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旅先の怪
第七話 おくりび
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大学時代、夏休みを利用して三泊四日の日程で京都を訪れた。
旅行の最後の夜には、大文字焼きを見る予定だった。
友人の紹介で、京都の某大学の屋上に上がらせてもらえると言う。
「夏休み中なのに入っていいの? しかも他大学の学生なのに」
「平気、平気。みんな、大文字焼きの日は勝手に友達呼んで、屋上に上がって見てるから」
そう聞いて、知人の好意に甘えることにした。
その日は嵐山と嵯峨野を巡って、夜になってから知人とはキャンパスで落ち合うことにした。
夜の大学の屋上は真っ暗である。
しかし、そのキャンパスは大文字焼きを見るのに絶好のスポットということもあって、ちょっとした宴会場のような雰囲気で、酒を飲みながら騒いでいる学生たちも多い。
まるで、大学祭やサークル新入生歓迎会の時期のキャンパスのように賑わっている。
山に明々と点る「大」の字を見て、花火でも鑑賞するように、皆が無邪気に騒いでいた。
とはいえ。
絶好のビュースポットを紹介してくれた知人に感謝したものの、心の中にちょっとした違和感が残った。
――大文字焼きは、宴会のように楽しみながら鑑賞してよいものだったろうか?
異変が起きたのは、そのキャンパスを後にして宿に戻ろうとしたときである。
グループの一人、Aが、しきりに後ろを気にし始めた。
「誰かがついて来ているような気がするんだけど」
そうは言っても、大文字焼きが終わった直後である。
道路には帰宅しようとする観光客が溢れていて、私たちの後ろを歩いている人も多い。そういった人たちを「ついて来ている」と言っていたら、キリがない状態だった。
私たちは、そう説明する。
しかし、Aは、頭を振った。
「違う、自分には何かが憑いて来ているんだ! 頼む、取ってくれ! 祓ってくれ!」
私たちはみな、Aの気のせいだとしか思わなかった。
しかし、Aが執拗に頼むので、私は仕方なくテレビの心霊番組で霊能者が除霊をする様子を真似て、Aの肩や背中をバンバンと叩いた。
「これで大丈夫」
何が大丈夫なのか言っている自分でもわからなかった。しかし、とりあえずAを安心させなければと思ったのだ。
その除霊の真似事が功を奏したのだろうか。
Aの顔はみるみる明るくなって、そのまま飲みに行こうと言い出した。
一方、私はその除霊の真似事の後、急に疲労を感じたのでホテルに戻ると言って、皆と別れた。
結局、私の他には、もう一人。
Sだけが一緒にホテルに戻ると言い、Aたちはそのまま夜の繁華街へと繰り出して行ったのだった。
ホテルに着いてシャワーを浴びると、私とSは早々とベッドに入った。
しかし、ベッドに入ったが最後。私もSも、ベッドから出られなくなってしまった。
怖いのだ。
今なら、Aが言っていたことが理解できる。
私たちの周囲に、何かが「憑いて」来ているのだ。
「Sちゃん、私ね、変なこと言うけどいい?」
「うん、いいよ」
「あのね、部屋の中の空気中にみっしりと“何か”がいる感じがして、布団から指先すら出すのが怖いの……、っていうか、出せない……」
「実はね、私もさっきからずっとそうなんだ」
Sも震えるような声で言った。
通常とは、空気の密度が違う。
私の周り中に、“何か”が、確実に存在している気配がする。
たとえば、エレベーターに既に定員いっぱいの人が乗っている感じとでも言えばいいだろうか。
通勤ラッシュ時の、隙間がないほど人がぎゅうぎゅうに押し込めらた満員の電車の車両の空気感に近い。
たった二人しかいないはずの、ホテルの部屋なのに、そういった空気の密度なのだ。
部屋の中に、肉眼で見えるものは私たちしか存在しない。
なのに、満員電車のように、すぐ傍にたくさんの人の気配が確かにする。
そして、その存在に対して、
「触れてはいけない」
という感覚がする。
だから、ベッドから指すら出すのが怖いのだ。
本当は、顔だって出したくはない。
私たちは、灯りを点けたまま、眠りに落ちるギリギリまで、霊とは関係のない明るい話題を語り続けた。
疲れ切って寝てしまうまで、私たちは見えない何かに対して「隙を見せない」ように、語り続けた。
どちらが先に眠りに落ちたのか。
いつの間にか、朝になっていた。
昨夜とは、まったく空気が違う。
昨日の夜、あんなにみっしりとホテルの部屋の空間を埋めていた何かは、一晩のうちにかき消えていた。
朝の日の光が、すべて連れて行ってくれたのか。
それとも、昨日の夜が何か特別な夜だったのか。
ホテルの部屋には、私たち二人だけしかいない。
もう大丈夫だ、と感じた。
朝食になって、飲みに行ったグループと落ち合った。
最初に脅えだしたAもいつもと変わらなく見えたので、私たちはすべてが終わったのだ、と思い帰途についた。
しかし、終わってなどいなかったのだと帰宅してから知ることになる。
Aは、京都へ行くのに東京駅まで自分の車で来ていた。
京都に行く数日前に購入したばかりの新車だった。
「みんな疲れているでしょう、帰りは乗って行けば?」
私とSは方向が違ったので、そこでみんなと別れ、電車で帰ることにした。
翌日、車でAに送ってもらったというKから、震える声で電話がかかってきた。
「あのね、昨日の帰り、車が横転して……、Aの車、スクラップになった」
私は驚いて、みんなは大丈夫なのかと聞いた。
廃車になるほどの大事故だったのにも関わらず、幸いにも怪我はみな軽かったそうだ。
「ただ、やっぱり……、車に乗ってからも、Aは『何か憑いて来てる』って、言ってた。ずっと、バックミラーを気にしていたし。事故もそのせいだって言ってる」
その後、Aとはなんとなく疎遠になって、連絡を取らなくなってしまったので、いまどうしているのかはわからない。
大文字焼きの正式名称は、「五山の送り火」と言う。
あれは、八月十六日、盂蘭盆会の最後に行われる送り火なのだ。
死者をあの世へと送る、焔なのだ。
旅行の最後の夜には、大文字焼きを見る予定だった。
友人の紹介で、京都の某大学の屋上に上がらせてもらえると言う。
「夏休み中なのに入っていいの? しかも他大学の学生なのに」
「平気、平気。みんな、大文字焼きの日は勝手に友達呼んで、屋上に上がって見てるから」
そう聞いて、知人の好意に甘えることにした。
その日は嵐山と嵯峨野を巡って、夜になってから知人とはキャンパスで落ち合うことにした。
夜の大学の屋上は真っ暗である。
しかし、そのキャンパスは大文字焼きを見るのに絶好のスポットということもあって、ちょっとした宴会場のような雰囲気で、酒を飲みながら騒いでいる学生たちも多い。
まるで、大学祭やサークル新入生歓迎会の時期のキャンパスのように賑わっている。
山に明々と点る「大」の字を見て、花火でも鑑賞するように、皆が無邪気に騒いでいた。
とはいえ。
絶好のビュースポットを紹介してくれた知人に感謝したものの、心の中にちょっとした違和感が残った。
――大文字焼きは、宴会のように楽しみながら鑑賞してよいものだったろうか?
異変が起きたのは、そのキャンパスを後にして宿に戻ろうとしたときである。
グループの一人、Aが、しきりに後ろを気にし始めた。
「誰かがついて来ているような気がするんだけど」
そうは言っても、大文字焼きが終わった直後である。
道路には帰宅しようとする観光客が溢れていて、私たちの後ろを歩いている人も多い。そういった人たちを「ついて来ている」と言っていたら、キリがない状態だった。
私たちは、そう説明する。
しかし、Aは、頭を振った。
「違う、自分には何かが憑いて来ているんだ! 頼む、取ってくれ! 祓ってくれ!」
私たちはみな、Aの気のせいだとしか思わなかった。
しかし、Aが執拗に頼むので、私は仕方なくテレビの心霊番組で霊能者が除霊をする様子を真似て、Aの肩や背中をバンバンと叩いた。
「これで大丈夫」
何が大丈夫なのか言っている自分でもわからなかった。しかし、とりあえずAを安心させなければと思ったのだ。
その除霊の真似事が功を奏したのだろうか。
Aの顔はみるみる明るくなって、そのまま飲みに行こうと言い出した。
一方、私はその除霊の真似事の後、急に疲労を感じたのでホテルに戻ると言って、皆と別れた。
結局、私の他には、もう一人。
Sだけが一緒にホテルに戻ると言い、Aたちはそのまま夜の繁華街へと繰り出して行ったのだった。
ホテルに着いてシャワーを浴びると、私とSは早々とベッドに入った。
しかし、ベッドに入ったが最後。私もSも、ベッドから出られなくなってしまった。
怖いのだ。
今なら、Aが言っていたことが理解できる。
私たちの周囲に、何かが「憑いて」来ているのだ。
「Sちゃん、私ね、変なこと言うけどいい?」
「うん、いいよ」
「あのね、部屋の中の空気中にみっしりと“何か”がいる感じがして、布団から指先すら出すのが怖いの……、っていうか、出せない……」
「実はね、私もさっきからずっとそうなんだ」
Sも震えるような声で言った。
通常とは、空気の密度が違う。
私の周り中に、“何か”が、確実に存在している気配がする。
たとえば、エレベーターに既に定員いっぱいの人が乗っている感じとでも言えばいいだろうか。
通勤ラッシュ時の、隙間がないほど人がぎゅうぎゅうに押し込めらた満員の電車の車両の空気感に近い。
たった二人しかいないはずの、ホテルの部屋なのに、そういった空気の密度なのだ。
部屋の中に、肉眼で見えるものは私たちしか存在しない。
なのに、満員電車のように、すぐ傍にたくさんの人の気配が確かにする。
そして、その存在に対して、
「触れてはいけない」
という感覚がする。
だから、ベッドから指すら出すのが怖いのだ。
本当は、顔だって出したくはない。
私たちは、灯りを点けたまま、眠りに落ちるギリギリまで、霊とは関係のない明るい話題を語り続けた。
疲れ切って寝てしまうまで、私たちは見えない何かに対して「隙を見せない」ように、語り続けた。
どちらが先に眠りに落ちたのか。
いつの間にか、朝になっていた。
昨夜とは、まったく空気が違う。
昨日の夜、あんなにみっしりとホテルの部屋の空間を埋めていた何かは、一晩のうちにかき消えていた。
朝の日の光が、すべて連れて行ってくれたのか。
それとも、昨日の夜が何か特別な夜だったのか。
ホテルの部屋には、私たち二人だけしかいない。
もう大丈夫だ、と感じた。
朝食になって、飲みに行ったグループと落ち合った。
最初に脅えだしたAもいつもと変わらなく見えたので、私たちはすべてが終わったのだ、と思い帰途についた。
しかし、終わってなどいなかったのだと帰宅してから知ることになる。
Aは、京都へ行くのに東京駅まで自分の車で来ていた。
京都に行く数日前に購入したばかりの新車だった。
「みんな疲れているでしょう、帰りは乗って行けば?」
私とSは方向が違ったので、そこでみんなと別れ、電車で帰ることにした。
翌日、車でAに送ってもらったというKから、震える声で電話がかかってきた。
「あのね、昨日の帰り、車が横転して……、Aの車、スクラップになった」
私は驚いて、みんなは大丈夫なのかと聞いた。
廃車になるほどの大事故だったのにも関わらず、幸いにも怪我はみな軽かったそうだ。
「ただ、やっぱり……、車に乗ってからも、Aは『何か憑いて来てる』って、言ってた。ずっと、バックミラーを気にしていたし。事故もそのせいだって言ってる」
その後、Aとはなんとなく疎遠になって、連絡を取らなくなってしまったので、いまどうしているのかはわからない。
大文字焼きの正式名称は、「五山の送り火」と言う。
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死者をあの世へと送る、焔なのだ。
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