6 / 42
第6話 思いを馳せる
しおりを挟む
メイリーンさんは手の上の薬をしげしげと見つめる。
「この薬は?」
「実はほんの少し前まで、私は薬師の仕事をしていました。諸事情がありまして廃業したのです」
「そう」
娼館に来る者は皆、困窮していたり、何かしら事情を抱えていたりするのだろう。彼女は同情する様子も、追求する姿勢も取らない。
とにかく廊下では何だからお入りと、応接間に通された。メイリーンさんも乗りかかった船と言わんばかりに、ご主人の横に腰を下ろすと改めて会話が再開される。
「親父様、この子を入れるつもり?」
夜の白百合はお店の顔だ。発言力が高いメイリーンさんのお眼鏡にかなわない人間は弾かれるのかもしれない。そして私は今まさに弾かれようとしているのかもしれない。緊張が走る。
「うーん。素材はいいものを持っていると思うけどね」
「そうね。頑張れば、夜のかすみ草くらいにはなれるんじゃないかしら」
「か、かすみ草……」
褒められているのか、貶されているのか、よく分からない言葉に私は喜んでいいのか、悲しんでいいのか、とりあえず苦笑いするしかない。
「でもね。私は反対よ。あなたにこの場所はふさわしくない」
腕を組んだメイリーンさんにきっぱりと言い切られてしまった。
「やっぱりメイリーンもそう思うか」
「ええ」
「そう、ですか」
恥ずかしい。私には格が高すぎたようだ。選り好みできる立場ではなかったのに。……他を当たろう。
「分かりました。お話を聞いてくださいまして、ありがとうございました」
「待って。あなた、行く当てはあるの?」
「他の娼館を回ろうかと思っております」
「もしかして初めて訪れた娼館がここかしら? なぜここを最初に選んだの?」
「その……」
私はご主人をちらりと見た後、己を知らぬ恥ずかしさに身を小さくして答える。
「お給金が一番高いと伺ったからです」
「そう。何も恥ずかしがることはないわ。同じ仕事をこなすのならば、より高い金額を求めることは当然のことだもの。ただね、おそらくだけれど、あなただと目利きの主人がいる高級娼館ではどこに行っても渋られると思うわよ」
「そうだねぇ。君にはここの空気が合わない」
そんなに魅力がないのですか、私は。
ご主人も同意して頷く姿に少なからずショックを受ける。
「給金の低い下級娼館であれば、迎え入れられるだろうけれど、そこは環境が劣悪で搾取が酷いと聞くわ。まともに給金が支払いされることはないでしょうね」
「同業者として許せないところだが、何だかんだ言いがかりをつけて借金漬けにして逃げられないようにする所もあるからね。下手すると出られる時は年老いた時か、病気になって仕事ができなくなる時ぐらいだ」
メイリーンさんとご主人が説明してくれるたび、自分が世界を知らないことを思い知らされる。けれど。
「きっと私が想像しうるよりもっと過酷な環境なのでしょう。まだまだ甘い考えでいるのだと思います。ですが今、差し迫ってまとまったお金がどうしても必要なのです。たとえ一時しのぎだとしても」
「そう。……分かったわ」
膝の上で拳を作る私を見たメイリーンさんは息を一つ吐いた。
「親父様、彼女――ああ、あなた、お名前は?」
「申し遅れました。エリーゼ・バリ――」
「待って」
メイリーンさんは手のひらを見せながら私の言葉を遮った。
「ここでは家名は必要ないわ。エリーゼさんね」
「は、はい」
「親父様、エリーゼさんの差し迫って必要なお金、私を保証人として貸してあげて頂戴」
「なっ!? ど、どうしてそんな」
「これのお礼よ」
そう言ってまだ手の中にあった薬を持ち上げて見せる。
「とてもではないですが、お薬のお代金に釣り合わない額です!」
「勘違いしないで。あくまでも私は保証人になるだけよ。あなた、ここに来るのにすべてを引き払って住む所もないのでしょう。夜の花としてではなく、私を世話する付き人としてここに住み込んで働けばいいわ。その給金を親父様に返していく。ただしあなたが完済できない場合は私が親父様に返していきましょう」
「どうして……今日初めてお会いしたばかりなのに」
「あなたを見て、思い浮かんだ人がいたの」
メイリーンさんは薬を見つめた。まるでその薬に過去が映っているかのように。
「以前、病気で寝込んだ時があったの。他の上客は花やら美しい装飾品やら、芸術品やら見舞い品を病床につく私の部屋に持ち込んで、なぜ君がこんな目に遭うのだとか、私が代わってやりたいとか、早く元気になってまた美しい姿を見せておくれと、嘆きの声をかけていったわ。だけれど、その人だけは薬を親父様に届けてくれたの。早く良くなることを心よりお祈りいたしますと、一言手紙を添えてね」
「その方は今」
「今でも来ているわ。小さな商家の息子でね。お金を貯めて三月に一度。私と話をするためだけによ。ふふっ。馬鹿でしょう。若いのだから、もっと他にお金を使うところがあるでしょうに」
そう言うメイリーンさんの声には、どこか愛おしさのようなものを含んでいる。彼をからかっているのではなく、そんなささやかな出来事に翻弄された自分を笑っているようにも思えた。
彼女を見つめる私の視線に気付いたのだろう。はっと我に返った様子で、表情を澄まし顔に変える。
「ま、まあ、とにかく薬をくれた感謝の気持ちよ」
「ですがそのお金を私が返せる保障はありません。もし完済できなければ、メイリーンさんの借金がさらに増えてしまいます」
「今さら少しくらい加算されたところで、どうってことないわ」
「ですが」
「さてと」
メイリーンさんは話を終わらせるために立ち上がる。
「あなたはこれから親父様と契約の手続きをしなさいな、私はこの薬を煎じてもらってくるわ。では後はお願いね、親父様」
「ああ、分かった」
ご主人が頷くと、メイリーンさんはこれからよろしくねと、片目を伏せた綺麗な笑みを見せて出て行った。
「この薬は?」
「実はほんの少し前まで、私は薬師の仕事をしていました。諸事情がありまして廃業したのです」
「そう」
娼館に来る者は皆、困窮していたり、何かしら事情を抱えていたりするのだろう。彼女は同情する様子も、追求する姿勢も取らない。
とにかく廊下では何だからお入りと、応接間に通された。メイリーンさんも乗りかかった船と言わんばかりに、ご主人の横に腰を下ろすと改めて会話が再開される。
「親父様、この子を入れるつもり?」
夜の白百合はお店の顔だ。発言力が高いメイリーンさんのお眼鏡にかなわない人間は弾かれるのかもしれない。そして私は今まさに弾かれようとしているのかもしれない。緊張が走る。
「うーん。素材はいいものを持っていると思うけどね」
「そうね。頑張れば、夜のかすみ草くらいにはなれるんじゃないかしら」
「か、かすみ草……」
褒められているのか、貶されているのか、よく分からない言葉に私は喜んでいいのか、悲しんでいいのか、とりあえず苦笑いするしかない。
「でもね。私は反対よ。あなたにこの場所はふさわしくない」
腕を組んだメイリーンさんにきっぱりと言い切られてしまった。
「やっぱりメイリーンもそう思うか」
「ええ」
「そう、ですか」
恥ずかしい。私には格が高すぎたようだ。選り好みできる立場ではなかったのに。……他を当たろう。
「分かりました。お話を聞いてくださいまして、ありがとうございました」
「待って。あなた、行く当てはあるの?」
「他の娼館を回ろうかと思っております」
「もしかして初めて訪れた娼館がここかしら? なぜここを最初に選んだの?」
「その……」
私はご主人をちらりと見た後、己を知らぬ恥ずかしさに身を小さくして答える。
「お給金が一番高いと伺ったからです」
「そう。何も恥ずかしがることはないわ。同じ仕事をこなすのならば、より高い金額を求めることは当然のことだもの。ただね、おそらくだけれど、あなただと目利きの主人がいる高級娼館ではどこに行っても渋られると思うわよ」
「そうだねぇ。君にはここの空気が合わない」
そんなに魅力がないのですか、私は。
ご主人も同意して頷く姿に少なからずショックを受ける。
「給金の低い下級娼館であれば、迎え入れられるだろうけれど、そこは環境が劣悪で搾取が酷いと聞くわ。まともに給金が支払いされることはないでしょうね」
「同業者として許せないところだが、何だかんだ言いがかりをつけて借金漬けにして逃げられないようにする所もあるからね。下手すると出られる時は年老いた時か、病気になって仕事ができなくなる時ぐらいだ」
メイリーンさんとご主人が説明してくれるたび、自分が世界を知らないことを思い知らされる。けれど。
「きっと私が想像しうるよりもっと過酷な環境なのでしょう。まだまだ甘い考えでいるのだと思います。ですが今、差し迫ってまとまったお金がどうしても必要なのです。たとえ一時しのぎだとしても」
「そう。……分かったわ」
膝の上で拳を作る私を見たメイリーンさんは息を一つ吐いた。
「親父様、彼女――ああ、あなた、お名前は?」
「申し遅れました。エリーゼ・バリ――」
「待って」
メイリーンさんは手のひらを見せながら私の言葉を遮った。
「ここでは家名は必要ないわ。エリーゼさんね」
「は、はい」
「親父様、エリーゼさんの差し迫って必要なお金、私を保証人として貸してあげて頂戴」
「なっ!? ど、どうしてそんな」
「これのお礼よ」
そう言ってまだ手の中にあった薬を持ち上げて見せる。
「とてもではないですが、お薬のお代金に釣り合わない額です!」
「勘違いしないで。あくまでも私は保証人になるだけよ。あなた、ここに来るのにすべてを引き払って住む所もないのでしょう。夜の花としてではなく、私を世話する付き人としてここに住み込んで働けばいいわ。その給金を親父様に返していく。ただしあなたが完済できない場合は私が親父様に返していきましょう」
「どうして……今日初めてお会いしたばかりなのに」
「あなたを見て、思い浮かんだ人がいたの」
メイリーンさんは薬を見つめた。まるでその薬に過去が映っているかのように。
「以前、病気で寝込んだ時があったの。他の上客は花やら美しい装飾品やら、芸術品やら見舞い品を病床につく私の部屋に持ち込んで、なぜ君がこんな目に遭うのだとか、私が代わってやりたいとか、早く元気になってまた美しい姿を見せておくれと、嘆きの声をかけていったわ。だけれど、その人だけは薬を親父様に届けてくれたの。早く良くなることを心よりお祈りいたしますと、一言手紙を添えてね」
「その方は今」
「今でも来ているわ。小さな商家の息子でね。お金を貯めて三月に一度。私と話をするためだけによ。ふふっ。馬鹿でしょう。若いのだから、もっと他にお金を使うところがあるでしょうに」
そう言うメイリーンさんの声には、どこか愛おしさのようなものを含んでいる。彼をからかっているのではなく、そんなささやかな出来事に翻弄された自分を笑っているようにも思えた。
彼女を見つめる私の視線に気付いたのだろう。はっと我に返った様子で、表情を澄まし顔に変える。
「ま、まあ、とにかく薬をくれた感謝の気持ちよ」
「ですがそのお金を私が返せる保障はありません。もし完済できなければ、メイリーンさんの借金がさらに増えてしまいます」
「今さら少しくらい加算されたところで、どうってことないわ」
「ですが」
「さてと」
メイリーンさんは話を終わらせるために立ち上がる。
「あなたはこれから親父様と契約の手続きをしなさいな、私はこの薬を煎じてもらってくるわ。では後はお願いね、親父様」
「ああ、分かった」
ご主人が頷くと、メイリーンさんはこれからよろしくねと、片目を伏せた綺麗な笑みを見せて出て行った。
0
お気に入りに追加
231
あなたにおすすめの小説
どうやら私(オタク)は乙女ゲームの主人公の親友令嬢に転生したらしい
海亜
恋愛
大交通事故が起きその犠牲者の1人となった私(オタク)。
その後、私は赤ちゃんー璃杏ーに転生する。
赤ちゃんライフを満喫する私だが生まれた場所は公爵家。
だから、礼儀作法・音楽レッスン・ダンスレッスン・勉強・魔法講座!?と様々な習い事がもっさりある。
私のHPは限界です!!
なのになのに!!5歳の誕生日パーティの日あることがきっかけで、大人気乙女ゲーム『恋は泡のように』通称『恋泡』の主人公の親友令嬢に転生したことが判明する。
しかも、親友令嬢には小さい頃からいろんな悲劇にあっているなんとも言えないキャラなのだ!
でも、そんな未来私(オタクでかなりの人見知りと口下手)が変えてみせる!!
そして、あわよくば最後までできなかった乙女ゲームを鑑賞したい!!・・・・うへへ
だけど・・・・・・主人公・悪役令嬢・攻略対象の性格が少し違うような?
♔♕♖♗♘♙♚♛♜♝♞♟
皆さんに楽しんでいただけるように頑張りたいと思います!
この作品をよろしくお願いします!m(_ _)m
転生おばさんは有能な侍女
吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした
え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀?
転生おばさんは忙しい
そして、新しい恋の予感……
てへ
豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】悪役令嬢に転生したのでこっちから婚約破棄してみました。
ぴえろん
恋愛
私の名前は氷見雪奈。26歳彼氏無し、OLとして平凡な人生を送るアラサーだった。残業で疲れてソファで寝てしまい、慌てて起きたら大好きだった小説「花に愛された少女」に出てくる悪役令嬢の「アリス」に転生していました。・・・・ちょっと待って。アリスって確か、王子の婚約者だけど、王子から寵愛を受けている女の子に嫉妬して毒殺しようとして、その罪で処刑される結末だよね・・・!?いや冗談じゃないから!他人の罪で処刑されるなんて死んでも嫌だから!そうなる前に、王子なんてこっちから婚約破棄してやる!!
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
モブですら無いと落胆したら悪役令嬢だった~前世コミュ障引きこもりだった私は今世は素敵な恋がしたい~
古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
前世コミュ障で話し下手な私はゲームの世界に転生できた。しかし、ヒロインにしてほしいと神様に祈ったのに、なんとモブにすらなれなかった。こうなったら仕方がない。せめてゲームの世界が見れるように一生懸命勉強して私は最難関の王立学園に入学した。ヒロインの聖女と王太子、多くのイケメンが出てくるけれど、所詮モブにもなれない私はお呼びではない。コミュ障は相変わらずだし、でも、折角神様がくれたチャンスだ。今世は絶対に恋に生きるのだ。でも色々やろうとするんだけれど、全てから回り、全然うまくいかない。挙句の果てに私が悪役令嬢だと判ってしまった。
でも、聖女は虐めていないわよ。えええ?、反逆者に私の命が狙われるている?ちょっと、それは断罪されてた後じゃないの? そこに剣構えた人が待ち構えているんだけど・・・・まだ死にたくないわよ・・・・。
果たして主人公は生き残れるのか? 恋はかなえられるのか?
ハッピーエンド目指して頑張ります。
小説家になろう、カクヨムでも掲載中です。
悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活
束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。
初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。
ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。
それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる