の匂いで顔をしかめるのを見たことがない。
 私はシメオン様に横並びにある椅子を勧め、自身も腰かけた。

「次の標的はこの人物だ」
「ロザレス児童福祉施設の件ですか? 潜入している子が情報を入手したのですか?」

 私は資料を受け取りながらシメオン様を見る。

「ああ。ロキ君の友人の話を元に捜索させてみたところ、子供用の本棚で裏帳簿を見付けたそうだ。子供用の本の背表紙を帳簿に付けていたらしい」

 少年だか少女が、皆が寝静まった後に暗闇の中で捜索している姿を想像するだけで心臓が痛くなってくる。いつ人が起きてきてくるか分からない中での捜索は、緊張と恐ろしさがあったことだろう。

「その子は無事ですか?」
「ああ。問題ない。まだ潜入させている」
「そうですか。良かった。裏帳簿も手に入れたのですか?」
「いや。中身だけ確認させ、次の指令を出すまで戻しておくように指示している」
「やはり裏帳簿を表に出しても罪に問うのが難しいお相手だったのですか?」

 シメオン様は私が持つ資料を人差し指でとんと触れた。

「施設の保証人でもあり、裏帳簿に施設から貴族へ金を流している経緯が記載されていたのがこの人物、ヘラルド・バント子爵。父親がバルラガン伯爵で財政力が高く、王家に大きく貢献している貴族の一つだ」

 私は資料に目を通す。
 バルラガン伯爵の長男、ヘラルド・バント、二十七歳。未婚。弟が二人。三年前、父親が持つ爵位の一つ、バント子爵を譲り受ける。ただし子爵家の領地の管理運営は次男、三男に行わせ、当の本人は享楽に耽っている。ヘラルドは領地の金を持ち出して湯水を使うごとく費やしているが、伯爵からの支援により財政破綻には至っていない。

「……控えめに言ってクズっぽいですね」
「だな」

 呆れながら読み進める。
 病歴はなく現在も健康で、親兄弟、親戚も健在である。ただ本人は健康に気を遣っているのか、様々な薬草を取り寄せている。その薬草は――なるほど。

「バルラガン伯爵にはその昔、一度お会いしたことがありますが、こう、恰幅の良いお方でしたよね」

 私は両手を広げて示してみせる。確か、柔らかな笑顔が素敵な方だった。

「そうだな。息子のヘラルドは細身だが」
「バルラガン伯爵は悪い方ではなかったように思えるのですが、伯爵から注意していただくことはできないのですか?」
「確かにバルラガン伯爵ご本人は悪い方ではないが、彼は子爵の三男で、バルラガン伯爵家に婿入りしたんだ。発言力が奥方より弱い。そして困ったことに奥方が長男を溺愛している」

 親が子を愛することは、子供の成長にとても素晴らしい効果をもたらすだろう。しかし過ぎたるは及ばざるが如しとも言う。いや。薬と同様、過剰摂取は本人に害をもたらすことになる。
 バルラガン伯爵夫人は息子を溺愛するあまり、愚かな子に育て上げてしまったようだ。弟ふたりは兄を反面教師としたのか、あるいは自分が頑張れば親に認めてもらえると思ったのか。後者だとしたら切ない。

「バルラガン伯爵にも接触されたのですね」
「ああ。バルラガン伯爵も手を焼いていて廃嫡したい意向はあるようだが、事が表立ってバルラガンの名を汚すわけにもいかない。何より奥方が許さない。頭を痛めているようだ。ただし、見過ごすことのできない出来事がバルラガン家で起これば、廃嫡することも可能だろうと考えている。したがってバルラガン伯爵は我々との取引に応じる気はあるようだ」
「取引ですか?」

 足を組んだシメオン様は小さく頷く。

「ヘラルド・バントに事実を突きつけて、ロザレス児童福祉施設の保証人から下ろし、不正受給から得た賄賂の返金と罰金を科す。もちろん彼に支払える能力はないから、バルラガン伯爵家が支払うことになるだろう。伯爵としてはそれを廃嫡の理由にする」

 お金の問題だけではご夫人は納得しないだろう。しかし事を公にしないことと、爵位を盾にこれ以上悪事を働かせないために、爵位を取り上げることを指示されたとでも言えば渋々納得するかもしれない。

「けれど、当の本人は表に出せないと思っているから、口を割ることはないだろうと旦那様はお考えなのですよね。そしてその口を割らせるつもりでいらっしゃると」
「そうだ。しかし今回の彼は自身も健康で、ダルトン氏の時のようにはいかないだろう。薬師の矜持が行方不明の今なら毒薬を作ることも厭わないか?」

 シメオン様は嫌味っぽく笑うけれど、挑発には乗らないでおく。

「ヘラルド・バント様ご本人にはお会いしたことがないのですが、どんな方ですか?」
「そうだな。教育されてこなかったのかもしれない。あるいは勉強をさぼっていることを許されていたのか。領地運営は弟たちに任せきりで、本人は今も親の援助を受けているからまだ被扶養者の意識が抜けていないのだろう。当然ながら子爵や領主としての自覚と責任感をまるで持っていない印象を受けた。いわば、親に甘やかされ切って無能に育った二世というところだな。立ち回りは派手で外見には気を遣っている人物だろうか。昔は黒髪だったから、付け毛か何かでもしているのだろう。直毛の金髪を後ろでひとまとめにしている」
「ああ。ウィッグでしょうか。貴族の間で流行みたいですものね」

 彼は流行に上手く乗る人物らしい。加えてカッコつけさんのようだ。

「見目麗しい方ですか? 女性を侍らせているような方ですか?」
「どういう意味だ? まさか手心加える気じゃないだろうな」

 腕まで組みだしたシメオン様が不愉快そうに片眉を上げる。

「どういう意味ですか? 私は薬師としてお伺いしているのですが」
「……女性を侍らせているかどうかはともかく、女性関係は派手のようだ」

 シメオン様は私の問いに答えず、渋い表情で先の質問に答えた。

「なるほど。お話を聞くと、打たれ弱いくせに外面だけはご立派なお坊ちゃんみたいですね。そんな方なら少し突けばすぐ親に泣きつきそうです」

 治療方針は決まった。あれでいこう。

「そこの薬師。大丈夫か? 薬師とは思えないほど悪い顔をしているぞ」
「あら。それは失礼いたしました」

 私はこぼれていた笑みを隠すために資料で口元を隠した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】悪役令嬢に転生したのでこっちから婚約破棄してみました。

ぴえろん
恋愛
私の名前は氷見雪奈。26歳彼氏無し、OLとして平凡な人生を送るアラサーだった。残業で疲れてソファで寝てしまい、慌てて起きたら大好きだった小説「花に愛された少女」に出てくる悪役令嬢の「アリス」に転生していました。・・・・ちょっと待って。アリスって確か、王子の婚約者だけど、王子から寵愛を受けている女の子に嫉妬して毒殺しようとして、その罪で処刑される結末だよね・・・!?いや冗談じゃないから!他人の罪で処刑されるなんて死んでも嫌だから!そうなる前に、王子なんてこっちから婚約破棄してやる!!

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。

猫宮乾
恋愛
 再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。

モブですら無いと落胆したら悪役令嬢だった~前世コミュ障引きこもりだった私は今世は素敵な恋がしたい~

古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
前世コミュ障で話し下手な私はゲームの世界に転生できた。しかし、ヒロインにしてほしいと神様に祈ったのに、なんとモブにすらなれなかった。こうなったら仕方がない。せめてゲームの世界が見れるように一生懸命勉強して私は最難関の王立学園に入学した。ヒロインの聖女と王太子、多くのイケメンが出てくるけれど、所詮モブにもなれない私はお呼びではない。コミュ障は相変わらずだし、でも、折角神様がくれたチャンスだ。今世は絶対に恋に生きるのだ。でも色々やろうとするんだけれど、全てから回り、全然うまくいかない。挙句の果てに私が悪役令嬢だと判ってしまった。 でも、聖女は虐めていないわよ。えええ?、反逆者に私の命が狙われるている?ちょっと、それは断罪されてた後じゃないの? そこに剣構えた人が待ち構えているんだけど・・・・まだ死にたくないわよ・・・・。 果たして主人公は生き残れるのか? 恋はかなえられるのか? ハッピーエンド目指して頑張ります。 小説家になろう、カクヨムでも掲載中です。

聖獣の卵を保護するため、騎士団長と契約結婚いたします。仮の妻なのに、なぜか大切にされすぎていて、溺愛されていると勘違いしてしまいそうです

石河 翠
恋愛
騎士団の食堂で働くエリカは、自宅の庭で聖獣の卵を発見する。 聖獣が大好きなエリカは保護を希望するが、領主に卵を預けるようにと言われてしまった。卵の保護主は、魔力や財力、社会的な地位が重要視されるというのだ。 やけになったエリカは場末の酒場で酔っ払ったあげく、通りすがりの騎士団長に契約結婚してほしいと唐突に泣きつく。すると意外にもその場で承諾されてしまった。 女っ気のない堅物な騎士団長だったはずが、妻となったエリカへの態度は甘く優しいもので、彼女は思わずときめいてしまい……。 素直でまっすぐ一生懸命なヒロインと、実はヒロインにずっと片思いしていた真面目な騎士団長の恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID749781)をお借りしております。

魔力を持たずに生まれてきた私が帝国一の魔法使いと婚約することになりました

ふうか
恋愛
レティシアは魔力を持つことが当たり前の世界でただ一人、魔力を持たずに生まれてきた公爵令嬢である。 そのために、家族からは冷遇されて育った彼女は10歳のデビュタントで一人の少年と出会った。その少年の名はイサイアス。皇弟の息子で、四大公爵の一つアルハイザー公爵家の嫡男である。そしてイサイアスは周囲に影響を与えてしまうほど多くの魔力を持つ少年だった。 イサイアスとの出会いが少しづつレティシアの運命を変え始める。 これは魔力がないせいで冷遇されて来た少女が幸せを掴むための物語である。 ※1章完結※ 追記 2020.09.30 2章結婚編を加筆修正しながら更新していきます。

処理中です...