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第11話 矜持を胸に
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私は、どこにでもいるような取るに足りないただの小娘だ。とてもではないが、国の平和を維持する任務の手伝いなどできるはずがない。
「前に言っただろう。私は薬が効きにくい体質だと。私たちの一族はいつも危険と隣り合わせだ。任務中、相手側の不信を買って毒を盛られることだってある。だから幼い頃から少量の毒を摂取し続けて耐性をつけてきたんだ。その結果、治療薬さえも効かなくなってしまった。だが、君の薬はそんな私にでもよく効くんだ。私は君の薬師としての能力を買っている」
優しさは嘘。好意を抱いているというのも嘘。力になりたいと言ってくれたのも嘘。私の薬師としての能力を買っているというのは、たくさんちりばめられた甘い嘘の中の唯一の真実だったらしい。
……私は愚かだ。叔父様も言っていたのに。愛する兄の忘れ形見である私たちの力になりたいのだと。なぜシメオン様の言葉だけは真実だと思ったのだろう。
私は手を強く握りしめた。
「店の賃貸料を上げて私を追い込んだのも、シメオン様が手を回したからなのですね」
「それは違うと言ったところで信じないだろうな」
何を信じればいいのか。今さらどうやって信じればいいのか。
「薬が必要ならばこれまで通り、私の店に訪れて買ってくだされば良かったではありませんか」
「私が作ってほしいのは治療薬ではない。無色透明、無味無臭の薬――毒薬だ」
「っ!」
私は茫然とシメオン様を見つめた。
「ど、毒薬を作れと?」
「……そうだ。万が一、遺体を調べられても検出されない薬ならなおいい」
「人の健康を守るのが薬師です。そんな薬師に――私に人を害する毒薬を作れと、そう言うのですか!?」
「そうだ」
奥底で静かに眠っていた体の細胞が目を覚まして一気に活動したようだった。感情が爆発した。
「嫌です! 絶対にそれだけは嫌です! 私にはできません! できません!」
「いや。作ってもらう。……ランバルト学園にビクトル・コンテスティという者がいるのを知っているか?」
「な、にを」
弟が通う学園の名前を出されてびくりと肩が跳ねた。
「その家系も我が一族の配下となる。その彼は、君の弟君と同学年で友人関係にあるらしい。偶然とは恐ろしいものだな」
「やっ――やめて! やめて! ライナスには、弟には手を出さないで! お願いですから弟だけにはっ!」
「私の指示に従えば弟君に手を出すことはない。言っただろう。彼の生活を保障すると」
シメオン様の指示に逆らえばライナスの生活は保障されない。それはライナスの身も保障しないということ。私が拒否すれば弟の命は保障されない。
沸騰していた血が瞬く間に冷たく凍る。
「……毒薬を作れとは言ったが、同時に解毒薬も作ってもらう。私も相手を殺めず事が済むならそれに越したことはないと思っている」
もはや反抗する言葉も反論する言葉も失って、力なく頭を垂れる私にシメオン様は声をかけてきた。そんな言葉が心の慰みに役に立つとでも考えているのだろうか。
「エリーゼ様のお部屋のご用意ができました」
いつの間に入って来たのだろう。いつの間に扉がノックされたのだろう。ブルーノさんが部屋に入って来ていて、そう言った。
「分かった。彼女を部屋に連れて行ってくれ」
「かしこまりました。……エリーゼ様。参りましょう」
促されてのろりと立ち上がると、ブルーノさんに付き添われて部屋へと到着した。
「エリーゼ様、この後、侍女長とエリーゼ様お付きの侍女がこちらに参り、着替えのお手伝いをいたします」
「いいえ。一人で大丈夫です。一人で」
一人になりたい。一人にしてほしい。
「……かしこまりました。それでは、また明日にでも侍女長と専属侍女を紹介させていただきます。今夜はどうぞごゆっくりとお休みください」
「はい」
「失礼いたします」
ブルーノさんは静かにそう言って部屋を立ち去った。
私はふらふらとしながらも何とかベッドまでたどり着いてそのまま身を倒すと、張っていた気が抜けたのか、抑えていたものがあふれてくる。
怒りや悲しみ、苦しさなど色んな感情が入り混じって、気づけば嗚咽していた。
両親が亡くなって以降、長女の私がしっかりしなければと、泣いていては弟を守れないと、天で過ごす両親に心配をかけるからと、ずっとしなかった行為だ。心に歯止めをかけてずっとずっと抑えていた行為だ。その歯止めを踏みにじられ壊れされて効かなくなった今、もう止められるものはない。
私は叫ぶように声を上げて泣く。泣いて泣いて呼吸が荒くなるほどに。もうこのまま泣いて溶けて消えてしまいたい。
そう思っていたのに。
――泣くのは止めなさい。
不意にメイリーンさんの言葉が蘇ってきた。
それは、お客様に侮蔑され、酷い扱いを受けて泣いていた若い夜の花にメイリーンさんがかけた言葉だった。
――泣くのは止め、顔を上げて毅然と胸を張りなさい。意地を張りなさい。歯を食いしばって自分に磨きをかけなさい。いつの日にか、自分の足元に跪かせて、あなたが欲しいと愛を乞わせてやるのよ。
――私たちは買われているんじゃない。客に売ってやっているの。けれど決して矜持まで売り渡してはいけないわ。矜持は誰にも渡さずに自分の胸に強く抱いて生きなさい。それが、あなたがあなたらしく生きるただ一つの道よ。
「矜持を……胸に抱く」
言葉を口にしたら、なぜか自分でも止められなかった涙が止まった。
そうだ。自分の矜持まで売ってはいけない。私の矜持は私だけのものだ。――決して決して誰にも渡さない。シメオン様にも。
私は頬に伝った涙を手の甲できつく拭った。
「前に言っただろう。私は薬が効きにくい体質だと。私たちの一族はいつも危険と隣り合わせだ。任務中、相手側の不信を買って毒を盛られることだってある。だから幼い頃から少量の毒を摂取し続けて耐性をつけてきたんだ。その結果、治療薬さえも効かなくなってしまった。だが、君の薬はそんな私にでもよく効くんだ。私は君の薬師としての能力を買っている」
優しさは嘘。好意を抱いているというのも嘘。力になりたいと言ってくれたのも嘘。私の薬師としての能力を買っているというのは、たくさんちりばめられた甘い嘘の中の唯一の真実だったらしい。
……私は愚かだ。叔父様も言っていたのに。愛する兄の忘れ形見である私たちの力になりたいのだと。なぜシメオン様の言葉だけは真実だと思ったのだろう。
私は手を強く握りしめた。
「店の賃貸料を上げて私を追い込んだのも、シメオン様が手を回したからなのですね」
「それは違うと言ったところで信じないだろうな」
何を信じればいいのか。今さらどうやって信じればいいのか。
「薬が必要ならばこれまで通り、私の店に訪れて買ってくだされば良かったではありませんか」
「私が作ってほしいのは治療薬ではない。無色透明、無味無臭の薬――毒薬だ」
「っ!」
私は茫然とシメオン様を見つめた。
「ど、毒薬を作れと?」
「……そうだ。万が一、遺体を調べられても検出されない薬ならなおいい」
「人の健康を守るのが薬師です。そんな薬師に――私に人を害する毒薬を作れと、そう言うのですか!?」
「そうだ」
奥底で静かに眠っていた体の細胞が目を覚まして一気に活動したようだった。感情が爆発した。
「嫌です! 絶対にそれだけは嫌です! 私にはできません! できません!」
「いや。作ってもらう。……ランバルト学園にビクトル・コンテスティという者がいるのを知っているか?」
「な、にを」
弟が通う学園の名前を出されてびくりと肩が跳ねた。
「その家系も我が一族の配下となる。その彼は、君の弟君と同学年で友人関係にあるらしい。偶然とは恐ろしいものだな」
「やっ――やめて! やめて! ライナスには、弟には手を出さないで! お願いですから弟だけにはっ!」
「私の指示に従えば弟君に手を出すことはない。言っただろう。彼の生活を保障すると」
シメオン様の指示に逆らえばライナスの生活は保障されない。それはライナスの身も保障しないということ。私が拒否すれば弟の命は保障されない。
沸騰していた血が瞬く間に冷たく凍る。
「……毒薬を作れとは言ったが、同時に解毒薬も作ってもらう。私も相手を殺めず事が済むならそれに越したことはないと思っている」
もはや反抗する言葉も反論する言葉も失って、力なく頭を垂れる私にシメオン様は声をかけてきた。そんな言葉が心の慰みに役に立つとでも考えているのだろうか。
「エリーゼ様のお部屋のご用意ができました」
いつの間に入って来たのだろう。いつの間に扉がノックされたのだろう。ブルーノさんが部屋に入って来ていて、そう言った。
「分かった。彼女を部屋に連れて行ってくれ」
「かしこまりました。……エリーゼ様。参りましょう」
促されてのろりと立ち上がると、ブルーノさんに付き添われて部屋へと到着した。
「エリーゼ様、この後、侍女長とエリーゼ様お付きの侍女がこちらに参り、着替えのお手伝いをいたします」
「いいえ。一人で大丈夫です。一人で」
一人になりたい。一人にしてほしい。
「……かしこまりました。それでは、また明日にでも侍女長と専属侍女を紹介させていただきます。今夜はどうぞごゆっくりとお休みください」
「はい」
「失礼いたします」
ブルーノさんは静かにそう言って部屋を立ち去った。
私はふらふらとしながらも何とかベッドまでたどり着いてそのまま身を倒すと、張っていた気が抜けたのか、抑えていたものがあふれてくる。
怒りや悲しみ、苦しさなど色んな感情が入り混じって、気づけば嗚咽していた。
両親が亡くなって以降、長女の私がしっかりしなければと、泣いていては弟を守れないと、天で過ごす両親に心配をかけるからと、ずっとしなかった行為だ。心に歯止めをかけてずっとずっと抑えていた行為だ。その歯止めを踏みにじられ壊れされて効かなくなった今、もう止められるものはない。
私は叫ぶように声を上げて泣く。泣いて泣いて呼吸が荒くなるほどに。もうこのまま泣いて溶けて消えてしまいたい。
そう思っていたのに。
――泣くのは止めなさい。
不意にメイリーンさんの言葉が蘇ってきた。
それは、お客様に侮蔑され、酷い扱いを受けて泣いていた若い夜の花にメイリーンさんがかけた言葉だった。
――泣くのは止め、顔を上げて毅然と胸を張りなさい。意地を張りなさい。歯を食いしばって自分に磨きをかけなさい。いつの日にか、自分の足元に跪かせて、あなたが欲しいと愛を乞わせてやるのよ。
――私たちは買われているんじゃない。客に売ってやっているの。けれど決して矜持まで売り渡してはいけないわ。矜持は誰にも渡さずに自分の胸に強く抱いて生きなさい。それが、あなたがあなたらしく生きるただ一つの道よ。
「矜持を……胸に抱く」
言葉を口にしたら、なぜか自分でも止められなかった涙が止まった。
そうだ。自分の矜持まで売ってはいけない。私の矜持は私だけのものだ。――決して決して誰にも渡さない。シメオン様にも。
私は頬に伝った涙を手の甲できつく拭った。
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