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第50話 エピローグ
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グランテーレ国の内乱は、戦況を覆せないと悟った国王軍が降伏したことで終結した。
国王軍がサンティルノ国からの援軍を断念したことはさることながら、人格が優れた騎士団長を敬う軍事経験のある騎士の大半が彼についたことが最大の敗因だ。そして本来、王族を守るべき騎士団長が指揮を執ったことが、民衆の心を大きく揺さぶって気持ちを高めたことも大きな要因の一つだっただろう。密やかに積み重ねられた民の反発を王族や上級貴族が察しようともしなかったことがこの形になって返ってきたのだ。
絶対王政はこの代で崩壊し、これから新しい世界が作られていくのだろう。私にはどんな世になるのかは想像がつかない。ただ、そこに民の幸せそうな笑顔があることを願う。
国王が交渉に成功したのか、あるいはフェルノ騎士団長がこれ以上、人の血を流したくないと考えたのかもしれない。王族側の処刑は避けられたようだ。ただし生涯に渡る禁固刑になる可能性が高いだろうと、レイヴァン様は言った。それはグランテーレ国での私の生活よりももっと厳しいものになるだろうと予想された。
「クリスタル様」
「はい」
ミレイさんから声がかかって振り返る。
一時は名前呼びではなく、奥様呼びだろうと侍女たちの間で激しい討論になったそうだけれど、私は名前呼びしてもらうことを選んだ。
グランテーレ国では私の名を呼んでくれる人は誰もいなかったから。王女なのだから品性のある行動をすべき、王女なのだから感情は抑えるべき、王女なのだから我慢すべき、王女なのだから広い心で使用人の過ちを許すべきと、王女を理由に色々なことを強いられてきた。私という一人の人間を見てくれる人は誰もいなかった。だから今、私を見てくれて、私の名を呼んでくれてとても嬉しい。
ミレイさんは真っ先に頷いてくださった。早口でおっしゃったのですべてを聞き取れていないが、音感が綺麗でお名前で呼べなくなるのは残念に思っていたので嬉しい、といったような内容だったと思う。
「いよいよ結婚式が三日後に迫ってまいりましたね」
「はい。そうですね。ドきドきしております」
ウエディングドレスはすでに出来上がっていたが、グランテーレ国の内乱のことを慮ってくださって結婚式は延期されていた。このたびその内乱も終結したことで、レイヴァン様のご親族、屋敷の人たちだけが参加する小規模なもので結婚式を執り行うことになった。もちろんお姉様も来てくださるとのこと。その参加の旨をお屋敷までわざわざ伝えに来てくださった。
また、王太子殿下がぜひ参加させていただくねとおっしゃった。けれど、いや来るな警備が面倒だ、むしろ警備を付けても絶対来るなとレイヴァン様が返し、だったらむしろ公務を放り出してでも絶対絶対行ってやる、放り出すなこの馬鹿、などと微笑ましいやり取りをお二人でなさっていた。
その間は言語を学ぶことはもちろんのこと、レイヴァン様の妻としての仕事を学んだり、サンティルノ国の国王陛下に謁見したり、王太子殿下のご婚約者様にお目にかかったり、またレイヴァン様と念願のお出かけなどと、忙しい日々を過ごしていた。
食事量も当初の頃よりずいぶんと増え、自分では体の膨らみも出てきたような気がする。胸の豊かさはいかがでしょうかとミレイさんに尋ねたところ、クリスタル様はどんなお姿でもお美しいですと、直接の回答は控えられた。
「ウエディング姿のクリスタル様は、きっと女神も逃げ出すほどお美しいことでしょうね」
「……ミレイさん、真顔で言わないでくださいよ。何か怖いです」
ルディーさんは顔を引きつらせた。
「レイヴァン様、お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
レイヴァン様はそう言って私の右頬に口づけを落とした。
現在、朝夕のお見送りとお出迎えには必ずそうしてくれるようになっている。
夜のおやすみのご挨拶から始まった口づけは、額からまぶた、目の下、頬と徐々に下ってきていて、先日の夜、初めて唇に口づけてくれた。
ただほんの少し触れただけなのに、唇に灯った熱が私の頬を瞬く間に燃え上がらせる。もしかしたらレイヴァン様に呆れられてしまったかもしれないとおそるおそる仰ぎ見たところ、彼はそっけなく視線を横に流していた。しかしその目の下は赤い。
何だかそれが可笑しくて小さく笑ってしまうと、視線を戻して私を睨み付けてきた。けれどやっぱりその目がちっとも怖くなくて、くすくす笑っているとレイヴァン様は私に近付き、今度はより長く唇に熱を灯らせた。
「クリスタル?」
レイヴァン様の声ではっと我に返る。
「申し訳ございません。レイヴァン様、わたくしはみなさまがあつまている今、申し上げたいことがございます」
「――ああ。分かった。皆、少し聞いてくれ。クリスタルが何か言いたいことがあるそうだ」
その言葉に空気がぴんと張った気がしたけれど、私は手を握りしめて整列した侍従さんや侍女さんたちの方へと振り返る。
「まず、日ごろのみなさまのおきづかいにかんしゃいたします」
私は一度礼を取った後、深呼吸すると口を開いた。
「グランテーレ国にいたこれまでのわたくしは、人から色々なものをうばわれるだけのじんせでした。けれどこのサンティルノ国へ、レイヴァン様のおやしきにやて来て、わたくしはたくさんのものをいただきました。それは自分のかんじょうであり、自分のことばであり、いしであり、自由であり、外のせかいであり、そしてなによりもみなさまの温かいあいです。わたくしもそのあいをみなさまにお返ししたいです。わたくしはうばわれる人間から、あたえられる人間になりたいと思います」
一人一人の顔を見ていくと侍従さんたちは微笑し、侍女さんたちはハンカチを目で押さえていた。ミレイさんも涙目で微笑んでいて、ルディーさんと言えば、感受性の高い方なのだろう、ハンカチで顔を半分以上隠して泣いているようだ。
「まだまだふっつかモノで、ごめわくもおかけいたしますが、これからもどぞよろしくお願いいたします。――ごせちょうありがとうございました」
そうして丁重に礼を取ると、大きな拍手が湧き起こった。
私はレイヴァン様へと振り返ると、彼の優しげな笑顔と背後のモーリスさんやローザさんの泣き顔も目に入って、心が温かくなった。
本当にこのお屋敷に来ることができて良かった。私を一人の人間として、知ろうとしてくださったレイヴァン様に出会えて良かった。シュトラウス家の皆さんに会えて良かった。ここでならきっと笑顔で心豊かに過ごせるだろう。そして私自身もそうなるよう懸命に励んでいこう。
「レイヴァン様。わたくし、レイヴァン様にも自分のことばでずっとずっと申し上げたいことがございました。おききくださいますか」
「あ、ああ。もちろん」
レイヴァン様は姿勢を正し、辺りもまた私の言葉を拾おうと静まり返る。
「ありがとうございます」
侍女さんたちと一生懸命練習した言葉だ。どうか噛みませんように。レイヴァン様のお心にこの気持ちが届きますように。
「それでは申し上げます」
私は深呼吸を一つして心を整えると口を開いた。
「レイヴァン様、初夜はいつ頃のご予定でしょうか」
「………………はっ!?」
目と口を開いて固まってしまったレイヴァン様を前に、私は侍女さんたちと一緒になって大きな声を出して笑った。
(本編:終)
国王軍がサンティルノ国からの援軍を断念したことはさることながら、人格が優れた騎士団長を敬う軍事経験のある騎士の大半が彼についたことが最大の敗因だ。そして本来、王族を守るべき騎士団長が指揮を執ったことが、民衆の心を大きく揺さぶって気持ちを高めたことも大きな要因の一つだっただろう。密やかに積み重ねられた民の反発を王族や上級貴族が察しようともしなかったことがこの形になって返ってきたのだ。
絶対王政はこの代で崩壊し、これから新しい世界が作られていくのだろう。私にはどんな世になるのかは想像がつかない。ただ、そこに民の幸せそうな笑顔があることを願う。
国王が交渉に成功したのか、あるいはフェルノ騎士団長がこれ以上、人の血を流したくないと考えたのかもしれない。王族側の処刑は避けられたようだ。ただし生涯に渡る禁固刑になる可能性が高いだろうと、レイヴァン様は言った。それはグランテーレ国での私の生活よりももっと厳しいものになるだろうと予想された。
「クリスタル様」
「はい」
ミレイさんから声がかかって振り返る。
一時は名前呼びではなく、奥様呼びだろうと侍女たちの間で激しい討論になったそうだけれど、私は名前呼びしてもらうことを選んだ。
グランテーレ国では私の名を呼んでくれる人は誰もいなかったから。王女なのだから品性のある行動をすべき、王女なのだから感情は抑えるべき、王女なのだから我慢すべき、王女なのだから広い心で使用人の過ちを許すべきと、王女を理由に色々なことを強いられてきた。私という一人の人間を見てくれる人は誰もいなかった。だから今、私を見てくれて、私の名を呼んでくれてとても嬉しい。
ミレイさんは真っ先に頷いてくださった。早口でおっしゃったのですべてを聞き取れていないが、音感が綺麗でお名前で呼べなくなるのは残念に思っていたので嬉しい、といったような内容だったと思う。
「いよいよ結婚式が三日後に迫ってまいりましたね」
「はい。そうですね。ドきドきしております」
ウエディングドレスはすでに出来上がっていたが、グランテーレ国の内乱のことを慮ってくださって結婚式は延期されていた。このたびその内乱も終結したことで、レイヴァン様のご親族、屋敷の人たちだけが参加する小規模なもので結婚式を執り行うことになった。もちろんお姉様も来てくださるとのこと。その参加の旨をお屋敷までわざわざ伝えに来てくださった。
また、王太子殿下がぜひ参加させていただくねとおっしゃった。けれど、いや来るな警備が面倒だ、むしろ警備を付けても絶対来るなとレイヴァン様が返し、だったらむしろ公務を放り出してでも絶対絶対行ってやる、放り出すなこの馬鹿、などと微笑ましいやり取りをお二人でなさっていた。
その間は言語を学ぶことはもちろんのこと、レイヴァン様の妻としての仕事を学んだり、サンティルノ国の国王陛下に謁見したり、王太子殿下のご婚約者様にお目にかかったり、またレイヴァン様と念願のお出かけなどと、忙しい日々を過ごしていた。
食事量も当初の頃よりずいぶんと増え、自分では体の膨らみも出てきたような気がする。胸の豊かさはいかがでしょうかとミレイさんに尋ねたところ、クリスタル様はどんなお姿でもお美しいですと、直接の回答は控えられた。
「ウエディング姿のクリスタル様は、きっと女神も逃げ出すほどお美しいことでしょうね」
「……ミレイさん、真顔で言わないでくださいよ。何か怖いです」
ルディーさんは顔を引きつらせた。
「レイヴァン様、お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
レイヴァン様はそう言って私の右頬に口づけを落とした。
現在、朝夕のお見送りとお出迎えには必ずそうしてくれるようになっている。
夜のおやすみのご挨拶から始まった口づけは、額からまぶた、目の下、頬と徐々に下ってきていて、先日の夜、初めて唇に口づけてくれた。
ただほんの少し触れただけなのに、唇に灯った熱が私の頬を瞬く間に燃え上がらせる。もしかしたらレイヴァン様に呆れられてしまったかもしれないとおそるおそる仰ぎ見たところ、彼はそっけなく視線を横に流していた。しかしその目の下は赤い。
何だかそれが可笑しくて小さく笑ってしまうと、視線を戻して私を睨み付けてきた。けれどやっぱりその目がちっとも怖くなくて、くすくす笑っているとレイヴァン様は私に近付き、今度はより長く唇に熱を灯らせた。
「クリスタル?」
レイヴァン様の声ではっと我に返る。
「申し訳ございません。レイヴァン様、わたくしはみなさまがあつまている今、申し上げたいことがございます」
「――ああ。分かった。皆、少し聞いてくれ。クリスタルが何か言いたいことがあるそうだ」
その言葉に空気がぴんと張った気がしたけれど、私は手を握りしめて整列した侍従さんや侍女さんたちの方へと振り返る。
「まず、日ごろのみなさまのおきづかいにかんしゃいたします」
私は一度礼を取った後、深呼吸すると口を開いた。
「グランテーレ国にいたこれまでのわたくしは、人から色々なものをうばわれるだけのじんせでした。けれどこのサンティルノ国へ、レイヴァン様のおやしきにやて来て、わたくしはたくさんのものをいただきました。それは自分のかんじょうであり、自分のことばであり、いしであり、自由であり、外のせかいであり、そしてなによりもみなさまの温かいあいです。わたくしもそのあいをみなさまにお返ししたいです。わたくしはうばわれる人間から、あたえられる人間になりたいと思います」
一人一人の顔を見ていくと侍従さんたちは微笑し、侍女さんたちはハンカチを目で押さえていた。ミレイさんも涙目で微笑んでいて、ルディーさんと言えば、感受性の高い方なのだろう、ハンカチで顔を半分以上隠して泣いているようだ。
「まだまだふっつかモノで、ごめわくもおかけいたしますが、これからもどぞよろしくお願いいたします。――ごせちょうありがとうございました」
そうして丁重に礼を取ると、大きな拍手が湧き起こった。
私はレイヴァン様へと振り返ると、彼の優しげな笑顔と背後のモーリスさんやローザさんの泣き顔も目に入って、心が温かくなった。
本当にこのお屋敷に来ることができて良かった。私を一人の人間として、知ろうとしてくださったレイヴァン様に出会えて良かった。シュトラウス家の皆さんに会えて良かった。ここでならきっと笑顔で心豊かに過ごせるだろう。そして私自身もそうなるよう懸命に励んでいこう。
「レイヴァン様。わたくし、レイヴァン様にも自分のことばでずっとずっと申し上げたいことがございました。おききくださいますか」
「あ、ああ。もちろん」
レイヴァン様は姿勢を正し、辺りもまた私の言葉を拾おうと静まり返る。
「ありがとうございます」
侍女さんたちと一生懸命練習した言葉だ。どうか噛みませんように。レイヴァン様のお心にこの気持ちが届きますように。
「それでは申し上げます」
私は深呼吸を一つして心を整えると口を開いた。
「レイヴァン様、初夜はいつ頃のご予定でしょうか」
「………………はっ!?」
目と口を開いて固まってしまったレイヴァン様を前に、私は侍女さんたちと一緒になって大きな声を出して笑った。
(本編:終)
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