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第34話 初夜ではなかった翌日

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 本日はマノンさんが寝室を訪れる前に私はすでに起きていた。彼女が部屋に入って来た気配に振り返り、朝の挨拶をする。

「おーディ・もーリー。あミューマノン」
「まあ。クリスタル様、おはようございます。もうお部屋にお戻りになっていたのですね。私はお部屋の清掃に伺ったのですが、クリスタル様はまだレイヴァン様のお部屋でお休みかと思っておりました。レイヴァン様も初夜の翌朝ぐらい、クリスタル様が目覚めるまでは側についていてくださればいいですのにね」

 マノンさんは困ったようにくすりと笑った。

「どういうことですか?」
「どういうって、レイヴァン様は、今朝はもう早くにお出かけになりました。クリスタル様は、お目覚めになってレイヴァン様がおられないことに気付いてお部屋に戻られたのではないのですか?」
「ああ、いえ。昨夜はおそらく初夜ではありませんでしたから」

 初夜は一夜を共に明かすということ考えると、途中で自分の部屋に戻った昨日は初夜ではなかったのだろうと思う。

「え!? 初夜ではなかったのですか!? レイヴァン様と同じベッドで寝ませんでした!?」

 マノンさんは大声を出してしまったことを恥じたのか、慌てて自分の口を両手で覆った。

「も、申し訳ありません。少し動揺してしまいました」
「いいえ。大丈夫です。お部屋で少しお話をしましたが、その後、わたくしは自分の寝室に戻ってベッドで眠りました」
「そうだったのですか……。ではレイヴァン様は何のご用だったのですか?」
「わたくしが夕食をあまり食べなかったのをご心配いただいたようです」
「それでお話を?」
「はい」

 正確にはホットミルクをごちそうしていただいたわけだけれど、何となくあの大切な時間のことを口に出すことはためらわれた。

「私がいなくてもレイヴァン様とお話しできたのですか」
「はい。と言いましても、飲み物を頂く時間を共有させていただいたと言ったほうが近いかもしれません」

 マノンさんは、なるほど、侍女長にお茶を用意していただいていたわけですねと納得した。否定はしないでおく。

「そうでしたか。勘違いしたこちらも悪いのですが、きちんと準備を整えたクリスタル様に何もせず部屋に帰すだなんて、レイヴァン様も女性への配慮がありませんね」
「いえ、そんなことは! レイヴァン様にはとてもご配慮いただきました」

 レイヴァン様が悪く思われるのが嫌で、私は慌てて否定した。私はまだお借りしたままの彼のローブを手に取ってマノンさんに見せる。

「薄着では寒いだろうと思われたようで、このようにローブもお貸しくださいましたし、その。少しだけグランテーレ語でお話ししてくださったのです」
「……え? グランテーレ語でですか? レイヴァン様が?」
「ええ。ほんの少しの会話なのですが。けれどとても嬉しかったです」

 私に寄り添ってくれた昨夜のあの時間を思い出して心が温かくなる。そしてレイヴァン様の片言の可愛らしさを思い出して頬が緩んだ。

「……そうでしたか」
「ええ。それにお部屋に帰されたのではなく、わたくしのお部屋までお送りいただきました。そして別れ際」

 レイヴァン様はお休みと言って私の額に――優しい口づけを落としてくれた。
 それを思い出して顔が一気に熱くなった。

「別れ際?」
「い、いえ。何でありません。とにかくレイヴァン様にはご配慮いただきました」
「そのようですね。まあ、事情は分かりました」
「マノンさん? 本当にわたくしは大丈夫ですよ。むしろレイヴァン様のご配慮で楽しい時間を過ごすことができました」

 レイヴァン様のことをまだ良く思われていないのだろうか。マノンさんの表情と声がどことなく硬い。

「ああ。いえ。失礼いたしました。レイヴァン様に少し呆れていたのですよ。ですがクリスタル様のお気持ちが何よりも大事ですものね。さて。気を取り直して、朝のご準備をいたしましょうか」
「はい」
「私は洗顔の水をご用意いたしますので、その間、よろしければクリスタル様は本日の服を選んでいただけますか?」
「ええ。分かりました」

 いつもはマノンさんが服を選んでくださっているけれど、たまには自分で選ぶのもいい。
 私がどれにしようかと悩んでいると。

「クリスタル様、服は決まりました? 洗顔の桶がご用意できました」
「はい。ありがとうございます」

 私はクローゼットから離れてマノンさんの元に戻る。そして彼女が桶に注ぎ込んでくれた水に手を入れて洗顔をしようとしたところ、思わず手が止まる。

「クリスタル様、どうかされたのですか?」

 私が選んだ服を見て、この服に合う髪型は何かしらと呟いていたマノンさんだったが、目の端に私の様子が映ったようだ。視線をこちらに向けた。

「あ、いえ。今日の水は少し冷たいのですね」
「え? ……クリスタル様、少し失礼いたしますね」

 服を側の椅子に置いて桶の中に手を入れる。

「本当だわ。いつもミレイさんがぬるま湯程度にご調整してくださっているのですが」

 水温を確かめてくれたマノンさんが表情を曇らせる。

「そうですか。今日は何か手違いがあったのかもしれませんね。申し訳ありません。余計なことを申しました。それでは洗顔いたしますね」

 マノンさんは何か言おうと口を開いたけれど、そのまま口をつぐんだ。


 洗顔も終わり、お化粧や髪も施してもらった。

「今朝はお部屋で朝食を召し上がりますか?」
「いえ。食堂で頂きます」
「承知いたしました。では私は一度桶などを片付けますので、失礼いたしますね。食堂で朝食のご用意ができましたら、また呼びに参ります」
「ええ。ありがとうございます」

 マノンさんが退室し、私はいつものように水を飲もうとサイドテーブルに置いたピッチャーを見たところ、水がほとんど入っていない昨日のものだった。マノンさんも今日はうっかりしているようだ。
 次にお部屋に来る時に新しい水を持ってきていただこうと、彼女を追いかけて部屋を出た。私は廊下を小走りして階段までやって来たけれど彼女の姿はない。中二階の踊り場を越して中央の階段まで行っているのかもしれない。

「マノンさん? いらっしゃいます?」

 声をかけながら数段下りつつ、次の一歩を踏み出した瞬間。

 ――ドンッ!

 背中を強く押されて、一瞬だけふわりと浮かび上がるような錯覚を感じたのち、次の瞬間には体中に激しい衝撃が走った。

「クリスタル様!? クリスタル様! 誰か! クリスタ――」

 マノンさんの甲高い叫び声がどこか遠くで聞こえた気がした。
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