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2巻
2-2
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「あ、開けますよ? 触っても呪わないで下さいね!」
代表してウィリアムが手を触れれば、見た目よりも軽い動きで扉が開かれた。
そして視界に広がるのは――本の洪水。天井ぎりぎりまで本が詰められた棚と、床にも机の上にも高く積まれた本の山。本、本、本。見渡す限り本だらけだ。
「な、何この部屋……本当に人が住んでいるの? 倉庫とかじゃなくて?」
「おーい、こっちだよー」
生活感どころか、本以外のものが見当たらない部屋の中。一つの山が揺れたと思えば、ぴょこんと音を立てて薄桃色の頭が覗いた。
「うわっ!? ま、また変なところで読書をして! ちゃんと椅子に座って読んで下さいって、いつも言ってるじゃないですか!」
「ごめんごめん。面白い本を見つけて、つい読みふけっちゃった」
バサバサと崩れた山をどかしながら、ウィリアムのお師匠様――と呼ぶには、ずいぶん若い人物が姿を現す。
ちょっとクセのある薄桃色の短い髪に、輝く金色の瞳。ローブというよりは、黒地のパーカーのような服に〝着られている〟彼は、まだあどけなさの残る少年だった。
目を丸くする一同を気にもせず、少年はぺこりと可愛らしく頭を下げる。
「ようこそ僕の城へ。会えて嬉しいよ救世主たち! 僕の弟子と仲良くしてくれてありがとう!」
「……救世主?」
突然出てきた妙な呼び名に、つい面食らってしまう。ゲームでなら〝世界を救った〟と言えるけど、今の私たちは『魔物討伐のための新設部隊』にすぎない。さすがに大げさだろう。
戸惑う私たちを置き去りにして、彼は本の山を跳び越えると、部屋の奥へと進んでいってしまう。
「応接間はこっちだよ。僕についてきてね!」
「ちょっと、お師匠様!? 最初からまともな部屋に通して下さいよ!」
ぷんすかと怒るウィリアムに、ふり返ることもない。うん、実にフリーダムだわ。
「……ウィル君、君の師匠は変わった人だね」
「ぼくもそう思います。で、ですが、腕は確かなんですよ!」
呆れたように肩をすくめたダレンに、ウィリアムはフォローしようとして失敗している。ウィリアムを育てた人物だし、ゲームの攻略対象なら敵ではないと思うけど……うーむ。
まあ、この本まみれの部屋にいても仕方がない。再び顔を見合わせた私たちは、意を決して奥の部屋へと足を進めたのだった。
さて、誘導された奥の部屋に辿りついたのだけど、散らかり放題だった入り口と比べて、そこは見違えるほど整った空間になっていた。
派手さはないけど、壁や床などは落ち着いた茶色で統一されていて、本も壁際の一棚にきっちり収められている。マホガニー製と思しき家具はどれもお洒落な形をしているし、何よりも清掃の行き届いた部屋は空気がきれいだ。
おかげで、用意されている紅茶の芳醇な香りと、隣に並ぶ焼き菓子の良い匂いが、心地よく鼻腔をくすぐってくれている。
……唯一問題があるとしたら、それを給仕しているのが『人外』であることだけど。
(何かしら、これ)
言うなれば、イラストとかでよく見るデフォルメされた『おばけ』だろうか。紙風船ぐらいの大きさの丸いフォルムに、ちょこんとのっている目と口。鼻は見当たらないけど、ずいぶん愛らしい顔だ。
……向こう側が半分透けて見えるのに、ちゃんとティーポットを持てているのが謎だわ。
「ウィリアムさん、これ何?」
「お師匠様の使い魔……みたいなものだと思います。わ、悪い子じゃないので大丈夫です! いつもお手伝いをしてくれてた子なので!」
どうやら魔物や敵ではないらしい。私がまだ少し疑っている間にも、白いクロスの敷かれたテーブルに美味しそうな紅茶を並べてくれている。
やがて、全員分の給仕を終えたおばけちゃん(仮)は、達成感あふれる笑顔で一息ついた。思わず頭を撫でてみたら、ちゃんと触れた上にきゃっきゃと喜ばれてしまった。なにこれ可愛い。
「すみません、これはどこに売っていますか? アンジェラが気に入ったみたいなので、買って帰りたいのですけど」
「やめてジュード、過保護なお父さんみたいなことするのやめて」
「ごめんねーこの子は売り物じゃないし、僕の生命線だからあげられないかな。僕、魔術は得意だけど、生活力は全くないからね!」
真顔で阿呆な質問をしたジュードに、導師はくすくすと笑って答える。おばけちゃんは私に手をふった後、導師のもとへ戻り、頭の上にちょこんと乗った。やだ、これ本当に可愛い。
「くっ、僕に魔術の素養があれば! ごめんね、アンジェラ」
「すみませんアンジェラさん。ぼくもこの使い魔は出せません……」
「ちょっと、過保護なお父さん増えるのやめてよ。私は何も言ってないじゃない!」
「アンジェラちゃん、そんな純粋な子どもみたいな顔をされたら、叶えてあげたくなるって。帰ったら賢者様に聞いてみようか? あの人なら似たようなの出せるかも」
……過保護な父親はジュードだけじゃなかったらしい。何故かダレンまで真顔で提案してくるので、向かいに座る導師は大きな声をあげて笑い出した。くっ、本物の子どもに笑われるなんて!
「くっふふ……ごめんごめん。君たち面白いね。思っていたのとはずいぶん違うみたいだ」
「私のせいですか? これ」
「愛でられるのは良いことだよ、聖女サマ。さあ皆、遠慮なく召し上がれ」
なんとか笑いを堪えた彼は、皆にお茶とお菓子をすすめる。あの可愛い子が用意してくれたものだし、毒を疑わなくても大丈夫だろう。カップを手に取っても良い香りがするだけだ。
「今日は来てくれてありがとう。僕は導師カールハインツ。といっても本当の名前じゃないけど、カールと呼んでね。ウィリアムがお世話になっているよ」
導師――改めカールハインツ……いや、本人もいいと言ったしカールと呼ぼうか。
ゲームでは攻略対象の一人だったカールは、紅茶のカップを揺らしながら目礼で名乗った。本名ではないとハッキリ言うあたりが彼らしい。……言うまでもないけど、彼は見た目通りの歳ではない。いわゆる合法ショタというやつだ。
「ご丁寧にありがとうございます。私は……」
「自己紹介はいいよ。君たちの名前は知ってるし、だいたいの人となりもわかるつもりだ。もっとも、僕が思っていた性格とは違うみたいだけどね」
礼儀として名乗り返そうと思ったのだけど、小さな手がそれを制する。
私たちのことを『知っている』という言葉に、情報担当のダレンがピクリと眉をひそめた。
「ああ、ごめん。悪い意味で探ったわけじゃないんだ。先見とか未来視とか、そう言えばわかりやすいかな? 僕は少しばかり先の未来を知っているんだ。そこに関わる君たちのこともね」
「――え?」
続いた言葉に、全員が固まってしまった。
先見、未来視……いわゆる予知系の能力だ。彼は超優秀な魔術師だし、そういうことができてもおかしくはないと思うけど。
「ちょっと待ってくれ。貴方は『思うところがある』という理由で、エルドレッド殿下の誘いを断ったはずだ。それはつまり、オレたちの部隊の未来が見えたからってことか!?」
声を荒らげたダレンが、私の疑問を代弁してくれている。そう、未来が見えていたというのなら、なおさら〝参加してくれなかったこと〟が疑問になってくるのだ。
(彼はさっき私たちを『救世主』と呼んでいた。多分、いずれそうなるってことよね。普通に考えれば名誉であるそれを、知っていて拒否したってこと?)
軋む音を立てたダレンの拳を、カール本人が「まあまあ」と宥める声が聞こえる。
私が知るゲームの彼と、外見はだいたい同じだ。予知系のスキルはなかったはずだけど、超有能な魔術師の彼なら誤差の範囲だと思う。……なら他には、どう変わったのだろう。
「ごめん、変な誤解をさせてしまったね。僕は君たちのことを知っているつもりだったけど、実は最近、実際の君たちとの違いが大きくなってきてね。今日はそれを確かめたくて、ここに来てもらったんだよ」
弁明するカールの顔から、ようやく笑みが消えた。幼い顔立ちには不釣り合いなほど真剣な様子に、こちらの空気もまた強張っていく。
弟子のウィリアムも私たちと同じ反応なので、何も聞かされていなかったのだろう。
「たとえばそうだね、名前や出身地、家族構成や王都へ来るまでの経緯はだいたい知っているよ。ウィリアムの才能も知ってて弟子にとったし、他の人のこともそれなりに知っていると思う。ただね、わからなくなったのが、君だよ聖女サマ。君は外見以外、僕が知ってる情報と全然違うんだ。だから今日、君とだけはどうしても話したかった」
「私……?」
語っていくカールの声は、先ほどよりもいくらか低くなっている。おかげで外見は少年なのに、大人と喋っているような錯覚を覚えた。まあ実際、私より年上なのだろうけど。
(私が情報と違うというのは、もしかして転生者だから? カールは脳筋じゃないアンジェラを予知していたってこと?)
彼を見返すと、その金の目もまた、私をじっと見つめていた。外見は幼いのに、ずいぶんと老成した目つき。そこには何故か、こちらを糾弾するような色すら浮かんでいる。
「うーん、まどろっこしいなあ……もう単刀直入に聞いてしまおうか」
「な、何かしら」
頭上のおばけちゃんをそっとテーブルに置いて、カールはこきこきと首や肩の関節を鳴らす。
やがて、一通りの関節を鳴らした彼は――別人のような鋭い瞳を向けてきた。
「アンジェラ・ローズヴェルト、『お前』は『誰』だ?」
「――は?」
尋問でもするかのような冷たい問いかけを合図に、私の周囲から〝背景〟が消えた。
ダレンもウィリアムも、隣にいたジュードすらもいない。一瞬で消えてしまった。
「な、何これ……ここはどこ!?」
何もない真っ白な空間の中、私とカールは二人きりで向かい合って座っている。
上を見ても下を見ても、一面の白。かろうじて椅子があるから〝この辺りが床なのだろう〟という見当はつけられるけど、ここから立ち上がって歩こうとは思えない状況だ。
一通り周囲を確認してから正面に向き直れば、こちらを睨みつけている少年の姿。
――いや、彼はもう『少年』とは呼べない表情を浮かべている。どこかくたびれたようなそれは、大人の男の顔だ。
「……導師カールハインツ、これはどういうこと?」
なんとか強気な声を心がけて質問する。どうやったのかはわからないけど、多分ここはカールのテリトリーだ。心が負けてしまったら、何をされるかわからない。
「どういうことだと聞きたいのはこちらだ。お前は誰だ? 本物のアンジェラをどこにやった?」
「本物も何も、私がアンジェラ・ローズヴェルトよ。それとも、同姓同名の別人を捜しているの?」
「違う。俺はお前と同じ顔をした、聖女アンジェラについて聞いているんだよ」
淡々と告げる声は低く、外見の幼さとますますミスマッチだ。おまけに口調まで変わっているじゃないか。こっちのほうが素なのかしら? ゲームの時は……ダメだ、思い出せない。
(口調は置いておくとして。私が偽者扱いされるって、どういうこと?)
「誰と間違えているのか知らないけど、エルドレッド殿下に呼ばれたアンジェラは私よ?」
「ふざけるな! お前が『聖女』なわけがない。俺の知っているアンジェラは、前線に出て鈍器をふり回したりしねえよ!」
「あら、よく知ってるわね」
王都に着いてから人目のある場所ではまだ戦っていないのに、どこかで覗かれていたのかしら。彼が味方ならともかく、敵なら皆にも伝えておかないといけないわね。
……この変な空間を無事に出られたら、の話だけど。
「お前は一体何を企んでいる? おおかた、アンジェラに外見を似せただけの偽者だろう? どこの組織の者だ」
「だから、私がアンジェラ本人だって言ってるじゃない! なんで頭ごなしに偽者扱いされなきゃいけないわけ?」
「俺の知っているアンジェラと全く別人だからだよ! 顔こそそっくりだが、言動は全く似ていないし『魂』も別人だ!」
魂? 導師クラスの魔術師になると、そんなものまで見えるのかしら。
別人と言われても、気がついたら私はアンジェラだったわけだし、元の私との違いがあるとしたら前世の記憶を取り戻してしまったことだけだ。
もしかしたら、魂とやらが前世の私と混じってしまったのかもしれないけど、それで別人やら偽者やらと言われる筋合いはない。
「そんなことがわかるのなら、私が神様の加護を受けていることもわかるんじゃないの?」
「……チッ」
忌々しげに舌打ちしたカールは、私を再度睨みつけてから髪を掻き乱した。
適当に言っただけなんだけど、どうやら本当に神様の加護も見えるらしい。教会の偉い人にしか見えないと思っていたけど、言うだけ言ってみるものね。
その偉い人いわく、私ほどの加護持ちはなかなかいないらしいし、神様が関わるものを偽装するのは不可能だ。それが目の前の彼にも見えたのなら、私がアンジェラだと信じてくれてもよさそうなものだけど。
「……確かに、お前の体はアンジェラのものだ。寵愛と呼ぶに相応しい神の加護がついている。だが、お前は俺の知っているアンジェラじゃない」
「強情ね。何を言われても、私がアンジェラなんだけど」
……残念ながら、そう簡単には考えを変えないらしい。
他の仲間は普通に受け入れてくれたし、教会関係のトラブルがあったとも思えない。なら、私の何が気に入らないのか。
よしんば、私の他に『アンジェラ』がいたとしても、騙って得をするようなことは何もないはずだ。魂なんてものが見える人間が、そんなペテン師にひっかかるわけもないだろうし。
(彼は〝ゲームの時のアンジェラ〟を知っている……?)
色んな可能性を消していったところで、ふと、そんな考えが頭をよぎった。
私と彼は確実に初対面。しかし、私もまた、〝彼ではないカールハインツ〟を知っている。
――まさかとは思う。だが、私自身という前例がいるのだから、可能性はゼロではない。
「……ねえ、聞いてもいい? 私と貴方は初対面よね? 何故貴方はアンジェラを知っているの? それはさっき言っていた、先見とか予知とかで?」
「そうと言えばそうだし、違うとも言える。確実なのは、俺はお前じゃないアンジェラを知っていることと、そちらが本物だという自信もあることだ」
恐る恐る問いかけてみれば、カールは自信満々に返してきた。
やはり〝知っている〟であり、〝会ったことがある〟ではない。それなら、もしかして、
「ねえ、貴方。もしかして――――『転生者』なの?」
「…………は?」
我ながら、ずいぶん硬い声になってしまった。
彼がもしあのゲームをやっていたのなら、私と同様の知識チートがあってもおかしくはない。私が『神様の声』と言って誤魔化しているのと同じように、『未来視』と言っているだけかもしれない。
元プレイヤーなら、聖女らしいアンジェラを知っていても当然だ。脳筋な私を偽者と言いたくもなるだろう。
「…………」
私の真面目な問いかけに、カールが硬直すること数秒。
眉間に深く皺を刻んだ彼は、思い切り息を吐き出した。
「……転生ってのは、生まれ変わりのことだろう? だったら『否』だ。俺は俺以外のものにはなっていないし、残念ながら『死』には縁がない」
「あ、あれ? 違うのか……」
色々と覚悟をして聞いたのに、どうやら違うらしい。
そりゃまあ、そんなにホイホイ転生させていたら、世の中チートだらけになっちゃうだろうけどさ。
「転生者じゃないなら、貴方なんなの? どこでその本物とやらを知ったわけ?」
「明確には答えられん。だが、俺にとってお前が偽者なのは確かだ」
「私は本当にアンジェラよ! ああもう、これじゃ堂々巡りね」
転生者じゃないとしたら、ますます謎だわ。彼は偽者扱いを撤回するつもりもないみたいだし、私にどうしろって言うのよ、もう! 考えるのは苦手なのに!!
「ねえ導師カールハインツ、私が偽者だと言うのなら、証拠を見せなさいよ。もしくは、貴方が本物だと言うアンジェラに会わせて。どちらもできないなら、ただの言いがかりだわ」
「本物がどこにいるかわかるなら、今すぐにでも助けに行っている! アンジェラを隠しているのはお前なんだろう!?」
「……はあ?」
私は当然の要求をしただけなのに、カールは声を荒らげて怒り出した。
こいつ、私を偽者扱いするばかりか、誘拐犯か何かだと決めつけているの!? ……さすがにそろそろキレそうだわ。
「あのさ、私がアンジェラを騙って、得られる利益は何? なんのためにそんなことしなきゃいけないの? だいたい、なんで初対面の貴方にそんなこと言われなきゃいけないのよ。貴方はアンジェラの何? まさか、恋人ですとでも言うつもり? どこからどう見ても子どもの貴方が?」
「ぐ……っ!」
やや早口で怒りの質問をぶつければ、カールはばつが悪そうな表情で身を引いた。
確かゲームでは不老不死っぽい長寿設定のキャラだった気がするけど、人生経験が豊富なようにはとても感じられない。ここまで悪い方向に変わっていると、ガッカリね。
「違う、そんなつもりじゃ…………ああ、くそっ! 俺は何をやっているんだ……」
「何よ、言いたいことがあるなら言いなさいな。現実は何も変わらないけどね」
さらに追及すれば、カールは頭をガシガシと掻いて、ふり乱す。
そして次の瞬間には後ろを向き、椅子の背に思い切り頭をぶつけ始めた。……ご乱心?
「先に言っておくけど、自傷は治療しないわよ、私」
「わかってる。……はあ、お前の言う通りだ。頭ごなしに否定するのは失礼だったな。自分で思っているよりも、俺は『彼女』に肩入れしていたらしい……情けない話だ」
(あくまで彼女、なのね)
彼は頭をぶつけたことで、一応落ち着きを取り戻したようだ。再び向けられた顔は、『導師』の名に相応しい理知的なもの。おでこの辺りは真っ赤だけど、ツッコむのも野暮だろう。
「俺が知っているアンジェラは、お前とは別人だ。……でも、お前も偽者ではないのだな?」
「当たり前でしょう。私はアンジェラ・ローズヴェルトとしてこれまで生きてきたもの。たとえ貴方が予知した姿と違っても、私は偽者じゃないわ」
「そうか……そうなんだろうな」
ゆっくりと目を閉じて、カールは真っ白な天井を仰ぐ。パーツこそ幼いけれど、その横顔はどこかくたびれていて、何かを堪えているようにも見える。
彼はそのまま、両手で目を覆ってしまった。隠された表情は、もう見えない。
(よくわからないけど、誤解は解けたのかしら)
用が済んだなら、早く元の部屋に戻して欲しい。視界が白すぎて、そろそろ目が痛いわ。
「――……アンジェラは、ここにはいないんだな」
待つこと数分。ようやく顔の角度を戻したカールは、少年らしい表情を取り繕って笑った。
「……すまなかった」
「わかってくれたならいいわよ。余計なお世話だろうけど、悪魔崇拝はやめたほうがいいわよ。その『本物のアンジェラ』とやらも、変な信仰の産物なんじゃないの?」
「悪魔崇拝? ……この部屋の扉のことを言っているなら、あれは人を寄せつけないためのものだ。俺の信仰でも趣味でもないぞ」
「あ、そうなの? 貴方の趣味だと思っていたわ」
てっきり変なものを崇拝しているから、先見という名の妄想でもしたのかと思った。私の容姿から考えれば、ゲームの時の聖女様のほうが『合う』だろうしね。
「ウィルから聞いてないか? 俺はここで禁書類の管理をしている。それこそ、悪魔だなんだを扱う危険な書物をな」
なるほど、それは確かに人を遠ざけるべきだ。ただ、あんなあからさまな彫刻つきの扉では、本物の狂信者を引き寄せてしまいそうな気がするけどね。
「正気なら何よりだわ。で、話は終わったのでしょう? そろそろ皆のところへ返してくれない? この部屋、目が痛いのだけど」
「そうしたいのは山々だが、この魔術は解くのに時間がいる。少し待て」
「……なるべく早く頼むわ」
魔術には詳しくないけど、解けるまではここから出られないらしい。また喧嘩になっても嫌だし、大人しく待つしかないようだ。私のことを認めたってわけでもなさそうだしね。
(静かで、真っ白で、なんだか雪山で遭難したみたいな気分)
目を閉じてもぼんやりと白く、耳には何も聞こえてこない。ここはなんだか寂しいところだ。
(早く、皆のところへ戻りたいな)
ダレンやウィリアムとはまだ二日しか一緒にいないけど、もう仲間意識が芽生えていた。その傍には、誰よりも信用できるジュードがいる。きっと今も、私を心配してくれているだろう。
「アンジェラ」
そう。こういう背筋に響くような、心地よい声で――――
「…………ん!? 今ジュードの声がしなかった!?」
幻聴かと慌てて目を開けば、頬に触れたのはほんの少し硬い温もり。
次の瞬間、慣れ親しんだ長い腕が、白い世界を壊すように私を抱き締めた。
「アンジェラ!!」
「ジュード……?」
「遅くなってごめん。怪我はしていない? 大丈夫?」
鍛えられた筋肉質な体は硬いけれど、ここは柔らかな布団よりもずっと安心できる場所だ。
その温もりを、私は誰よりも知っている。頭上からふってくる低音と、髪を撫でる無骨な指先に、なんだか涙が出そうになった。
(……ああ、本当にジュードだ)
チート転生者なんていっても、結局私もただの人間だ。よく知らない相手と二人きりの妙な空間――それも、いきなり偽者だなんだと言われて、実は結構参っていたらしい。
彼の匂いをめいっぱい吸い込んで、ぎゅうと体を押しつける。……安堵が体中に染み渡っていく。
(ジュードが来てくれたなら、もう大丈夫だわ)
人間、窮地に陥ると本質が見えるっていうのは本当みたいね。自分がこんなに彼に依存しているなんて知らなかった。
「アンジェラ? 泣いているの? どこか痛む?」
「……泣かないわよ。ジュードが来てくれたから、もう平気」
「役得だな」なんて軽い声を聞きながら、彼の胸に強く顔をこすりつける。
こんなところで泣くものか。ジュードがいてくれるなら、私は戦える。ゲームの時のか弱い聖女とは違うもの!
「…………ジュード・オルグレン。なんでお前がここに」
ゆっくりと顔を上げれば、目を見開くカールの姿がある。少年らしからぬ動揺と困惑の色を浮かべる彼は、もう最初のような幼さを演じるつもりはないようだ。
突然現れたジュードに対して、心から驚いているように見える。
そうだ、ここは導師たる超有能な魔術師が作り出した空間。迎えに来てくれたことは嬉しいけど、魔術の素養ゼロのジュードがどうやってここへ来たのだろう。
「ジュード、貴方どうやってここに?」
恐る恐る幼馴染を見上げれば、彼は私を安心させるように微笑んでから、ぽんと頭を撫でてくれる。感触もしっかりあるし、幻や偽者ではなさそうだけど。
その答えは、意外とあっさり告げられた。
「導師カールハインツ。貴方の弟子は、貴方が思っているよりもずっと優秀ですよ」
「ッ! そうか、ウィルが! ははっ、やるじゃないか!」
あの気弱な青年は、私たちが思う以上に優秀だったらしい。……いや、それよりも、己の師に背いてまで私を案じてくれたことを喜ぶべきかしらね。
カールももう何かするつもりはないようだ。素直に弟子の成長を喜び、手を叩いている。
……私を偽者と糾弾した時の険しさは、もうない。
「ウィルはもう俺の術に干渉できるほどになったんだな。俺の負けだ、ひと思いに壊すといい!」
満足そうに笑ったカールは、すっと両手を広げた。
「では、遠慮なく」
ジュードが右足を上げて――真っ白な〝壁〟を、思い切り蹴飛ばす。
代表してウィリアムが手を触れれば、見た目よりも軽い動きで扉が開かれた。
そして視界に広がるのは――本の洪水。天井ぎりぎりまで本が詰められた棚と、床にも机の上にも高く積まれた本の山。本、本、本。見渡す限り本だらけだ。
「な、何この部屋……本当に人が住んでいるの? 倉庫とかじゃなくて?」
「おーい、こっちだよー」
生活感どころか、本以外のものが見当たらない部屋の中。一つの山が揺れたと思えば、ぴょこんと音を立てて薄桃色の頭が覗いた。
「うわっ!? ま、また変なところで読書をして! ちゃんと椅子に座って読んで下さいって、いつも言ってるじゃないですか!」
「ごめんごめん。面白い本を見つけて、つい読みふけっちゃった」
バサバサと崩れた山をどかしながら、ウィリアムのお師匠様――と呼ぶには、ずいぶん若い人物が姿を現す。
ちょっとクセのある薄桃色の短い髪に、輝く金色の瞳。ローブというよりは、黒地のパーカーのような服に〝着られている〟彼は、まだあどけなさの残る少年だった。
目を丸くする一同を気にもせず、少年はぺこりと可愛らしく頭を下げる。
「ようこそ僕の城へ。会えて嬉しいよ救世主たち! 僕の弟子と仲良くしてくれてありがとう!」
「……救世主?」
突然出てきた妙な呼び名に、つい面食らってしまう。ゲームでなら〝世界を救った〟と言えるけど、今の私たちは『魔物討伐のための新設部隊』にすぎない。さすがに大げさだろう。
戸惑う私たちを置き去りにして、彼は本の山を跳び越えると、部屋の奥へと進んでいってしまう。
「応接間はこっちだよ。僕についてきてね!」
「ちょっと、お師匠様!? 最初からまともな部屋に通して下さいよ!」
ぷんすかと怒るウィリアムに、ふり返ることもない。うん、実にフリーダムだわ。
「……ウィル君、君の師匠は変わった人だね」
「ぼくもそう思います。で、ですが、腕は確かなんですよ!」
呆れたように肩をすくめたダレンに、ウィリアムはフォローしようとして失敗している。ウィリアムを育てた人物だし、ゲームの攻略対象なら敵ではないと思うけど……うーむ。
まあ、この本まみれの部屋にいても仕方がない。再び顔を見合わせた私たちは、意を決して奥の部屋へと足を進めたのだった。
さて、誘導された奥の部屋に辿りついたのだけど、散らかり放題だった入り口と比べて、そこは見違えるほど整った空間になっていた。
派手さはないけど、壁や床などは落ち着いた茶色で統一されていて、本も壁際の一棚にきっちり収められている。マホガニー製と思しき家具はどれもお洒落な形をしているし、何よりも清掃の行き届いた部屋は空気がきれいだ。
おかげで、用意されている紅茶の芳醇な香りと、隣に並ぶ焼き菓子の良い匂いが、心地よく鼻腔をくすぐってくれている。
……唯一問題があるとしたら、それを給仕しているのが『人外』であることだけど。
(何かしら、これ)
言うなれば、イラストとかでよく見るデフォルメされた『おばけ』だろうか。紙風船ぐらいの大きさの丸いフォルムに、ちょこんとのっている目と口。鼻は見当たらないけど、ずいぶん愛らしい顔だ。
……向こう側が半分透けて見えるのに、ちゃんとティーポットを持てているのが謎だわ。
「ウィリアムさん、これ何?」
「お師匠様の使い魔……みたいなものだと思います。わ、悪い子じゃないので大丈夫です! いつもお手伝いをしてくれてた子なので!」
どうやら魔物や敵ではないらしい。私がまだ少し疑っている間にも、白いクロスの敷かれたテーブルに美味しそうな紅茶を並べてくれている。
やがて、全員分の給仕を終えたおばけちゃん(仮)は、達成感あふれる笑顔で一息ついた。思わず頭を撫でてみたら、ちゃんと触れた上にきゃっきゃと喜ばれてしまった。なにこれ可愛い。
「すみません、これはどこに売っていますか? アンジェラが気に入ったみたいなので、買って帰りたいのですけど」
「やめてジュード、過保護なお父さんみたいなことするのやめて」
「ごめんねーこの子は売り物じゃないし、僕の生命線だからあげられないかな。僕、魔術は得意だけど、生活力は全くないからね!」
真顔で阿呆な質問をしたジュードに、導師はくすくすと笑って答える。おばけちゃんは私に手をふった後、導師のもとへ戻り、頭の上にちょこんと乗った。やだ、これ本当に可愛い。
「くっ、僕に魔術の素養があれば! ごめんね、アンジェラ」
「すみませんアンジェラさん。ぼくもこの使い魔は出せません……」
「ちょっと、過保護なお父さん増えるのやめてよ。私は何も言ってないじゃない!」
「アンジェラちゃん、そんな純粋な子どもみたいな顔をされたら、叶えてあげたくなるって。帰ったら賢者様に聞いてみようか? あの人なら似たようなの出せるかも」
……過保護な父親はジュードだけじゃなかったらしい。何故かダレンまで真顔で提案してくるので、向かいに座る導師は大きな声をあげて笑い出した。くっ、本物の子どもに笑われるなんて!
「くっふふ……ごめんごめん。君たち面白いね。思っていたのとはずいぶん違うみたいだ」
「私のせいですか? これ」
「愛でられるのは良いことだよ、聖女サマ。さあ皆、遠慮なく召し上がれ」
なんとか笑いを堪えた彼は、皆にお茶とお菓子をすすめる。あの可愛い子が用意してくれたものだし、毒を疑わなくても大丈夫だろう。カップを手に取っても良い香りがするだけだ。
「今日は来てくれてありがとう。僕は導師カールハインツ。といっても本当の名前じゃないけど、カールと呼んでね。ウィリアムがお世話になっているよ」
導師――改めカールハインツ……いや、本人もいいと言ったしカールと呼ぼうか。
ゲームでは攻略対象の一人だったカールは、紅茶のカップを揺らしながら目礼で名乗った。本名ではないとハッキリ言うあたりが彼らしい。……言うまでもないけど、彼は見た目通りの歳ではない。いわゆる合法ショタというやつだ。
「ご丁寧にありがとうございます。私は……」
「自己紹介はいいよ。君たちの名前は知ってるし、だいたいの人となりもわかるつもりだ。もっとも、僕が思っていた性格とは違うみたいだけどね」
礼儀として名乗り返そうと思ったのだけど、小さな手がそれを制する。
私たちのことを『知っている』という言葉に、情報担当のダレンがピクリと眉をひそめた。
「ああ、ごめん。悪い意味で探ったわけじゃないんだ。先見とか未来視とか、そう言えばわかりやすいかな? 僕は少しばかり先の未来を知っているんだ。そこに関わる君たちのこともね」
「――え?」
続いた言葉に、全員が固まってしまった。
先見、未来視……いわゆる予知系の能力だ。彼は超優秀な魔術師だし、そういうことができてもおかしくはないと思うけど。
「ちょっと待ってくれ。貴方は『思うところがある』という理由で、エルドレッド殿下の誘いを断ったはずだ。それはつまり、オレたちの部隊の未来が見えたからってことか!?」
声を荒らげたダレンが、私の疑問を代弁してくれている。そう、未来が見えていたというのなら、なおさら〝参加してくれなかったこと〟が疑問になってくるのだ。
(彼はさっき私たちを『救世主』と呼んでいた。多分、いずれそうなるってことよね。普通に考えれば名誉であるそれを、知っていて拒否したってこと?)
軋む音を立てたダレンの拳を、カール本人が「まあまあ」と宥める声が聞こえる。
私が知るゲームの彼と、外見はだいたい同じだ。予知系のスキルはなかったはずだけど、超有能な魔術師の彼なら誤差の範囲だと思う。……なら他には、どう変わったのだろう。
「ごめん、変な誤解をさせてしまったね。僕は君たちのことを知っているつもりだったけど、実は最近、実際の君たちとの違いが大きくなってきてね。今日はそれを確かめたくて、ここに来てもらったんだよ」
弁明するカールの顔から、ようやく笑みが消えた。幼い顔立ちには不釣り合いなほど真剣な様子に、こちらの空気もまた強張っていく。
弟子のウィリアムも私たちと同じ反応なので、何も聞かされていなかったのだろう。
「たとえばそうだね、名前や出身地、家族構成や王都へ来るまでの経緯はだいたい知っているよ。ウィリアムの才能も知ってて弟子にとったし、他の人のこともそれなりに知っていると思う。ただね、わからなくなったのが、君だよ聖女サマ。君は外見以外、僕が知ってる情報と全然違うんだ。だから今日、君とだけはどうしても話したかった」
「私……?」
語っていくカールの声は、先ほどよりもいくらか低くなっている。おかげで外見は少年なのに、大人と喋っているような錯覚を覚えた。まあ実際、私より年上なのだろうけど。
(私が情報と違うというのは、もしかして転生者だから? カールは脳筋じゃないアンジェラを予知していたってこと?)
彼を見返すと、その金の目もまた、私をじっと見つめていた。外見は幼いのに、ずいぶんと老成した目つき。そこには何故か、こちらを糾弾するような色すら浮かんでいる。
「うーん、まどろっこしいなあ……もう単刀直入に聞いてしまおうか」
「な、何かしら」
頭上のおばけちゃんをそっとテーブルに置いて、カールはこきこきと首や肩の関節を鳴らす。
やがて、一通りの関節を鳴らした彼は――別人のような鋭い瞳を向けてきた。
「アンジェラ・ローズヴェルト、『お前』は『誰』だ?」
「――は?」
尋問でもするかのような冷たい問いかけを合図に、私の周囲から〝背景〟が消えた。
ダレンもウィリアムも、隣にいたジュードすらもいない。一瞬で消えてしまった。
「な、何これ……ここはどこ!?」
何もない真っ白な空間の中、私とカールは二人きりで向かい合って座っている。
上を見ても下を見ても、一面の白。かろうじて椅子があるから〝この辺りが床なのだろう〟という見当はつけられるけど、ここから立ち上がって歩こうとは思えない状況だ。
一通り周囲を確認してから正面に向き直れば、こちらを睨みつけている少年の姿。
――いや、彼はもう『少年』とは呼べない表情を浮かべている。どこかくたびれたようなそれは、大人の男の顔だ。
「……導師カールハインツ、これはどういうこと?」
なんとか強気な声を心がけて質問する。どうやったのかはわからないけど、多分ここはカールのテリトリーだ。心が負けてしまったら、何をされるかわからない。
「どういうことだと聞きたいのはこちらだ。お前は誰だ? 本物のアンジェラをどこにやった?」
「本物も何も、私がアンジェラ・ローズヴェルトよ。それとも、同姓同名の別人を捜しているの?」
「違う。俺はお前と同じ顔をした、聖女アンジェラについて聞いているんだよ」
淡々と告げる声は低く、外見の幼さとますますミスマッチだ。おまけに口調まで変わっているじゃないか。こっちのほうが素なのかしら? ゲームの時は……ダメだ、思い出せない。
(口調は置いておくとして。私が偽者扱いされるって、どういうこと?)
「誰と間違えているのか知らないけど、エルドレッド殿下に呼ばれたアンジェラは私よ?」
「ふざけるな! お前が『聖女』なわけがない。俺の知っているアンジェラは、前線に出て鈍器をふり回したりしねえよ!」
「あら、よく知ってるわね」
王都に着いてから人目のある場所ではまだ戦っていないのに、どこかで覗かれていたのかしら。彼が味方ならともかく、敵なら皆にも伝えておかないといけないわね。
……この変な空間を無事に出られたら、の話だけど。
「お前は一体何を企んでいる? おおかた、アンジェラに外見を似せただけの偽者だろう? どこの組織の者だ」
「だから、私がアンジェラ本人だって言ってるじゃない! なんで頭ごなしに偽者扱いされなきゃいけないわけ?」
「俺の知っているアンジェラと全く別人だからだよ! 顔こそそっくりだが、言動は全く似ていないし『魂』も別人だ!」
魂? 導師クラスの魔術師になると、そんなものまで見えるのかしら。
別人と言われても、気がついたら私はアンジェラだったわけだし、元の私との違いがあるとしたら前世の記憶を取り戻してしまったことだけだ。
もしかしたら、魂とやらが前世の私と混じってしまったのかもしれないけど、それで別人やら偽者やらと言われる筋合いはない。
「そんなことがわかるのなら、私が神様の加護を受けていることもわかるんじゃないの?」
「……チッ」
忌々しげに舌打ちしたカールは、私を再度睨みつけてから髪を掻き乱した。
適当に言っただけなんだけど、どうやら本当に神様の加護も見えるらしい。教会の偉い人にしか見えないと思っていたけど、言うだけ言ってみるものね。
その偉い人いわく、私ほどの加護持ちはなかなかいないらしいし、神様が関わるものを偽装するのは不可能だ。それが目の前の彼にも見えたのなら、私がアンジェラだと信じてくれてもよさそうなものだけど。
「……確かに、お前の体はアンジェラのものだ。寵愛と呼ぶに相応しい神の加護がついている。だが、お前は俺の知っているアンジェラじゃない」
「強情ね。何を言われても、私がアンジェラなんだけど」
……残念ながら、そう簡単には考えを変えないらしい。
他の仲間は普通に受け入れてくれたし、教会関係のトラブルがあったとも思えない。なら、私の何が気に入らないのか。
よしんば、私の他に『アンジェラ』がいたとしても、騙って得をするようなことは何もないはずだ。魂なんてものが見える人間が、そんなペテン師にひっかかるわけもないだろうし。
(彼は〝ゲームの時のアンジェラ〟を知っている……?)
色んな可能性を消していったところで、ふと、そんな考えが頭をよぎった。
私と彼は確実に初対面。しかし、私もまた、〝彼ではないカールハインツ〟を知っている。
――まさかとは思う。だが、私自身という前例がいるのだから、可能性はゼロではない。
「……ねえ、聞いてもいい? 私と貴方は初対面よね? 何故貴方はアンジェラを知っているの? それはさっき言っていた、先見とか予知とかで?」
「そうと言えばそうだし、違うとも言える。確実なのは、俺はお前じゃないアンジェラを知っていることと、そちらが本物だという自信もあることだ」
恐る恐る問いかけてみれば、カールは自信満々に返してきた。
やはり〝知っている〟であり、〝会ったことがある〟ではない。それなら、もしかして、
「ねえ、貴方。もしかして――――『転生者』なの?」
「…………は?」
我ながら、ずいぶん硬い声になってしまった。
彼がもしあのゲームをやっていたのなら、私と同様の知識チートがあってもおかしくはない。私が『神様の声』と言って誤魔化しているのと同じように、『未来視』と言っているだけかもしれない。
元プレイヤーなら、聖女らしいアンジェラを知っていても当然だ。脳筋な私を偽者と言いたくもなるだろう。
「…………」
私の真面目な問いかけに、カールが硬直すること数秒。
眉間に深く皺を刻んだ彼は、思い切り息を吐き出した。
「……転生ってのは、生まれ変わりのことだろう? だったら『否』だ。俺は俺以外のものにはなっていないし、残念ながら『死』には縁がない」
「あ、あれ? 違うのか……」
色々と覚悟をして聞いたのに、どうやら違うらしい。
そりゃまあ、そんなにホイホイ転生させていたら、世の中チートだらけになっちゃうだろうけどさ。
「転生者じゃないなら、貴方なんなの? どこでその本物とやらを知ったわけ?」
「明確には答えられん。だが、俺にとってお前が偽者なのは確かだ」
「私は本当にアンジェラよ! ああもう、これじゃ堂々巡りね」
転生者じゃないとしたら、ますます謎だわ。彼は偽者扱いを撤回するつもりもないみたいだし、私にどうしろって言うのよ、もう! 考えるのは苦手なのに!!
「ねえ導師カールハインツ、私が偽者だと言うのなら、証拠を見せなさいよ。もしくは、貴方が本物だと言うアンジェラに会わせて。どちらもできないなら、ただの言いがかりだわ」
「本物がどこにいるかわかるなら、今すぐにでも助けに行っている! アンジェラを隠しているのはお前なんだろう!?」
「……はあ?」
私は当然の要求をしただけなのに、カールは声を荒らげて怒り出した。
こいつ、私を偽者扱いするばかりか、誘拐犯か何かだと決めつけているの!? ……さすがにそろそろキレそうだわ。
「あのさ、私がアンジェラを騙って、得られる利益は何? なんのためにそんなことしなきゃいけないの? だいたい、なんで初対面の貴方にそんなこと言われなきゃいけないのよ。貴方はアンジェラの何? まさか、恋人ですとでも言うつもり? どこからどう見ても子どもの貴方が?」
「ぐ……っ!」
やや早口で怒りの質問をぶつければ、カールはばつが悪そうな表情で身を引いた。
確かゲームでは不老不死っぽい長寿設定のキャラだった気がするけど、人生経験が豊富なようにはとても感じられない。ここまで悪い方向に変わっていると、ガッカリね。
「違う、そんなつもりじゃ…………ああ、くそっ! 俺は何をやっているんだ……」
「何よ、言いたいことがあるなら言いなさいな。現実は何も変わらないけどね」
さらに追及すれば、カールは頭をガシガシと掻いて、ふり乱す。
そして次の瞬間には後ろを向き、椅子の背に思い切り頭をぶつけ始めた。……ご乱心?
「先に言っておくけど、自傷は治療しないわよ、私」
「わかってる。……はあ、お前の言う通りだ。頭ごなしに否定するのは失礼だったな。自分で思っているよりも、俺は『彼女』に肩入れしていたらしい……情けない話だ」
(あくまで彼女、なのね)
彼は頭をぶつけたことで、一応落ち着きを取り戻したようだ。再び向けられた顔は、『導師』の名に相応しい理知的なもの。おでこの辺りは真っ赤だけど、ツッコむのも野暮だろう。
「俺が知っているアンジェラは、お前とは別人だ。……でも、お前も偽者ではないのだな?」
「当たり前でしょう。私はアンジェラ・ローズヴェルトとしてこれまで生きてきたもの。たとえ貴方が予知した姿と違っても、私は偽者じゃないわ」
「そうか……そうなんだろうな」
ゆっくりと目を閉じて、カールは真っ白な天井を仰ぐ。パーツこそ幼いけれど、その横顔はどこかくたびれていて、何かを堪えているようにも見える。
彼はそのまま、両手で目を覆ってしまった。隠された表情は、もう見えない。
(よくわからないけど、誤解は解けたのかしら)
用が済んだなら、早く元の部屋に戻して欲しい。視界が白すぎて、そろそろ目が痛いわ。
「――……アンジェラは、ここにはいないんだな」
待つこと数分。ようやく顔の角度を戻したカールは、少年らしい表情を取り繕って笑った。
「……すまなかった」
「わかってくれたならいいわよ。余計なお世話だろうけど、悪魔崇拝はやめたほうがいいわよ。その『本物のアンジェラ』とやらも、変な信仰の産物なんじゃないの?」
「悪魔崇拝? ……この部屋の扉のことを言っているなら、あれは人を寄せつけないためのものだ。俺の信仰でも趣味でもないぞ」
「あ、そうなの? 貴方の趣味だと思っていたわ」
てっきり変なものを崇拝しているから、先見という名の妄想でもしたのかと思った。私の容姿から考えれば、ゲームの時の聖女様のほうが『合う』だろうしね。
「ウィルから聞いてないか? 俺はここで禁書類の管理をしている。それこそ、悪魔だなんだを扱う危険な書物をな」
なるほど、それは確かに人を遠ざけるべきだ。ただ、あんなあからさまな彫刻つきの扉では、本物の狂信者を引き寄せてしまいそうな気がするけどね。
「正気なら何よりだわ。で、話は終わったのでしょう? そろそろ皆のところへ返してくれない? この部屋、目が痛いのだけど」
「そうしたいのは山々だが、この魔術は解くのに時間がいる。少し待て」
「……なるべく早く頼むわ」
魔術には詳しくないけど、解けるまではここから出られないらしい。また喧嘩になっても嫌だし、大人しく待つしかないようだ。私のことを認めたってわけでもなさそうだしね。
(静かで、真っ白で、なんだか雪山で遭難したみたいな気分)
目を閉じてもぼんやりと白く、耳には何も聞こえてこない。ここはなんだか寂しいところだ。
(早く、皆のところへ戻りたいな)
ダレンやウィリアムとはまだ二日しか一緒にいないけど、もう仲間意識が芽生えていた。その傍には、誰よりも信用できるジュードがいる。きっと今も、私を心配してくれているだろう。
「アンジェラ」
そう。こういう背筋に響くような、心地よい声で――――
「…………ん!? 今ジュードの声がしなかった!?」
幻聴かと慌てて目を開けば、頬に触れたのはほんの少し硬い温もり。
次の瞬間、慣れ親しんだ長い腕が、白い世界を壊すように私を抱き締めた。
「アンジェラ!!」
「ジュード……?」
「遅くなってごめん。怪我はしていない? 大丈夫?」
鍛えられた筋肉質な体は硬いけれど、ここは柔らかな布団よりもずっと安心できる場所だ。
その温もりを、私は誰よりも知っている。頭上からふってくる低音と、髪を撫でる無骨な指先に、なんだか涙が出そうになった。
(……ああ、本当にジュードだ)
チート転生者なんていっても、結局私もただの人間だ。よく知らない相手と二人きりの妙な空間――それも、いきなり偽者だなんだと言われて、実は結構参っていたらしい。
彼の匂いをめいっぱい吸い込んで、ぎゅうと体を押しつける。……安堵が体中に染み渡っていく。
(ジュードが来てくれたなら、もう大丈夫だわ)
人間、窮地に陥ると本質が見えるっていうのは本当みたいね。自分がこんなに彼に依存しているなんて知らなかった。
「アンジェラ? 泣いているの? どこか痛む?」
「……泣かないわよ。ジュードが来てくれたから、もう平気」
「役得だな」なんて軽い声を聞きながら、彼の胸に強く顔をこすりつける。
こんなところで泣くものか。ジュードがいてくれるなら、私は戦える。ゲームの時のか弱い聖女とは違うもの!
「…………ジュード・オルグレン。なんでお前がここに」
ゆっくりと顔を上げれば、目を見開くカールの姿がある。少年らしからぬ動揺と困惑の色を浮かべる彼は、もう最初のような幼さを演じるつもりはないようだ。
突然現れたジュードに対して、心から驚いているように見える。
そうだ、ここは導師たる超有能な魔術師が作り出した空間。迎えに来てくれたことは嬉しいけど、魔術の素養ゼロのジュードがどうやってここへ来たのだろう。
「ジュード、貴方どうやってここに?」
恐る恐る幼馴染を見上げれば、彼は私を安心させるように微笑んでから、ぽんと頭を撫でてくれる。感触もしっかりあるし、幻や偽者ではなさそうだけど。
その答えは、意外とあっさり告げられた。
「導師カールハインツ。貴方の弟子は、貴方が思っているよりもずっと優秀ですよ」
「ッ! そうか、ウィルが! ははっ、やるじゃないか!」
あの気弱な青年は、私たちが思う以上に優秀だったらしい。……いや、それよりも、己の師に背いてまで私を案じてくれたことを喜ぶべきかしらね。
カールももう何かするつもりはないようだ。素直に弟子の成長を喜び、手を叩いている。
……私を偽者と糾弾した時の険しさは、もうない。
「ウィルはもう俺の術に干渉できるほどになったんだな。俺の負けだ、ひと思いに壊すといい!」
満足そうに笑ったカールは、すっと両手を広げた。
「では、遠慮なく」
ジュードが右足を上げて――真っ白な〝壁〟を、思い切り蹴飛ばす。
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