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第36話 落ちぶれていない
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食事はクリスタルの言葉通り、いつもとさほど変わらない量で終えた。今のところ彼女に不調は見られないようだ。
「では部屋に戻ろう」
そう言って彼女に近付くと、何をされるか察したようで一瞬身を引いた。
何となく面白くなくて有無を言わさず抱き上げる。初めは体を固くしていたが、やがて諦めたように力を抜いた。
部屋に連れて帰る途中で何人もの侍従や侍女とすれ違ったが、微笑ましそうに見られているような気がする。クリスタルがそれをあまりにも恥ずかしがって私の胸に顔を伏せるので、彼女がまとう花の香りが今日は色濃く伝わって来た気がした。
部屋に戻ったが、食事を取ったばかりなのでまだ休まないということで、ソファーに座らせて少し話をすることにする。
「クリスタル、気分は」
「大丈夫デす」
彼女はそう言うものの、この言葉に関してはそのまま受け取っていいものかどうか分からない。それに今は大丈夫でも夜中に痛みが出てきたり、気分が悪くなったり、水が欲しくなった時に一人では心もとない。
マノンに一晩中付き添ってもらうか。しかしそれだとクリスタルが気遣って、何かあっても彼女を起こさない可能性がある。
私は額に手をやりながら色々熟考したが、結論は一つしかないようだ。
「今夜、クリスタルは私の部屋で休ませる」
私が側で寝ていたら彼女の異変に気付くことができるだろう。
マノンに告げると彼女は途端に焦った様子を見せた。
「で、ですが本日は! お、お怪我をなさっておりますし、今日は湯浴みも控えるよう、お医者様から言いつかっておりますから!」
やはりそう取られたか。だが、もう少し想像力を働かせてほしい。何よりもっと私の人格を理解してほしい……。
「私を何だと思っている。怪我人に手を出すほど落ちぶれてはいない。夜中、手足に痛みがある彼女を一人にしておくのが心配だからだ」
「あ、ああ。そういうことでしたか」
彼女は納得したようだった。
一方、言葉が分からないクリスタルが、純粋な瞳で私とマノンを交互に見ているのが何だか胸に突き刺さってくる。
「ああ。とにかく今日私の部屋で休ませる旨と夜中、気分が悪くなったり、水が欲しくなったりしたら私を起こせと伝えてくれ。――まあ、彼女が身じろぎしたら私も気付くとは思うが」
これは戦場で培ったものだ。どんな緊迫した状況でもどんな過酷な環境でも睡眠だけは取らなければならなかった。すぐに眠りにつき、一方で周辺には気を配っていて異変が起こった時にはすぐに起きて動くことができるように訓練されていたのだから。
「はい。かしこまりました」
マノンがクリスタルにその旨を正しく伝えてくれたようで、彼女は何の疑問も抱かず納得して頷き、ありがとうございますと礼を述べた。
まったくの危機感が無くて、素直に受け入れすぎるのはどうかとは思うが。……いや。相手は三歳の子供だと思うことにしよう。と言うか、私は彼女の夫なのだから、危機感を持たれる必要があるのかどうか。
「レイヴァン様?」
考えに没頭していた私を不審に思ったマノンから声をかけられて我に返る。
「――あ、ああ。悪い。では彼女の就寝準備を頼む。後でまた戻る」
「かしこまりました」
寝衣を着替えさせたりすることなどあろうかと思うので私は一度退室した。また、自身の着替えも必要だ。
「モーリス、今日は彼女を私の部屋で休ませるから準備を頼む。水を用意しておいてくれ」
部屋に戻った私はモーリスに指示する。彼は、さようでございますかと、また笑顔だ。
「言っておくが、横で寝かせるだけだからな。夜中、彼女に何かあった時のためにだ」
「もちろん承知しておりますよ。弱った女性に手を出すようなお方ではないとわたくしは心より信じております」
何だか逆に釘を刺されたようで、ぐっと息が詰まった。
「当たり前だ。そこまで落ちぶれていない」
私はマノンに告げた言葉と同じ言葉をモーリスにも言ってみる。だが、第三者から見ればまるで強がりを言っているみたいではないか。
「――ああ。いい。とにかく水の用意だけ頼む。彼女はよく水を飲むそうだから」
「承知いたしました」
自分の準備を終え、また頃合いを見計らったところで彼女の部屋へと戻ることにした。廊下を使わず、彼女の寝室を通って居室へと入る。
「準備はできたか?」
「はい。できております」
最初マノンに問いかけて次に椅子に座るクリスタルに視線をやった。
昨日の寝衣と比べるとまだ厚手で、密かにほっとする。というか、いくら夜は二階に侍女らの出入りが少なくなるものの、よくもあの薄手の寝衣で廊下を歩かせたものだ。下に肌着を着けさせていたとは言え、あれはない。
「レイヴァンさマ?」
私が黙ったままクリスタルを見続けたせいか、彼女は小首を傾げた。
「いや。準備ができたならば行こう」
クリスタルを抱き上げるとマノンに振り返る。
「では後はよろしく」
「はい。では私はここで失礼いたします」
「ああ」
礼を取るマノンを後にし、私は来た順と逆にクリスタルの寝室から自分の寝室へと移動した。部屋は準備されていて、すでにモーリスの姿はない。
まずは彼女をベッドにそっと下ろし、扉を閉めに戻った後、自身もベッドに入った。そのままシーツを彼女の胸元まで引き上げる。
「クリスタル、お休み」
そう言ったが彼女は返事せず、私から視線を外さないので、ベッドサイドにあるランプへ伸ばした手を止める。
「どうかしたのか」
すると彼女は言葉が分からなかったのか、少し眉根を寄せた難しい顔をした後、自分の額に手をとんとんと当てた。
これはもしや……お休みの挨拶はないのかと言うことだろうか。確かに昨日は別れが名残惜しくて、つい彼女の心に何かを残したくてしてしまったが、不快には思われなかったということでいいのか。
「レイヴァンさマ」
後で違う意味だったと文句を言われても知らないからな。
私は彼女に覆い被さるように近付くと、昨日よりも長い口づけを額に落とした。すると。
「お、おやシュミなサイ!」
彼女は自分から要求しておきながら、真っ赤になった顔を引き上げたシーツで隠した。
相手は三歳の子供だ、相手は三歳の子供だ、相手は三歳の子供だ。自分に何度も言い聞かせるが……三歳なわけがない。
夜中、落ちぶれないか、非常に心配だった。
「では部屋に戻ろう」
そう言って彼女に近付くと、何をされるか察したようで一瞬身を引いた。
何となく面白くなくて有無を言わさず抱き上げる。初めは体を固くしていたが、やがて諦めたように力を抜いた。
部屋に連れて帰る途中で何人もの侍従や侍女とすれ違ったが、微笑ましそうに見られているような気がする。クリスタルがそれをあまりにも恥ずかしがって私の胸に顔を伏せるので、彼女がまとう花の香りが今日は色濃く伝わって来た気がした。
部屋に戻ったが、食事を取ったばかりなのでまだ休まないということで、ソファーに座らせて少し話をすることにする。
「クリスタル、気分は」
「大丈夫デす」
彼女はそう言うものの、この言葉に関してはそのまま受け取っていいものかどうか分からない。それに今は大丈夫でも夜中に痛みが出てきたり、気分が悪くなったり、水が欲しくなった時に一人では心もとない。
マノンに一晩中付き添ってもらうか。しかしそれだとクリスタルが気遣って、何かあっても彼女を起こさない可能性がある。
私は額に手をやりながら色々熟考したが、結論は一つしかないようだ。
「今夜、クリスタルは私の部屋で休ませる」
私が側で寝ていたら彼女の異変に気付くことができるだろう。
マノンに告げると彼女は途端に焦った様子を見せた。
「で、ですが本日は! お、お怪我をなさっておりますし、今日は湯浴みも控えるよう、お医者様から言いつかっておりますから!」
やはりそう取られたか。だが、もう少し想像力を働かせてほしい。何よりもっと私の人格を理解してほしい……。
「私を何だと思っている。怪我人に手を出すほど落ちぶれてはいない。夜中、手足に痛みがある彼女を一人にしておくのが心配だからだ」
「あ、ああ。そういうことでしたか」
彼女は納得したようだった。
一方、言葉が分からないクリスタルが、純粋な瞳で私とマノンを交互に見ているのが何だか胸に突き刺さってくる。
「ああ。とにかく今日私の部屋で休ませる旨と夜中、気分が悪くなったり、水が欲しくなったりしたら私を起こせと伝えてくれ。――まあ、彼女が身じろぎしたら私も気付くとは思うが」
これは戦場で培ったものだ。どんな緊迫した状況でもどんな過酷な環境でも睡眠だけは取らなければならなかった。すぐに眠りにつき、一方で周辺には気を配っていて異変が起こった時にはすぐに起きて動くことができるように訓練されていたのだから。
「はい。かしこまりました」
マノンがクリスタルにその旨を正しく伝えてくれたようで、彼女は何の疑問も抱かず納得して頷き、ありがとうございますと礼を述べた。
まったくの危機感が無くて、素直に受け入れすぎるのはどうかとは思うが。……いや。相手は三歳の子供だと思うことにしよう。と言うか、私は彼女の夫なのだから、危機感を持たれる必要があるのかどうか。
「レイヴァン様?」
考えに没頭していた私を不審に思ったマノンから声をかけられて我に返る。
「――あ、ああ。悪い。では彼女の就寝準備を頼む。後でまた戻る」
「かしこまりました」
寝衣を着替えさせたりすることなどあろうかと思うので私は一度退室した。また、自身の着替えも必要だ。
「モーリス、今日は彼女を私の部屋で休ませるから準備を頼む。水を用意しておいてくれ」
部屋に戻った私はモーリスに指示する。彼は、さようでございますかと、また笑顔だ。
「言っておくが、横で寝かせるだけだからな。夜中、彼女に何かあった時のためにだ」
「もちろん承知しておりますよ。弱った女性に手を出すようなお方ではないとわたくしは心より信じております」
何だか逆に釘を刺されたようで、ぐっと息が詰まった。
「当たり前だ。そこまで落ちぶれていない」
私はマノンに告げた言葉と同じ言葉をモーリスにも言ってみる。だが、第三者から見ればまるで強がりを言っているみたいではないか。
「――ああ。いい。とにかく水の用意だけ頼む。彼女はよく水を飲むそうだから」
「承知いたしました」
自分の準備を終え、また頃合いを見計らったところで彼女の部屋へと戻ることにした。廊下を使わず、彼女の寝室を通って居室へと入る。
「準備はできたか?」
「はい。できております」
最初マノンに問いかけて次に椅子に座るクリスタルに視線をやった。
昨日の寝衣と比べるとまだ厚手で、密かにほっとする。というか、いくら夜は二階に侍女らの出入りが少なくなるものの、よくもあの薄手の寝衣で廊下を歩かせたものだ。下に肌着を着けさせていたとは言え、あれはない。
「レイヴァンさマ?」
私が黙ったままクリスタルを見続けたせいか、彼女は小首を傾げた。
「いや。準備ができたならば行こう」
クリスタルを抱き上げるとマノンに振り返る。
「では後はよろしく」
「はい。では私はここで失礼いたします」
「ああ」
礼を取るマノンを後にし、私は来た順と逆にクリスタルの寝室から自分の寝室へと移動した。部屋は準備されていて、すでにモーリスの姿はない。
まずは彼女をベッドにそっと下ろし、扉を閉めに戻った後、自身もベッドに入った。そのままシーツを彼女の胸元まで引き上げる。
「クリスタル、お休み」
そう言ったが彼女は返事せず、私から視線を外さないので、ベッドサイドにあるランプへ伸ばした手を止める。
「どうかしたのか」
すると彼女は言葉が分からなかったのか、少し眉根を寄せた難しい顔をした後、自分の額に手をとんとんと当てた。
これはもしや……お休みの挨拶はないのかと言うことだろうか。確かに昨日は別れが名残惜しくて、つい彼女の心に何かを残したくてしてしまったが、不快には思われなかったということでいいのか。
「レイヴァンさマ」
後で違う意味だったと文句を言われても知らないからな。
私は彼女に覆い被さるように近付くと、昨日よりも長い口づけを額に落とした。すると。
「お、おやシュミなサイ!」
彼女は自分から要求しておきながら、真っ赤になった顔を引き上げたシーツで隠した。
相手は三歳の子供だ、相手は三歳の子供だ、相手は三歳の子供だ。自分に何度も言い聞かせるが……三歳なわけがない。
夜中、落ちぶれないか、非常に心配だった。
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